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嘘つきはクリスチャンのはじまり

 クリスチャンになって5年になるが、人間が立派になったわけでも、性格が良くなったわけでもぜんぜん、ない。やっぱりわたしはわたし以外の何者でもなく、ただただこんなわたしでもクリスチャンとされていることにオドロキと戸惑いと感謝な思いをもつものである。

 でも、そういう自分のことを100メートルくらい高い棚に上げて、ついつい、他のクリスチャンについては、けっこう批判的に見てしまう。特に、「クリスチャンらしい」とわたしが(勝手に)思っていた人が、意外に変な奴だったりすると、ひどく憤慨してしまう。(自分自身の行状を思えば、身勝手千万だが)
 ただ、思うに、5年間のクリスチャン生活で最近わかったことは、「クリスチャンらしさ」にこそ、もっとも「ウソ」があるということ。「柔和で謙遜であるべし」との聖書の言葉に従順にみえる、いかにもおだやかで控えめで素晴らしいクリスチャンスマイルの信徒が、一番ろくでもない、ということがままあるのである。
 ぜんぜん「クリスチャンらしくない」ような人のほうが、はるかにはるかに、まっとうということも、ままある。

 とにかくクリスチャンスマイルは要注意である。この世の荒野で、毎日毎日、ほんのり微笑んで生きていくことなんてクリスチャンとてできないのである。教会にもいやなこと、頭にくることもあるのである。にも関わらず「感謝です~」と四六時中微笑んでいるというのは、まともではない。そういう人は無理をしているか嘘をついている。まあ、クリスチャンはみんなまともではないからこそ、神様に救っていただいたと思えば、嘘つきはクリスチャンの始まりともいえるのだが。
 ゆうべ、北森嘉蔵の『神の痛みの神学』を読んでいたら<罪は反逆しながら、しかも死んでいる>というアウグスティヌスの言葉が引用されていて、印象深かった。バプテスマを受けたとき本来は罪は死んだはずである。にもかかわらず、やはりみずからのなかで神に反逆し続ける罪というのがあるということ。クリスチャンはやはりずっと嘘をつきつづけるのである・・。

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