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水兵さんのケーキ

 私が生まれ育ったのは長崎県の佐世保市という地方都市だ。昨年、@homepageに開設してて、ずっと更新もせず放置していたホームページが消えてしまって(@homepageがなくなることに気づいていなかった)、そこにいくつか書いていた子供時代の「思い出」の記事も消えてしまった。
 ごく個人的な記憶のメモだったので、消えてしまっても、「ま、よかたい」と思っていた。でも、最近、やっぱり少し残念な気もして、こちらのブログで少し書いてみようと思う。

 私は当時、市内にある母子寮に住んでいた。4歳の時、父が病死して、たしか保育園の年長くらいのときに、その寮に移ったと記憶している。その寮には、母子家庭の家族が20世帯位入居していた。鉄筋コンクリート2階建てのなかなかきれいな施設だった。各部屋は6畳あるかないかの1Kで、トイレとお風呂は共用だった。子ども心には別段不満もなく、同じ境遇の子供たちがたくさんいて、みんなで仲良く遊んでいた。母子寮以外に住んでいる近所の友達と遊ぶこともあったけど、母子寮の子供たちは良くも悪くも結束が強かったようで、就学前のおちびさんから小学校上級生まで皆で一緒に遊んでた記憶のほうが多い。

 ある日のこと、灰色のいかめしいバスが母子寮前にとまった。窓には格子があったように記憶するがどうだっただろう。母子寮の皆がそのバスに乗り込んだ。行先は、市内の米軍基地だ。楽しい遠足というより、バスがいかめしいだけに、なんだか移送され収監されそうなビミョーな雰囲気だった。
 基地につくと、船のなかに案内された。船の中では、米軍主催の市内の母子家庭の親子を招いたクリスマスパーティが開かれた。アメリカ人の水兵さんたちが大歓迎してくれた。まだ歳若いお兄ちゃんみたいな人も多かった。言葉は通じなかったけど、熱烈歓迎、むっちゃ陽気な人たち、というのは子供心にもよくよく伝わってきた。
 ただ、水兵さんたちに歓迎の熱意はあるのだけど、英語のアニメ映画とか見せられ、<ストーリー分からん、なんねこれは?!>と、ぼーっとして田舎の子供たちは画面を見つめていたりした。
 それでも、時間がたつと子供たちも慣れてきて、さらにクリスマスプレゼントもいただき(当時の日本にはない豪華なおもちゃ類)、なかなか楽しくなってきた。

 そんなこんなで、パーティもたけなわ、というとき、「さあご注目」という雰囲気になった。見ると、巨大なオーブンの扉が開かれ、畳のようなものが引き出されてきた。2畳分くらいもあるキャロットケーキのようなものだった。当時の田舎の、そして貧しい子どもたちには、それがケーキだとは認識できなかった。いやどうみても「畳」だろう。ケーキって、当時、田舎では、ぱさぱさしたスポンジに、べたべたしたバタークリームが塗られてて、品のないデコレーションがされているものだった。それだって誕生日に食べる時には狂喜したものだ。
 しかるに目の前にある「畳」は見た目、どうみても「畳」で、地味。それを水兵さんたちがニコニコして切り分けてくれる。「なんね、これ?」とお互いに顔を見合せながら、恐る恐る口に入れると、衝撃的なおいしさ!!
 それまで私たちは本当の乳製品のおいしさなんて知らなかったのだ。上品な甘さと、食感。アメリカってすごか~と子供心に思った。

 自分のそれからの人生でも、あの時食べたケーキより美味しいケーキを食べたことがない。いや実際は、今の日本なら、うんとおいしいケーキはあるし、今食べ比べたら、あのときのケーキは、さほどでもないのかもしれない。自分が大人になって、仕事でアメリカに行った時に食べたケーキは、日本のものと、さして変わらないとも思ったし。でもやはり、あの味は忘れられない。ふかーい、文化的なショックがあったのだ。

 基地、安全保障、そういうことを考えると複雑な思いもある。
 それにしても、あの時、熱烈歓迎してくれた陽気な若い水兵さんたちは元気だろうか。多くの若者はその後ベトナムに行ったのではないか。そういうことをあれこれ思うと、人生で一番おいしかったケーキの思い出も、ひどく切ない。

湖の上を歩く

Kokologmizuumi


イエスはすぐに手を伸ばして捕まえ、「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」と言われた。マタイ14:31
 湖の上を歩いてこられるイエス様を見て、ペトロは自分も歩きたいと願って、湖を歩いた。
 ここで、湖の上を歩く!?そんな子供騙しのような奇跡を信じられるか!という突っ込みもあるだろう。でもイエス様と共に生きる時、湖の上を歩く以上の奇跡は往々にして起こるのだ。
 とにかくペトロは湖の上を歩いた。ところが強風が吹いたとたん、怖くなってしまって、沈みかけた。もちろん、イエス様は手を伸ばしてすぐに捕まえ助けてくださった。

 風が吹き出したときのペトロの気持ちは良く分かる。最初に、イエス様と歩く時、湖の上を歩く以上の奇跡は往々にして起こると豪語したくせに、風が吹き出すと、つまり、自分の心もとない現実に心が奪われたとたん、へなへなと情けなくなってしまうことがある。そうすると、恐ろしくなり、魔法がとけたように沈んでしまう。現実の水の中に溺れてしまう。

 そもそも、わたしの日々はいつもおっかなびっくり湖の上を歩いているようなものだと感じることもある。最近、とみに感じる。信仰の確信があれば、堂々と不安に思うことなく歩けるはずではないか?そう言われるかもしれない。しかし、実際の気分は、コンクリートのかっちりした道を歩んでいる感じではなく、水の上で水の冷たさや波を足裏に感じながら歩む歩みの感じ。ふわふわよろよろしながら歩んでいるような、なんとも心もとない思いが絶えずある。
 そして、風が吹くと怖い。いや吹く前から恐怖に捕らえられることもある。
 なんて情けない。
 でも、このことは分かっている。「主よ、助けてください」と叫べば、主は腕を伸ばし助けてくださる。だから、安心。そう、分かっている。たしかに分かっていても、時々、怖い。やっぱり怖い。

 「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」
 主はまず救いの手を差しのべてから、救いあげてからこう言われる。
 「信仰の薄い者よ」「はい、すみません。」
 でもまた怖くなる。
 「信仰の薄い者よ」「はい、すみません。」その繰り返し。
 牧師のくせになんたること。
 しかし、私の信仰の薄さなんて、主はそもそもご存じだ。その上で、まず救いの手を差しのべてくださる。
 歩き始めた子供のように親の顔だけを見て一歩一歩歩けたら良い。主の顔だけを見て。倒れそうなとき、倒れる前に主の腕が伸ばされる。心もとない歩みもまた主のまなざしのうちに祝され守られている。そう思う時、水中に溺れそうな日々も、そのときは息もできない苦しさであっても、かけがえのない日々だろう。
 そして、一生かけて、心もとない歩みの歩行距離を伸ばしていくのだ。

今日

Yozora


 会社員時代、ある時、中年の社員対象の特別なセミナーを受けた。(受けさせられた)
 それは、要は<セカンドライフ>についてのレクチャーだった。「昔は、定年後も、公的年金と企業年金でそれなりの生活が可能だったけど、今はそうじゃないんだよ、年金受給年齢は引き上げられているし、企業年金だってあてにしないでね、今からしっかり定年後の生活設計立てておきなさいよ」というような内容だった。まあ会社が定年後の生活まで心配してくれてご親切に~、、、、なんてことではなく、この年代に達したあなたたちは、今後、昇格も昇給も見込めないのだから会社にしがみつかないでね、会社に期待しないで、資格取るなりなんなり早いうちから<セカンドライフ>への準備をしなさい、準備ができたら、さっさと退職してもいいですよー、ということ。

 そのセミナーで、ひとりひとり、定年後の自分の生活プランを想定し、そのために、これからどう準備したらいいかというロードマップも書かされた。ロードマップ作成自体はけっこう面白くて、何歳までにこれこれの資格をとって何歳までにこれをやって、という計画を立てた。なかなか物珍しく、充実したセミナーであったと言えなくもない。

 しかし、考えたら会社員時代、「先のことを」良く考えさせられた。年に一回の業務上の育成プランの検討では10年後のなりたい自分5年後のなりたい自分とかを思い描いて、そのためにどのようにこれからスキルアップ、キャリアアップしていくかの計画を立てた。もっとも、まじめにその育成プランを作成しても、突然の異動やら組織変更で、全く仕事内容が変わってしまうこともあった。なので、プラン作成半年後に抜本的にプラン書きなおしなんてこともあり、半年後のことも分からないのに、なにが5年後10年後だよ~と感じた。

 現在は、ひょんなことから、かつて作成したロードマップとはまったくかけ離れた生活をしている。そして今は5年後10年後どころか明日すらまったく思い描けない。不安と言えば不安。でも、<5年後になりたい自分>、<10年後になりたい自分>、<定年後にこんな生活をする>、そんな未来に向かってアクションをとることを迫られることがなくなり、ほっとしている。未来へ向けてこぶしを振り上げるようなことの虚しさから解放された。
 これはばりばりの「現役」の方からみたら、「降りてしまった」消極的な生き方に見えるだろう。でももう正直、成長とか上昇とか何者かになる、ということにはウンザリなのだ。

 ナチスの収容所から生還したV.E.フランクルは「人生は毎日神様とキャッチボールをしているようなもの。その日、神様から与えられた課題をボールのように受け取って、返していくもの」と著書の中で書いていた。収容所で<未来の解放>を切望した人々は生き延びることができなかったことが背景にある。未来ではなく、「その日」を生きるのだとフランクルは言っていた。
 これは夢のない、まさにその日暮らしのような考え方だろうか?収容所という過酷な環境での特別なあり方だろうか?
 わたしは違うと思う。未来は神の手の内にある。その未来を自分のものだと固執するところに苦しみがある。
 未来を自分の手から解き放つとき、私たちは本当の「今日」を得る。
 そのとき、未来は本来の希望の輝きを取り戻す。それはおおいなる御手のうちにある輝きである。

明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。
その日の苦労は、その日だけで十分である。 マタイによる福音書6:34

永遠

Yuugure


 ミーハーな話題で恐縮だけど、実は今年になって「にわかSMAPファン」になった。そもそも昨年末解散と騒がれていた頃、一応、職業柄?世間の話題にも触れておかないと、と、「SMAP×SMAP」の最終回を録画したのがきっかけ。
 でもあとから、早送りしながら見つつ、最初は録画したことを後悔した。そんなに歌も踊りもうまくないし、なんだかなあと思った。(歌の場面とかは特にスキップしながら見た)でも、途中で、ソフトバンクのコマーシャルが入ってて、これがSMAPが出演したこれまでのCMの名場面集になっていた。CMだから特に厳選した良いシーンなのだけど、それにしてもこのCMの中の5人は、いわゆる「きらきら」感がものすごかった。たとえば、リオのカーニバル風のお祭りのような場面で、大勢がにぎやかに歩いてくるその先頭に5人がいて、そのただ単に歩いてこちらにやってくる、その風情がもう存在感半端なかった。

 ということで、スキップして、見ていなかった、歌の場面も見直してみた。
 で、はっとする歌があった。
 「STAY」という歌。初めて聴いた曲。バラード風な静かな曲調。

-----
 この先どうしようもなく
 すれちがったり 言い争いがあったりもしても
 どうか道の途中で 手を放そうとしないでよ
 ずっとつないでてよ
 Let You Know
 大切なのは続けること
 楽しいだけでいれない時も
 I'll be....Wo'nt you Stay?
 We'll be 罪を捨て
 僕らずっと共にあるこう
 永遠なんて言わないからさ
 5,60年それだけでいい
----

 要は「ずっーとずっーと一緒にいようねー」という、ごくごく素直な超直球のラブソング。男性からしたらケッて感じかもしれないが、SMAP大好きな女性がこの曲を聞いたら胸キュンものだろう。実際、これは昨年のファン投票で他のもっと世間的に有名なヒット曲を押えて一位に輝いた楽曲らしい。
 私自身は、<永遠なんて言わないからさ 5,60年それだけでいい>というところにハッとした。この曲の最後も「いろんなことを乗り越え たったの50年いっしょに」と歌いあげて、終わる。
 <たったの50年>って、<たったの>がもちろん逆説的で、その長さは人間の感覚からしたらとっても長い。
 <永遠なんて言わないからさ>と言いながら、50年は十分に長い、長すぎる。
 現実には、「ずっとずっと一緒にいようねー」と約束した男女が、50年どころか数年で、「もう一秒たりともいっしょにいたくない!」ってことになることだってある。SMAPのファンは中年の域にたっした女性が多いだろうから、そんなことは十分に分かりながら、いやだからこそ、余計、「たったの50年いっしょにいよう」という言葉に永遠のバーチャル性を感じて胸がキュンとすると思う。平均的なSMAPファンの女性よりもさらに年配であろうわたしも少しキュンとした。そこには「たったの50年」の半分ほどで解散したグループへの哀惜も重なる。

 結局のところ、この曲は、ごくごく素直なラブソングを「永遠」とか「罪」といった言葉でおシャレに装わせてるのだと思う。それでも、わたしはやはりハッとした。涙ぐましくなった。
 人間は「永遠」に弱いんだな、と。胸が痛くなった。

神はすべてを時宜にかなうように造り、
また、永遠を思う心を人に与えられる。
             コヘレト3:11

猫って。。。。

Neko
教会の庭には、昨年度、街猫プロジェクトで去勢した野良猫が今も5匹程度やってくる。
(去勢したのは8匹だけど、今も教会に庭にやってくるのは5匹くらい。。。)

猫は気ままな性格とよく言われる。教会にやってくる猫たちを見てても、たしかにそう思う。

でも、もちろん野良猫はけっしてお気楽に生きているわけではない。暑さ寒さや飢えや天敵(いたちやカラス)と日々戦っている。そして、けっして寿命は長くないようだ。

少し前、野良猫のことをいつも気にかけて世話をしておられる町内のAさんから連絡があった。
「去勢した内の一匹が体調悪そうや、教会の裏手にうずくまってるみたい。もうあかんかもしれん。」
ふたりでその猫がうずくまっているところを確認した。以前、Aさんは、教会の塀を飛び降りて(けっこうな高さがあったが)、やはり弱っていた猫を保護されたことがある。その時は無事保護でき、Aさんが自宅で献身的に看病され、回復した。その後、その猫はしっかりお世話をしてくださる里親さんに引き取っていただくことができた。けれど今回の猫は、とても人間が立ち入れない場所にうずくまっており、手の出しようがなかった。

翌日、Aさんから連絡があった。
「やはりあの猫あかんかった。今朝、冷たくなってた。いまから保健所に連絡して引き取ってもらう。」
よくよく聞くと、その猫は、前日の夕方、力を振り絞って、一番世話をしてくれたAさんのマンションの裏手に姿を現したそうだ。Aさんが慌てて、なにか食べるものを、と目の前に柔らかいおやつをおいてあげたけど、その猫は、両手(前足)を揃えて、ただ座って、Aさんをじっとしばらく見つめて、保護する間もなく、去って行ったそうだ。翌朝、Aさんが、雨風がしのげるように路地の一角に目立たないように作っていたコーナーで、その猫は冷たくなっていたそうだ。
「昨日、挨拶に来てくれたんやわ」
これまで何匹も猫を保護してきたAさんは、しみじみとそう言った。

気ままな猫、でも、義理がたい。
不義理な人間より、よほど義理がたい。


170324
 退院してきて、気づいたこと、胸の痛んだこと。
 実は、私の家のリビングの窓から真ん前に、入院していた病院が見える。それだけ近所の病院に入院していたということだけど。「ああ、真ん前だったなあ」と改めて気づいて、胸が痛んだ。それは入院前から何も変わらない景色だったけれど。
 私が入院していた三階の部屋の窓は手前の建物に少し遮られている。でもほとんど、真正面に、あの入院していた部屋はあったのだ。
 狭い十人部屋で、私ともう一人を除いたら、おそらく皆、70代、80代の方々。排泄が困難な方も多く、部屋にはなんともいえないにおいがこもっていた。近所では「姥捨て山」とも揶揄される病院だった。
 多くの人は入退院を繰り返していた。
 私が退院する時、「うらやましいわぁ、着いて行きたいくらいやわぁ」と、寂しそうに、ある婦人はおっしゃった。私は何とも答えられず、ただ頭を下げて、部屋を出てきた。

 正直、いつもリビングから見えるあの窓の向こうのことなど知らなかった。
 「うらやましいわぁ、着いて行きたいくらいやわぁ」と寂しそうだった婦人のことも。「看護婦さーん、おむつ替えてー!!」とナースコールで繰り返し叫んでいた人もことも。少し認知症なのかどうしてもベッドわきのテレビのつけ方が分からず「お相撲が見たいねん」といっていたお婆ちゃんのことも。婚約者をベトナムに置いて研修に来てるベトナム人のナース見習いの女の子のことも。
 いつもあの窓を見ていたのに、知らなかった。

 もちろんそんなことを言っていたら際限はないのだ。町中の多くの窓の向こうに人知れず病んでいる人がいる。ただ一人で苦しんでいる人がある。その無数の窓の向こう側のことを私は到底知ることはできない。

 ただ、あの方だけがご存じなのだ。
 だから、ただあの方にだけ、私は祈り求める。
 そして、私に開かれた窓に向かって仕えていく。
 私の前に今日も窓は開かれている。

病に苦しむこの人を打ち砕こうと主は望まれ
彼は自らを償いの献げ物とした。 
彼は、子孫が末永く続くのを見る。
主の望まれることは
 彼の手によって成し遂げられる。イザヤ53:10

休め!

 先週の月曜夜から今週の月曜まで緊急入院をした。
 出産以来の入院。それも突然の。いや、びっくりした~。
 いやいや、びっくりされたのは周囲の方。ご迷惑おかけしました。
 ほんとうに申し訳ありませんでした。

Image170322 今になって「思い返せば」ということは、ある。空腹時、妙にお腹が張るようなビミョーにかすかに痛いような感じが、ここ数週間あった。でも、普通に食べたり飲んだりはできて、また下すことも、便秘もなく、さほど問題があるようには感じていなかった。
 先週の日曜日、夕刻、筋肉痛のような変な痛みが下腹部にあった。運動などしてないのにおかしいなと思った。それほどひどい痛みではなかったので、そのときもあまり気にしなかった。気にしないようにしようとしたというのが正解かもしれないが。
 翌日の朝、その「筋肉痛」は少し強くなっていた。もともと私はお腹を壊しやすいタチで、ときどきお腹が痛くなるということはあった。でも、その「筋肉痛」はこれまで経験した痛みとは異質だった。痛みの場所は右下腹部。「盲腸?」と思って、ネットで検索すると、盲腸か憩室炎かもしれないと分かった。ただ、痛み自体はひどくはなかった。しかし、痛みの異質さが気になり、寝起きの時点で、朝一で病院に行こう、と思っていた。しかし、起きてあれこれやっているうちに痛みは気にならなくなって、まあ様子をみようかと、「通常勤務」することに。

 その日、午後から徐々に具合が悪くなってきた。歩くとお腹に響くような痛みになってきた。夕刻にはあきらか発熱している感覚があった。夕礼拝の時、立っているのがしんどいくらいであった。激痛ではないが、動くのがつらいような奇妙な痛みがあった。夕礼拝の後、熱を測ると37.8度だった。37.8度は自分にとっては高熱ではない(喉を腫らしやすいたちで、38度を超える熱はときどき出すので)。でもあきらかに、この痛みと発熱は変だ。片付けもそこそこに、ローマンカラーのシャツとスーツのまま、救急病院にむかった。

 レントゲンの結果、やはり「盲腸炎か大腸憩室炎」ということで、いずれにせよ、ただちに入院、絶食して抗生物質を点滴開始ということに。翌朝、CTをとって、大腸憩室炎と診断は下った。
 そこからあとの治療と回復は順調だった。毎日のように血液検査をしたけど、値は都度はっきりと回復を示していた。当初は、少しでも体をねじったり、歩いたりすると、響いて痛かった。笑っても、咳をしても痛かった。熱も一時は38度を超えていた(これはさすがに私にとっても高熱だった)。でも、やがてそれが微熱になり、痛みも少しずつ引いてきた。結果的に、当初の主治医の見立て通り、一週間で退院ができた。まだ完治ではないが、投薬も食事制限もない状態になった。

 ある意味、大事には至らず順調に回復できたと言える。
 そして今回の病気は、神様からの「休め!」命令だったのだなとつくづく思う。

 そもそも多くの牧師は私の何倍も仕事をしておられる。私は、週に一回は休みをとっていたし、睡眠時間もそれなりにとっていた。けっして不眠不休で働き続けてきたわけではない。なのに、へたってしまうなんて情けない、、、という思いも当然ある。
 ただ自分自身、昨年秋の正教師試験のころから、「疲れがたまっている」という感覚がずっとあった。週に一回休んでも、どうしても疲れが抜けきらないというのが、特に、今年に入って顕著だった。按手から牧師就任式に至るまで、なんとなく「心休まらない」日々が続いたのも事実。

 今回、点滴につながれて、結果的にはわずかの期間ながら、「休め!」を実践して(実践させられて)思ったことは、自分はやっぱり<休みながら休んでいなかった>ということ。別に、休日に教会のことをあれこれ考えていたつもりは全くなかったのだけど、病院のベッドで何することもなく、ぼーっとしていたら(熱でぼーっとしてたことも含め)、自分は本当の意味でぼーっとしていた時間がなかったなあと気がついた。やはりたえず、今日はこれから何をして、明日はああしてこうして、と考えていた。いってみれば交感神経がいっつも働いていた。いっつもせわしない心があった。
 そりゃ腸も疲れるよね。(厳密には腸は副交感神経が働く時、働くらしい。だから交感神経が優勢すぎて、腸も働きづらかったのだろう)

 なによりせわしない心は、神にゆだねない心でもある。
 なんでも「私が」「私が」という心。
 そういうことを改めて思わされたこの一週間だった。

身を横たえて眠り
わたしはまた、目覚めます。
主が支えていてくださいます。 詩編3:6

 わたしがへたろうと、眠っていようと、働いてくださっている、お一人の方を覚えつつ!

年賀状についての月並みなつぶやき

2016kokoro1_2


2017年も始まってしまった。
(このブログ、何年ぶりの更新でしょうか?!)

三が日も終わったけれど、とりとめもなく年賀状について考えてみる。

思えば小学校の頃から、まじめに担任の先生とかに年賀状を出していた。たぶん高校生の時まで、小学校1年からの歴代の担任の先生に律儀に年賀状を出していた。同じ町内に住んでて正月にも遊ぶ友達にも年賀状を出していた。
それが大学生になった時、ものすごくグータラになって、めんどくさくて年賀状を出すのをやめた。(今思うと、小学校の担任の先生とかに年賀状出し続けてれば良かったと思う。ン十年後、当時の先生方の年齢をすでに超えた教え子と先生の関係ってちょっと良いような気がするし・・・)
会社員になったとき、最初の部署で年末に課長が言った。「わが社では虚礼廃止ですから、年賀状などはださないこと。」ほお、そうなんだー、と素直に間に受けて、年賀状は出さなかった。でも後から聞いたら、周りの人は年賀状やり取りしていた。特に上司にはちゃんと年賀状出しているらしい。えええーー??って思ったけど、なんとなく意固地になって翌年も年賀状は出さなかった。こちらが出さないと来ないもので、ある年、実家に一枚も私宛の年賀状が来なかった。実際は住んでいた自宅には何枚か来てたのだけど、帰省先の正月に年賀状が一枚もなくて、妹から「ねえちゃんには、年賀状が一枚も来んとねー」と、とてもかわいそうな人のように見つめられた。年賀状がないことがそんなにかわいそうか~!?と心の中で反発しつつ、どこかで、確かにかわいそうかもしれないとも思った。
でも、数年、年賀状は書かなかった。

年賀状を書き出したのは結婚して、そして同時に転職してからだ。
「しっかりと<社会人>をやるぞ!」
という意欲のもと、前職でお世話になった方、現職の上司、同僚、親戚縁者、そして古い友人等々
それなりに書いてきた。

でもどうもやはりグータラで、引っ越し(こちらや先方の)やら、年末のどさくさにかまけて、住所リストを失ったりして、年を経るうちに、多くの人との年賀状のやり取りが途絶えてしまった。人とつながっていくことにも努力が必要なんだなあと思いつつ、今となってはどうしようもない。

四年前に会社を辞めて、教会に仕えるようになった。教会ではクリスマスから元旦まで並大抵でない忙しさであり、もともとグータラな人間としては、いっそう年賀状どころではなくなった。もともと投函が遅くて元旦につくように出したためしがない。なのに、特に目上の方から元旦に年賀状をいただくのは心苦しい。。。。そもそもクリスチャンなんだから、少なくともクリスチャン同士は年賀状ではなくクリスマスカードやろ!?(クリスマスカードの方が、さらに早く準備しないといけないが)
etcそんなこんな、あれこれ考えて、二年前、きれいさっぱり年賀状はやめよう!と決心しかけた。
しかし、ふと、昔々、妹から「ねえちゃんには、年賀状が一枚もこんとねー」と憐れむように見つめられたことを思い出した。むむむ、確かに年賀状が一枚も来ないのもなあ、、、、と思いとどまり、年賀状は出すことにした。

以来、惰性のように年賀状を出しているが、今年、つくづく年賀状って、やはりうれしいなと改めて思った。年賀状を頂いた人の中にはSNSでつながっている人もいて、別に普段の様子は知っているのだけど、それでも改めて年賀状という形でその人の様子を拝見すると感慨深い。

また、私は生活が変わってしまったので、以前の職場の人や友人とのつながりが年賀状だけということも多くなった。会社を辞めた当時は、ときどきは会うこともあった元同僚とも、先方の転勤やら退職などもあり、徐々に疎遠になってきた。だからこそ年賀状が貴重に感じられるようになった。そして、いまつながっている人は大事にしたいなと、ごくごく月並みに思う。
これから、ばんばん友達が増えたり、付き合いが広がることはないだろう。年賀状の枚数が増えることはそうないだろう。むしろ減っていくことが多いかもしれない。
でも、いま与えられているつながりを大事にしたいと思う。年賀状だけのつながりもまた与えられたつながりだと本当に思う。

孤悲の両翼

あさやけとゆふやけ孤悲の両翼をたたみてterraに添ひ寝をせむや
                      『きなげつの魚』渡辺松男

 あさやけとゆふやけがそれぞれに翼のイメージなのだろうか?それはこの地球の悲しみの翼であろうか?
 でもその翼をたたむのは、<私>のようにも読める。

 そもそも自分ひとりの悲しみなどちっぽけなものである。他人から見たら取るに足らず、ましてやterra(地球or大地)から見たら、ちっぽけもちっぽけ、砂の一粒のようなもの。
 でも私にとって私の悲しみは私を埋め尽くし、その体感容積は時として全宇宙に等しい。
 
 あさやけとゆふやけのうるわしい翼をもっているのはterraであるが、でもわたしもまた、かがやかしくも痛々しい悲しみの翼を負っている。その翼はだれに見えることはなくても、全宇宙に向かって一瞬広げられるのだ。
 (・・・だれに見えることはなくとも、ただおひとり見られる方がおられる、私はキリスト者であるからそう考がえるが・・・)

 そして、そのただ一瞬広げた翼を私たちはたたんで、ごろりと横になるのだ。
 そして、うつらうつら、大いなる大地に添い寝をする、悲しみの翼などなかったように。
 いたってのんきに、いまだ地上に残る淡い光を感じながら。

ちょっと遅いご挨拶

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ご無沙汰しています。
ブログを訪問いただきありがとうございます

2012年12月末日をもって26年9か月勤務した会社を退職し、新しい生活を始めて1年が過ぎました。
元気にしております。
短歌も少しずつ再開しています。

いまの心境は

「風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである。 ヨハネによる福音書3章8節」

です。

最近はもっぱら↓こちらの「黙想編」をつづっております。
キリスト教の話なのでちょっととっつきにくいかもしれませんが。。。
お読みいただけたら幸いです。
湖蓮日日~黙想編

では2014年も早いもので、一か月が過ぎました。
皆さんのうえに豊かな祝福がありますように!

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