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思うところ

 この間の神楽岡歌会で下記のような二首があって、それぞれ好評だったのだけど、わたしはどうも違和感があった。

 ゆきぬま、とあるはずのない場所を呼ぶ或いはとほき配流のこころ

 鯵焼いている間に今朝を受けいれるそののち深くなる雨の音

 どちらの歌も、歌われている感覚というのはよくわかるのである。でも、たとえば1首めのように「とほき配流のこころ」と言われると、うーんと思う。どこか自分が現実から隔てられているような、疎外されているような、寒々しい心境というのはわかるし、そういう気持ちになる時は人間にはあるだろう。ただそれを「とほき配流のこころ」というとき、なにか<作られた感じ>がする。この歌で歌わんとしている心情はわかるけど、<配流のこころ>という言葉になる時、なにか違和感があって、<配流のこころ>を人は持つのかな?と疑問に思う。自分自身の心境にたいして、<配流>という言葉を当てることになんとなく気恥ずかしさがあるのだけど、それはそう感じる私が変なんだろうか?
 2首目も、心理的には非常によくわかるのだけど、「そののち深くなる雨の音」というところが短歌的にまとまりすぎているというか・・・
こういうまとまり方が、わたしはまた少し気恥ずかしいというか・・・やっぱり私は変かもしれないが。

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