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ミルトス

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 昨日のあほな負傷のため、今日は電車で礼拝へ。足を引きずるほどではないが、歩くと痛い。マレーシア出張までには治ってほしい。
 先週の礼拝の日に撮ったミルトス、少しアップで撮ってきました。なんせ写真撮るの下手で、しかもケータイ写真ですので・・なんだかなあって感じですが(^^ゞ
 先週がちょうど盛りだった感じで、今日は全体に花は減っていた。牧師先生(奥さんの方)に確認したら、やはり旧約に出てくるミルトスだとか。検索してみると旧約の六ヶ所でミルトスは出てくるようだ。(ネヘミヤ記8:15、イザヤ41:19・55:13、ゼカリヤ書1:8・1:10・1:11)。

 茨に代わって糸杉が生える。
 おどろに代わってミルトスが生える。
 これは、主に対する記念となり、しるしとなる。
 それはとこしえに消し去られることがない。
 
   イザヤ 55:13

 ゼカリヤ書では、ゼカリヤが見た幻のなかに、主の使いがミルトスの林の中に立っているという記述があり、ミルトスというのは、祝福されたもの、主のしるしとなるもの、というニュアンスがあるようだ。

 教会では、教会籍の移動に関し、前所属教会での手続きが完了し、いま通っている教会の執事会で正式に転入を認証された。
 私自身としては、予想外のスピードで籍の移動ができてしまったことに驚いている。実質的に礼拝も祈祷会も教会員と変わらぬ感じで出席しており、ごく自然な流れといえば自然ではあるのだけど。前回の教会移動については自分のほうで積極的な動きをした意識があるが、今回に関してはちょっとフクザツな思いもあり、まあそのうちゆっくり移動できたらいいなあと思っていた。にも関わらずこのように自分の思いを越えてパタパタと決まってしまったというのは、なんらかの力が働いたとしか思えない。謙虚に感謝しないといけないことだと感じる。

 転会承認後、少し牧師先生(御主人のほう)と話をする。これまでの教会生活について、転会の経緯におけるフクザツな思いについて、昨日の怒りその2についてetc。
 話をしながら自分の信仰生活が、単に教会を変わるというだけでなく、ひとつの転機を迎えていることを感じた。

  自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、
  わたしのために命を失う者は、それを救うのである。

      ルカ9.24

 話してたら、途中、ふと出し抜けに先生が
「吉浦さんは、苦しんでいるときのほうが短歌はよく出来ますか?」
と聞かれ、うーんとしばらく考え込んでしまった。いやなんせ、ここんところ、ずっとサボっていたもんで苦しいときも何もなく短歌作ってなかったわけで・・・(^^ゞ。とりあえず、「苦しみの質や状況にも依るけど苦しいときは、私は歌は出来ない」と、答えた。答えはしたものの、あとから考えて、ちょっと違ったかもという気もした。たしかに気持ちが高ぶっているときはできないが、苦しみのときは短歌はできるように思う。

 なにはともあれ短歌作らなきゃ・・・と思って帰って来た。

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コメント

まざあぐうすさん

 困難なときなのですね。
 たいへんですね、というようなありきたりの言い方しかできませんけど・・・、どうかいっそうの守りと平安がありますように。

 教会転会に関しては、転会に至るまでの経緯によって導かれたところがあります。

 短歌もがんばりましょうね。

投稿: 吉浦玲子 | 2007年6月19日 (火曜日) 21:32

 これんさん、ご無沙汰しています。
 ブログにアクセスできないまま、あっという間に数ヶ月が過ぎてしまいました。

 教会を変わられたのですね。
 私も一度転会しました。事情は違うかと思いますが、フクザツな思いを味わったことを思い出します。

 今、いろいろなことが一時に押し寄せて、信仰生活の中でも解消しないことだらけです。人間の限界を感じます。フランクル博士の著書「それでも人生にイエスと言う」がいつも心の支えなのですが、今回はちょっとそれでも・・・。

 これんさん、教会を変わられたことが転機になって、いい方向に向かわれますように。
 (短歌はぼちぼちです。)

投稿: まざあぐうす | 2007年6月18日 (月曜日) 16:57

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