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水兵さんのケーキ

 私が生まれ育ったのは長崎県の佐世保市という地方都市だ。昨年、@homepageに開設してて、ずっと更新もせず放置していたホームページが消えてしまって(@homepageがなくなることに気づいていなかった)、そこにいくつか書いていた子供時代の「思い出」の記事も消えてしまった。
 ごく個人的な記憶のメモだったので、消えてしまっても、「ま、よかたい」と思っていた。でも、最近、やっぱり少し残念な気もして、こちらのブログで少し書いてみようと思う。

 私は当時、市内にある母子寮に住んでいた。4歳の時、父が病死して、たしか保育園の年長くらいのときに、その寮に移ったと記憶している。その寮には、母子家庭の家族が20世帯位入居していた。鉄筋コンクリート2階建てのなかなかきれいな施設だった。各部屋は6畳あるかないかの1Kで、トイレとお風呂は共用だった。子ども心には別段不満もなく、同じ境遇の子供たちがたくさんいて、みんなで仲良く遊んでいた。母子寮以外に住んでいる近所の友達と遊ぶこともあったけど、母子寮の子供たちは良くも悪くも結束が強かったようで、就学前のおちびさんから小学校上級生まで皆で一緒に遊んでた記憶のほうが多い。

 ある日のこと、灰色のいかめしいバスが母子寮前にとまった。窓には格子があったように記憶するがどうだっただろう。母子寮の皆がそのバスに乗り込んだ。行先は、市内の米軍基地だ。楽しい遠足というより、バスがいかめしいだけに、なんだか移送され収監されそうなビミョーな雰囲気だった。
 基地につくと、船のなかに案内された。船の中では、米軍主催の市内の母子家庭の親子を招いたクリスマスパーティが開かれた。アメリカ人の水兵さんたちが大歓迎してくれた。まだ歳若いお兄ちゃんみたいな人も多かった。言葉は通じなかったけど、熱烈歓迎、むっちゃ陽気な人たち、というのは子供心にもよくよく伝わってきた。
 ただ、水兵さんたちに歓迎の熱意はあるのだけど、英語のアニメ映画とか見せられ、<ストーリー分からん、なんねこれは?!>と、ぼーっとして田舎の子供たちは画面を見つめていたりした。
 それでも、時間がたつと子供たちも慣れてきて、さらにクリスマスプレゼントもいただき(当時の日本にはない豪華なおもちゃ類)、なかなか楽しくなってきた。

 そんなこんなで、パーティもたけなわ、というとき、「さあご注目」という雰囲気になった。見ると、巨大なオーブンの扉が開かれ、畳のようなものが引き出されてきた。2畳分くらいもあるキャロットケーキのようなものだった。当時の田舎の、そして貧しい子どもたちには、それがケーキだとは認識できなかった。いやどうみても「畳」だろう。ケーキって、当時、田舎では、ぱさぱさしたスポンジに、べたべたしたバタークリームが塗られてて、品のないデコレーションがされているものだった。それだって誕生日に食べる時には狂喜したものだ。
 しかるに目の前にある「畳」は見た目、どうみても「畳」で、地味。それを水兵さんたちがニコニコして切り分けてくれる。「なんね、これ?」とお互いに顔を見合せながら、恐る恐る口に入れると、衝撃的なおいしさ!!
 それまで私たちは本当の乳製品のおいしさなんて知らなかったのだ。上品な甘さと、食感。アメリカってすごか~と子供心に思った。

 自分のそれからの人生でも、あの時食べたケーキより美味しいケーキを食べたことがない。いや実際は、今の日本なら、うんとおいしいケーキはあるし、今食べ比べたら、あのときのケーキは、さほどでもないのかもしれない。自分が大人になって、仕事でアメリカに行った時に食べたケーキは、日本のものと、さして変わらないとも思ったし。でもやはり、あの味は忘れられない。ふかーい、文化的なショックがあったのだ。

 基地、安全保障、そういうことを考えると複雑な思いもある。
 それにしても、あの時、熱烈歓迎してくれた陽気な若い水兵さんたちは元気だろうか。多くの若者はその後ベトナムに行ったのではないか。そういうことをあれこれ思うと、人生で一番おいしかったケーキの思い出も、ひどく切ない。

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