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京橋、玉造、淀屋橋

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 今日は年休。京橋でがん検診をうけたあと、玉造のクリスチャンセンターのなかで同じ教会の方がやっている喫茶店を訪ね、その後、淀屋橋へ。淀屋橋は主な目的は、この間、中之島図書館で貸し出し予約をしていた本が中央図書館から届いたので受け取りに行くことだったが、ちょっと他の用事もあり、歩き回った。
 その用事のため、旧住友銀行の本店を写真に撮りたかったのだけど、守衛さんから「文化財なのでだめ」と言われる。うーむ、わたし、住友銀行(現三井住友銀行)の口座持ってるけど、だめなのか・・・ケチだなあ。

 写真は左が京橋ツインビルともみじ、右が中之島図書館近辺。

桜散る頃

 今日、Amazonで本を注文した。で、思い出したのが、7月にやはりAmazonで注文していたCDがまだ届いていないこと。同時期に注文した別CDは注文後数日で届いたし、さらにそのあと注文した本もすぐ届いた。
 その届かないCDについては、何回かAmazonからのメールで、「御注文の品はかくかくしかじかの理由で発送が遅れています」という説明が来てて、ここまで待ったのだからと、半ば興味本意で、どのくらい遅れるのか待っとこう~という気分で放っていたのだけど、それにしても夏が過ぎ秋も過ぎ、もう冬だというのに来ないというのはかなり遅い。

 で、今日、発送状況を見たら、そのCDの発送予定日が2008年4月15日になっていた!来年のことをいったら鬼が笑うっていうけど、夏に注文した品の発送が、次の年の春、もう桜も散っている頃ってちょっとそれはいくらなんでもあんまりではありませんか?なんかの間違いか冗談かな?と思ったけど、Amazonの画面はまじめに表示している。
 ほんとうに発送する気があるのだろうか?在庫がないとか、入手困難であれば、その旨、連絡してくれたらいいのに・・。輸入物というのがなにかネックなのだろうか?
 こうなったら意地でもこのまま春まで待つか、ばかばかしいのでキャンセルするかちょっと迷っている。

一年で一番好きな季節

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 礼拝。いつものように自転車で教会まで神崎川沿いを走る。冬の午前の光を受けた神崎川が美しい。神崎川そのものは、都会の工業地帯を流れてて、それほどきれいな河ではないかもしれないが、柔らかな光をおびた川面のおだやかな表情には、はっとする。水面すれすれをとぶ鳥たち、ボートのトレーニングの準備体操をしている学生たち、鉄橋を走っていく阪急電車。とてつもなくしあわせな風景である。(短歌にはならんのだけど・・)

 礼拝では、わたしははじめて「応答の祈り」を担当した。受洗三年目にしてはじめての、全会衆の前で祈るという経験。礼拝の終盤、会衆から集めた献金をもち、前に出て、礼拝と献金の感謝をする。
 正直いって、おとといくらいからけっこう緊張していた。祈祷会などでも、稚拙なたどたどとした祈りしかできないので、もうとにかく、つっかえずに最後まで祈れますように~という気分だった。
 まあとりあえず、つっかえずに祈れて、祈り終わって席に戻ったときは、会社でちょっと大きなプレゼンしたときよりもはるかに脱力していた。

 写真は、神崎川ではなく、淀屋橋周辺。(なんて川か知らない・・)
 昨日、ひさしぶりに中之島図書館に行く途上の景。
 写真に写っているところはそうでもないけど、図書館へいく道々はだいぶ木々が色づいていた。図書館その他の古い重厚な建物とあいまって、なかなか豊かな景色だった。わたしは今の季節が一年で一番好きだが、今朝の神崎川も、昨日の都心の重厚な景も、秋の光の中でひときわ映えていた。ちなみに中之島図書館は、府立図書館としてのメインの機能は東大阪の中央図書館に譲っているけど、その古いたたずまいといい、それだけで豊かな文化資産である。ずっとそのままに保存してもらいたいと思う。

祈るしかないということ

 母教会の方から葉書が来た。先月、わたしが出していたお見舞いのカードへのお礼だった。
 まだ五十代の女性なのだが、夏に検査入院をして、手術のできない進行性すい臓がんとわかり、放射線・抗がん剤治療ののち一時退院したものの、現在、再入院中とのこと。
 「今まで何かをする(「する」の下にアンダーラインあり)という生活をしてきましたが、ここへ来て何もしない生活に初めてなって自らの信仰の状態を反省しています」という文面に胸が詰まる。

 神様の心はわからない。時に人間の目には不条理、不公平に思える。
 人は誰ひとり明日のことはわからない。
 不意の事故や突発の病気などを除けば、多くの人はいつの日か徐々に衰え、それまではできていた多くのことを出来なくなっていく時期を迎える。<何かを為す>ことによって自らの生きる価値を求めることのできなくなる時期がやってくる。

 クリスチャンにとって祈りはけっして消極的なものではない。が、しかし、やはり「祈るしかない」という状況に置かれることを思うとき、わたしは途方にくれてしまう。

 「ごらん 空の鳥 野のゆりを 
  まきもせずつむぎもせずに やすらかに生きる 
  こんなに小さな いのちにさえ 
  心をかける 父がいる
  (マタイ6.26)」
 彼女の葉書に書かれていた聖句。
 
 父よ、あなたが彼女のくるしみを取り去り
 そのいのちをゆたかに支え励まし
 一日一日をやすらかなものとしてください

ピアノデュオ、「愛は陽炎」ではなかった

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 月曜日、ろ~はさんと、会社で当たったチケットでコンサートへ。
 「デュオ・アドモニー」というイスラエル人の御主人と日本人の奥さんのデュオ。ピアノを二台並べての演奏ははじめて聞いた。
 曲は

 W.ロトスワフスキー パガニーニの主題による変奏曲
 S.V.ラフマニノフ  組曲第2番 op.17
 J.ブラームス    ハイドンの主題による変奏曲 op.56b
 M.ラヴェル     スペイン狂詩曲
 F.リスト       ハンガリー狂詩曲

 ・・・でした。なかなか華やかな演奏で、私は少し苦手かも(^^ゞ。ろ~はさんはスペイン狂詩曲とかが好きだとか。私はそれが一番苦手だった。。。。むしろハンガリー狂詩曲のほうがよかったなあ。
 でも、アンコールを3曲も弾いてくれて、なかなかサービス精神があって感じのいい御夫婦だった。アンコール曲は、「マイムマイム(の変奏曲)」「マラゲーニャ」「冬のソナタ」。マイムマイムがイスラエルの民謡で、水をくみ上げたときのよろこびの歌とは知らなかった。運動会のフォークソングより格調高い編曲になっていた。「冬のソナタ」は・・・実はわたしは知らなかった。ドラマも見たことなければ、曲も知らなくて・・・わたしはてっきり「愛は陽炎」かと思ってしまった、に、似てませんか?ほんで、実は・・・、一番感動しました、「愛は陽炎」に。「愛は陽炎」がこんな素晴らしい曲だったとは~!!って。。。。。とほほ。 なんだか恥ずかしくてろ~はさんにも言えなかったのだが。

 会場のいずみホールははじめてだったけど、とてもきれいなホールだった。

こころ打たれる

 昨日は、あれこれ時間をやり繰りして、あたふたとお昼に予約していた歯医者へ。受付で診察券出して待っていたら、受付でなにやら数名がぼそぼそ言っている。やがて「あの、吉浦さん、すみません」と呼ばれ、申し訳なさそうに受付の方が「吉浦さんの予約、先週だったんです」え?と診察券を見たら、たしかに11/10となっている。
 がーんΣ( ̄ロ ̄lll)。
 なんでだろ、まったく疑いもなく17日と思い込んでいた。結果的に先週は予約無断ですっぽかしていたわけで・・・あららら・・・

 へろへろ気分で帰宅。夕方から蜆橋歌会。
 拙歌
 confidentialの印押すときにこの部屋に監視カメラとわれのみ動く

 今月は、短歌人に小文も出したし、作品も比較的多く出したし、なんか短歌復調傾向なのが嬉しい。歌会後の懇親会で、K氏に「先月も今月もたくさん歌出しましたよねー、私」と自慢げに言ったら、「当たり前のことだろ。お前はもっと真人間になれ。」と言われた。
 はぁ、真人間ねぇ(@_@;)・・・。

 今日は礼拝。礼拝前、短歌クラブの詠草が配られる。先月は取りまとめの方の体調不良で、提出した原稿そのままのコピーだったのだけど、今回は、全員の分がまとめてワープロ打ちされていた。で、詠草見て、むっ(-"-)。詠草が横書きで、三句目のあとになぜか全部の歌に空白が入れてあって、しかも私の歌の旧かなを新かなに変えてあった。
 私の母よりも年上の取りまとめのおじさんに断固抗議。その後、そのおじさんと並んで礼拝。(おじさんはたいそう穏やかな方で、わたしが何を言っても、にこにことやさしく聞かれる。なんだか偉そうに言い過ぎたなあと私は後から反省・・・)
 礼拝後のクラブの会の場で、取りまとめのおじさんにうながされ、「短歌の記述方法」について縷々説明したのだけど、はて、どこまで理解していただけたか・・・。せっかくの皆さんの楽しい雰囲気を壊してはいけないから、あんまり偉そうに言いたくはないのだけどなあ。

 その短歌クラブに誘ってくださった女性から、クラブの歌集をいただいていたので、先週、わたしの歌集をその女性に謹呈させていただいた。今日、その方の著書(知らなかったけど、ノンフィクションでいろいろと賞も受賞されている方だった、著書の帯には<筑紫哲也氏絶賛>と書いてあった)をいただく。また、私の歌集の感想などが書かれた手紙もいただく。
 こころ温まる、というよりも、なにかこころ打たれるような手紙だった。

牛がかわいそう

 船場吉兆のあれこれについては、ああまたかという感じで、特にどうこうということはないのだけど、「佐賀、鹿児島両県産牛肉を但馬牛と偽っていた」、というのは、うぬ、と思う。佐賀、鹿児島の牛がかわいそうやー。
 わたしは昔、佐賀の農協向けシステムを作っていたことがあって、そこの農協のシステム室に、なぜか、佐賀牛の紹介資料があった。「xx2号」「△△3号」とか、たくさんの牛の種別とそれぞれに「性格的にはxxで、体格はどうこう・・・」といった説明と、当該の牛の写真が載っていた(素人が見ても、「ぜ~んぶ、牛」で、まったく種類の違いはわからなかったのだけど(^^ゞ)。
 あの牛たちの写真を思い浮かべるとき、、「佐賀、鹿児島両県産牛肉を但馬牛と偽っていた」なんて、まったくふざけたことだと無性に腹が立つのである。

なぜか日本酒

 家で飲むアルコールはビール。外では焼酎。たまにワイン。さらにたまにカクテル。
 日本酒、ウィスキーは苦手。酎ハイは焼酎をなめた飲み物と思っているので九州人の意地で飲まない。
 日本酒は、むかーしは好きだったのだけど、焼酎を飲みだしてから、甘く感じるのと、翌日に残るので苦手に。
 でもなんだか今日は、ふと日本酒が飲みたくなって、小ぶりのものを買ってきた。日本酒は苦手といっても、数年前に飲んだフルーティな味わいの日本酒はおいしかった。ああいうのなら飲めるのだけど、ああいう味にはついぞその後当たらない。
 今日は、いちおう、「フルーティな味わい」と説明書きのあるものを購入。帰宅後、ちょっと飲んでみる・・・・・、うーーむ、まあまあかな。そんなに悪くなかった。
 日本酒が合う季節でもある、今日この頃。(冷酒で飲んだけど・・・)
 そういえば、わたし、「酒粕」って小噺できます。

心配された

 昨日、淀川からの帰り、神崎川で実は牧師先生とすれ違った。なんか真剣にランニングされておられて、こっちはこっちで、はよ帰ろうと自転車飛ばしてて、「あ、吉浦さん」「あ、先生、どうも」って感じで、挨拶しあって、さーっと通り過ぎた。
 今日、礼拝に行ったとき、先生から、開口一番
「吉浦さん、あんなに真剣に自転車漕いだらあきません」
と言われた。また、
「僕はね、少し心配しましたよ」
とも。心配は自転車の漕ぎ方のことかと思ったら、
「せっかくの休みの日なのに、まだ若いのに、難波に買い物に行くとかじゃなくて、神崎川で自転車漕いでいるってのは、だいじょうぶかなあ、と」。
 うーーむ・・・・、まあ、自分でもあんまり大丈夫ではない自覚はあるが(^^ゞ。しかし、休みの日に嬉々として、なんばでウィドウショッピングしているタイプの人間は短歌なんか作らんと思うけど、それもアナクロな考えかなあ。

思うところ

 この間の神楽岡歌会で下記のような二首があって、それぞれ好評だったのだけど、わたしはどうも違和感があった。

 ゆきぬま、とあるはずのない場所を呼ぶ或いはとほき配流のこころ

 鯵焼いている間に今朝を受けいれるそののち深くなる雨の音

 どちらの歌も、歌われている感覚というのはよくわかるのである。でも、たとえば1首めのように「とほき配流のこころ」と言われると、うーんと思う。どこか自分が現実から隔てられているような、疎外されているような、寒々しい心境というのはわかるし、そういう気持ちになる時は人間にはあるだろう。ただそれを「とほき配流のこころ」というとき、なにか<作られた感じ>がする。この歌で歌わんとしている心情はわかるけど、<配流のこころ>という言葉になる時、なにか違和感があって、<配流のこころ>を人は持つのかな?と疑問に思う。自分自身の心境にたいして、<配流>という言葉を当てることになんとなく気恥ずかしさがあるのだけど、それはそう感じる私が変なんだろうか?
 2首目も、心理的には非常によくわかるのだけど、「そののち深くなる雨の音」というところが短歌的にまとまりすぎているというか・・・
こういうまとまり方が、わたしはまた少し気恥ずかしいというか・・・やっぱり私は変かもしれないが。

また淀川へ

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 昨日は二ヶ月ぶりの神楽岡歌会。いろいろと思うことがあった。(帰りのタクシー代を払うの忘れていたことにも、あとから気づいて、しまった~と思ったが)

 今日は、新聞代の支払いが滞ってて(-"-)、朝、東淀川の販売所に支払いに行く(平日、帰りが遅いし、週末もなかなか集金の方と会えないので二か月分がたまっていた(T_T))。
 うちから東淀川は少し距離があって、自転車で行ったのだけど、支払いを済ませたあと、せっかく自転車で来たし~と、ぜんぜん方向は違うのだけど、神崎川へ行って、川沿いをひと走り。実はあんまり体調は良くなくて、ちょっとだけ走って帰るつもりだったが、走っているうちにせっかくだから淀川へ行ってみようと、神崎川の源流まで行って淀川へ。淀川に行ったのは、先月、牧師先生と行って以来。

 牧師先生といったときは、神崎川との分岐点付近の土手に上がっただけだったけど、今日は土手を海に向かって走ってみた。走りながら、淀川の光景って、ほんっとにいいなあと、あらためて感じた。神崎川の雑駁な風景も好きだけど、淀川のなんというか、もわーっとしたひろがりのある景は見ても見ても飽きない。淀川の土手を走っていたら、どこまででも行きたい気持ちになって、ずんずん走っていたのだけど(←体調の悪いことをすっかり忘れている)このままずんずん走ったら、走った分、当然戻らないといけない、しかも、淀川から戻って、さらに神崎川源流から我が家まで戻らないといけない・・・そう考えたら、あんまり走るわけにも行かず、しかも短歌人の締め切りは迫ってる・・・。
 で、さーっとわれに返って、一目散に引き返し、帰宅。
 結局、2時間くらい走っていたので(普通に考えたらたいしたことないかもしれなけど)、すごく疲れて、午後はしばらく寝込んでしまった。

わたしは運がいい

 おととい職場でいきなり知らん人からメールがきた。知らん人だけど、社内から。なんだろうと思ったら、以前応募していた、コンサートチケットに当選した、との社会文化部の方からのメール。3000円のチケットのペア券。申し込んでいたことすら忘れていたが、当たったとなると、やはりうれしい(*^_^*)。
 私は、宝くじとか、大物にはついぞ当たらないが、こういう小物のくじ運はかなりいい。もっとも小物でも、よっしゃ当てたる!と気合を入れるとダメで、まあどうでもいいかあと思っていると当たる。あくまでも無心でさりげなくしていると当たるようである。物欲とか邪念がなかった子供の頃は、もっとよく当たっていた。

 ↓ ちなみにここに子供の頃のくじ運の話が書いてあります
 http://homepage1.nifty.com/rei924/nanashi.htm#l2
 ↓ さらに前回の会社プレゼントに当たったときのこと
 http://koren.tea-nifty.com/nichinichi/2005/08/post_4dd6.html

 職場で、送られてきたチケットを隣の人に見せて喜んでいたら
「そんなん当たってるから財布を落とす」と隣の人は笑っていた。(先日の宇治での財布事件を話していた)がくっとテンション下がって、よくよく考えたら、宇治での財布は出てきたからよかったが、NOVAのポイントは戻らない。それを思うと・・6000円程度で喜んでられない気もするが。

 いやいや、しかし、しかし、やはり喜ぼう。金額ではなく、しばし音楽を楽しめる豊かな時間がプレゼントされたことを。CDで音楽は聴けても、やはりコンサートの喜びとは換えがたい。その喜びを与えられたことを。

 だいたい私は運がいい。6月に駅のホームから落っこちたときも大事に至らなかったし、7月にイギリスで39度の高熱を出したときも一晩で下がったし。10月に会社で大ちょんぼしたときも、事なきを得た。そして落とした財布は出てくるし。
 これらを、そもそも災難に会い過ぎと見るか(^^ゞ、自分の不注意や管理不足で起こったことがどうにか大事に至らずに守られたと見るか。私は後者と考える。NOVAのことは、きっとそれは<わたしにとって>何らかの意味があったことなんだと思う。
 うん、私は運がいい、そう信じている。

宇治川と神崎川

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 礼拝にいくと、教会の週報棚に「吉浦姉 翻訳お願いします」と牧師先生から、チャイルドスポンサーシップで教会として支援をしているチャイルドの成長記録が入れられていた。先日の祈祷会でわたしがNOVAの話をしてたせいか、海外出張に何度か行ってることを御存知なせいか、わたしは英語が得意と思われたのだろうか?それは完全に誤解なのだが~・・・。とりあえず、帰宅後、辞書を引き引き翻訳(^^ゞ。NOVAのごたごた以来、まともに英語の勉強をしていなかったけど、昨日もNOVAの先生と会ったり、今日もこんなこと頼まれたりするということは、やっぱり継続して勉強せよ、ということかもしれない。

 <翻訳>が済んだあとは、昨日のドタバタウォーキングの疲れか、しんどくなって夕方まで横になって過ごす。

 写真は、左が昨日の宇治川。右がいつもながらの神崎川。
 ところでゆうべ知った新事実!!携帯写真の、画像サイズがもっと大きくできて画質もいいものに変えられる~。2月に購入以来知らんかったよ~。というか、購入時、もう少し絵を大きく画質をよくできないのか探したんだけど、よくわからなかったのだ。夕べ何気なく、ごく普通のカメラ設定のところをみたら、簡単に変えられた。いままで何やってたんだろう?

 ということで宇治川は小さく、神崎川は大きく写ってます。(クリックしてみてください)
 もっとも大きく写すと、写真を撮るのが下手なことが余計ばれそうだが。
 宇治川を昨日見ていたら、つくづくこの景色のなかにいたら<和歌>的なメンタリティが養われるだろうなぁと感じた。自分にとっての<短歌>には直結しない景色だけど。じゃあ神崎川だと短歌ができるか・・・うーむ、それもどうだろうか。
<大吹橋上空にいま万軍の主がひきしぼるゆふべのひかり>
・・こんな歌は作ったが。
 ちなみに神崎川のむこうにはラッパのマークの大幸薬品が見えます。

財布紛失!&NOVAの先生と会った

 今日は、宇治のスタンプラリーウォーキング。教会の人たちと。
 指定の宇治の名所?を通過するとスタンプが押せて、規定のスタンプがすべてそろうと完歩ということになる。
 しかし、歩き始めて1時間ほどでトラブル発生。コース沿道に、石やきいも屋があって(^^ゞ、そこで皆、石焼き芋を買うということで、わたしも買おうとして、財布を探すも・・・財布がない(@_@;)!
 お金は少ししか入っていなかったけど、カード類と保険証が~。
 青ざめてラリーからはずれ、財布探し。牧師先生(奥さんの方)も一緒に探してくださる。結局、行きの電車の中で落としていたようで、中書島駅に届けられていた(*^_^*)。
 わたしと牧師先生は、予定を変更して、当初より短いコースで、ラリーを継続、どうにか完歩できた。
 なかなか怒涛のラリーだったが、無事、財布が出てきて感謝。
 しかし、財布を失くしていることを知ったのが石焼き芋のおかげというのも、なんだかなあ。。。。

 そんなラリーを終え、帰宅途中、自宅最寄駅で、NOVAの先生に会った。この間、TVに映っていた先生とは別の女性の先生。どうしておられるんですか?と聞くと、「今は小さな英語教室でパートタイムで働いている。おそらく今週中に、NOVAについては私たちは新しいことを聞くことになると思う」と言っておられた。私は、もっとたくさん、先生を激励したかったのだけど、どうにもたどたどとしか英語が出てこない。悔しい。もう少しまじめに英語を勉強しておくべきだった・・・。こういうことになって、はじめて自分の不勉強を反省するのも情けなく皮肉な話。

短歌雑誌を買い込んだ&NOVAの先生がTVに

 今日は、会社を年休で休み、あれこれ雑事。
 
 梅田にコンタクトレンズを受け取りに行ったついでに、短歌雑誌を買いこんで来た。「短歌雑誌を買いこんで来た」・・・なんてこと、まがりなりにも一応、歌人なら、わざわざ書くことでもないかも。以前は数誌定期購読していたのだが、ここ一、二年ばかりは、店頭でおもしろそうと思ったら、まれに買う程度。誌面に興味を持てないとか、短歌の世界で今何が話題かということがどうでもよくなったから、ということもあるが、なにより自分自身の短歌モチベーションが低下していたせいというのが一番の理由。
 今日、買いこんで来たのは、モチベーションが復活したからではなく(モチベーションは春ごろよりゆるやかに回復中)、小文を書くための資料の意味合いが大きい。梅田の旭屋書店で、最初、特に興味をもったものを1,2冊買うか~という軽い気持ちだったのだが、立ち読みしているうちに、ま、ひさしぶりだしぃ、と大きな気持ちになって(^^ゞ、どさーっと買ってしまった。ついでに『現代詩手帖』まで買った。

 関係ないが、昨日、ニュースで、大阪の小中学校にNOVAから派遣されていた講師たちが、NOVAがあんな状態のため、派遣を打ち切られたことに対し、大阪市にNOVAを通さない直接契約を訴えてることが放送された。で、画面を見てたら、知ってる先生が映っていた。拡声器もって市庁舎前で訴える場面と、記者会見の場面。レッスンは二回くらいしか受けてない先生だけど、うち一回はマンツーマンだった(グループレッスンで予約していたけど、他の人がこなくてマンツーマンになった・・・これをNOVAではラッキーマンツーマンと言った)のと、たいへん丁寧にしっかり教えてくださったので印象に残っていた女性の先生だった。ああいうしっかりした良い先生が窮地に立たされているのは本当に気の毒である。

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