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019:男(吉浦玲子)

雷(らい)去りて西陽の戻る卓上に芽吹きてをりぬ男爵芋は

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018:酸(吉浦玲子)再送

ゆふやけの酸ゆけき赤さ公園にお習字バック忘られてゐて

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017:玉ねぎ(吉浦玲子)再送

サンプラザ中野唄ひし「玉ねぎ」の恋は定番ゆゑの切なさ

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016:吹(吉浦玲子)

大吹橋のたもとに風はとどまりぬ風去(い)ぬ方へ耳澄ますまで

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じゃんじゃん行きます題詠マラソン

 題詠マラソン、連休中は走り溜めというか(^^ゞ、じゃんじゃん飛ばそうと思っている。歌の質は枯れ木も山の賑わいになってしまいそうだが、とにかく多作が目的なので構わず行く。
 言葉から歌を(ある意味強引に)引っ張ってくる題詠は、通常の歌作とはまた違った作り方になって、自分でもおよ?と意外な作品ができたりもする。(質はともかく(^^ゞ)
 ただ気をつけないといけないのは、私の場合、題詠でやると体言止めが多くなり勝ち。現在のところ、15首中7首が体言止め。通常の作品の場合、2割程度ではないかなあ。体言止めは作り手からしたら「なんか歌が決まった~」という感覚をもちやすく、それはある種の快感なのだが、冷静に考えると安易にイメージや観念に歌を乗せている場合が多々ある。注意注意!

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015:一緒(吉浦玲子)

「バグダッドカフェ」を観てゐる土曜日のだあれも一緒にゐないしあはせ

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014:温(吉浦玲子)

食卓こそ愛、温野菜へ粘度もつドレッシングをとぼとぼかける

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聞いたことのないサザンの曲

 最近、あまり夢を見ないのだけど・・今朝の夢。すごく変とか不思議なものではないけど・・。
 実際の我が家とはぜんぜん間取りの違う自宅?で(でもこの間取りの家は以前も夢にでてきたような・・・)、わたしは借りてきたラジカセでサザンの曲を聴いていた。このラジカセがむちゃくちゃ旧式でごつくて、聞いているのはサザンのCDのようなのだけど、CD機能が付いているとは思えないほど年代モノのラジカセ。またそのラジカセで鳴っているサザンの曲というのが聞いたことのない曲で、でも歌詞とかメロディーとかサザンっぽかった。で、ちゃんと夢の中でしっかり聴いていたのだけど目が覚めると歌詞も曲も忘れてしまった。いったいあの曲はなんだったんだろう?ほんとに「聞いたことのないサザンの曲」だったんだよなあ。
 夢ではそのあと、そのごついラジカセが、べきべきってひびが入って壊れてしまって、あら困ったなあと思って、今度は自分のラジカセ(これは借り物のラジカセほどはごつくないけど、やっぱり旧式でCD機能あるんか?というシロモノ)で、やはり聞いたことのないサザンの曲を聴いていた。ところがそのラジカセから、もわもわと白いものが出てきて、「あれ???わたしは最近気功をやっているから、曲から出てくる<気>が見えるようになったのかしら?」と見ていたら、それは煙で、そのうち数箇所から火花を吹いてそのラジカセは壊れてしまった。あらら・・・。
 そしたら息子がのそっとやってきて「なに騒いでんねん?ところで明日の朝飯なに?」と聞くので、「え。別に・・普通にご飯とみそ汁だよ」と答えると少し不満そう。で「あ、そうそう今日、フランスパンのバゲット買ってきたから、それにチーズ乗せて焼いてもいいよ」というと「俺、パン嫌い」と息子は去っていった。
 ・・・というところで夢は終わり。
 気功を習っている、とか、今日バケットを買った、とか、息子はパンが嫌い、というのは事実で、みょうにリアリティがあったのだけど・・・。なんじゃらほい。

もひとつパンをいかがですかと山猫がいうのでぼくは学校に行く
  『環状線のモンスター』加藤治郎

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ふりしきらせり

 先週は礼拝後に用事があったので電車での通礼拝だったけど、今日は自転車で礼拝へ。やはり片道30分かかるなあ。帰り際、牧師先生みずから自転車の調整をしてくださる。空気入れて、サドルの高さ調整して、油まで差して・・・(@_@)。さ、さすがトライアスロンやっておられるだけあって自転車にお詳しい・・・。し、しかし牧師先生がわがおんぼろ自転車の横にしゃがみこみ、手を汚して油差しておられるというのは、脇で見てて妙に落ち着かないものである(^^ゞ
 川沿いの道も、ゆったりしたマンション区域も、あちこちでツツジが豊かに咲いていた。
 もっとも帰りは逆風で、サンバイザーが飛びそうになるわ、コンタクトをした目にごみは入るは、なかなかたいへんだった。同じ道でも表情もペダルの軽さもそのときどきで、ぜんぜん違う。

***
まひるまの嵐吹きみだる樟わか葉明るき影をふりしきらせり
   『青牛集』古泉千樫

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013:スポーツ(吉浦玲子)再送

福音を伝ふるごとく足は美(は)し市民スポーツ祭のランナー
   
   「良い知らせを伝える者の足は、なんと美しいことか ローマの信徒への手紙10.15」

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012:赤 (吉浦玲子)

なにごともなき真昼ゆゑ押さむとすエマージェンシーコールの赤

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011:すきま(吉浦玲子)

あるときは日々のすきまにぞんざいに置く祈りさへ君は聞きゐつ

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010:握 (吉浦玲子)

マーマレードジャムの瓶蓋開けむとす握力二十あらざる左手

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みちみちて覚め

 あれこれ用事があって、3駅分くらいの範囲でこまごま動き回る。自転車走行時間一時間。・・・別にぜんぜんたいしたことないかもしれないけど・・けっこう、私にとっては画期的。先々週の自転車通礼拝以来、がんばって自転車で動いている。いかにも気候の良い好天の一日。深めのサンバイザーとUVカットマフラーして(格好的にはけっこう怪しげなおばさんになる(^^ゞ)自転車で走るのはなかなか快適。もっとも神崎川をわたるときは風が強くて怖かった。わたしが橋の上でびびって自転車を押して歩いていたら、私より一回り以上は間違いなく年上そうなガッツなおばさんが、一息で抜いていった(^^ゞ

 先月末、『短歌人』の4月号がきて読もうと思ってバックに入れて持ち歩いたものの、あまり読めないまま、今日は『短歌人』5月号が来て、なんとひと月の早いものかと思う。あれもこれもそれもできないままに時間は過ぎていく。そして、ああしまった短歌人の会費を払わねばと思う。最近はようやく青息吐息で例月作品は出している。

 ここのところ、ちょっと風邪気味だった数日を除いて、比較的体調がいいのがせめてもの救い。年末年始の悲惨な休暇のようにならず、この元気な感じでGWを過ごせたら、と思う。

**
雀らは残り時間を思はねばみちみちて覚めみちみちて寝む
      竹山広『斜祷』

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短歌が趣味のクリスチャンは

 5,6月はがんばって短歌関係でやらないといけないことがいくつかある。

 おととい、東京の教会の祈祷会で牧師先生がわたしのことを「大阪からこられた吉浦さん」と皆さんに紹介したあと、「うーん、吉浦さんをどう紹介したらいいかな?<歌人>って言ったらいいかな?」とこちらを見ながら言われたのがちょっと嬉しかった。「吉浦さんは趣味で短歌を作っておられるんですよ」ではなく「歌人」と
言っていただいたことが、恥ずかしいような嬉しいような。現実的には、とても「歌人」とはいえない私の状況ではあるけど。

 そもそも「短歌」やっている、といって、「まあ、けっこうな御趣味でー」、という以上には理解されないのは、教会関係者に限らない。もちろん別に理解してもらわなくても実際問題、ぜんぜん構わないのだけど、実は信徒さんには意外に短歌愛好者が多いので、逆に、「けっこうな御趣味でー」という反応以上に、フクザツな気分にさせられることが多い。まずもって短歌やっていますなんていって、「教会の短歌サークルに入りませんか?」なんて言われたら困る。そんなサークルで他の信徒さんの短歌を通常の歌会のノリで愛も平和もないような激しい口調で批判したらどうなるのだろうか?なんか地獄に落ちそうな気がするではないか(^^ゞ。以前いた教会では幸い短歌サークルがなかったので、短歌をやっていることは、こそこそと言ってはいたけど、いま通っている教会は短歌サークルがあるので、ぜーったいに短歌の<た>の字も教会内では当分は発しないつもり・・・。この間もあぶなかった。短歌サークルのご婦人が、私の隣にいた、私と同じく最近今の教会に通い出した方に「短歌やりませんか?」と聞かれていた。聞かれたほうは「いえ・・・私は短歌はちょっと・・・」と断っておられ、次にこっちにきたらどうしよう?と、ぐぐっと身構えていたら、私には何も聞かれず別の話題になってしまった。あれ?、あれ?・・・。その態度もちょっと脱力(^^ゞ。「この人は短歌なんかやりそうにない」、と思われたのであろうか?それもそれで、なんだかなあ・・・。まあ、いいけど。

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東京タワー

 25,26日とひさしぶりの出張。25日朝6時16分発の新幹線で東京へ。
 東京と言っても降りたのは品川で、品川からの移動は初体験。20代のころ、品川の一つとなりの大森で働いていたのだけど、新幹線駅を擁する品川駅の変貌にはびっくりした。ただっぴろい(幅50メートル以上?)連絡通路を朝の通勤客がどーっと歩いているのを見てめまいがしそうになった。
 その後、私鉄やら地下鉄乗り継いで目的地に行ったのだが、路線図に「六本木」「麻布十番」「青山一丁目」なんて、いかにも東京~という地名を見ると、ちょっとわくわくしてしまった。(←田舎モノ)

 25日夜は、仕事のあと、下北沢の頌栄教会の祈祷会へ。私が洗礼を授かった牧師先生がおられる教会である。平日の夜の祈祷会で、出席者がすごく多くて、しかも若い方(十代二十代)もけっこうおられるのでびっくりした。賛美(讃美歌とかを歌うこと)が多くて、しかもそれが牧師先生のギター伴奏なのも、なんかびっくり。祈りの仕方もなんだか画期的。
 おもえばこの先生がわたしの母教会におられたころ、私は一回も祈祷会に出たことはなかった。祈祷という言葉が、加持祈祷を思わせて、なんか怪しげに感じられたのだ。なんか妙なもの燃やして、炎があがっているまえで、装束をつけた祈祷師がうりゃーと祈っているようなイメージがあって。。。(←ぜんぜんキリスト教でない。。。その当時、わたしは受洗したあとだったのに・・・、なんかバカだったよなあ)

Tower2宿泊した芝公園駅付近から見た東京タワー。








Tower3Tower1









同じくホテルの窓からみた東京タワー。夜&朝。

見よ、兄弟が共に座っている。
なんという恵み、なんという喜び。

  詩編133
How good and pleasant it is
when brothers live together in unity!

Psalm133


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新市長

 長崎市長選、弔い合戦への支持で娘婿候補が当選するかと思ったら、もう一人の補充候補が当選した。日本人的な人情では同情票がどーっと集まるかと思ったのだが、そうではなかったのが意外。けっこうクールな県民性?田上氏は市職員としての実務実績があり、それなりの支援人脈もあったのかもしれない。よくわからないのだが、同情を超えた長崎市民の判断はひとまず賢明であったのではないかと思う。ただ50歳の割には若く見える新市長の「好青年」っぽい感じがどうだかなあとは思う。職場でああいう人が先輩とかでいたら個人的にはけっこう好きかもしれんけど(^^ゞ市長としてはどうだろう。

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八重桜、湯豆腐

 礼拝のあと、生駒へ八重桜のお花見と湯豆腐の会へ。
 あいにくの小雨模様だったけど、雨の生駒の花もなかなかよかった。
 ノンアルコールでむっちゃ健全であった。湯豆腐をしこたま食べておなかパンパン。
200704221411000
八重桜。








200704221413000
名前を知らない花。透明感あるブルーがきれい。








200704221440000
眼下を走る生駒線。








200704221621000
湯豆腐はこんな缶で薪で火を起こして作りました。








数日前から、すこーし風邪気味。お腹パンパンのまま、ほっこり眠ろう。

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アメリカ、長崎

 アメリカの大学で銃乱射によって多くの人が亡くなった。痛ましい事件である。韓国系の方に差別やテロがなきように、と思う。そのニュースでびっくりしていたら、長崎の市長が銃撃されて亡くなったとのニュース。長崎県人としてはやりきれない。本島市長に続いて、なぜまた長崎で、と思う。
 一方で、イラクでは今日もテロで120人が亡くなっている。市長が撃たれた現場にはおびただしい花が飾られ、アメリカの大学では大統領も出席して追悼式典があった。テロが常態化しているイラクにはおそらく花も式典もないだろう。少なくとも日本やアメリカのような形では。
 地にまったき平和を。
**
 夜、教会の祈祷会の帰り、教会の最寄駅の上新庄の向かい側のホームを歩く人の姿に見覚えがあった。母教会の方だと気がつき、声をかける。線路を隔てて、「いま淀川教会に通ってます」「息子さんは元気ですか」「M牧師先生によろしく」と、周囲の人をはばからず(^^ゞやり取りをしてしまった。おたがい、それぞれの教会の祈祷会の帰りだったのだ。会えてうれしかった。彼女はホームの向こう側からわたしが乗った電車が動き出して姿が見えなくなるまで見送ってくれた。母教会のことを思うと胸が熱くなる。

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自転車通礼拝

 ここ数年、運動らしい運動をしていない私。今日は2月から通い出した教会へ自転車で行ってみた。(通常は地下鉄・阪急乗り継ぎ)
 今行っている教会の牧師さんというのが変わっていて(^^ゞ、マラソン(それも42.195キロより、もっとたくさん走るウルトラマラソン(@_@))やら、鉄人レース・トライアスロンとかやる方なのである。もともと体育会系の方かというとぜんぜんそうではなく、先天性の腎臓病で、体育の時間はいつも見学、という子供時代を過ごし、49歳のときに思うところがあって、走り出した(最初は「歩き」出した)、そうだ。以来8年間走り続けておられるらしい。
 マラソンやトライアスロンのレースには背中に十字架のついたTシャツをきて、つまり「十字架を背負って走る」そうだ。そういうノリには正直私は多少引いてしまうところもある。反面、自分の中の信仰とか教会、あるいは牧師像への固定観念みたいなものを揺さぶられるような面もある。
 私が今の教会に通い出して数回目のこと、その牧師先生が「吉浦さん、吉浦さんの家からなら、神崎川沿いの土手を走れば自転車で25分でここまでこれます」と声をかけてくださった。わざわざロードマップまでみせてコースを説明してくださる。なんと、私の住所を頼りに実際に教会から私の家まで自転車で走って、「一番安全で早いコース」を検討されたそうだ。さすが、鉄人レース牧師・・・けっこう面食らってしまった。でもなあ、片道25分、往復50分というのは正直言って私は億劫・・・。たいした距離ではないかもしれないけど、ここんところ体調不良で、体力が著しく衰えている私にはハードそう。そもそも私は礼拝にきてるのであって、運動しにきているのではないよー(T_T)という気持ちも。(ちなみに牧師先生はわたしだけでなく他の新来会の方の通礼拝コースもきちんと確認されているそうだ(~_~))
 しかし「お言葉ですから」(いちおう、ルカ5.5のペテロの真似(^^ゞ)ってことで、天候にも恵まれた今日、初走行。
 実際、自転車で走ってみると、たしかに気持ちはよかった。朝の神崎川沿いの道は、暑くもなく寒くもなく、風が心地よい。土手沿いの道には、ジョギングの人、魚釣りの人、サックスの練習をする人、詩吟を唸っている人、愛犬の写真撮影会などなど・・・世間の人は休日の朝早くからなかなか活動的なんだなあ、と改めて知った。
 そもそも教会のある上新庄という町は、わたしの場合、会社近辺(門真)でお酒を飲んで終電に間に合わなかったとき、タクシーで帰ってくるとき通るところ、という印象があった(めっちゃ不健康・・)。その上新庄に向かって、今日は健康的に自転車漕いでいる自分が信じられなかった・・・というと大袈裟だけど。
 もっとも自転車漕いでいるときは気持ちがよいのだが、自転車から降りると普段は使っていない足の筋肉の疲労が露わで、膝がほよほよ~となってよろめく情けない状態。しかしそれでもまあ、どうにか教会までの往復を無事完走。先生は、片道25分と言われたけど、往復とも少しずつ道を間違えて、行き35分、帰り30分かかってしまった。
 帰宅後、はじめての自転車<通礼拝>で、しかも行きの道を間違えたと聞いて心配していただいていると思われる牧師先生に無事30分で帰宅しましたと連絡を入れた。先生曰く「よかったです。今度はちゃんと道を詳しくお伝えしますんで、あと5分、時間を短縮しましょう」とのこと。・・・なんかレースっぽいな(^^ゞ。だんだんと目標タイムが短縮されたりしないだろうか。
 そういう不安?はさておき、たかが1時間程度の自転車走行とはいえ、なかなか達成感があった。ただし明日以降、間違いなく筋肉痛になりそう。
 「礼拝に行ったために、筋肉痛になりました」
という信徒はなかなかいないと思う(*^_^*)。

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もうすぐ夏ですね

 「もうすぐ夏ですね」
ってポスターの文字にえ??と思ってしまった。ユニクロが入っているあるビルに用事でいったときのこと。エレベータに乗っていると、ユニクロのある階で扉が開き、この文字が目に入った。「もうすぐ夏ですね。麻を着てみませんか?」って、夏物衣料の宣伝コピー。ソメイヨシノは散りつつあるが、八重桜などはこれから満開な時期に、はあ、もう夏ですか・・・。まあファッション業界に限らず、商魂は季節を先ばしる。

胸たかき立夏のをとめ純黄のばら深紅のばらを選りたり
   竹山広
 立夏は今年は5月6日らしい。

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京都行き

 昨年の秋、職場の場所が移転したのだが、その移転先の構内には八重桜がある。今日は、その構内恒例らしい桜祭り(もともとその構内にいた他部署やあとから移転した部署の合同のお祭り)。
 私はお好み焼きなどを少しだけいただき、アルコールは飲まず10分ほどで退席し(もっとも缶ビール一本かばんに入れて持ち帰ったが(^^ゞ)その後は京都の神楽岡歌会へ。

 神楽岡歌会、今日は人が少なかった。歌人が体調を崩す時期?

 大阪にかれこれ20年ほど住んでいるが、最近、ようやく大阪と京都の違いというのが少しばかり肌で感じられるようになったように思う。何回も京都に行きながら、むしろ最近のほうが、京都行きに緊張してしまうのである。 

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草掠れゐる

 ゆうべ珍しく、息子とある程度ゆっくり話をした。息子のこれからについて、家の経済について等等。
 そのせいだけではないのだが、睡眠4時間。
 朝はさほどしんどくなかったけど、夕方以降、眠くなってきた・・・

空地の草掠れゐる景より享けしもの何にてありし数日の過ぐ
   森岡貞香

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アタックNo2

 昨日の正解は「2.ハッカーよろしくDoS攻撃をする」でした。(といってもほんとに反社会的行為をしているわけではありません)
 でも、いまやNo1の座は奪われ、No2になってしまった(T_T)

 窓の外は甍ばかりのわびしきに苦菜ほうけて春行かむとす
    長塚節

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アタックNo1

 最近、わたしはアタックNo1を目指している。
 それはなにを意味しているのでしょうか?
 1.気に入らない職場の人を、がんがんがんと攻撃をする
 2.ハッカーよろしくDoS攻撃をする
 3.体を鍛えるためにママさんバレーに励む
 さて、正解は???
 明日、発表します。

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祈りのノート

 復活祭おめでとうございます。
 先週なんてみぞれの降る日もあったくらい寒かったのに、今日は、絵に描いたような春爛漫のおだやかな明るい天候。
 午前中は、復活祭礼拝へ。礼拝堂に見かけない白人の若い男性が来ていた。聖餐も受けておられたから、クリスチャンらしい。
 礼拝後、その男性が教会の人と話をしている横を通りぬけるとき、彼がカリフォルニアから来たということを英語で話してて、私は思わず、「カリフォルニアなら一年前わたし行きました!」って(一応英語で)応答したら、どうもわたしは英語が話せそうな人ということでその後の祝会では彼の横の席に座ることに。
 彼は、24歳。茨木で英語の先生をしているそうだ。日本にはまだ半年しかいないし、アメリカで特に日本語を勉強していたわけでもないのに、実はけっこう日本語も達者だった。苦労して私は英語でしゃべっていたのに他の人の日本語での呼びかけに「日本食は好きやねんけど」とか、大阪弁で応答していた(*_*;なんじゃ~い。
 アメリカの教会は1000人くらい礼拝に集まる。大きいところは一万人。でも讃美歌は日本といっしょの曲。そんなことを話した。いまは一人暮らしで寂しいそうで、教会を見つけてほんとに嬉しかったそうだ。来月には彼女が来阪するとか。彼女といっしょに教会にこれたらいいね。
***
 「祈りのノート」・・・と書くと聞こえがいいけど、実際は雑記帳というかメモ書きみたいなもの。祈りのテーマとか、心配事、聖句などが乱雑に書き散らされている。日記というのでもない。経済的なことをどうにかしたいと思っていた時期はほとんどお金の出入りのメモばかりで、金銭出納帳になっている(^^ゞ
 そのノートを一冊ほぼ使い終えた。今朝、「一年前くらいからこれ使っていたよなあ」と改めて最初のページを見たら、去年の復活祭(4/16)から書き始めていた。ちょうど一年かとちょっとびっくりした。初めの日を覚えていないというのはさほど大きな思いや決意をもって書き出したわけではなかったのだろう。でもそういうことも含めて感慨深い。
 去年の復活祭は母教会で迎えた。当時、その後の一年に、怒涛のような教会生活の変遷が起こるとは想像もしていなかった。ちなみに一年前の復活祭の日のブログの記事はこんなん。のどかですな(^^ゞ
 あれっと思ったのはその次の記事。去年の四月に高熱出していたとは知らなかった。一年たつと、すっかりいろんなことが記憶から欠落していくものだ。(歳のせい?(-_-;))
 一年前、「これからどうなるのかわからない。風邪からだけでなく私の中で回復していくべきものがあれば時間をかけて回復していくのだろう。」と書いているが、たしかに一年かけて回復してきたものはあったと思うし、新たに生まれてきたものもあったと思う。
 礼拝の帰り、スーパーの文具店で新しいノートを買ってきた。「祈りのノート」とするために。結局、今までのと全く同じものにしてしまった。どんなになぐり書きの言葉であっても、それを見つめ受け止められる方が傍らにある、そう思う。

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明日は復活祭

 明日は復活祭(イースター)。

すると、イエスが行く手に立っていて、「おはよう」といわれたので、婦人たちは近寄り、イエスの足を抱き、その前にひれ伏した。
  マタイ28.9

 イエス様の復活を描いた場面は福音書によってもいろいろとあり、個人的にはヨハネの福音書のマグダラのマリアに現れる場面とか、ルカによる福音書のエオマへの道で現れる場面が好きである。
 そういえば、わたしが洗礼をさずかった母教会の当時の牧師先生は、イエス様が「おはよう」と挨拶をするこの場面が好きだとおっしゃっていた。復活というキリスト教の教理の根本に関わる場面で、さてどのような高邁な真理が語られるか、劇的な状況が描かれるかと思いきや、ただの「おはよう」。ただごく普通の挨拶を、なんてこともないようにすずしげにイエス様が言っちゃう、この拍子抜けするような普通な感じが良い、と(^^ゞ。
 そう、復活の主はごく普通に、わたしたちの生活、日常のなかに立っておられる。

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ピアスはキケン

 会社の健康診断。バリウム飲んだのが朝の10時過ぎなのだけど、12時間過ぎた今でも、なんだかいまだにお腹がへん。ぱんぱん。
 今日の健康診断は、血圧が最初高くて、はかってくれた年配の女性が何度も何度も測りなおし、ようやく納得がいく値になって(^^ゞ次の検査へ。視力の検査でも、また違う年配の女性がはかったところ、コンタクトをつけた矯正視力で、左目1.5、右目0.9で、右目やり直し。もういちど検査したら右目1.5.なんだか根性で正常値に持っていっている検査という感があった。
 最後の内科検診、首のリンパ辺りの触診で、一月頃から左耳の下辺りにある「こりこり」を女医さんが発見。「これは?」「一月くらいからあるんです」「痛いですか?」「少し痛いような気もします」「丸っとした感じですね」「でも一月頃はもっと大きかったんです。これでも小さくなったんです」
 女医さん曰く、「ピアスをしておられますけど、ピアスでトラブルないですか?」
 そういえば、まさに一月頃、左耳のピアス穴がすこし炎症を起こしていた。
 「大きさが変動するのは、炎症性と思われ、炎症はその耳から来ている可能性が高いです」
とのこと。そーか、そうだったのか。100%そうとはいえないかもしれないけど、首のこりこりピアスの穴起因説は、かなり信憑性が高いと感じた。首のこりこりに関しては、いきつけの病院で男の先生の診察も受け、検査もしてもらったのだけど、「ピアス」説はなかった。今日は女の先生だから、ピアスってぴんとこられたのかな?うーむ、と感じ入ってしまった。
 ピアスをされている方、首のこりこりに注意しましょう。

 ほのぼのとうかぶほこりや町食堂蝋(らふ)の「トンカツ」に春暮れむとす   『滴滴集』 小池光

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桜冷え、sake

 数日前、ある方に書いたメールの最後に「花冷えの季節」と書こうとして、「桜冷えの季節」って書いて送信してしまった。送ったあと、「あ、言葉を間違ってしまった~(-"-)」とがっくりきた。が、知らなかったのだが、「桜冷え」って言葉はあるんですね。俳句の季語のよう・・・。歌人なのに「桜冷え」も知らんのかいっ!と馬鹿にしないでください・・・・
 もうひとつ言葉で言えば、教会の受難週祈祷会のパンフレット表紙に
"He leadeth me in the paths of righteousness for his name's sake. Psalm 23:3 "
と書いてあって、これは有名な詩編の23編「主は御名にふさわしくわたしを正しい道に導かれる」なのだが、目についたのが"sake"という単語。恥ずかしながらこの単語を私は知らない。「"sake"???さけ?酒???」と頭によぎる。家に帰ってきて、辞書を引いても今ひとつピンとこないのだが、こういう例文があった。"She was generous with her money for her name's sake."(彼女は自分の名前の手前[自分の評判のため]気前よく金を出した)・・・こ、この例文にしたがえば、上記の英文の直訳は神様が自分の評判のためにわたしを正しくみちびかれる・・ってことになる~~。神様って評判を気にする方???そんなわけはなかろう。
 とにかく日本語も英語もむずかしい・・・。

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年度末・年度初め・受難週

 自分自身の転勤とか大きな組織変更があったわけではないが、比較的、この年度末・年度初めは感じるところがあった。
 
 土曜日はある方の就職祝いの会で京都へ。
 一人一品持ち寄りの宴会。
 私は和風のロールキャベツを持っていったのだが、朝、キャベツを茹でようとして、はたと困った。
 長いこと私はキャベツを丸々一個使うロールキャベツは作っていなかったので、気づかなかったのだが、我が家にはキャベツ丸一個が入る大きな鍋がなかった。。。。思えば数ヶ月前まで使っていた大きな圧力鍋がキャベツ茹で用だったのだが、それは壊れてしまったので、最近、小ぶりな圧力鍋に変えていたのだった。。。。ロールキャベツでキャベツが茹でられないってのは困ったもんだ・・・まあ悪戦苦闘して茹でたのだけど。
 ロールキャベツはさておき、京都の御宅はとてもシックで落ち着いた感じで、楽しい会だった。


 「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください。」
       ルカ23.42
  "Jesus,remember me when you come into your kingdom"
   Luke23.42
 キリストと共に十字架にかけられた二人の強盗(政治犯?という説もあるらしいけど、いずれにせよ、人を傷つけたりかなり悪いことをした極悪人らしい)のうちの一人の言葉。
 もう一人の強盗は上記の言葉に先立ち、イエスを「メシアだというのなら自分自身とわれわれを救え」と罵るのだが、もう一人はそれをたしなめる。そして十字架上でみずから死にむかいながら、なお自分を殺す人々のために祈るイエスを見て、「ああこの人こそほんとのメシアだ」と知り、イエスに向かって言った言葉が「あなたの御国においでになるときには・・・」である。自分は本当に極悪人であって、とてもとても、「いっしょに御国に連れて行ってください」などとは言えない。だから<せめて思い出してください>とだけかろうじて言った。
 とても有名な聖書箇所で信仰歴の浅い私でも、何度も聞いたり読んだりした場面。この言葉に対して、イエス様は「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と答える。つまり強盗の罪が赦され、もうすでに強盗は御国にいることを宣言される。十字架の上がなにが楽園か!?と普通は思うのだろうけど、悔い改めと全き赦しによって、そこがどこであっても、楽園(神の宮)となるのだということを、ここはシンボリックに伝えている。
 イエス様の強盗への言葉はすごいのだけど、昨日の説教では、この強盗の言葉のほうがなんか深く深く胸に沁みた。はじめて聞いた言葉ではなかったのに。"Jesus,remember me."罪人の胸に切なく響く・・・。
 今週は受難週。

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