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027:給

給食は残さず食べよ昼休み潰しても食べよと戦後教育

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題詠blog2007」カテゴリの記事

コメント

平等という言葉の裏に、「みんな食べているのだからあんたも食べなさい」という無言の押しつけがあるのは否めません。少しずれますが、障がいを個性だという。それは根っこに「みんな違っていい」という支店があるからなんですね。平等というけれど、食べるスピードやテンポやら、からだに入る量も個人で違うでしょう。それをいっしょくたにされると、なんだかなぁとお感じになられたのではないでしょうか。
おっしゃるとおり世界には食べられない人がたくさんいらっしゃいます。地球温暖化が叫ばれて久しいですが、穀物や水をめぐって争いがおきるのではないだろうかという報告もあります。宗教。石油(ブッシュのイラク戦争は石油利権が背景にあるのは誰もが知っていますね)。次に食糧ですか。人間はいつまでも争うのでしょうか。

私はいまでこそ、太いおばさんですが(^^ゞ生まれたとき1600グラムしかなくて、小学校のときは痩せっぽちの虚弱児で極端に食の細い子供でした。とうてい、他の子供と同じだけ食べることなんて出来なかったし、栄養的にもそれほど必要としていなかったと思います。体格・体質・活動量もちがうのに同じ栄養分を画一的に<平等>に与えていたというのはなんだかなあと感じます。それでももちろん、飢えずに食べられた、というのは感謝なことではあったのですが、あんな<平等>より食べたくても食べれないところへの配慮があったほうがよかったのではないかなと今でも思います。

団塊の世代の方から下の世代は、給食を残すな、最後まで食べなさいと教えられて育ちました。かくいうわたしもそのひとりです。
だから外食でも、残すのが罪悪であるように思えて、無理をしてしまう。

世界中には食べたくても食べられない人たちがたくさんいるのですからね。

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