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読んだものふたつ

 ばたばたしてて、すっかりスタミナ切れで1週間ぶりの日記更新である。『花柄』については、蘇州から帰ってきてから・・ということで。

 朝から礼拝。
 礼拝後の帰りは、自転車通礼拝開始以来、最大の寒波。自転車を漕ぐとけっこう寒い日でも暖かいものだが、さすがに雪がちらほら降っていた午後は、耳がちぎれそうだった~(T_T)。帽子か耳当ているなー。

 帰宅後、教会HP用の資料として貰った12年前の教会報を読む。ボリュームはA4で8ページ程度、縦書き4段組の新聞のような構成で、現在の教会報と変わらない。ちょうど現在の会堂が献堂されたときの教会報で、牧師先生や教会員の方々が執筆されていて、当時の熱気が良く伝わってくる。教会の沿革を知るために、と軽い気持ちで読み始めたのだけど、読み終えたあと、不覚にも泣きそうなくらい感動してしまった。
 戦争中の個人の家での家庭集会、戦後、親教会の伝道所から正式な教会へと独立していくなか、米軍の払い下げ資材で建った初代会堂。紆余曲折ののちに建った現在の会堂・・云々。
 書かれているのは教会員以外にはなんの関係もない歴史であり、その歴史も大教会やもっと古い教会などとは比べ物にならないささやかな歴史である。でもひとつひとつの文章には、にじみ出るような生の思いがあって、ひどく胸を打たれた。
 クリスチャンの文章には、良くも悪くも、ある種の<お行儀の良さ>みたいなものがあって、わたしなどはそれが鼻につくのであるが、その教会報の文章は、そういう<お行儀の良さ>はなく、率直で素直なものだった。それは変に格好をつけたり、上品ぶったりしない大阪の東淀川という土地柄とも関係しているのかもしれない。
 
 その後、先日届いていた『短歌人』をぱらぱらと読む。正直、『短歌人』を最近はあまりまじめに読んでいなかった。今日も別に熱心に読む気はなかったのだけど、なんとなく読んでしまった。
 で、なぜだか妙に、「みんな巧いものだなあ」と感心してしまった(^^ゞ。いやほんとに。言葉への執着の度合いがすごいというか。
 まったくもって私もがんばらねば、と思った。
 
 明日から蘇州へ出張。『短歌人』も持って行こう。

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