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見失う

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 今日から夏季休暇。まだ仕事の人も多い中、一足先に・・という感じで恐縮だが・・、休暇といっても、年休消化なのだけど。
 梅雨明け以来、猛暑でチャリ通礼拝もやめてて、しばらく自転車に乗っていなかったけど、今日は日差しのきつくない時間帯を選んで、ひさしぶりに自転車で神崎川へ。

 昨年来、礼拝に自転車で通ってて、たまには礼拝以外の休みの日に気分転換に走ることもある神崎川沿いの道。何回走っても、たまに、ふと「ここはどこ?」と呆然とする場所に出くわす。(・・って以前書いたような気もするが、はっきり記憶がない(-"-))
 それはいつもほぼ同じ箇所で(そういう意味では、学習すればいいものだけど)、しかもなぜか、淀川方向から自宅側へ(つまり西向き)走るときにだけ出くわす。自宅側から淀川方向へ向かうとき(つまり東へ向くとき)はそういう「ここはどこ?」状態は起こらない。、
 神崎川南側を走りながら、北岸を見ると、公園があったり、工場があったり、ある程度、特徴的な景色があるのだけど、ある区間がどうもまったく特徴のない景色となる。どうもそのあたりで、わたしは自分の走っている場所がよくわからなくなるのだ。何の特徴もない景色を見やりながら、どんどんと不安になってくる。いつのまにか私は西に来過ぎたのではないか。私は自宅に帰るときは、自転車道の95番出口から上の道路に上がる。いつのまにかその95番出口を走りすぎ、どんどん西に向かっているのではないか。
 いやいやそんなバカな。95番出口付近には、大きな鉄橋もかかっていて、北岸には工場の建物もある。気づかずに通り過ぎるわけがない。本当に実際、95番出口付近を通り過ぎることなんて考えられないのだけど、特徴のない北岸の景色と、負けず劣らず特徴のない自分が走っている草まみれの南岸の景色の中で、ほんとうに、帰り道から切り離されたような奇妙な不安な感じに捕らわれてしまう。通り過ぎるわけのない95番出口がこの世から消滅してしまったような、なんとも心もとない、大げさに言えば、黄泉にでも向かってるような気になっていく。
 もちろん、それはそんな長い時間ではなく、すぐに覚えのある景色が戻ってきて、ほっとするのだけど、ごく短時間ながら自分の位置を見失う感覚というのはひどく不思議なものだ。
 まあ、今日はそういうことはなかったが。。。。

 そのかわり、西へ向かう帰り道、雲が多い空の向こうに淡い色の青空がひらけて見え、一瞬風がさーっと背後から走っていった。そのとき、「ああ秋が来るんだ。」と感じた。その一瞬ののちは、まだ暑い夏だったのだけど、自転車を漕ぎながら、しばらく秋の爽快な空気と空の色がありありと感じられ、「かならずや、あの秋の景色、あの秋の感覚の中で、私はまた神崎川を走るであろう(←預言者かい?)」と思った。帰宅して気づいたが、昨日は立秋だった。

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