« 2007年8月 | トップページ | 2007年10月 »

霊性ということ

 雨の日曜。礼拝は電車で。肌寒くてGジャンを羽織ってちょうどいい。数日前までの猛暑はいずこ。

 礼拝、主任牧師は年に一度の休暇中で、小松鉄人レース出場。かわって奥さん(奥さんも資格をもった牧師)が説教。
 「T雄牧師(主任牧師)は、今朝7時40分スタートで、第一ラン8キロ、自転車64キロ、第二ラン24キロのデュアルスロンに出場しています。背中に十字架の描かれたTシャツを着て祈りながら走るとのことです」
 牧師が日曜にレースに出てるとは何事!?と思う人もあるだろうな。牧師にもいろんなタイプがある。学究肌で神学的な深みをめざす人もいれば、情熱的に教会を立て上げていくタイプもある。いまの主任牧師はちょっと型からはずれた伝道者タイプ。真の霊性に満たされているのであれば、どのタイプであってもやはり牧師先生は牧師先生。

 霊性という言葉を出したのは、富岡幸一郎『スピルチュアルの冒険』(講談社現代新書)を読んだから。この本、題名からすると昨今はやりのスピルチュアルモノと思うけど(実際この題はなんだか軽すぎて良くないと思う)内容は、空海、親鸞から内村鑑三、釈超空、鈴木大拙、埴谷雄高、ドフトエフスキー、カールバルトなどなどを例に挙げて、宗教や洋の東西を問わない、霊性=スピルチュアリティを問うもの。

 教会でも「霊性」とか「霊的」という言葉はよく聞く。でもどうも「霊」の字が入ったとたん、わたしは胡散臭く感じて、しっくりこないものがあった。また昨今の表層的なスピリチュアルブームで余計イヤな感じもあった。
 でも『スピルチュアルの冒険』を読んでようやく腑に落ちたところがある。東洋的な、「気」「気息」、旧約聖書で神が人間に吹き入れた「息」、それらすべてをひっくるめて、宇宙の中の生命の風というべきものが霊性であるということ。

 著者は文芸評論家であって、文学的な視点もしっかりしているように感じられ信頼できたのもよかった。
 詩性と霊性ということについても、とても考えさせられるところがあった。自分にとってとても大きな一冊だったかもしれない。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

反町?

昨日、横浜市内某所で仕事を終え歩いていたら、普段そんなに人がたくさんいない道が混んでいた。
近づくと路上でドラマのロケのよう。雨の夜の設定のようで傘をさしたスタッフがライティングや位置決めをやってる。
同行の同僚が「まだ準備中だから役者さんはいないんだね」というのを聞いても普段テレビドラマはまったく見ないし興味なく、ふーんって感じで通り過ぎようとして、準備中スタッフから少し離れたところに椅子に座っている男性に気がついた。
反町だった。
で、反射的に「反町だ、写真撮ろう」とバックのケータイに手をかけたとたん、「写真はご遠慮ください!」と鋭く制止されてしまった。たくさんの通行人のなか制止されたのもハズカシかったが、ドラマも反町も興味ないくせに、本能的にミーハーな行動を取る自分にトホホ(;´д`)な気分だった。

明日夜、帰阪予定だったが、急遽、明日午前中に大阪で会議となり、明朝早い便で帰ることになった。慌ただしい。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

よこはま

夕刻から移動して、ひさびさの横浜。1月以来。
去年は月に数度行くこともあったのだけど、ずいぶん間があいてしまった。
新横浜駅に着くと改装が進んでて8ヶ月前までの面影がなく、あれあれ?どっからどう出ていくんだ?と焦ってしまった。

ようやく外に出ると、空には、やけにまんまるい月。横浜の月もまるい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

支流源流

 朝チェックした天気予報では雨が降りそう。もっとも、新聞やWEBそれぞれで微妙に予報が違って、ずっと曇りって予報もあった。うーん、紛らわしい。しかし、とりあえず降らないうちに自転車で神埼川へ。
 以前、西側の自転車道のはずれまで行きかけて、怖くなってやめたのだけど、今日は東側のほうに行ってみた。教会のあるあたりを越えてつぎの橋くらいまでは普段でも行っていたのだけど、今日はさらにそこも越えて東へ。「淀川との分岐点まで700m」の札を超えて、すこし走るとあっけなく行き止まり。狭くなった川幅を膨れるように水が流れている。周囲は小さな工場がぽつぽつとある。そこだけをみるとどこか山のなかの景色のよう。
 少し気抜けがした。この先に、淀川との分岐点があるんだろうか?よくわからなかった。考えながら、ふと茂吉のドナウ川源流を思い出したりした。

 午後から雨。今度こそ秋を呼ぶ雨でありますように。

****
胎児であったわたしをあなたの目は見ておられた。
わたしの日々はあなたの書にすべて記されている
まだその一日も造られないうちから。
 詩編139

 今日はわたしの誕生日。ああ、メデタクナイ(-"-)。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

濃厚な京都

 午前中礼拝。その後の<聖書通読の会>を途中で抜けて京都へ。(ちなみに<通読の会>の横では<短歌の会>があってて、なんか楽しそうに盛り上がっていた。教会の短歌好きの方が集まってなにかやっておられるようだが、どういう会なのか不明。一応わたしが短歌をやっていることを知っておられる方は牧師先生をはじめ教会にはおられるのだけど私にはまったく声がかからない・・・・なぜ?)

 午後から小川佳世子歌集『水が見ていた』批評会。
  身に残る思い出は無く世の中は薄き契りと単衣をはおりぬ
  『水が見ていた』
 小川さんは京都の方で、京都弁を取り込んだ歌も多くあり、東に対する京都、という面での話も多く出た。九州出身の私には、どうしても関東VS関西の話になると、なんかばかばかしい気がして嫌になるのだけど、京都パワー炸裂のただなかにいるとクラクラしてきて妙にトーンダウン。特に懇親会では京都の重鎮の女性歌人と同じテーブルで、その方の豪快な「京都のいけず話」をお聞きするにおよび、「ははぁー、さすが京都、いけずも言葉も1300年の重みがあるですね」と頭を垂れざるを得なかった。

 懇親会を終え、JRで新大阪に降り立ち、地下鉄ホームに立つと、大阪北部のすかーと軽い空気。さっきまでのあの濃厚な京都の雰囲気とは大違い。関西に住んで20年。ようやく同じ関西でも大阪と京都では大違い、って少しばかり理解したのであった。
 明日も、すかーっとした神崎川岸を自転車で走ろう。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

疲れた一日

P1000316
 なんだか午前中、体がだるくて、午後の予定をキャンセル。午後、昼寝をしたら、かなり回復。

 夕刻、回復したのをいいことに調子に乗って、自転車で神崎川岸自転車道を小一時間ほど走る。そろそろ走り終えて川岸から一般道への坂を上がろうかというときに、ずーーっと一番重いギアで走っていたことに気づく(私の自転車は六段変速)。どうりでなんか自転車が重いと思った(-"-)。
 どっと疲れた。
 さらに考えてみれば、先週の三連休はばたばたしてて、自転車に乗っていなかった。ひさしぶりということも、もともと体調が今日はいまひとつということも顧みず・・・まあ疲れるわなあ。

 その疲れた状態で、NOVAへ。
 NOVA、ここんとこずっと閑散としている。いま、わたしが行っているのは大阪では中規模のスクールだけど、10ぐらいあるレッスンルームで、私がいる間、稼動していたのは2つだけ。
 そうだよなあ、あれだけの報道がされたら、新規契約する人なんてほぼ皆無だろうし、契約している生徒もどんどん解約していくだろう。
 わたしはまだ結構レッスンのポイントが残っていて、これを解約すべきかレッスンを続けるべきか悩んでいる。株価も100円切っているし、倒産の危険もある。
 とりあえず、悩んでいる間にも、もっているポイントは使っておこうと、今日からマンツーマンレッスン(グループレッスンより4倍ポイントがかかる)にした。4倍の価値があるかどうかわからないけど、こってり、マンツーマンでしゃべらざるを得ないレッスンは緊張感もあって悪くない。
 2レッスン受けて、さらに疲れて帰宅。

 写真は篠山の商家地区。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

自転

P1000313
 昨日は先輩の女性と梅田で晩御飯を食べた。まったくお酒を飲まない方で、私のほうはビールを少々。でも話ははずんだ。
 話をしている間に、27Fの窓から見る三日月がどんどんと下がってきて、目の前のビルの陰に消えた。
 「地球の自転がこんなに早いなんてねぇ」
とその女性は言った。

 写真はまだ青かった篠山の柿。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

丹波篠山

P1000311
 昨日、今日と、教会の修養会で丹波篠山へ。
 集団行動はいやだし、特にクリスチャンの方たちといっしょというのはどうかなあと(→私もクリスチャンであるが(^^ゞ)正直恐る恐るの参加だった。

 行ってびっくりしたのは「お酒を飲んでもいい」こと。
 もちろんキリスト教は飲酒を禁止してはいないけど(一部のプロテスタントは禁酒禁煙)これまで教会の正式行事のなかでアルコールが出てくることはなかったので、ほお(@_@)と思ってしまった。お酒は飲んでもいいけど、なんとなくクリスチャンが集まって飲むことはないものだと思っていた(個人的な場でクリスチャンの方と飲んだことはあるけど)。もちろん宴会というような派手な飲み方ではなく、大酒飲んでグダまく人はいなかったが。(一番飲んだのは、結局、わたしだったような・・・(-"-))

 で、昨日、今日で感じたのはクリスチャンといっても別に普通なんだなあということ。ゴチゴチにまじめというわけでもなく、淡々と普通な感じ。教会や教派のカラーにもよるだろうけど。
 朝、朝食の前に聖書を読み祈る時間をもったけど、ごく普通に淡々と生活をして、おりおりに祈りに戻ってくるのがクリスチャンの生活だなあとあらためて感じた。その祈りに戻るところだけが生活のなかで非クリスチャンと違う。

 それにしても、牧師先生(奥さんの方)とダイエットの話なぞしていた私であるが、私の飲みっぷり食べっぷりをみて、御主人のほうの牧師先生が別れ際に曰く「吉浦さん、(その食べっぷり飲みっぷりで)ダイエットなんて言葉は二度と口にしたらあきません(笑)。」
 体脂肪率にも神の摂理は働いている・・・。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

蜆橋歌会

 所用のため少し遅刻して蜆橋歌会へ。
 今回はじめてK氏の票が入って、わーい(^o^)/と思ったら、別件でK氏からお叱りが・・・。とほほ。
 道は険しい。。。。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

三連休かあ

 今日から三連休なのだけど、なんかすでに消耗感が。。。

わたしは魂を沈黙させます。
わたしの魂を、幼子のように
母の胸にいる幼子のようにします。

 詩編131.2

 この三連休は少し忙しい。どうか気持ちが発散して疲弊しませんように。無駄口を叩かず、ただ内にのみ心が向かいますように。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

内科眼科歯科

 土曜日に内科に行き、火曜日に眼科に行き、今日、歯科に行った。お医者さんが好きなわけではない。持病と、左目の痛みと、歯の痛みがあるので仕方がない。

 朝夕、涼しくなった。あの暑さがまだまだ続いていたら、世をはかなんで、とても内科と眼科と歯科に行く気にはなれなかっただろう。涼しくなって良かった。
 私は変な奴で、なんかこういう秋風が吹く頃、よく恋をしていた。若い頃の話。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

家族だんらん法

 すでに職種限定で先行導入されている「残業ゼロ」の裁量労働制の場合、むしろ総労働時間は増加している結果が、以前、報じられていた。
 「残業0」とペアで進められる<能力主義>の名のもと、「成果を出せ」という無言の圧力の中、むしろ、社員は長時間働くことになる。過労死、メンタルストレスのリスクも高まる。
 家に帰るどころの話じゃない。
 舛添という人もまったくもって食えない。。。。。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

絶望という可能性

 トマス・マートンの『七重の山』をぽつぽつと読んでいる。最初は???と思ったけど、やはり彼の「回心」の軌跡というのはたいへん興味深い。
 なによりマートンの文学的なセンスの良さは信頼に値する。
 天才マートンとわたしでは比べるべくもないのだけど、「回心」の基盤にある「自己への絶望」という点は一緒である。マートンが神に近づいていく様がほんとうによくわかる。絶望というと暗いイメージがあるけど、けっしてそうではない。

 ところで・・短歌人の作品をまとめないと・・・。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

 礼拝。聖歌隊、永眠者祈念礼拝、婦人会などで、なんだか今日は疲れた。すごく疲れた。礼拝で疲れるってどうゆうことだ。

 懸案の教会報の写真は、振袖やセーラー服はやめて(^^ゞ、ごく平凡な職場でのスナップ写真を提出。しかし写真を入れる適当な封筒などがなかったので、職場の人からもらったタイ出張のお土産のハンカチが入っていた袋に入れて牧師先生に提出。その袋というのが、いかにもタイというかオリエンタルというか、仏教的オーラが漂うなかに、きんきらきんの絢爛豪華なタイ美人が微笑んでいるという強烈なもの。(←もう少し普通の袋で出せよって自分でも思ったが(^^ゞ)
 その袋のタイ美女を先生はまじまじと見て、「なんか・・・、吉浦さんの面影がありませんね、この写真」とトボけられる。「えー、これ私の若いときなんですよ~」ってトボけ返して応対する気力なく、「これは職場の方から貰った・・云々」とまじめに説明して帰って来た。。。。

 ひさしぶりのチャリ通礼拝。往復ともかなり風強く、それでも22分から23分で行けた。

 短歌人の作品を作らないといけない!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

知りたくなかったこと

 mixiをはじめて9ヶ月になる。その間、特に直接不愉快になるようなことは何もなかったけど、ちょっとストレスを感じることはある。それは通常のHPや掲示板の運営、ブログ公開では感じなかった種類の不快感である。
 mixiでは匿名性が少し緩んでいる分(完全に匿名性がきえるわけではない)、個のmixi内での動きがある程度わかる。わかりたくなくてもわかる。わからんけりゃよかったと思うこともある。
 わかってしまって、そのことによって逆に自分が(相手にとって)どういう存在かというのを改めて知らされた面がある。それはリアルの世界でのそれと結局のところいっしょなのだけど、それだけに余計知りたくはなかった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

写真

 まだ、ずっとバテ気味。
 まあ、とはいってもバテのピークもちょっと越したかも。
 しかし、来週から仕事が少し忙しくなる。。。。

 教会から転会者の写真を教会報に載せるから持ってきて、という連絡がある。春ごろ撮ったある集合写真を少し前に出してたんだけど、「これじゃ吉浦さんの顔、小さすぎ。印刷時、拡大するとボケます」とのこと。牧師先生に電話で問い合わせて、何となく写真は出したくない感じでわたしがモゾモゾ言っていたら、先生曰く
 「あのぁ、別に若いときの写真でも構いませんよ(笑)(←もちろんこっちの気分をほぐすための冗談で言われてるんですけど)」
 「へ?」
 「若い頃のお見合い写真とかでもいいですよ(笑)」
 「(お見合いしたこと、ねーよ(-"-))ほお・・・、じゃあたとえば成人式のときの写真とかでも?」
 「はいはい、けっこうですよ」
 「振袖とか着ててもいいんですかっ?」
 「ぜんぜん、構いません」
 構いませんって、振袖時代から体重が10キロ以上増えてるんだから、教会報に載っても、本人識別できないよっ。
 いっそのこと、愛くるしいセーラー服姿の写真でも送るか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

七重の山

 トマス・マートンというカトリックの司祭・修道士の自叙伝『七重の山』(中央出版)を読みはじめている。
 この『七重の山』は1948年(たぶん)にアメリカで出版され、200万部売れたベストセラーである。彼自身の生い立ちから青年期のカトリックへの回心が綴られたもので、いまだにアメリカでは評価が高い本らしい。
 私の好きなヘンリー・ナウエンもしばしば言及している作家で、以前から読みたいと思っていたのだけど、日本語版は、とっくの昔に絶版。このつど、amazonで中古が入手できた。
 本の到着をものすごく楽しみにしていたのだけど、いざ読み始めてみると、これがベストセラーになったとはとても信じられない。良くも悪くも文学的な自叙伝で、まずもって、分厚い。ある意味、退屈といえば退屈。彼の幼少期を過ごしたアメリカ、フランス、イギリスの印象深い風景が丁重に描写されている。彼は詩人でもあり、この描写はたしかに印象的ではある。印象的ではあるけど、こんなプラグマティズムのカケラもない、冗長な本がベストセラーというのは解せない。こういう本が売れた第二次世界大戦後のアメリカってどんな雰囲気だったのかなあと改めて思いを馳せたりした。プロテスタントの原理主義が主導する現代とはまたぜんぜん違っていたのだろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

盛りだくさん

 昨日は、礼拝の昼食サービスの当番だったので、礼拝一時間前に教会へ。昼食メニューはうどん。ねぎの小口切りとか、むこうが透けるくらい薄くかまぼこ切ったりとかしたあと、礼拝。
 礼拝後は、どんぶりにうどん&おつゆを注いだり、どんぶり洗いをしてから短歌人の関西歌会へ。

 歌会のあと、ろ~はさんから、「大丸ミュージアムでモディリアーニの展覧会をやっているからいかない?」と言われて、急遽、梅田の大丸ミュージアムへ。
 展覧会の特徴はモディリアーニの妻のジャンヌ・エビュテルヌの作品を多く展示していたこと。モディリアーニの妻としてではなく、ひとりの画家として、その作品が展示されていたことは意義深いように思った。
 おもしろかったのは、絵の脇に小さく掲示されている説明文が、かなり特徴的で、書いた人の主張が強く出ている文章だったこと。うまく説明できないけど、ジャンヌ・エビュテルヌの作品の解説に「これはまぎれもなく大家の作品である」というようにかなり思い入れの強い断定的な言い方が頻出していたり、ときに「(モディリアーニとの貧乏な生活のなかでアパートの外の風景を)彼女はどのような気持ちで見ていたのであろうか?」とか「(豊かだった)実家を思い出しているのであろう」といった妙に情緒的な言葉も見られたりした。
 どう考えても作品の鑑賞へ過干渉するような文章ではあるのだけど、その思い入れや断定の強さが、どこか笑える感じもあって、ろ~はさんとその説明文を読みながら、「ここのこの言い方すごいよね」とか指差しながら二人であちこちでくすくす笑ってしまった。うーん、ちょっと塚本邦雄の茂吉鑑賞文的でもあった。

 展覧会のあと、大丸のレストラン街のメキシコ料理店でごはんを食べてから帰宅。

 うどんつくりからメキシコ料理までなかなか盛りだくさんな?一日だった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

鱧と水仙

 夕べ、帰宅したら、宅配便の不在通知がポストに入ってた。配達物は『鱧と水仙』。ほっとしてしまった。
 『鱧と水仙』は参加以来、ずーっと締め切り遅れや原稿不提出があって、たいへん迷惑をかけていた。今回、ようやく締め切りぎりぎりに作品を出せたのであった。
 今まで散々迷惑かけてて、その出した原稿も出張の合間に博多のホテルのフロントから投函依頼したもので、「ちゃんと出せてたか」、いまひとつ不安だった。
 でもどうにか雑誌が届いたところを見るとちゃんと原稿は掲載された模様。

 その『鱧と水仙』のことがあったせいか、ゆうべはなんか短歌関係の人が集まっている夢を見た。ほとんど内容は忘れたが、前半はなごやかに皆で懇親している感じだったように思う。ところが、なぜか最後のあたり、師匠に「すみません、すみません。来月こそ作品を出します」と一生懸命謝っている場面となった。その謝りまくっている最中に目が覚めた。
 めっちゃ、寝起き悪。リアリティありすぎ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2007年8月 | トップページ | 2007年10月 »