2017年7月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          

最近のトラックバック

リンク

フォト

« 永遠 | トップページ | 湖の上を歩く »

今日

Yozora


 会社員時代、ある時、中年の社員対象の特別なセミナーを受けた。(受けさせられた)
 それは、要は<セカンドライフ>についてのレクチャーだった。「昔は、定年後も、公的年金と企業年金でそれなりの生活が可能だったけど、今はそうじゃないんだよ、年金受給年齢は引き上げられているし、企業年金だってあてにしないでね、今からしっかり定年後の生活設計立てておきなさいよ」というような内容だった。まあ会社が定年後の生活まで心配してくれてご親切に~、、、、なんてことではなく、この年代に達したあなたたちは、今後、昇格も昇給も見込めないのだから会社にしがみつかないでね、会社に期待しないで、資格取るなりなんなり早いうちから<セカンドライフ>への準備をしなさい、準備ができたら、さっさと退職してもいいですよー、ということ。

 そのセミナーで、ひとりひとり、定年後の自分の生活プランを想定し、そのために、これからどう準備したらいいかというロードマップも書かされた。ロードマップ作成自体はけっこう面白くて、何歳までにこれこれの資格をとって何歳までにこれをやって、という計画を立てた。なかなか物珍しく、充実したセミナーであったと言えなくもない。

 しかし、考えたら会社員時代、「先のことを」良く考えさせられた。年に一回の業務上の育成プランの検討では10年後のなりたい自分5年後のなりたい自分とかを思い描いて、そのためにどのようにこれからスキルアップ、キャリアアップしていくかの計画を立てた。もっとも、まじめにその育成プランを作成しても、突然の異動やら組織変更で、全く仕事内容が変わってしまうこともあった。なので、プラン作成半年後に抜本的にプラン書きなおしなんてこともあり、半年後のことも分からないのに、なにが5年後10年後だよ~と感じた。

 現在は、ひょんなことから、かつて作成したロードマップとはまったくかけ離れた生活をしている。そして今は5年後10年後どころか明日すらまったく思い描けない。不安と言えば不安。でも、<5年後になりたい自分>、<10年後になりたい自分>、<定年後にこんな生活をする>、そんな未来に向かってアクションをとることを迫られることがなくなり、ほっとしている。未来へ向けてこぶしを振り上げるようなことの虚しさから解放された。
 これはばりばりの「現役」の方からみたら、「降りてしまった」消極的な生き方に見えるだろう。でももう正直、成長とか上昇とか何者かになる、ということにはウンザリなのだ。

 ナチスの収容所から生還したV.E.フランクルは「人生は毎日神様とキャッチボールをしているようなもの。その日、神様から与えられた課題をボールのように受け取って、返していくもの」と著書の中で書いていた。収容所で<未来の解放>を切望した人々は生き延びることができなかったことが背景にある。未来ではなく、「その日」を生きるのだとフランクルは言っていた。
 これは夢のない、まさにその日暮らしのような考え方だろうか?収容所という過酷な環境での特別なあり方だろうか?
 わたしは違うと思う。未来は神の手の内にある。その未来を自分のものだと固執するところに苦しみがある。
 未来を自分の手から解き放つとき、私たちは本当の「今日」を得る。
 そのとき、未来は本来の希望の輝きを取り戻す。それはおおいなる御手のうちにある輝きである。

明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。
その日の苦労は、その日だけで十分である。 マタイによる福音書6:34

« 永遠 | トップページ | 湖の上を歩く »

「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

聖書」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/66828/65520456

この記事へのトラックバック一覧です: 今日:

« 永遠 | トップページ | 湖の上を歩く »

これんのTwitter

無料ブログはココログ