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水が動くとき

「主よ、水が動くとき、わたしを池の中に入れてくれる人がいないのです」
 昨日、風呂掃除を終えたとき、ふとヨハネの福音書のなかの一節が頭に浮んだ。ヨハネの福音書自体は好きだが、この箇所が取り立てて好きということはない。はて、なぜ急に頭に浮んだのか?風呂→水、って連想だろうか(^^ゞはて?と思いつつ別のことをしながらも、なんとなく気になる。「主よ、水が動くとき・・・」その言葉が離れない。
 この言葉は、38年間も病気で苦しんでいる人がイエスに向かって言った言葉。
 「水が動くとき」、というのは彼がその傍らに横たわっていた場所-ベトザタの池-の池の水が動くとき、最初に池に入った者はどんな病でも癒されるという言い伝えから来ている。水が動くのは主の使いが池に降りてくるから、と考えられていた。だから、その池の周りには、多くの病人が、水が動くのを待っていた。そして水が動いたとき、われさきに池に入っていったのだろう。
 この人は病のために体がままならず、水が動いても、最初に水に入ることができない。今度こそ今度こそと水が動くのを何年も待ち続けていたに違いない。でも、水に入ることはできなかった。
 だから<だれもわたしを水の中に入れてくれない>とイエスに訴えたのである。
 でも考えてみたら、初対面のイエスに「病気が治りたいのです」でもなく「病気のために辛いのです」でもなく<だれもわたしを水に入れてくれない>と訴えることは唐突である。そして、この言葉に現れるこの人の心の闇は深い。38年間の苦しみのために傷つき擦り切れ希望を持てない、そんな心。誰も自分を顧みてくれないという孤独感がある。
 「主よ、水が動くとき、わたしを池の中に入れてくれる人がいないのです」
 私は幸い健康であり、自分で歩き行動できている。しかし、やはりどこか「水が動くこと」を待っていないだろうか。だれかがそこに入れてくれることを待っているようなところがないだろうか。
 この言葉を繰り返すうち、なんとなくそんなことを思った。
 

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