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祝福

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 昨日は、一月までお世話になったI牧師が、松江から来阪されててお会いした。現在の教会のこと、仕事のこと、生活上のこと、あれこれお話した。

 以前から少し疑問に思っていたことで、先生がよく言葉にされていた「祝福」についてもお聞きした。「しっかり信仰を持って神様のほうを向いていたら、たくさんの祝福が与えられる」というようなことを、ときどき言われていたけど、「祝福」って具体的に何?
 信仰をしっかり持っていたら、「いいことがある」というのであれば、それはどうだかなあ?と思う。やっぱり世の中には不条理なことはたくさんあるし。わたしなぞはいくらでもバチがあたってもおかしくないけど、世の中には、本当に善良で誠実に生きている人が不幸になる例は枚挙に暇がない。聖書にだって、ヨブ記みたいに義人が災難にあう物語が載っている。
 だから、先生が「信仰をもっていたら<祝福>が・・・」というときの<祝福>というのはなんだろう?と疑問に思っていた。

 先生曰く「それは人間の目からみて<いいこと>ではないです。祝福は神様の配慮であって、そのときはむしろ<嫌なこと>かもしれない。でも月日がたって、はっと<あれは祝福だった>と気づくこともある。でも人間は、なかなか<祝福>に気づけないんですよ。」
 気づけないけど、気づく感性を磨くことが大事、だとも。なるほどねぇ、<祝福>は、借金が減ることでも、人間関係が改善することでも、ばんばんすごい短歌が書けることでもないかもしれない。でも自分の側に神様の配慮を感じる力があれば、人生は祝福に満ちているのかもしれない。
 苦しみすらも祝福だといえば、それはあまりにベタで今の私にはわざとらしい。でも突き詰めて考えたらそうなんだろう。

 さて今日はいつもの教会で礼拝。牧師先生の先週の「責任を感じる」発言を受けて、今週はチャリ通礼拝自粛。
 電車と徒歩でとぼとぼ教会へ。なんかテンション上がらない(^^ゞ。
 牧師先生「今日、自転車は?」
 私「自粛しました」
 牧師先生「あー、それがいいですねぇ、当分はその方がいいです。」
 私「でも・・・自転車じゃないと、どうも礼拝へのテンションが上がりません」 
 牧師先生「だったら乗ってきたらよろしやん(笑)」
・・・とおっしゃられてもやはり心配されるだろうし、まあしばらくは環境庁が出している熱中症予防サイト↓を参照し、暑さ指数(WBGT)が厳重警戒レベルのときは自転車はやめることに。
http://www.nies.go.jp/health/HeatStroke/

 教会では午後から修養会。「葬式」についての学び。<日本では、死や葬式はタブー視され、「葬式のまなびなんて縁起でもない」と感じられるかもしれないけど、信仰者として、この世での最後の式であり新しい生への出発の式として、平素からしっかり考えておく必要があります>、とのこと。
 「頭で勉強しても仕方ないから」・・ということで、会には葬儀社の方も参加。具体的な事例説明と質疑あり。さらに礼拝堂に実際の棺が持ち込まれ(@_@)、「自分もいつかここに入ることを、棺をみて、しっかり感じて欲しい」と言われる。そ、それは理解できるけど、棺、ほんとにリアル。(ってゆーかほんとの棺・・・ふぇ・・)

 私は、まだそもそも親に受洗したこと言ってないし、今私が死んだら仏教式で葬式されてしまう可能性大。ずーっと受洗のこと言いそびれているんだよなあ。いろいろと難しい問題がある。

 写真はエジプトに旅行した方から頂いたエジプトビール。
 くせのない飲み易いビールだった。くーっと飲んだら、祝福を感じました~。(←こりゃ単なる飲兵衛の言い草)

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コメント

セナの言葉、いいですね。
セナの最後、壮絶でしたけど。

葬式についてはもう少し考えます・・。ただ葬式を考えるとき、「家族」の問題は避けて通れません。スマイルさんも書かれているように。
 自分自身の「家族」についていろんな意味で考えさせられました。


投稿: 吉浦玲子 | 2007年8月29日 (水曜日) 23:43

これんさん


「祝福」。とてもこころにしみました。

「それは人間の目からみて<いいこと>ではないです。祝福は神様の配慮であって、そのときはむしろ<嫌なこと>かもしれない。でも月日がたって、はっと<あれは祝福だった>と気づくこともある。でも人間は、なかなか<祝福>に気づけないんですよ。」

牧師先生の言葉を拝読して思い出したのは、1994年5月1日、サンマリノで開かれたF1サンマリノGPで事故のため亡くなったアイルトン・セナの言葉です。ちょっと長いのですが引用させてください。

「なぜ人生には、不幸なことが起きるのか、それを理解するのが最も難しいことなんだ。愛する友達や家族を亡くせば、なぜ、自分が、こんなに辛い目にあうのかと思うだろう。でも、それは僕ら人間にはわからない。それを理解するには、人間の心はあまりにも小さすぎるんだ。だから、僕達は、ただその苦しみに耐え、悲しみを乗り越えるために、より強くならなければならない。しかし、数年後、数十年後になって、その時の悲しみの意味がわかることもある。」

セナのこの言葉と牧師先生の言葉が重なってわたしに強い問いかけを与えました。祝福の対語はなんでしょう。憎しみ、憎悪でしょうか。

人生には本当にいやなこと、できれば避けたいことがありますね。昨今伝えられた悲しい事件もそうです。

悲しいできごとの渦中にあり悲しみを抱いている人に向かって「祝福は神様の配慮」と言っても、すぐには受けとめてもらえませんね。かえって<嫌なこと>だと反発されるでしょう。
でもその悲しみをともに分かち合い慰め合う、グリーフワークが葬式なのではないか。

もう少し続けさせてください。
これんさん、洗礼を受けられたことをまだお話しされていらっしゃらないのですね? わたしの家族はクリスチャンであることを理解してもらっていますが、さてわたしの葬儀ではちゃんとキリスト教式でやってもらえるでしょうか? その前に生涯をともにしてくださる家族と出会えたら。信仰をともにしていく家族と出会えたら。

月並みなありきたりな言葉かもしれませんが、神さまはちゃんとわたしをみてくださり、必要なものを備えてくださる。信仰も葬儀もそうだと、いまは素直に受けとめています。

投稿: スマイル | 2007年8月29日 (水曜日) 00:27

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