2017年8月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    

最近のトラックバック

リンク

フォト

« ピアノデュオ、「愛は陽炎」ではなかった | トップページ | 一年で一番好きな季節 »

祈るしかないということ

 母教会の方から葉書が来た。先月、わたしが出していたお見舞いのカードへのお礼だった。
 まだ五十代の女性なのだが、夏に検査入院をして、手術のできない進行性すい臓がんとわかり、放射線・抗がん剤治療ののち一時退院したものの、現在、再入院中とのこと。
 「今まで何かをする(「する」の下にアンダーラインあり)という生活をしてきましたが、ここへ来て何もしない生活に初めてなって自らの信仰の状態を反省しています」という文面に胸が詰まる。

 神様の心はわからない。時に人間の目には不条理、不公平に思える。
 人は誰ひとり明日のことはわからない。
 不意の事故や突発の病気などを除けば、多くの人はいつの日か徐々に衰え、それまではできていた多くのことを出来なくなっていく時期を迎える。<何かを為す>ことによって自らの生きる価値を求めることのできなくなる時期がやってくる。

 クリスチャンにとって祈りはけっして消極的なものではない。が、しかし、やはり「祈るしかない」という状況に置かれることを思うとき、わたしは途方にくれてしまう。

 「ごらん 空の鳥 野のゆりを 
  まきもせずつむぎもせずに やすらかに生きる 
  こんなに小さな いのちにさえ 
  心をかける 父がいる
  (マタイ6.26)」
 彼女の葉書に書かれていた聖句。
 
 父よ、あなたが彼女のくるしみを取り去り
 そのいのちをゆたかに支え励まし
 一日一日をやすらかなものとしてください

« ピアノデュオ、「愛は陽炎」ではなかった | トップページ | 一年で一番好きな季節 »

「教会・キリスト教」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/66828/17172479

この記事へのトラックバック一覧です: 祈るしかないということ:

« ピアノデュオ、「愛は陽炎」ではなかった | トップページ | 一年で一番好きな季節 »

これんのTwitter

無料ブログはココログ