2017年8月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    

最近のトラックバック

リンク

フォト

« 孤悲の両翼 | トップページ | 年賀状についての月並みなつぶやき »

翼の歌

夕暮の水よりあがる人体に翼なければあゆみはじめき
                 『廃駅』 小池光

 前回は今年刊行の歌集からの一首だったが、翼つながりで一首。二十年来、翼といえば私にはこの一首。

 プールから、あるいは海から、人が上がった様子だろうか。
「人体」というやけに即物的な、内面や個性を剥ぎ取った言葉に、むしろ人間の内包するもろもろのものが想起される。
 しかしながら、同時にこの「人体」はあくまでもやはり「人体」としてスケッチされている。もろい有機物の塊。水から上がったばかりの無防備な裸体。明るい日差しのなかに誇らしげに立つのではなく、夕暮れの衰えた光の中で生々しいというより、どこか生の希薄さを感じさせる裸体。
 それは弱い光の中にどこか透明感を持った裸体か、あるいは逆光の中に立つ裸体のようにも感じる。

 「翼なければ」・・・当たり前のことだ、人間には翼などない、でも「翼なければ」と、改めて言われると、奇妙な欠落感が生じる。まるで本来あるべきものがないような錯覚に陥る。
 しかし、人間は鳥でも天使でもない、アダムとイブの時代から人間は重力によって地面に縛られて生きている。
 ひととき水の中で浮力により、重力の縛りから放たれたような感覚を得ても、人間は水の中に生きるものでもない。水から上がり、地面を二足歩行していく。20141107_0938011_2
 感傷的に生の悲哀を歌い上げているのではなく、淡々と即物的に描かれているからこそ、一息に人間の存在の本質が立ち上がってくる一首。

 

« 孤悲の両翼 | トップページ | 年賀状についての月並みなつぶやき »

「短歌」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/66828/60636074

この記事へのトラックバック一覧です: 翼の歌:

« 孤悲の両翼 | トップページ | 年賀状についての月並みなつぶやき »

これんのTwitter

無料ブログはココログ