ハーフマラソン
体調はだいぶ回復。
題詠blog2008、よたよたと走っている。今年は完走したいところ。
ウルトラマラソンランナーの牧師先生曰く「1首1キロとしたら100首で100キロ。ウルトラ短歌マラソンと呼ぼう。」。
ウルトラどころか、ようやくハーフマラソンの距離を過ぎた。
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体調はだいぶ回復。
題詠blog2008、よたよたと走っている。今年は完走したいところ。
ウルトラマラソンランナーの牧師先生曰く「1首1キロとしたら100首で100キロ。ウルトラ短歌マラソンと呼ぼう。」。
ウルトラどころか、ようやくハーフマラソンの距離を過ぎた。
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今日は体調回復。左目も痛痒い感じが残っているが、傷は癒えつつある様子。
本日は朝から曇り、午後は小雨。この天気だったら、先日のウルトラマラソンは完走率が上がっていただろう。(あとから良く調べたら、あの日の完走率は400名余りの出走で38.6%と4割を切っていた。牧師先生が出られた50代男子にいたっては29.2%・・・すさまじく過酷なレースだったのである)
連休は、結局、ろ~はさんとデートして、ウルトラマラソン見て、救急病院に行って終わった。(明日まであるけど)
写真はウルトラマラソンのゴール付近からみた飛行船。
突然に成りたる春のただなかに飛行船来るくるしみもせず
小池光
おとといは、春というより夏だったけど・・・。
飛行船というのは、なぜああも、くるしみから超越したような風情なのか。地を歩き、また走る者はなぜくるしみから逃れられないのか。
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前の日記が「桜の思い出」で、今日は桜餅。桜つながりだけど、何の関係もありません(^^ゞ。
水曜日夜、教会の祈祷会に行った帰り、駅まで同じ方面でいっしょに帰っていた男性が、とあるスーパーの前に来たところで、急に立ち止まって、「あ、そうだ、ここで・・」と、もぞもぞ。なにか買い物でもあるのかな?わたしは早く帰りたいのだが・・・と様子をうかがうと、「牛丼買ってあげる」と男性はすたすたとスーパーへ入っていかれた。
は?牛丼??。しかも「買ってあげる」って???
なぜその男性が私に牛丼を買うのか????
その男性はどう考えても、ひっくり返って考えても、わたしに「気がある」ということはありえない。(ちなみにその男性は私の父親と同年である)
そんな世俗的なおもんぱかりを越え、神の愛に満ちている教会員であれば、唐突にだしぬけに、恵まれない女性教会員に牛丼を買ってあげたくなることもあるのだろうか?信仰歴浅い私としてはよくわからない・・・。
「え、牛丼すか~?」
と私は狐につままれたような感じなのだが、その方は、どんどんスーパーに入っていかれる。その方の後を追って、私もあたふたとスーパーへ。その方はさらに揺るぎない足取りで牛丼売り場(というか惣菜売り場)へ。
ところが、牛丼、売り切れだったのです。
しかし、その方はめげず、じゃあ果物でもと果物売り場へ。
「イチゴは好きですか?」
「はあ・・・好きですが」
その方は、けっこう粒の大きな高そうなイチゴをすかさずかごへ1パック入れ、さらに「お菓子なんかどうでしょう?」とお菓子売り場へ行きそうな勢い。
あー、やめて~。私はお菓子は食べない~。(酒は飲むが、私はお菓子は基本的に家では食べない)
でもその方はすたすたお菓子売り場をめざしていかれる。
ところが途中、和菓子売り場があり、そこに桜餅があった。
男性、「桜餅なんかどうですか?」
お菓子は食べない私だけど、例外的に、桜餅は好き。
「桜餅好きです」
というと、その方は、桜餅を、かごへ。しかも、その売り場には桜餅が2種類あって、その2種類とも(つまり2パック)かごへ。
え、2パックも???息子は桜餅食べないし、2パックあっても困る~
とオタオタしている間に、レジも済ませ、いちご1パック+桜餅2パックの入った袋を手渡された。
「は・・、どうもありがとうございます」
と受け取ったものの・・
はて?
なぜ、いちごと桜餅を私はいただくのであろうか?男性の揺るぎない態度に圧倒されつつ怪訝な気分・・
駅の前で、その方と別れた後もどうも解せない。
その日の祈祷会で、私がその方のことを祈ったからだろうか?(私はその場にいる方のことは、なんだか気恥ずかしいので、普通は祈らないのだけど、その方は、再来週から入院される予定とのことで、それはやはり祈りたいと思って、入院・治療の無事を祈ったのだった)でも、教会員同士が、それぞれのために祈るっていうのは本来、特別なことではないし、祈ったからお礼にイチゴと桜餅くれた・・・というのはなんか違うような気がする。
と考え考え電車に乗っていたら、降りる頃、ようやく思い至った。
その方は教会の短歌クラブの方で、ちょっと前に、自作短歌を10数首、個人的に持ってこられて、「読んで欲しい」と言われたのだった。
それで、一生懸命読んで、先週、感想を書いてお渡ししたのだった。私は、別に<先生>でもなんでもないので、「読んで欲しい」と言われてもどう対応していいのか、ある意味困ってしまうのだけど、「通常、歌会などで批評するような形で感想を書かせていただきます」と、批評文を書いてお渡しした。
私自身のポリシーとして、どんな形であれ、「読んで欲しい」と私自身に対して与えられた作品には基本的に出来る限り誠心誠意対応する、というのがあって(当たり前といえば当たり前だが)、「一生懸命読んだ」というのは嘘ではない。嘘ではないし、感想を書くために、それなりに労力もかかったのだが、書き終えた時点で、もうすっかりそのことは忘れ果てていた。
忘れ果てていたけど、男性のほうは覚えてくれてて、その一生懸命がいちごと桜餅になった・・・のだろう・・・、きっと。
そう思うとなんだか愉快。
写真は、気合で食べた桜餅2パックの最後の一個。
この最後の一個も食べ、2パック完食。
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忙しかったのと、風邪気味でだるかった(寝込むほどではないけど、咳がひどく、夜、しんどかった)のとで、日記更新が滞っていた。
今日は礼拝。礼拝後、短歌クラブで、『短歌に読まれたキリスト教・聖書』ということで、短時間の研究会を行う。紹介した歌は以下の通り。各歌人の簡単な紹介、歌の背景の説明と鑑賞。
齋藤茂吉
オリーヴのあぶらの如き悲しみを彼の使徒もつねに持ちてゐたりや
葛原妙子
疾風は歌声を攫(さら)ふきれぎれに さんた、ま、りぁ、りぁ、りぁ
竹山広
空の空その空の空さらにその空に空あるものぐるしさよ
河野愛子
草原にありし幾つもの水たまり光ある中に君歸れかし
岡井隆
師はあらず主はありと思ふおだやかな眼を向けたまひやがて去(い)にしを
小池光
うしろ手に扉閉してエレミア書もつとも好む夜あり乾きて
河野裕子
ナザレ村に青年となりしイエスのこと様ざまに想ひてマタイ伝閉づ
来月も、ちょっとした鑑賞研究会を行うことに。来月以降は、キリスト教に限らず、<一般的な歌>の鑑賞。
教会の中で私はいったい何やってんだろうな?とちょっと不思議な心持ちもある。
短歌クラブのあと、事務室で、牧師先生と教会のホームページの話をするついでに、上記の鑑賞のレジメをお見せしたら、
「僕は、小池光の歌が一番好きです」
とのこと。それは私の師匠の歌です、と言ったら、
「よ、よかった~。万が一、その歌、けなしていたら、たいへんなことになってましたね・・」と、ちょっとウロたえておられた。
気がつくと、教会事務室に吉浦専用デスクが設置されていた(@_@)。HP管理担当席。
帰りは雨。天気予報も、朝の空色もヤバそうだったけど、これまで何回もそんなときでも礼拝の往復で降られなかったので、今日も、強気に自転車でいったら、午後はざざ降り。牧師先生(奥さんのほう)のカッパをお借りして帰る。雨はけっこう降っていたけど、どうにかカッパのおかげで濡れることなく帰宅。
明日は魚村晋太郎さんの歌集『花柄』について書きます。
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昨日は昼過ぎに仕事でトラブル発生。急遽、九州の開発部隊が飛んでくる。結局、夜9時過ぎまでわたしも仕事で、神楽岡歌会にいけず。九州部隊は最終の新幹線でとんぼ返り、いまごろも仕事しているだろう。
歌会いきたかったなあ。
教会の短歌クラブの詠草を今月作ることになった。ついでにミニ勉強会みたいなこともやってみようかと思っている。近現代短歌を少しずつ鑑賞するような・・・。短歌初心者の方向け(+クリスチャン向け)の「近現代短歌に読まれたキリスト教・聖書」シリーズみたいな感じで。
草原にありし幾つもの水たまり光ある中に君帰れかし
河野愛子
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昼ごろ、なにやら会社で大きなニュースがあるらしいという会話を耳にするが、会話を断片で聞いててもなんのことやらわからず。「NHKの昼のニュースのトップだった」とか聞いても、はて?。こちらは朝から仕事でばたばたしてて、ほとんどラボにこもりっぱなしで、ネットもアクセスしていない。
ようやくインターネットを見ると、わたしの勤務先の会社の社名が変わるらしい。(こういう大きなニュースは管理職を含め社員といえど、なぜか一般のニュースで知る。社長交代!といったことだって、家族のほうが先にニュースで知っていたりする。)
14時から年に一度の経営方針発表会。これは衛星放送で全世界の職場に中継されていて、各職場で見る。そのなかで社名変更について正式発表。
カタカナの名前はピンとこない。
私自身は、昨日、急に今月末の中国出張が決まった。その二週間後の二月にはマレーシア出張。
なんか今年も出張が多そうだ。
テレビには「あかるいナショナル」流れをりあああのころの「明日」の明るさ
『精霊とんぼ』
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腰痛はほとんど気にならないくらいに良くなった。でも風邪具合は一進一退。昨日はかなり快調だったけど、今日になって喉の痛みがひどくなった。日曜から出張に出るので少し心配。
起き上がりし人の此方を向くと宇宙よりの記号のごとし (号は旧字)
森岡貞香
この破調はどう読むのかな。よくわからないが、すごく破格の歌のように思う。
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今日は風邪具合はかなり好転。風邪症状より、薬からくるボーッとした感じのほうがしんどかった。でも、ずいぶん元気になった。ただし、腰は痛い。歩いたり階段上ったりという普段の動作では、それほどどうもないのだけど、長く椅子に座って立ち上がるときが痛い。椅子に座るときの姿勢が悪いのかな???
昨日まではしんどくて何もできなかったけど、今日はようやく短歌モード。ぽろぽろと歌らしきものがいくつか出来る。しかし、帰りの電車の中で、ずーっと考えていた歌を電車降りてスーパーで買い物している最中に忘れてしまった、「xxxxにて」という言葉がはいっていたことと、このままでは4句目がすげー字余りになる~、という記憶しかない。世紀の名歌だったかもしれないのに残念である。どんなに電車が混んでいても、思いついた短歌は即メモすべし。
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昨日は、あれこれ時間をやり繰りして、あたふたとお昼に予約していた歯医者へ。受付で診察券出して待っていたら、受付でなにやら数名がぼそぼそ言っている。やがて「あの、吉浦さん、すみません」と呼ばれ、申し訳なさそうに受付の方が「吉浦さんの予約、先週だったんです」え?と診察券を見たら、たしかに11/10となっている。
がーんΣ( ̄ロ ̄lll)。
なんでだろ、まったく疑いもなく17日と思い込んでいた。結果的に先週は予約無断ですっぽかしていたわけで・・・あららら・・・
へろへろ気分で帰宅。夕方から蜆橋歌会。
拙歌
confidentialの印押すときにこの部屋に監視カメラとわれのみ動く
今月は、短歌人に小文も出したし、作品も比較的多く出したし、なんか短歌復調傾向なのが嬉しい。歌会後の懇親会で、K氏に「先月も今月もたくさん歌出しましたよねー、私」と自慢げに言ったら、「当たり前のことだろ。お前はもっと真人間になれ。」と言われた。
はぁ、真人間ねぇ(@_@;)・・・。
今日は礼拝。礼拝前、短歌クラブの詠草が配られる。先月は取りまとめの方の体調不良で、提出した原稿そのままのコピーだったのだけど、今回は、全員の分がまとめてワープロ打ちされていた。で、詠草見て、むっ(-"-)。詠草が横書きで、三句目のあとになぜか全部の歌に空白が入れてあって、しかも私の歌の旧かなを新かなに変えてあった。
私の母よりも年上の取りまとめのおじさんに断固抗議。その後、そのおじさんと並んで礼拝。(おじさんはたいそう穏やかな方で、わたしが何を言っても、にこにことやさしく聞かれる。なんだか偉そうに言い過ぎたなあと私は後から反省・・・)
礼拝後のクラブの会の場で、取りまとめのおじさんにうながされ、「短歌の記述方法」について縷々説明したのだけど、はて、どこまで理解していただけたか・・・。せっかくの皆さんの楽しい雰囲気を壊してはいけないから、あんまり偉そうに言いたくはないのだけどなあ。
その短歌クラブに誘ってくださった女性から、クラブの歌集をいただいていたので、先週、わたしの歌集をその女性に謹呈させていただいた。今日、その方の著書(知らなかったけど、ノンフィクションでいろいろと賞も受賞されている方だった、著書の帯には<筑紫哲也氏絶賛>と書いてあった)をいただく。また、私の歌集の感想などが書かれた手紙もいただく。
こころ温まる、というよりも、なにかこころ打たれるような手紙だった。
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昨日、淀川からの帰り、神崎川で実は牧師先生とすれ違った。なんか真剣にランニングされておられて、こっちはこっちで、はよ帰ろうと自転車飛ばしてて、「あ、吉浦さん」「あ、先生、どうも」って感じで、挨拶しあって、さーっと通り過ぎた。
今日、礼拝に行ったとき、先生から、開口一番
「吉浦さん、あんなに真剣に自転車漕いだらあきません」
と言われた。また、
「僕はね、少し心配しましたよ」
とも。心配は自転車の漕ぎ方のことかと思ったら、
「せっかくの休みの日なのに、まだ若いのに、難波に買い物に行くとかじゃなくて、神崎川で自転車漕いでいるってのは、だいじょうぶかなあ、と」。
うーーむ・・・・、まあ、自分でもあんまり大丈夫ではない自覚はあるが(^^ゞ。しかし、休みの日に嬉々として、なんばでウィドウショッピングしているタイプの人間は短歌なんか作らんと思うけど、それもアナクロな考えかなあ。
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この間の神楽岡歌会で下記のような二首があって、それぞれ好評だったのだけど、わたしはどうも違和感があった。
ゆきぬま、とあるはずのない場所を呼ぶ或いはとほき配流のこころ
鯵焼いている間に今朝を受けいれるそののち深くなる雨の音
どちらの歌も、歌われている感覚というのはよくわかるのである。でも、たとえば1首めのように「とほき配流のこころ」と言われると、うーんと思う。どこか自分が現実から隔てられているような、疎外されているような、寒々しい心境というのはわかるし、そういう気持ちになる時は人間にはあるだろう。ただそれを「とほき配流のこころ」というとき、なにか<作られた感じ>がする。この歌で歌わんとしている心情はわかるけど、<配流のこころ>という言葉になる時、なにか違和感があって、<配流のこころ>を人は持つのかな?と疑問に思う。自分自身の心境にたいして、<配流>という言葉を当てることになんとなく気恥ずかしさがあるのだけど、それはそう感じる私が変なんだろうか?
2首目も、心理的には非常によくわかるのだけど、「そののち深くなる雨の音」というところが短歌的にまとまりすぎているというか・・・
こういうまとまり方が、わたしはまた少し気恥ずかしいというか・・・やっぱり私は変かもしれないが。
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昨日は二ヶ月ぶりの神楽岡歌会。いろいろと思うことがあった。(帰りのタクシー代を払うの忘れていたことにも、あとから気づいて、しまった~と思ったが)
今日は、新聞代の支払いが滞ってて(-"-)、朝、東淀川の販売所に支払いに行く(平日、帰りが遅いし、週末もなかなか集金の方と会えないので二か月分がたまっていた(T_T))。
うちから東淀川は少し距離があって、自転車で行ったのだけど、支払いを済ませたあと、せっかく自転車で来たし~と、ぜんぜん方向は違うのだけど、神崎川へ行って、川沿いをひと走り。実はあんまり体調は良くなくて、ちょっとだけ走って帰るつもりだったが、走っているうちにせっかくだから淀川へ行ってみようと、神崎川の源流まで行って淀川へ。淀川に行ったのは、先月、牧師先生と行って以来。
牧師先生といったときは、神崎川との分岐点付近の土手に上がっただけだったけど、今日は土手を海に向かって走ってみた。走りながら、淀川の光景って、ほんっとにいいなあと、あらためて感じた。神崎川の雑駁な風景も好きだけど、淀川のなんというか、もわーっとしたひろがりのある景は見ても見ても飽きない。淀川の土手を走っていたら、どこまででも行きたい気持ちになって、ずんずん走っていたのだけど(←体調の悪いことをすっかり忘れている)このままずんずん走ったら、走った分、当然戻らないといけない、しかも、淀川から戻って、さらに神崎川源流から我が家まで戻らないといけない・・・そう考えたら、あんまり走るわけにも行かず、しかも短歌人の締め切りは迫ってる・・・。
で、さーっとわれに返って、一目散に引き返し、帰宅。
結局、2時間くらい走っていたので(普通に考えたらたいしたことないかもしれなけど)、すごく疲れて、午後はしばらく寝込んでしまった。
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礼拝にいくと、教会の週報棚に「吉浦姉 翻訳お願いします」と牧師先生から、チャイルドスポンサーシップで教会として支援をしているチャイルドの成長記録が入れられていた。先日の祈祷会でわたしがNOVAの話をしてたせいか、海外出張に何度か行ってることを御存知なせいか、わたしは英語が得意と思われたのだろうか?それは完全に誤解なのだが~・・・。とりあえず、帰宅後、辞書を引き引き翻訳(^^ゞ。NOVAのごたごた以来、まともに英語の勉強をしていなかったけど、昨日もNOVAの先生と会ったり、今日もこんなこと頼まれたりするということは、やっぱり継続して勉強せよ、ということかもしれない。
<翻訳>が済んだあとは、昨日のドタバタウォーキングの疲れか、しんどくなって夕方まで横になって過ごす。
写真は、左が昨日の宇治川。右がいつもながらの神崎川。
ところでゆうべ知った新事実!!携帯写真の、画像サイズがもっと大きくできて画質もいいものに変えられる~。2月に購入以来知らんかったよ~。というか、購入時、もう少し絵を大きく画質をよくできないのか探したんだけど、よくわからなかったのだ。夕べ何気なく、ごく普通のカメラ設定のところをみたら、簡単に変えられた。いままで何やってたんだろう?
ということで宇治川は小さく、神崎川は大きく写ってます。(クリックしてみてください)
もっとも大きく写すと、写真を撮るのが下手なことが余計ばれそうだが。
宇治川を昨日見ていたら、つくづくこの景色のなかにいたら<和歌>的なメンタリティが養われるだろうなぁと感じた。自分にとっての<短歌>には直結しない景色だけど。じゃあ神崎川だと短歌ができるか・・・うーむ、それもどうだろうか。
<大吹橋上空にいま万軍の主がひきしぼるゆふべのひかり>
・・こんな歌は作ったが。
ちなみに神崎川のむこうにはラッパのマークの大幸薬品が見えます。
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今日は、会社を年休で休み、あれこれ雑事。
梅田にコンタクトレンズを受け取りに行ったついでに、短歌雑誌を買いこんで来た。「短歌雑誌を買いこんで来た」・・・なんてこと、まがりなりにも一応、歌人なら、わざわざ書くことでもないかも。以前は数誌定期購読していたのだが、ここ一、二年ばかりは、店頭でおもしろそうと思ったら、まれに買う程度。誌面に興味を持てないとか、短歌の世界で今何が話題かということがどうでもよくなったから、ということもあるが、なにより自分自身の短歌モチベーションが低下していたせいというのが一番の理由。
今日、買いこんで来たのは、モチベーションが復活したからではなく(モチベーションは春ごろよりゆるやかに回復中)、小文を書くための資料の意味合いが大きい。梅田の旭屋書店で、最初、特に興味をもったものを1,2冊買うか~という軽い気持ちだったのだが、立ち読みしているうちに、ま、ひさしぶりだしぃ、と大きな気持ちになって(^^ゞ、どさーっと買ってしまった。ついでに『現代詩手帖』まで買った。
関係ないが、昨日、ニュースで、大阪の小中学校にNOVAから派遣されていた講師たちが、NOVAがあんな状態のため、派遣を打ち切られたことに対し、大阪市にNOVAを通さない直接契約を訴えてることが放送された。で、画面を見てたら、知ってる先生が映っていた。拡声器もって市庁舎前で訴える場面と、記者会見の場面。レッスンは二回くらいしか受けてない先生だけど、うち一回はマンツーマンだった(グループレッスンで予約していたけど、他の人がこなくてマンツーマンになった・・・これをNOVAではラッキーマンツーマンと言った)のと、たいへん丁寧にしっかり教えてくださったので印象に残っていた女性の先生だった。ああいうしっかりした良い先生が窮地に立たされているのは本当に気の毒である。
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結局、題詠2007はリタイアに終わったけど(とても明日までにあと70首は作れん・・)、自分自身にとっては、<題>から歌を作っていく、言葉から歌を構築していくということ自体は、新鮮だった。これまでほとんど題詠ってしたことなかったので。
そもそも私は、題詠とか歌合せとかは、なーんかお遊びぽくってイヤだったのだ。
ただ、自分の中でちょっと変化を感じたのは、題詠2007にしても、教会の短歌クラブでの題詠にしても、「題」で作っていくとき、題にしばられているようで、むしろなにか開放された感覚で歌と向き合っている感じを得たことである。言葉の奥へどんどんと入り込んでいくような楽しさがある。 楽しいといってもお遊びではなく、言葉そのものと純粋に向き合う感覚というか・・・。
とはいえ、じゃあできた歌がほんとにどうなんだ?というと謙遜でもなんでもなく自信がない。題詠ではなく作った歌以上に、はなはだ不安というか落ち着かない作後感になる。
『岡井隆と初期未来』のなかで、「モチーフ中心の歌人が、みずからのモチーフを失ったとき、急速に短歌から離れていく」と書かれていた。未来初期同人の”Y”について述べているところなのであるが、もちろんこれは普遍的なことでもあって、私自身もぎくっとした。修辞かモチーフかといえば、わたしもモチーフ重視の歌人だと思うから。
題、から歌を作るという方法は、自分の中ではモチーフを離れ、違うところから歌作ることのトライアルでもあったようにも思う。
このあたりはもう少しよく考えて小文にまとめたい。
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先週、横浜のビジネスホテルのカフェテラスで朝食をとっていたら、モーツァルトのクラリネット協奏曲K622第二楽章が流れてきた。好きな曲である。なんともいえない深い落ち着きというか静けさがある曲だと思う。
クラシック全般ぜんぜん詳しくないわたしがこの曲を知っているのは、短歌をはじめたころに読んだ永井陽子さんのエッセイにこの曲のことが書かれていたから。
ひょっとしたら記憶違いで別の曲だったかもしれないけど、ずーっとこの曲のつもりでいる。永井さんの文章に「この曲を聴いていると、聡明ということの意味がわかる」というようなことが書かれていた。
その朝も不意に流れてきた音楽に、トーストにバターを塗る手を止めて、しばし「聡明」ということに思いをはせた。
味気ない殺伐とした仕事の旅の朝、なにか遠いものに出会うような心に、しばし、なった。
なぜかそのことをふと思い出して、今日、K622を聴いている。
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今日も自転車日和で、自転車で礼拝へ。でも、なんかやはり体調が悪いのか、だらだら漕いでいたら、行き30分もかかってしまった。
礼拝のあと、<短歌クラブ>があって、はじめて参加した。参加者8名。わたし以外はおそらく皆60代以上。それもたぶん60代は一人くらいで、70代の方が中心・・・わたしの母親と同い年の方が他の方を「先輩」と言っておられたから、80代もおられた模様。教会全体の年齢構成に比しても高齢層が集まっている。不思議と男性がほとんど。ちなみにわたしは「女性が少ないから入ってくださいませんか?」と、年配の女性から誘われたのだった。女性は私とその方2名。
で、結局、<短歌クラブ>といっても、短歌の勉強や批評をするわけではなく、おたがいの短歌を読み合わせして、歌に書かれているそれぞれの日々の出来事や思いを語り合う会だった。まあきっと、この日本の広い短歌の世界にはこういう情景も、ある意味、あり、なんだろう。
というわけで、わたしは親の年代かさらに年配の方々の中でニコニコと皆さんの話に耳をかたむけ、コピーが足りなければコピーに走り、お茶をいただき、クッキー(これは私の横浜土産)を食べて過ごした。短歌の会で寡黙な吉浦というのが信じられなかった(^^ゞ。
ま、最後に隣の席の60代の方-たまたま祈祷会でよく存じ上げている方だったので-、「この2句目の字足らずと、旧かな新かな混在はよくありません」と耳打ちはしたが。
帰宅後、夕方、すごくお腹が痛くなってやはりどうも体調が悪い。まあ、昼ごはんを食べ過ぎたというのもあるが。さすがに晩御飯抜き。
写真はなんの変哲もない昼の神崎川と、神崎川の自転車道の上り口。(ところで、神崎川は一級河川だけど、この一級、というのは、淀川水系全体が一級だから一級らしい。水系が一級だと、そのなかの支流はどんなに細くても小さくても一級なんだとどこかのネットの記事で読んだ。まあ一級でも二級でも、神崎川の川沿いはなかなか味わいがあって私は好きだ)
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今週になって呪われたように忙しい。
日曜も仕事である。
「え、日曜?」と躊躇するわたしに、「あ、吉浦さんは、日曜、教会に行くんだったね、じゃあ教会のあとでいいから」との配慮の言葉をよろこぶべきであろうか(^^ゞ。日曜は仕事のあと、夜、横浜へ移動。
忍耐はひとりごころのことゆゑに膝を抱きて暗みをりたり
竹山広
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昨日、原稿用紙を梅田で買ってきた。紀伊国屋のK-1。心を入れ替えて短歌人の作品を出すべくスタンバイしたのである。
スタンバイモードからなかなか本格的な起動状態にならないのが難である。まだ、原稿用紙は升目で区画割された広大な更地状態である。。。。
しかも明日の会議の資料がまだできていない。今日は午後9時半で気力萎えて会社を出てきた。明日、早めに出社して作らないと・・・
げにわれはうらおもてあるこころにてひとつの会を安らかに越ゆ
竹山広
自分だって裏表あるし小ズルイこともするわけで、人様のことをとやかくは言えないのだけど、どうも安らかになれない。なにか虚しいことに車輪が空転しているような日々。
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自転車日和の日曜。ひさしぶりのチャリ通礼拝。
今日は礼拝のあと、教会員の全体集会みたいなものがあってばたばたしていたのだけど、知らないうちに、牧師先生がまた自転車のメンテナンスをしてくださっていた。集会前、集会用のプリントを配りながら「僕、さっき自転車掃除してまして、ひょっとしたら手が汚れてて、プリントにも油汚れがついているかも・・・、でも自転車が汚れてて可哀相でね、誰のとは言いませんが・・(笑)」と言われていた。で、おそらくその<汚れている可哀相な自転車>は私の自転車であろう(-"-)と思っていたら、やっぱりそうだった。
「泥除けの部分がね、汚れてました。あと、油も差しておきました」と、集会後、先生に言われる。いつもいつも恐縮である。。。。
特に今日、申し訳なかったのは、集会前、今思うとおそらく先生が私の自転車を触られたあと、先生は食堂の流しのところで奥さんに「石鹸はどこ?」とか聞きながら手を洗っておられた。私は昼食の食器を下げに近くにいたのだけど石鹸を探すのを手伝うでもなく、無愛想に言葉もかけずにその場を去ってしまったんだよな。普通、信者ならあそこでなんか先生に一言二言挨拶はするよなあ、しかも、先生は、手を汚してわたしの<可哀相な自転車>掃除されたあとだったんだ。
ただ、無愛想だったのは理由があって、先週の<脳の血管が切れそう事件>以来、少し憂鬱で、なんとなく信仰的にも憂鬱な気分があって、あんまり人と話をしたくなかったから。仕事も生活もどんよりとしてて、そのどんよりの厚雲のうえにたしかに神様の光はあるのだろうけど、私にはそれが見えないのである。
そういうときに「それでも神様はあなたを愛しておられます」とか「もっと祈りましょう」みたいなこと言われてもイヤなので、余計、話をしたくない気分なのである。
もっとも、私は教会ではぽつんとひとりでいることが多く、突っ込んだ信仰上の話をする付き合いのある方もいないので、教会で人と話をする心配はそもそもあまりない(^^ゞ。しかし、どんよりしているときは、一応念のために、「誰も声をかけるなよ」バリアを出して、さらに無愛想に教会にいることにしている。
今日は体調もいまひとつだったし、さらに猛烈に「声をかけるな~!」バリアを出していた。
ところが、集会のとき、となりにいた年配のご婦人が、突然、さくっとその強烈バリアを破り、
「あ、吉浦さん、<短歌の会>に入りませんか?」
と声をかけてこられた。へ?た、短歌の会ですか?・・・いきなりでモゾモゾしているうちに来週までに3首、<月>の題詠出すことになってしまった。
なんてこったぃ。
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体調のことを書くと、読んですごく心配頂くことがあるので恐縮なのだけど、実際問題、横浜出張以来、どうもしんどい。今朝はほんとに起き上がれなくて、職場に連絡して昼ごろ出社。重篤な病気というわけではなく、単なる疲れなんですけど。
青満ちて空暮るるときしづかなる蟷螂の腹網戸をのぼる
竹山広
空暮るる、ときて<しづかなる>の続き方はどうかな、と一瞬思う。少し言い過ぎ?しかしこのしづかなるは蟷螂に連なるものである。蟷螂の腹、全けきしづかさ。遠景に満ちる青。永遠に続くような、しかしひとときのしづかさ。
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朝チェックした天気予報では雨が降りそう。もっとも、新聞やWEBそれぞれで微妙に予報が違って、ずっと曇りって予報もあった。うーん、紛らわしい。しかし、とりあえず降らないうちに自転車で神埼川へ。
以前、西側の自転車道のはずれまで行きかけて、怖くなってやめたのだけど、今日は東側のほうに行ってみた。教会のあるあたりを越えてつぎの橋くらいまでは普段でも行っていたのだけど、今日はさらにそこも越えて東へ。「淀川との分岐点まで700m」の札を超えて、すこし走るとあっけなく行き止まり。狭くなった川幅を膨れるように水が流れている。周囲は小さな工場がぽつぽつとある。そこだけをみるとどこか山のなかの景色のよう。
少し気抜けがした。この先に、淀川との分岐点があるんだろうか?よくわからなかった。考えながら、ふと茂吉のドナウ川源流を思い出したりした。
午後から雨。今度こそ秋を呼ぶ雨でありますように。
****
胎児であったわたしをあなたの目は見ておられた。
わたしの日々はあなたの書にすべて記されている
まだその一日も造られないうちから。 詩編139
今日はわたしの誕生日。ああ、メデタクナイ(-"-)。
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午前中礼拝。その後の<聖書通読の会>を途中で抜けて京都へ。(ちなみに<通読の会>の横では<短歌の会>があってて、なんか楽しそうに盛り上がっていた。教会の短歌好きの方が集まってなにかやっておられるようだが、どういう会なのか不明。一応わたしが短歌をやっていることを知っておられる方は牧師先生をはじめ教会にはおられるのだけど私にはまったく声がかからない・・・・なぜ?)
午後から小川佳世子歌集『水が見ていた』批評会。
身に残る思い出は無く世の中は薄き契りと単衣をはおりぬ
『水が見ていた』
小川さんは京都の方で、京都弁を取り込んだ歌も多くあり、東に対する京都、という面での話も多く出た。九州出身の私には、どうしても関東VS関西の話になると、なんかばかばかしい気がして嫌になるのだけど、京都パワー炸裂のただなかにいるとクラクラしてきて妙にトーンダウン。特に懇親会では京都の重鎮の女性歌人と同じテーブルで、その方の豪快な「京都のいけず話」をお聞きするにおよび、「ははぁー、さすが京都、いけずも言葉も1300年の重みがあるですね」と頭を垂れざるを得なかった。
懇親会を終え、JRで新大阪に降り立ち、地下鉄ホームに立つと、大阪北部のすかーと軽い空気。さっきまでのあの濃厚な京都の雰囲気とは大違い。関西に住んで20年。ようやく同じ関西でも大阪と京都では大違い、って少しばかり理解したのであった。
明日も、すかーっとした神崎川岸を自転車で走ろう。
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所用のため少し遅刻して蜆橋歌会へ。
今回はじめてK氏の票が入って、わーい(^o^)/と思ったら、別件でK氏からお叱りが・・・。とほほ。
道は険しい。。。。
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トマス・マートンの『七重の山』をぽつぽつと読んでいる。最初は???と思ったけど、やはり彼の「回心」の軌跡というのはたいへん興味深い。
なによりマートンの文学的なセンスの良さは信頼に値する。
天才マートンとわたしでは比べるべくもないのだけど、「回心」の基盤にある「自己への絶望」という点は一緒である。マートンが神に近づいていく様がほんとうによくわかる。絶望というと暗いイメージがあるけど、けっしてそうではない。
ところで・・短歌人の作品をまとめないと・・・。
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礼拝。聖歌隊、永眠者祈念礼拝、婦人会などで、なんだか今日は疲れた。すごく疲れた。礼拝で疲れるってどうゆうことだ。
懸案の教会報の写真は、振袖やセーラー服はやめて(^^ゞ、ごく平凡な職場でのスナップ写真を提出。しかし写真を入れる適当な封筒などがなかったので、職場の人からもらったタイ出張のお土産のハンカチが入っていた袋に入れて牧師先生に提出。その袋というのが、いかにもタイというかオリエンタルというか、仏教的オーラが漂うなかに、きんきらきんの絢爛豪華なタイ美人が微笑んでいるという強烈なもの。(←もう少し普通の袋で出せよって自分でも思ったが(^^ゞ)
その袋のタイ美女を先生はまじまじと見て、「なんか・・・、吉浦さんの面影がありませんね、この写真」とトボけられる。「えー、これ私の若いときなんですよ~」ってトボけ返して応対する気力なく、「これは職場の方から貰った・・云々」とまじめに説明して帰って来た。。。。
ひさしぶりのチャリ通礼拝。往復ともかなり風強く、それでも22分から23分で行けた。
短歌人の作品を作らないといけない!
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夕べ、帰宅したら、宅配便の不在通知がポストに入ってた。配達物は『鱧と水仙』。ほっとしてしまった。
『鱧と水仙』は参加以来、ずーっと締め切り遅れや原稿不提出があって、たいへん迷惑をかけていた。今回、ようやく締め切りぎりぎりに作品を出せたのであった。
今まで散々迷惑かけてて、その出した原稿も出張の合間に博多のホテルのフロントから投函依頼したもので、「ちゃんと出せてたか」、いまひとつ不安だった。
でもどうにか雑誌が届いたところを見るとちゃんと原稿は掲載された模様。
その『鱧と水仙』のことがあったせいか、ゆうべはなんか短歌関係の人が集まっている夢を見た。ほとんど内容は忘れたが、前半はなごやかに皆で懇親している感じだったように思う。ところが、なぜか最後のあたり、師匠に「すみません、すみません。来月こそ作品を出します」と一生懸命謝っている場面となった。その謝りまくっている最中に目が覚めた。
めっちゃ、寝起き悪。リアリティありすぎ。
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なんか昨日くらいから少し体がだるい。別に病気というわけではなく、単なる夏バテ。
こういうときこそレバニラかもしれないけど、とても食べる気になれない。こんなときには日本にソーメンとかお茶漬けというさっぱり系のものがあって本当によかったと感謝する。
短歌の師匠(と一応勝手に呼んでいる。わたしの所属する結社では先生という言い方をしないので面と向かっては先生とはいわず、「さん付け」という流儀なので、師匠と公にいうのもはばかられる)のブログは、なかなかアグレッシヴというか知らん人が見たら、ちょっと危なくて変。
いっつもちょっと妙だけどおもしろい(^^ゞ、↓の記事には感じ入ってしまった。メジャーリーグ中継の詩心。
「世界をゆるがした十日間」
忽然と打てなくなりしイチローをわが身の上に重ぬるこころ
『時のめぐりに』 小池光
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