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言葉の衝撃

 職場の構内で、以前同じ職場だった人と数ヶ月ぶりに遭遇。通路を歩いてて、向こうにその人がいるというのに気づき、向こうも気づき、なんとなくお互いに目線合わせつつ、近づく。
 で、ひさしぶりに至近距離で対面して、いきなり向こうが私をまじまじ見ながら言ったこと。

太くなった・・・(→感心したように)」

 いきなり、「やあ」でもなく「ひさしぶり~」でもなく「元気?」でもなく、「太くなった・・・」かい!?(-"-)。
 ちなみに向こうは約10歳歳下の男性。

 しかしながら、
「太くなった・・・」
という言い方は実に即物的なリアリティがある。
「太ったね」というのとは、ほんの少しの言葉の違いながら、衝撃度が違う。言葉の衝撃ということを表現者として考えさせられつつ、101回目のダイエットの決意をしたのであった。

バテ

 なんか昨日くらいから少し体がだるい。別に病気というわけではなく、単なる夏バテ。
 こういうときこそレバニラかもしれないけど、とても食べる気になれない。こんなときには日本にソーメンとかお茶漬けというさっぱり系のものがあって本当によかったと感謝する。

 短歌の師匠(と一応勝手に呼んでいる。わたしの所属する結社では先生という言い方をしないので面と向かっては先生とはいわず、「さん付け」という流儀なので、師匠と公にいうのもはばかられる)のブログは、なかなかアグレッシヴというか知らん人が見たら、ちょっと危なくて変。
 いっつもちょっと妙だけどおもしろい(^^ゞ、↓の記事には感じ入ってしまった。メジャーリーグ中継の詩心。
「世界をゆるがした十日間」

忽然と打てなくなりしイチローをわが身の上に重ぬるこころ
『時のめぐりに』 小池光

心が殺伐としたときには

 給料日からあまり日がたっていないのに、あれこれと要りようで、銀行残高乏しく、焦る。こういうときに限って、職場の新人歓迎会だの、息子と焼肉食べに行く約束だの、がある。まあ焼肉のほうは、息子のほうからキャンセルされる可能性が高いが。。。

 銀行残高が乏しいとなんだか心が殺伐として、そのせいか妙にレバニラ炒めが食べたくなる。で、スーパーでレバーを探したのだけど、牛レバーがなく、仕方なく豚レバーを買ってきた。実はわたしは豚のレバーって家で調理したことがない。(そもそも実家では鶏レバー以外、レバーは食べたことがない)ちょっとわくわく。いまから作ります。

 心が殺伐としたり、レバニラ炒め食べる今日のような日は、広島の修道院近くの川で見た水鳥の写真でも。川の水はやや濁っていますが少しなごみます・・・。

人影おぼろ

 昨日、礼拝へは自転車では行かなかったのだけど、夕刻、神崎川沿いを50分ほど自転車で走った(兼・ダイエット(*^_^*))。
 走り始めた時間も多少遅かったけど、それ以上に、数日ぶりの夕刻の自転車走行で、思いのほか、日の暮れが早くなっていることに気づいた。
 教会方面へ走って折り返して戻るころにはかなり暗くなってて、焦った。空にはまだ明るさが残っているのだけど、川沿いの道は、薄闇状態。ジョギングやウォーキングの人はまだかなりいたが、明るさを自動認識して点灯する自転車のライトがしっかり点灯。

 その薄闇状態で自転車を漕いでいると、向かいから走ったり歩いて近づいてくる人影が、まだ周囲が明るいときと違って、ふいっと闇の中から突然現れる感じになるのが不思議だった。
 闇の中から、まるで人が突然飛び出してくるように感じた。
 おそらく、夜、車を運転していたらまさにそんな状態なのだろうけど、夕刻の自転車でも、「人がふっと現れる」という感じがあるのだなあと妙に感心してしまった。
 その現れた人影も、輪郭がさだかでなく、なんとなくおぼろ。

 周囲に民家のないよほどの田舎でない限り、いまどきは日が暮れていったとしても、人工の光はあるから、人影おぼろ、という感じにはならない。(わたしの実家のある辺りでもそう)
 だから、なんだかの昨夕の川沿いの光景は印象深かった。

めをほそめみるものなべてあやうきか あやうし緋色の一脚の椅子 村木道彦

祝福

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 昨日は、一月までお世話になったI牧師が、松江から来阪されててお会いした。現在の教会のこと、仕事のこと、生活上のこと、あれこれお話した。

 以前から少し疑問に思っていたことで、先生がよく言葉にされていた「祝福」についてもお聞きした。「しっかり信仰を持って神様のほうを向いていたら、たくさんの祝福が与えられる」というようなことを、ときどき言われていたけど、「祝福」って具体的に何?
 信仰をしっかり持っていたら、「いいことがある」というのであれば、それはどうだかなあ?と思う。やっぱり世の中には不条理なことはたくさんあるし。わたしなぞはいくらでもバチがあたってもおかしくないけど、世の中には、本当に善良で誠実に生きている人が不幸になる例は枚挙に暇がない。聖書にだって、ヨブ記みたいに義人が災難にあう物語が載っている。
 だから、先生が「信仰をもっていたら<祝福>が・・・」というときの<祝福>というのはなんだろう?と疑問に思っていた。

 先生曰く「それは人間の目からみて<いいこと>ではないです。祝福は神様の配慮であって、そのときはむしろ<嫌なこと>かもしれない。でも月日がたって、はっと<あれは祝福だった>と気づくこともある。でも人間は、なかなか<祝福>に気づけないんですよ。」
 気づけないけど、気づく感性を磨くことが大事、だとも。なるほどねぇ、<祝福>は、借金が減ることでも、人間関係が改善することでも、ばんばんすごい短歌が書けることでもないかもしれない。でも自分の側に神様の配慮を感じる力があれば、人生は祝福に満ちているのかもしれない。
 苦しみすらも祝福だといえば、それはあまりにベタで今の私にはわざとらしい。でも突き詰めて考えたらそうなんだろう。

 さて今日はいつもの教会で礼拝。牧師先生の先週の「責任を感じる」発言を受けて、今週はチャリ通礼拝自粛。
 電車と徒歩でとぼとぼ教会へ。なんかテンション上がらない(^^ゞ。
 牧師先生「今日、自転車は?」
 私「自粛しました」
 牧師先生「あー、それがいいですねぇ、当分はその方がいいです。」
 私「でも・・・自転車じゃないと、どうも礼拝へのテンションが上がりません」 
 牧師先生「だったら乗ってきたらよろしやん(笑)」
・・・とおっしゃられてもやはり心配されるだろうし、まあしばらくは環境庁が出している熱中症予防サイト↓を参照し、暑さ指数(WBGT)が厳重警戒レベルのときは自転車はやめることに。
http://www.nies.go.jp/health/HeatStroke/

 教会では午後から修養会。「葬式」についての学び。<日本では、死や葬式はタブー視され、「葬式のまなびなんて縁起でもない」と感じられるかもしれないけど、信仰者として、この世での最後の式であり新しい生への出発の式として、平素からしっかり考えておく必要があります>、とのこと。
 「頭で勉強しても仕方ないから」・・ということで、会には葬儀社の方も参加。具体的な事例説明と質疑あり。さらに礼拝堂に実際の棺が持ち込まれ(@_@)、「自分もいつかここに入ることを、棺をみて、しっかり感じて欲しい」と言われる。そ、それは理解できるけど、棺、ほんとにリアル。(ってゆーかほんとの棺・・・ふぇ・・)

 私は、まだそもそも親に受洗したこと言ってないし、今私が死んだら仏教式で葬式されてしまう可能性大。ずーっと受洗のこと言いそびれているんだよなあ。いろいろと難しい問題がある。

 写真はエジプトに旅行した方から頂いたエジプトビール。
 くせのない飲み易いビールだった。くーっと飲んだら、祝福を感じました~。(←こりゃ単なる飲兵衛の言い草)

実演

 昨日、会社の社会文化部というところが配布している「カルチャートーク」のチケットが手に入ったので、仕事のあと行ってみた。今回のテーマは「能」。チケットは三枚だったので、職場の女性と、日本の伝統芸能を海外の方にも紹介しようということで中国人の男性社員も誘って三名で行った。

 案内には、「能楽師による能に関するトーク、実演つき」と書いてあった。実演も見られるんだ~と思っていたら、内容はほとんどトーク。そもそも能楽師さん、背広姿。
 能への情熱あふれるトーク自体はおもしろかった。だが、実演は?と待っていても、途中、ビデオで能の舞台を鑑賞しながら解説とかはあったけど、実演の気配なし。
 そうこうしているうちに、その能楽師さんが、謡の部分を謡ってくれた。有名な『二人静』の「しずやしず・・」の一節。

 お、いよいよ実演か!?

 すると、「じゃあ、皆さん、まず発声法をやりましょう」。ん?、よくわからないけど、参加者、息を吸う、「はい、その息をお腹のほうにストンと落としてー、いいですか、お腹で息を支えるんですよ・・・、はい、その状態で、ご一緒に、<しずやしず・・・>」
 え、一緒に謡うんですか?
 実演って、自分で実演するんだったんですね(^^ゞ。

 まあ、なかなかおもしろい体験だった。
 隣で中国人の彼も「しずやしず・・・」謡っておられた。

和風

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 修道院から帰ってきた。
 いろんな意味で<刺激的>な体験だった。書きたいことは実は山ほどあるけれど、現時点では、あえて書かない。

 ただ<書きたいこと>とは違うことを、ひとことふたこと書くと・・・シスターさんたちは素敵だった(*^_^*)。修道制度を持たないプロテスタントにはシスターはいないけど、はじめて接したシスターは皆さんとても自然な親切さがあって、柔らかい感じの方々だった。
 ところで修道院に併設されている墓地には、たくさんの外国人神父の墓があった。墓石にそれぞれカタカナで記された名前に胸を打たれた。東洋の果ての異教の島国にやってきて、そこにまさに骨をうずめた一人一人の人生というのは想像もつかない。

 もっとも一方で、自分自身はカトリックでなくプロテスタントでよかったとも感じた。これは各人の指向や性質によるのであって、私自身がたまたまそうだ、ということ。カトリック向けの人もあればプロテスタント向けの人もあるだろう。

 写真は修道院外観。和風なのがびっくり!!写真は遠慮して撮らなかったけど大聖堂は畳敷き!!!!!。たまげました。畳の大聖堂は、ぱっとみると、はっきり言ってお寺の本堂・・・(^^ゞ。掛け軸に墨書で「神は愛」って書いてあった。。。。庭の松の木の脇の池には鯉が泳いでいるし・・・。むちゃくちゃ和風・・・。
 でもこの修道院の戦中・戦後を支えた偉大な神父さん(どこの国の方かは忘れた。ヨーロッパの方だったような。戦争中、スパイ容疑で逮捕されたこともあるそうだ。)は、のちに全世界のイエズス会のTop(総長)にもなられた方。もともと医学を専攻しておられた方で、広島原爆投下時は逃げ込んできた市民の負傷者治療にあたられたそうだ。

広島へ

 今日から二日ほど広島の修道院に行ってきます。シスターになりたいわけではありません(^^ゞ。

チャリ通禁止

 今日も自転車で教会に行ったら、牧師先生(御夫婦とも)から「大丈夫ですか?この暑いときに!しばらく自転車は止めたほうがいいのでは?!」と言われる。
 たしかにこの一週間、日本全国猛暑で、連日、熱中症の死者数がニュースに出ていた。
 しかし、自転車に乗った感じでは、先週も先々週も暑さは変わらなかったんですよねー。だから今さら「暑いから」と言われても・・・って気分なのだが。ちゃんと途中で水分補給しているし、時間的には片道30分もかからないし、川沿いの道は風もあるし。。。。

 礼拝後、ある女性の信徒さんからも
「吉浦さん、牧師先生が自転車のこと心配してはったよー。(自転車を勧めたのは自分だから)<責任を感じる>って。」
と言われる。うーむ、<責任を感じる>とまで言われてしまうと・・・。やっぱりこの時節、<自転車通礼拝は非常識>というのが常識か。

 ちょっと考え込みながら、とぼとぼ帰ろうとしてたら、自転車のところに、牧師先生(御主人のほう)がやってきて、にこにことタイヤ圧のチェックと空気入れ、車体磨きまでやってくださる。先生が、私の自転車のそばに寄って来られ、あれこれコメントいわれたり、メンテナンスされるのは、ほぼ毎週のことではあるが、車体磨きまでされると、ちと恥ずかしい。ほったらかしで汚くしているので・・・。
 「す、すいません、そんなことまでしていただいて~」
と恐縮していたら、
 「いやいや、僕は自転車触るの好きなんですよ。ほんとに。生まれ変わったら、葬儀屋か自転車屋になりたいくらいで(笑)。」
 へ?自転車屋はわからんでもないけど、葬儀屋っすか?(@_@)。
 それと先生、お言葉ですが・・・キリスト教では輪廻転生、生まれ変わりは認めていないのではっ!?(^^ゞ

****
 午後は、うだーと昼寝するような、本を読むような感じで部屋で過ごす。私の部屋は西向きで、3時を過ぎた頃から、とんでもなく陽が入ってきて暑くなる。この状態ではクーラーも効かないのである。あまりに暑く、身の危険を感じ、がばっと跳ね起き、宅外退去。歌集数冊をもって涼しい某所に避難。
 自転車ではなく自宅で熱中症になったら、牧師先生は責任を感じることなく、ああそれも神様の御心と思ってくださるかもしれないけど(・・そんな馬鹿な(^^ゞ)私としては熱中症にはなりたくない。

***
 休みの間、あれこれと考えていた。生活上の問題、神様との関係。
 しかしまあ、とにかく、熱中症で死ぬ前に(^^ゞ、もっと短歌を作らないと、と今日思った。
 短歌を作ろう。
 それ以外のことは、神様にお任せ。

わたくしはわたくしの詩が証すとかりそめにしも言ひ得るならば
 『兄国』大辻隆弘

ぶつぶつ

 最近、たまに右腕のひじの裏っかわというか内側、腕を折り曲げるあたりに、赤いぶつぶつができる。右腕だけ。ほとんど痒くない。ただ、折り曲げるあたりにゴマくらいの大きさのぶつぶつが、直径4センチほどの範囲でできる。
 最初、変な虫にでも刺されたのかな?あるいはなにかのアレルギー?新種の皮膚病?と思ったのだが・・よくよく考えたら、これは<あせも>ではないか。
 PCに向かってマウスくりくりさせながら、ネット検索したあと、腕にぶつぶつが出ていることに気づくことが多く、そういうときマウスを持っている右腕の折り曲げたあたりが、じんわり汗ばんでいる。うん、たしかにこれは<マウスあせも>だ。
 Wikipediaで<汗疹>の項目を読むと、「大量発汗時に汗の管である汗管が閉塞し、汗が皮膚の外に出ずに汗管外(皮膚内)に漏出して発症する。浅いところでの閉塞は、水疱が主にでき水晶様汗疹(すいしょうようかんしん)という。痒みはない。一方、深いところでの閉塞は、丘疹が主にでき、その場合、湿疹を併発して赤くなるため紅色汗疹(こうしょくかんしん)と呼ばれる。痒みも出ることが多い。」とあり、ますます<あせも>の確信を得た。それにしても「頻度:体温調節がうまくいかない乳児に多い。」と書いてある・・・。わたしは乳児並みか・・・(-_-;)。

 あせも以外は体調はほぼ良いのだけど、調子に乗ってビールを飲むと、どうも頭痛がぶり返す感じ。飲んでしばらくしたら頭痛がしてきて、痛みはそれほど強くなく、かつ、じきおさまるけど、数時間(たぶんアルコールが体内から消えるまで)頭重感が残る。うー、この暑いのにビールを飲めんのか~。
 ビールの飲めない汗疹の夏には早く去ってもらいたいものだ。

ほんまの熱帯

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 日記を書いて、写真も設定して、さて・・・というところで、間違って変なところクリックして違うページに行ってしまったら、・・・・あわわ、日記が消えてしまった(T_T)。
 ふぇ・・・この暑いのに・・・もう一度書く気にはならず。。。。さらに上がる体感気温。
 うう、写真だけアップします。
 熱帯のように暑いので、ほんまの熱帯の写真。六月に行ったシンガポール&マレーシア。(左:シンガポール空港入り口からみた風景、右:マレーシア・ジョホールの風景、どちらも少しボケておりますが)今思えば、この熱帯の風景はむしろ涼しげではないか・・・。大阪はあつい~。

夕暮れ時はさみしそう

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 体調がよくなってきたので、昨夕、神崎川沿いの自転車道を一時間ほど自転車で走った。実は一昨日の夕方も少し自転車で走った。そのときは、いつもの教会へ向かう方向とは反対側に行ってみた。西に向かう海に近づく道。だんだんと道が狭くなり、両脇もうっそうと背の高い草が茂っていて、人影もなく、いくら自転車とはいえ、なんだか怖くなって、自転車道の終点まであと500メートルというところで引き返してきた。

 昨日は教会へ向かう方向へ走った。こちらは散歩やらジョギング、魚釣りの人がちらほらいて、なんだか安心。とはいえ、陽の陰りだした夕暮れ時、風も出てきて、口をついて出る歌は「こーんな寂しい夕暮れ時に呼び出したりしてごめんごめん、笑ってくれよウフフとね」。・・・なんでこんな歌おぼえているんでしょうか?

 夕暮れといえばもうひとつアホなことを思い出した。先週の神楽岡歌会、わたしは、「天領たる夕映えを背に点滅す激安スーパー玉出の看板」という歌を出した。激安スーパー玉出って大阪にあるのだが、ほんとに看板がハデハデで点滅しているのだ。看板のハデさと名前からして一瞬パチンコ屋か?!と思うのだけどスーパー。歌自体は、まあ「上の句の神々しい感じと、下の俗っぽい対比が安易」という批評があり、わたしもまったくそのとおりだと思った。
 しかし、ある人が、「意外に、上から下まで、神々しくて、激安スーパーまで含めて<神々の黄昏>みたいなイメージかもー」と言われて、横の方が、「バックでワーグナーが流れているような?」と答えられ、一同「まさかー」って感じの笑いになった。たしかにスーパー玉出で、神々の黄昏、バックにワーグナーが流れていたらすごいけど(^^ゞ

 写真は昼間とは違う神崎川。神々ならぬ、神が引き絞る光。ケータイのしょぼい写真ですが・・・。

頭痛

 日曜の夕方、ひどい頭痛がした。じっとしてても痛いのだけど、ちょっとでも揺らすとガンガンガンガンと目の裏から首まで、どんどんひゃららの村祭り状態に。
 頭痛といえば年末から年始にかけてのひどい頭痛を思い出し、あれがまた再来したら・・・?(*_*;とビビリつつ、とにかく固まったように寝た。
 翌日にはどうにか収まったものの、すこーし後頭部に重い感じが。。。。どうにか会社には出勤できた。
 おっかなびっくり2日ほど過ごし、前回のように重篤なことにはならずに済みそうな感じ。
 時期的にもちょうど夏休みに突入、病院も盆休みで、下手したら、また救急外来行きか~と心配したがだいじょうぶそうである。

***
振り向けば喪ひしものばかりなり 茜おもたく空みたしゆく
おのもおのも人間は小さき恥をもち赤き口あけ眠りてゐたり
さんらんと硝子戸砕く夕ひかりわれはつぶてのごとき恋を得し
喪ひて再び帰り来ぬものを瀑布のごとく昏れゆく坂よ
  河野裕子『森のやうに獣のやうに』
 ふと筑摩の短歌全集を読んでいて、やっぱり河野裕子ってすごいなあと感じ入った。作者十代から二十代前半の歌集だけど、頭抜けた作品群だと思う。当然、よく知っている有名な歌がたくさんあるのだが、それ以外の歌も、感性が鋭く、力強いし、若書きとは思えない完成度である。リズムがかならずしも心地よくはないのだけど、歌う力がリズムを突き破っているというか・・・。
 ただ違和感はある。わたしはやはりどうしてもここまで感情というか思いを高いテンションに持っていけない。(上記の歌は、歌集の中ではテンションの低い歌ばかりのような・・・(^^ゞ)。歌集の基本基調といえば『炎ゆる髪なびかせ万緑に駈けゆきし青春まぎれなくま裸なりき』とか『今刈りし朝草のやうな匂ひして寄り来しときに乳房とがりゐき』といったタイプの歌なのだろうけど、どうも疲れるのである。
 いっぽうで『死の後に再た歩み来む道の果てひるがほの耳あまたそよげば』『さくらばな翳れる水辺のゆふぐれは足は垂りつつ死者ら過ぎゆく』みたいな<死>のイメージも、基調低音としてある。<死>と直接うたっていなくても、<死>のイメージがある歌は多い。
 さきに<感情とか思い>と書いたけど、基本的には<いのち>の力なんだろうなと思う。その裏返しとして<死>への感受性がある。<いのち>の生々しい爆発的な力というのが歌に現れてて、どうもそこが私には違和感があるのである。
 短歌をはじめたころ、河野裕子の歌はよく読んだ・・・というより、よく目にした。でもずっと違和感があった。スキルの差とかそういうものを越えて、自分とは感性の根源が違うという思いを感じていた。
 ひさしぶりに読んで、やっぱりその思いは変わらなかった。

原爆忌という言葉

 夜、神楽岡歌会に向かう途上、先月、コンサートで聴いたゴスペル歌手のBro.taisukeさんから急に電話がかかってびっくり。taisukeさんのHPからCDを申し込んでいた件について。結局、あれこれ30分以上話をした。

 その後、神楽岡歌会。二ヶ月ほど出張と重なって出席できなかったのでひさしぶり。最近は、出席者が少ないと聞いていたので、遅刻すると目立つなあと、そろそろとびびりつつ会場に入ると・・・な、なんだんだ、狭い部屋に座る場所もないくらいに大勢人がいた。(大勢人がいたらいたで、やはり遅刻は目立つもんであったが・・)
 大勢いて座る場所がないくらいって書いたが・・・ほんとに実際、私は椅子がなくて、永田淳さんが、事務室まで、「もう一脚椅子ください」と言いに行ってくださったのである(^^ゞ

 歌会自体も充実していたように感じる。個人的も考えさせられることが多かった。

クマゼミの木が鳴ってゐる原爆忌過ぎ急速に老いてゆく夏
     林和清
 歌会の詠草中の一首。原爆記念日を過ぎた頃から、徐々に夏が終りに向かっていく感じがよく出ていると好評だったけど、私自身は違和感があった。「原爆忌」と、あの日が、なにか時間の通過点のように暦のマークのように扱われることがしっくりこなかった。「なにか冒涜的」という意見もあってそれに私は共感した。もとより表現において言葉は、倫理性とか正義とかヒューマニズムに奉仕するものではない。言葉は言葉そのものの自立性と可能性をもつ。とはいえ、この「原爆忌」には違和感がある。むしろ、もっと戦略的に冒涜してあったほうが、私はすんなり読めたと思う。
 故郷の長崎で、毎年、登校日だった原爆記念日。職員のなかの被爆体験者から話を聞いた。子供心に、その日は、なにか、時がとまったような、しんとした一日だった。通過点ではなかった。
 そもそも俳句における季語というのは、一回性ではなく、繰り返していくものという捉え方という意見もあった。「俳句の季語自体が冒涜的なんだ」という意見もあり。歌人の意見(^^ゞ。

脱力

 職場は明日から夏休み。私自身は、仕事の都合で来週の火曜から夏休み。単に後ろにシフトするだけで日数自体が削られるわけではない。
 とはいえ今日はなんとなく夕方近くなると、職場のあちこちが「休み前」モードになってて、こっちで掃除をする人、あっちで廃棄物の処理をする人・・・って感じでなんか妙に開放感が感じられた。私は明日も仕事なんでどうも違和感が・・・。
 いっぽうで、私自身もまだ仕事はあるとはいえ、今日で、仕事の当面のピークは越したので、ちょっと脱力。
 明日も特に大きな問題がなく神楽岡歌会に出席できますように・・・。

弱気

  昨日今日の私の顔はかなり深刻。眉間に皺が寄り、口はきっと結ばれ、目はときどき怒ったような感じで、ややうつむきかげん猫背気味に、きりきりとしたオーラを撒き散らして早足に歩く姿はけっこう怖いと思う。
 だって、仕事ピリピリ状態なもんで・・・。

 反面、非常に弱気でもある。
 緊張感が強いせいか、ふと気が緩んだとき、どーんと沈んだりなんかする。

朝々に茶色のたまごひとつ割り恋ひわたるとはかくばかりこそ
 桜木裕子
 この歌は不思議とむかしから好きだった。
 最近は「恋」なんてほんとにウザー!!って気分なんだけど。まあ恋という以前に人間嫌いなのかもしれない。隣人愛どころの話じゃないな・・・(-"-)

母教会のHP更新

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 土曜日、母教会のホームページが大幅にリニューアルされていた。母教会のホームページ作成はかつてわたしが担当していたのだけど、今回のリニューアルで、一新、たいへん素晴らしいものに変身していた。喜ばしいと共に、ちと寂しい気も(^^ゞ
 今日、母教会のM牧師先生から、丁寧なHPリニューアルのお知らせと「これまでありがとうございました」というメールが届いた。
 いえいえこちらこそ本当に至りませんで・・・(T_T)。
 母教会に対しては、複雑な思いがある。
 でももう今の教会に転会し、聖歌隊デビューもして(母教会のHP更新が聖歌隊デビューの前日だったのも何か象徴的)、チャリ通礼拝で爆走している今を大事にしたい。それが母教会への恩返しかと・・・・。

臨終のみじめなるとき忘るるなかたはらに立ちたまふキリスト
 竹山広
 「今を大事にしたい」と書いたからには、クリスチャン(カトリック)の竹山広の歌でなにかこう信仰気分の盛り上がる?歌はないかとぱらぱらと全歌集をめくっても、あまりないように感じる(^^ゞ。わたしはそういうところがまた竹山広を信頼するところでもあるのだけど。(教団誌の短歌欄の選者をしている三浦光世との大きな違い。)
 上記の歌は、かなりベタな感じだけど、でもやはりすごい信仰告白だなあと思う。
 信仰は歌にならないのだ。

 写真は、昨日と同じくj神崎川沿いの風景。

過去から問われる

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 日曜ごとにチャリ通礼拝のことを書いてて、読まれるほうはまたー!?(-"-)って感じかもしれないけど(^^ゞ、今日も、カンカンのお天気の中、自転車を飛ばした。行きは22分。先週同様、ほとんど人通りのないサイクルロード。ただ、途中、5,6個のパラソルが川辺に立ててあって、何かな?と思ったら、釣りをしている人々だった。5,6人おられたから、何かの魚が釣れる時期なんだろうか?

 その釣り人たちを通り過ぎると、ますます人気がない。前方にまったく人気のないところをしばらく走っていると、「僕の前には道はない」ってな高村光太郎気分になったりするが、実際は道はあって、人がいないだけ・・・

 今日は、今の教会で、聖歌隊デビューだった。なんだか節回しも、半音上がり下がりする音程も、難しい曲を歌った。
 礼拝のあと、冷やしうどんが出た(非信者の方はキリスト教会というと洋風のイメージがあるので、「うどん」と教会はミスマッチかもしれない・・(^^ゞ)。で、そのうどんを食べたあと、帰ろうとして教会の庭で自転車の鍵を開けていたら、執事会中であるにもかかわらず、牧師先生(御主人のほう)が、窓を開けて顔を出し、声をかけられた。
「吉浦さん!ゆっくり漕いで帰ってくださいよ。ゆっくりでいいですからね。いそいじゃあ、いけません。ギアチェンジして走りやすいようにして!」
あ、はい・・・わかりました(^^ゞ

 帰りはとんでもない逆風で、牧師先生にゆっくりと言われるまでもなく、さすがの新車もぜんぜん進まず30分かかった~。写真は、サイクルロードから川を見たところ。中州で釣りをしている人が見える。(午後一時ごろの炎天下というのにご苦労さんである。→自分のことは棚に上げ・・)

***
 先月今月と、なんか「昔の知り合い」に偶然のような妙な経緯で顔を合わせることが何回かあった。「知り合い」といっても、まあそれぞれ過去の一時期にかなり感情的にあれこれとあった人たち。続けざまに、あの人やらこの人に会うので、ちょっと不思議な気分。なんだろうな、過去から問われている気分。
 
卓効は昭和の肌に響きつつメンソレータム夏のすずしさ
  大辻隆弘 『兄国』

マイナス思考のどこかが悪い!

 「あなたはほんとうにマイナス思考ねっ」
 昨日の会社帰りの電車の中、声がして、ふと見ると、横に小学校上級生くらいの女の子とそのお母さんと思しき女性。声はそのお母さんらしき人から発せられた模様。

 「どうしてあなたは<・・・がない>とか<xxができない>って、そうすぐ、<・・がない><・・がない>って言うの?そういうのをマイナスしこうって言うのよ。なぜそうなの?」
 お母さんの声は低く固い、でもキンと響く。
 「ねえ、どうしてあなはそうなの?なぜそんなことばかり・・・そんなんじゃあ・・・ほんとにあなたは・・・」
 お母さんの低く固い叱責は続く。
 「だから、どうしてそうなの。そんなんじゃ、だめじゃない。もっと物事を積極的に考えなくちゃ」
 さらにさらに続く。ほんとに重く、でもキンとした声。
 聞いているわたしのほうが胃の具合悪くなりそう。
 女の子はときどきなにか答えているようだけど、女の子の言っていることは聞こえない。座席の位置的には、女の子が私の隣、お母さんはその向こうだったのだけど、女の子が一言いうと、お母さんが、「またそんなこと言って・・」とかぶせるように叱責するので、お母さんの声しか聞こえない。
 ほんとうに低く固い声。
 続く続く叱責。さらにお母さんの声。
 「なぜあなたはそんなマイナス思考なの?」
 ああ、キンとした声がわたしの胃の辺りにさらに響く。
 わたしは女の子に代わって答えたかった。

 「じゃっかあしい!あんたが一言わたしが言ったことを言ったはなからすべて否定して、長々長々陰気な説教するからわたしはマイナス思考になったんじゃい!!!!」

 だいたい世に蔓延している<プラス思考><積極思考>なんてものは上昇志向と願望実現に、きれいな衣着せて、さもよさげに喧伝しているだけではないか。
 嫌なことがあったり気に食わないことがあったら、徹底して落ち込んだり、ふてくされたりしたらいい。世の中は不条理なこと腹立たしいことに満ち満ちている。それをすべてプラスプラスに考えるなんて、無理がある。マイナスととことん向き合ってこそ、ほんとのプラスへ人間は向かえるのではないか。

暑き日の降り掛け雨は南瓜の花にたまりてこぼれざる程
  長塚節

ゆめ

 めずらしく会社帰りにNOVAに行ったら、いっしょのクラスになった女子大生さんが、「来週からイギリスに行くの~」って言っておられた。わたしも二週間前に行ったんですよーって、話は盛り上がったのだが、彼女は、「友人と二人で旅行で二週間」だそうで、「仕事で三日だけ」の私とはぜんぜん違う・・・(*_*;
 実は私は新婚旅行でイギリス行きたかったんだよなあ。でも諸処の事情で、結局、新婚旅行、沖縄だったのだが・・(^^ゞ
 そんなこんなでイギリスに行くまで、苦節ン十年?の私を尻目に、女子大生さんは二週間行くのか~。しかも「パリにも寄ってこようかな~」・・・。ま、若い方は若いうちに、世界中、いろんなところにいったほうがいいよね(自分のお金で)。

死ぬ夢と刺したる夢と逢ふ夢とこれことごとく君に関る
 与謝野晶子
 こんな歌つきつけられた「君」はさぞ怖かろう・・

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