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なぐさめ

 『生きている時も、死ぬ時も、あなたのただ一つの慰めは、何ですか?』
ハイデルベルグ信仰問答の問いの1番目である。<慰め>というと、日本語の語感としてあまりよろしくない。「なぐさめなんてよしてくれ」とか「そんなのはなぐさめに過ぎない」という感じで、気休めとか、みじめさを哀れんでなぐさめるというような感覚がある。
 加藤常昭の『ハイデルベルグ信仰問答講話』には<慰め>の説明として、なぐさめの語源に、「和む」という言葉がある、ということから書きおこしてある。苦しみや辛さでかじかんだ心、皺ばんだ心の皺が、伸びて、平和がある状態が「和む」、慰めがある、ということである、と。

 語源はともかく、たしかに和む・・・<慰め>というのはあるのである。
 和まない状態、苦しみや問題がある状態というのも、在るのも事実である。
 そして人間から苦しみや問題が奇跡的に取り去られることは、ない。(あったとしてもそれは例外的なこと)
 むしろ苦しみや問題が取り去られるのではなく、それらを通じてこそ、人は導かれる。(これはフランクルの説でもある。)

 そのなかにおいて、やはり<慰め>というのはあるんだと思う。生きている時も死ぬ時もただ一つの慰めが。苦しみや問題のただなかにおいてもやはり人は慰められるのである。
 『生きている時も、死ぬ時も、あなたのただ一つの慰めは、何ですか?』
 この問いそのものが深い慰めでもある。 

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「教会・キリスト教」カテゴリの記事

コメント

なんかえらそうに書いてしまいましたけど、身近な方でも癒されない身体上の悩みを抱えた方の深い信仰に圧倒されるときがあります。その信仰の深さにはわたしは到底近づけないなあと感じます。
ひとりひとり最適な方法で導かれていると信じて・・・。

これんさん

すばらしい、示唆と黙想のテーマになる書き込みをありがとうございました。

わたしの苦しみといえば、やはり聞こえないということですね。もうどうすることもできませんが、いままでもこれからも、補聴器とお付き合いしなければならないのは、う~ん。迷いますねぇ(^^;)。

『生きている時も、死ぬ時も、あなたのただ一つの慰めは、何ですか?』

でも慰めを与えられました。
手話と朗読を使って表現すると言うこと。これと出会えたこと。
昔、聞こえないということがわかってまもないころに、いまもある新興宗教系の癒しを受けるため、高いお金を払ったことがありました。結果は、まったくの効果無し。母が「みったないことをしたねぇ」とボヤきましたが。

治るのもひとつの慰めかもしれません。奇跡を期待する。反対に、治ることを願うのを否定する。
どちらもあっていいと思います。

フランクルが書いておられるように「それらを通じてこそ、人は導かれる」ということこそ、大きな慰めであり希望なのではないでしょうか。

これんさんのこのお書き込みをもとにわたしの感想なり思いをつづった文を書こうかと一瞬迷いましたが、ご迷惑をおかけしてはいけない、と思い、こちらに少しだけ書きました。

あらためてこれんさんの思いにとても大きな共感と慰めを抱きましたことを、こころから深く感謝お礼申し上げます。

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