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170324
 退院してきて、気づいたこと、胸の痛んだこと。
 実は、私の家のリビングの窓から真ん前に、入院していた病院が見える。それだけ近所の病院に入院していたということだけど。「ああ、真ん前だったなあ」と改めて気づいて、胸が痛んだ。それは入院前から何も変わらない景色だったけれど。
 私が入院していた三階の部屋の窓は手前の建物に少し遮られている。でもほとんど、真正面に、あの入院していた部屋はあったのだ。
 狭い十人部屋で、私ともう一人を除いたら、おそらく皆、70代、80代の方々。排泄が困難な方も多く、部屋にはなんともいえないにおいがこもっていた。近所では「姥捨て山」とも揶揄される病院だった。
 多くの人は入退院を繰り返していた。
 私が退院する時、「うらやましいわぁ、着いて行きたいくらいやわぁ」と、寂しそうに、ある婦人はおっしゃった。私は何とも答えられず、ただ頭を下げて、部屋を出てきた。

 正直、いつもリビングから見えるあの窓の向こうのことなど知らなかった。
 「うらやましいわぁ、着いて行きたいくらいやわぁ」と寂しそうだった婦人のことも。「看護婦さーん、おむつ替えてー!!」とナースコールで繰り返し叫んでいた人もことも。少し認知症なのかどうしてもベッドわきのテレビのつけ方が分からず「お相撲が見たいねん」といっていたお婆ちゃんのことも。婚約者をベトナムに置いて研修に来てるベトナム人のナース見習いの女の子のことも。
 いつもあの窓を見ていたのに、知らなかった。

 もちろんそんなことを言っていたら際限はないのだ。町中の多くの窓の向こうに人知れず病んでいる人がいる。ただ一人で苦しんでいる人がある。その無数の窓の向こう側のことを私は到底知ることはできない。

 ただ、あの方だけがご存じなのだ。
 だから、ただあの方にだけ、私は祈り求める。
 そして、私に開かれた窓に向かって仕えていく。
 私の前に今日も窓は開かれている。

病に苦しむこの人を打ち砕こうと主は望まれ
彼は自らを償いの献げ物とした。 
彼は、子孫が末永く続くのを見る。
主の望まれることは
 彼の手によって成し遂げられる。イザヤ53:10

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休め!

 先週の月曜夜から今週の月曜まで緊急入院をした。
 出産以来の入院。それも突然の。いや、びっくりした~。
 いやいや、びっくりされたのは周囲の方。ご迷惑おかけしました。
 ほんとうに申し訳ありませんでした。

Image170322 今になって「思い返せば」ということは、ある。空腹時、妙にお腹が張るようなビミョーにかすかに痛いような感じが、ここ数週間あった。でも、普通に食べたり飲んだりはできて、また下すことも、便秘もなく、さほど問題があるようには感じていなかった。
 先週の日曜日、夕刻、筋肉痛のような変な痛みが下腹部にあった。運動などしてないのにおかしいなと思った。それほどひどい痛みではなかったので、そのときもあまり気にしなかった。気にしないようにしようとしたというのが正解かもしれないが。
 翌日の朝、その「筋肉痛」は少し強くなっていた。もともと私はお腹を壊しやすいタチで、ときどきお腹が痛くなるということはあった。でも、その「筋肉痛」はこれまで経験した痛みとは異質だった。痛みの場所は右下腹部。「盲腸?」と思って、ネットで検索すると、盲腸か憩室炎かもしれないと分かった。ただ、痛み自体はひどくはなかった。しかし、痛みの異質さが気になり、寝起きの時点で、朝一で病院に行こう、と思っていた。しかし、起きてあれこれやっているうちに痛みは気にならなくなって、まあ様子をみようかと、「通常勤務」することに。

 その日、午後から徐々に具合が悪くなってきた。歩くとお腹に響くような痛みになってきた。夕刻にはあきらか発熱している感覚があった。夕礼拝の時、立っているのがしんどいくらいであった。激痛ではないが、動くのがつらいような奇妙な痛みがあった。夕礼拝の後、熱を測ると37.8度だった。37.8度は自分にとっては高熱ではない(喉を腫らしやすいたちで、38度を超える熱はときどき出すので)。でもあきらかに、この痛みと発熱は変だ。片付けもそこそこに、ローマンカラーのシャツとスーツのまま、救急病院にむかった。

 レントゲンの結果、やはり「盲腸炎か大腸憩室炎」ということで、いずれにせよ、ただちに入院、絶食して抗生物質を点滴開始ということに。翌朝、CTをとって、大腸憩室炎と診断は下った。
 そこからあとの治療と回復は順調だった。毎日のように血液検査をしたけど、値は都度はっきりと回復を示していた。当初は、少しでも体をねじったり、歩いたりすると、響いて痛かった。笑っても、咳をしても痛かった。熱も一時は38度を超えていた(これはさすがに私にとっても高熱だった)。でも、やがてそれが微熱になり、痛みも少しずつ引いてきた。結果的に、当初の主治医の見立て通り、一週間で退院ができた。まだ完治ではないが、投薬も食事制限もない状態になった。

 ある意味、大事には至らず順調に回復できたと言える。
 そして今回の病気は、神様からの「休め!」命令だったのだなとつくづく思う。

 そもそも多くの牧師は私の何倍も仕事をしておられる。私は、週に一回は休みをとっていたし、睡眠時間もそれなりにとっていた。けっして不眠不休で働き続けてきたわけではない。なのに、へたってしまうなんて情けない、、、という思いも当然ある。
 ただ自分自身、昨年秋の正教師試験のころから、「疲れがたまっている」という感覚がずっとあった。週に一回休んでも、どうしても疲れが抜けきらないというのが、特に、今年に入って顕著だった。按手から牧師就任式に至るまで、なんとなく「心休まらない」日々が続いたのも事実。

 今回、点滴につながれて、結果的にはわずかの期間ながら、「休め!」を実践して(実践させられて)思ったことは、自分はやっぱり<休みながら休んでいなかった>ということ。別に、休日に教会のことをあれこれ考えていたつもりは全くなかったのだけど、病院のベッドで何することもなく、ぼーっとしていたら(熱でぼーっとしてたことも含め)、自分は本当の意味でぼーっとしていた時間がなかったなあと気がついた。やはりたえず、今日はこれから何をして、明日はああしてこうして、と考えていた。いってみれば交感神経がいっつも働いていた。いっつもせわしない心があった。
 そりゃ腸も疲れるよね。(厳密には腸は副交感神経が働く時、働くらしい。だから交感神経が優勢すぎて、腸も働きづらかったのだろう)

 なによりせわしない心は、神にゆだねない心でもある。
 なんでも「私が」「私が」という心。
 そういうことを改めて思わされたこの一週間だった。

身を横たえて眠り
わたしはまた、目覚めます。
主が支えていてくださいます。 詩編3:6

 わたしがへたろうと、眠っていようと、働いてくださっている、お一人の方を覚えつつ!

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