史上最強のアッシー君

宿題も終わっていないのに、今朝は映画『マリア』を観に梅田へ。昨年11月に前売り券買ってて、ずっと観にいく時間がなかった。いよいよ上映が明日まで、ってことで急遽慌てて観にいった。
イエス様の両親であるマリアとヨセフの物語。
『パッション』のように大々的な宣伝もされてなくて興行的に期待されていない映画なんだろう。観客のほとんどは、その筋の人(キリスト教関係者)と思われる(^^ゞ。まあ、でも悪くない映画だった。
上映が日に一回で、しかも小さな劇場だったので、立ち見の人もたくさんいた。かくいう私も立ち見組。チケット持って並んでいたら、場内とトランシーバで連絡とっていた受付の人が私に
「申し訳ありません。ちょうど<お客様から>お席がございません。<お客様から>立ち見となりますが、よろしいでしょうか?」
と告げられる。よろしいでしょうか?っていわれたって、もうここまで来て帰るわけにも行かず、そのまま会場へ。
正月から立ち見、しかも、よりによって<お客様から>っていうのが、先日のボット感染と並んで今年一年の多難さを暗示しているようで、なんかヤな感じ(^^ゞ。
マリアを演じた女優さんは、まだ10代で、可愛らしいほんとに少女の感じのある初々しさがマリアに合ってはいたけど、わたしは、表情がどうも好きでなかった。彼女のもともとの眉の形がそうなのかよくわからないけど、いっつも眉間に皺がよっているような悩んだような表情をしていた。イエス様出産直後の笑顔の場面以外は、なんかずっーと眉間に皺。
そういえば『パッション』のときもマリア役の女性は、いっつもびっくりしたような悲しいような表情をしていた。マリア役になると、なぜか表情が固定されるのかな?
出産後、天使の啓示をうけた羊飼いたちがやってきたとき、マリアが
「この子はみんなへの贈り物よ」
とか、ぺらぺら喋っているのも、なんだかなあと思った。聖書ではマリアの言葉はなく、むしろ「これらの出来事をすべて心に納めて」いたとあるわけで、身に起こった不可思議なことをそのままじっと受け取り、心の中で思い巡らすところにマリアの良さがあると思うのだけど。。。
しかし、映画をみて、なにより感心したのはヨセフである。聖書の中では、とっても存在感が薄くて、いつのまにかフェードアウトしている人なんであるが。
「聖霊によって神の子を身ごもった」
なんてことを、突然、未婚の若い女性が言い出したら、そりゃ、2000年前のイスラエルでなくても、まわりの人は混乱をする。なにより、言っているマリア自身が自分の身に起こったことに対し困惑し、神を信じつつも、不安のなかにいる。当初はそのマリアを疑い絶望しながら、やがてしっかりとマリアを受け入れ、守っていくヨセフ。
当時のイスラエルを占領統治していたローマの強制でナザレの町からベツレヘムまで、ヨセフは身重のマリアを守り、200キロを旅する。砂漠あり、荒野あり、険しい山あり、川では流されそうになるマリアを助け、空腹でも自分はほとんど食べず、マリアとロバに食べ物をあげるヨセフ(それも自分も食べたふりしてこっそりと、というのが実に男らしい)。マリアはロバに乗っているけど、ヨセフは徒歩でロバを曳いてマリアを導いていく。なにがなんでもマリアを守り抜いていく。雅子さんを「お守りします」と言った皇太子も偉かったが、ヨセフはその何千倍もすごい。
まったくもって人類史上最強のアッシー君である。
わたしはこの映画は『マリア』ではなく『ヨセフ』って題にして欲しかった。(じゃあ、ヨセフの内面が良く描けていたかっていうとそうでもなかったけど・・・(^^ゞ)
神様、どうかわたしにもヨセフを一人ください。
写真は映画と何の関係もなく、映画の帰りに梅田で見た獅子舞。この獅子はもう酔っ払ってへたっているところだそうです(*_*;獅子よ、そんな情けないことではマリアは守れんぞっ。
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