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回復

 出張の疲れとOさんのことで、なんとなく心身の調子が悪く、昨日は昼間ずっと寝ていた。
 昨日の夕刻から教会のホームページ作りの作業をする。
 見た目に進捗があまり見えない、ボタンの整形とか、ページの構成変更とか、手間のかかる根気の要るところをやった。
 こういう地味な作業というのはいろんなことを忘れさせてくれる。
 数年前までソフト開発の仕事をしていて、このような地味な作業というのがよくあった。創造的ともいえない<手作業>なのだが、むしろそのような作業のなかで救われるような思いもあったのだと改めて思う。
 手を動かし、経験や勘を働かせ、こつこつと積み上げる作業・・・そのような作業のなかで、人は何かを回復していくのではないか。

 ところで、クリスチャンでも苦笑するような話・・・
 きょう、礼拝から帰ってきたら、ケータイにつけていた二本のストラップのうち一本が切れてなくなっていた。
 なくなっていたのは、教会の方からいただいた、ビーズで作られた可愛い十字架のストラップ。十字架が切れているなんて・・・ちょっと縁起でもないというか、いやーな気が最初したが、よく考えたらこのケータイはOさんに薦められたケータイ。
 あ、十字架はOさんのところに行ったんだ、とふと思った。
 いや、もちろんきっと物理的にはどっかに落っこちているんだろうけど、Oさんは神様とともにいるんだということをなんとなく感じた。

 クリスチャンの中にはクリスチャンにならなければ死んだら救われない、なんてことを言う人もいる。今の牧師先生は、「クリスチャンじゃなくても、神様は愛されてます。亡くなった方は神様の御許で養われていると思います」と言われる。
 Oさんもクリスチャンではなかったけど、私もきっと今、Oさんは神様の元にいるのだろうと思う。クリスチャンの単なる気休めのようでもあるし、クリスチャンじゃない人からしたらかえって迷惑な考えかもしれないけど・・。

 ただそう考えたとしても悲しみというのはなくならない。
 いや一層深くなるのであるが。

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