猫の客・内在する時間

 いろいろともの思う日曜。体調はいまひとつ。

 寝転がりながら、かなり以前に買ってて読んでなかった平出隆の『猫の客』を読む。古い屋敷の離れを借りて住んでいる夫婦のもとに、隣家から訪ねてくる猫のことを書いた、淡々とした小説。猫のことが書いてあるからといって、猫がかわいいかわいいっていうような甘さはない。ほんとに地味で淡々とした内容。特に事件が起こるわけでもなく、退屈といえば退屈。ちょっと保坂和志の『カンバセイション・ピース』に似ている。似ているけれど、こちらのほうがなにか悲しい感じがある。

 けっして深く読み込んだわけではないけれど、『猫の客』を読んでなんとなく思ったのは「内在する時間」ということ。現実に流れていく時間と、自分の中にとどまる時間というのは質的に違う。時間は一日24時間だれにでもあるわけで、たとえば分刻みでなにかをこなしていくときの、量的な単位として考えることもできる。しかし、うまくいえないけれど、そういう単位として考えられる流れていく時間と違って、なにか目に見える形や心に残る形で時間が堆積されていくことを実感することがあるのではないか。『猫の客』にはそういう時間の堆積が描かれてるように思う。家や庭や猫を書きながら、そこに書かれているのは自分のなかにとどまっている時間、時間の堆積である。自分の中にとどまる時間を受け取るのは自分自身であり、自分自身を包む<場>である。私は私だけで自分の中に時間を受け取ることはできない。私を包む<場>、器というものがいる。
 ただ流れていくだけの時間を自分は生きている、と思う。内在する時間というものを私は持ちたい、と強く思った。

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『境界線』

 最近読んだ「境界線(バウンダリーズ)」はいい本だった。キリスト教関係の本なのだけど、キリスト教ということを離れても、いろいろと目からうろこ、みたいな本だった。ヘンリー・クラウドとジョン・タウンゼントというアメリカの心理学博士による本。(中村佐知、中村昇 共訳、地引網出版)心理カウンセリングの実用書としても読める。と言っても基本は聖書の教えであり、キリスト教関係者以外にはお勧めしづらいかもしれない。個人的にはお勧めしたいけど。
 
 人間は、生きていくとき、ひとりひとりが家族や周囲の人との間に、確固とした「境界線」を確立してこそ、ほんとに良い家族関係や人間関係を築くことができる、というのが骨子。キリスト教徒の場合、「無償の愛」とか「奉仕」という概念で縛られて、「境界線」を引くということが、愛のない行為、自分に執着した態度のように感じられる場合があるが、そうではない、と筆者は説く。神様は一人一人にそれぞれ感情・欲望・才能等々を与えられ、人はそれらのものをしっかり自分のものとして<所有>し<管理>し<責任をとって>、自分自身を育てていくことこそ大事なのだという。その自分自身のものとして<所有する範囲>を明確にすることが「境界線」を確立することだそうだ。
 しかし、多くの人は、十全に「境界線」を確立できていない。あるいは「境界線」に傷をもっている。そのためにひとりひとりがあるべき自分を所有できず、他の人に振り回されている(迎合)。あるいは所有できないはず他の人を所有しようとしている(支配)。

 ・いちばん重要なことは「ノー」ということを学ぶことである。自分の境界線のなかに良いものを取り入れ(「イエス」と言い)悪いものを排除する(「ノー」と言う)ことが基本であるが、往々にして人は、「ノー」と言えない。
  ある人から頼まれたある事柄について「ノー」といった場合、「ノー」をいった相手との本質的な信頼関係を失うことなく、「ノー」ということができる環境・関係が大事。(育児において大事なことも、子供が親の愛情を失うことなく、自由に「ノー」ということができる環境をつくることが、子ども自身の境界線を確立することになる。もちろん子供は自分自身が判断した「イエス」「ノー」の<結果>については自分自身が責任を負うということも合わせて学んでいかねばならない。)
 幼児期の虐待やら、DVといった深刻な心身の「境界線」侵害はもとより、子供のためを思った親の善意の「境界線」侵害もある(子供が失敗する前(「イエス」「ノー」の判断をする前)になんでも親の判断でやってあげる、とか)。
 もちろんこの環境・関係というのは、成人した、特に悪意のない大人同士の間でも往々にしてむずかしい。「境界線」作りは、けっして簡単な問題ではない。
 ・相手によって引き起こされた感情であっても、自分の感情は自分の境界線内にあるものだから自分で責任をとらないといけない。
 ・家族であれ親しい人であれ、他の人は自分の境界線外にあるから、人は徹頭徹尾、他人を変えることはできない。(自分自身の態度によって、相手に影響を与えることはできる)

 たとえば例として、アル中の夫に対して「お酒を飲むのはやめてください。あなたの飲酒のせいで家族みんなの生活がめちゃくちゃになっています。」というのは×で(相手を変えることはできない)、「今度あなたがお酒を飲んだら、私と子供はxxさんのところへ出て行きます。」というのは○(アル中といっしょいることはできないという境界線を明確にして、自分の行動を示す)なのだそうだ。

 いままで心理学的な本で、幼児期からのトラウマについて書かれた本はたくさん読んできたが、じゃあそれに対してどうやって克服していいのかよくわからないところがあったのだが、この「境界線」ではそれがすっきり書かれている気がした。(もちろん克服そのものは簡単ではない)

 キリスト教的なところを離れても目からうろこの本、と書いたが、キリスト教的な部分でももちろんいろいろと考えさせられるところの多い本だった。自分自身の最近のあれこれを思うと、結構、イタイ本でもあった。
 おもしろかったのは、「神様に怒ってもいい」というくだり。「私たちが心の底から正直になり、真の自分という人間を所有するとき、そこには神に対して怒りを表現する余地があります。」「怒りを感じることができなければ、怒りの下に埋もれている愛の感情を感じることもできません。」・・・これを読んだから、(まだ私は真の自分という人間を所有している、というわけではないけど)安心して最近は「神様のばかやろー」とか言っております、はい^^;

 そのほか印象的だったところは・・・
 「人生のしつけから逃れられる人はいません。結局、否応なくしつけられるのです。私たちはいつでも自分が蒔いたものを刈り取ります。」
 「変化とは恐ろしいものです。しかしもしあなたが恐れているなら、あなたは多分正しい道-あなたを成長させ変えて行くための道-にいるのです。そう知っていれば慰められませんか?」
 うしろの変化についての言葉は、とても力づけられたのだが、一般的なビジネス書で書いてあるような「変化に対応しなければならない」というような話のトレンドの「変化」についてではないのでご注意。

 「境界線」を読んで、特に心に響いたみことば。(本でも引用されていましたが、下記は、新共同訳で掲載しています)

 心を尽くして主に信頼し、自分の分別には頼らず
 常に主を覚えてあなたの道を歩け。
 そうすれば
 主はあなたの道筋をまっすぐにしてくださる。 
箴言3.5.6

 (自分の分別に頼らず、というのは、自分で考えたり努力しなくていい、ということではなく、自分自身の無力さを知る、境界線の傷を知る、ということだと理解している。)

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海のものとも・・・

 ときどき、読書に詰まる?ときがある。ちょっと読みにくい本にとっつかまってしまうのだ。いま、とっつかまっているのは、谷川雁の『汝、尾をふらざるか』。年初、なかなか良い本と思ったのだが、これが実に読みにくい。締め切りすぎた原稿とかあれこれあって読み進めぬままとなっている。別に他の本を読んでもいいと思うのだが、なぜかどうもつかまったままでしばらく読書全体がとまってしまうような本というのがあって、これもその類・・・。むむむむ。

 <海のものとも山のものともプロジェクト>発足。がむばろー。ひとまず辛夷の咲くころまで。

 帰宅したら、どうも風邪っぽい。37.2度。五虎湯を飲む。

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永遠について

 昼ごはんは、田舎から送ってきた餅を消費するために、雑煮。もう1月も8日だというのに雑煮^^;。でも実は餅は好きなので苦にはならない。あと同じく田舎から送ってきた「あご(長崎近海でとれるトビウオ)」の丸干しを焼く。「あご」は脂身が少なく身が固めで<噛めば噛むほど美味しい>といわれ、たしかに、噛むとじわっと美味しい。ただ今日たべたのは少し塩味がきつかったなあ。「あご」なんて佐世保にいたころは食べたいなんて思わなかったけど、大阪にいるとみょうに食べたくなる。ちゃんぽんしかり、長崎味噌しかり。

 あまり他のサイトについて書くことは少ないのだけど・・結城浩さんという方の日記を読んでいて、1月5日の「永遠について」という記述がおもしろかった。永遠というのは時間の長さのことではない、というのはなるほどと思った。物語の作者と物語の登場人物の関係を例にとって、「永遠というのは、私たちの考えている、私たちがそこから通常は抜け出すことのできないこの世の時間とは別次元にある」というのには唸った。たしかに永遠というものを<無限の時間>というのではなく、違う次元のものとして捉えると、新たに見えてくるものがあるように思う。連続する時間、とか時間への隷属性から、またけく離れたものとしての<永遠>。目から鱗。
 ちなみにこのサイトは私が洗礼を受ける前、クリスチャンサイトを検索しててぶつかって、当初は、キリスト教関係のコンテンツを「勉強」がてら読んでいた。この方自身は、コンピュータ関係のライター。で、びっくりしたのが、ある日、会社に行ったら、会社の若い方の席にこの方の本(暗号関係の技術書⇒『暗号技術入門 ―― 秘密の国のアリス』
)があったこと。それも一人だけでなく何人もの人の席に。なんでも・・職場の暗号関係の勉強会の輪読対象図書になったらしい。「おもしろくってとってもいい本ですよ〜」と彼らは言っていた。自宅でこそこそ読んでいたサイトの作者の著書がこんなに身近で活躍していたとは〜〜。
↓結城浩さんのサイトはここです
結城浩の日記

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もうだめ・・って感じ?

 朝から今年最後のごみ出し日でばたばた(うー、生活臭い〜^^;)にはじまり、銀行振り込みだなんだかんだと慌しい。なぜこんなに慌しいかといえば、ひとつには今年は帰省をするから、というのがある。
 いーねぇ田舎でゆっくりできて・・という人はおそらく男性であろう。中年女性が自分の実家といえども正月に帰ってはねが伸ばせるわけはない。(九州という土地柄かもしれないけど・・)かえって慣れない台所でおさんどんするはめになってたいへんなんだよ〜。甥っ子姪っ子はばたばたしてて、その合間にお馬さんさんしたりお年玉包んだりたいへんである。で、「おばちゃんの言葉おかしかー。なんでそがん言葉話すと?」とか聞かれる。わたしだって昔は純正九州弁喋っとったっちゃけどね・・・もう20年近く大阪におるんでね・・。
 で、そのたいへんな帰省をまえに、自宅でやっておかないといけないことがなかなか進まず・・・。ああもうだめだぁ・・時間切れ。明日、早朝の新幹線で帰省予定。ふぅ・・・。
 移動中読書、「名短編」から川端康成「片腕」。ああこれもわたしはだめ・・・こういう美意識とエロティシズムは苦手だ。怖い・・。

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年末じたばた

 今日が仕事納めだけど、年休。自宅であれこれやり残したことをばたばたやる。
 すっかり疲れてしまった。まだ腰も痛いし・・・。薬が切れそうな感じだけど、もう一度病院に行く時間はないなあ。

 スマトラ沖の大地震とインド洋の津波はたいへんなことになっている。地球規模の天変地異がこれからも続くのだろうか。伝染病などでさらに被害者の数が増えないことを祈ります。日本からの医療サポートチームが外国からでは一番乗りで現地に駆けつけたとのニュースもあり。たまには日本もいいことをするじゃないか。

 寝る前に、「名短編」の深沢七郎「おくま嘘歌」を読む。泣ける。

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どぶろく

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 夜、ささやかな忘年会。大阪京橋の品のいい料理屋さん。私にしてはかなり贅沢な店である。
 焼酎を飲んでいたら「お強そうですね。どぶろく飲んでみますか?」と店の人がすすめてくれ、いただく。甘酒のように少し甘く、かすかに酸味と香があった。(写真・・ぼけてますが^^;)

 通勤読書は「名短篇」の内田百けん「サラサーテの盤」色川武大「雀」。
 帰宅すると原稿の督促が。・・すみません(>_<)

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まだ腰痛

 FOMAと腰痛のせいでいろんなことが滞っている。まいったまいった。

 新潮創刊100周年記念 通巻1200号記念「名短編」は、ここ100年間の新潮誌上に掲載された短編のアンソロジー。森鴎外から町田康まで・・・なんだかすごいお買い得な一冊。腰をさすりさすり眠る前に太宰治『俗天使』と町田康『一言主の神』を読む。

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電話

 気分が落ち着かない12月の週末。正月の帰省について親に電話。普段、電話に出たがらない息子がめずらしく電話に出て母(むすこには、ばーちゃん)と喋る。
 『翔べ麒麟』完読。おもしろかったけど、辻原登の小説に出てくる女性は、みな、超美人で、タイプは違えどそれぞれ「いい女」すぎる。そこがなんだかなあ^^;という気がする。
 なかなかやるべきことはかどらず。

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どきどき

 『鱧と水仙』の原稿がまだ出来ていなくて・・・ちょっとどきどきしている。ああ、困った。。。。
 左岸の会欠席。
 通勤読書、辻原登『翔べ麒麟』。これがむちゃくちゃおもしろい。若き遣唐使の話で裏表紙の説明に「陰謀と友情、恋と剣。沈みゆく帝都の都を舞台に繰り広げられる新感覚歴史活劇」とあるけど、ほんとに活劇という言葉がぴったり。登場人物たちはそれぞれある種典型的なところがあるのだけど、スピード感とさわやかな感じがあって引き込まれてしまう。・・・とそれより原稿原稿・・・。

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