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閉じ込められる

 午後、社内の某部署へ打ち合わせへ。
 社内の他部署、といってもよく知った部署で、その部署がある構内に行き、建物の脇を歩いていたら、知らない女性から、「C棟はどこですか?」と聞かれる。わたしが着ているジャケットを見たら、そこの部署の人間ではないことはわかるはずなのに、よほど、私は余裕かまして歩いているように見えたのか(^^ゞ、なぜか聞かれてしまった。
 ま、C棟の場所は知ってたので、「こっちですよ~」と余裕で案内。「ここが入り口です」ってちゃんと親切に(^^ゞ入り口まで案内した。「あ、ここですかー」とその女性はにっこりして、自分の社員カードで認証して、C棟の建物内に入った。わたしは「ここですよー」といったものの、入り口がほんとにそこでよかったか、一瞬迷って、念のために、彼女に続いて棟内に入った。入ってみると、やっぱりそこでよくて、「あ、大丈夫です、ここからいけます」というと、彼女はさらににっこしりして「ありがとうございます」と言って去っていった。
 ほっとして、私は自分の行き先である「B棟」に行こうと、C棟から外に出るべく、出棟のために認証機の前で自分の社員カードをかざすも、「NG」が出て、出棟できない。・・・そうだ、さっき、「C棟」の建物に入るとき、私は自分の社員カードを入棟用の認証機にかざさず、彼女の認証OKで開いた扉に認証なしで続いて入ってきてしまったのだった。こういう場合、認証なしで入ってきた不審な奴ということで、外に出られなくなるのである。
 げー、困った。このまま私は「C棟」から一生出られないのか~。とりあえず勝手知ったるところなので、認証なしで通れる廊下伝い階段伝いに、「B棟」まで辿り着くも、打ち合わせ場所の5メートル手前の入り口で認証NGになってしまってそこより先に進めず。扉のガラス越しに知っている人のうしろ姿が見えたので、扉をこんこんと叩いてみるも、そのうしろ姿の人は熱心にPCにむかって仕事してて気がつかない。こらー、気がつかんかい~。でもここで、激しくさらにどんどんするのも恥である。その扉付近で仕事している人多数から白い目で見られてしまう。。。
 しかたがないので、結局、ケータイで打ち合わせ部署の方に連絡して、迎えに来ていただき、さらに守衛さんにつれてっていってもらって、社員カードの認証エラーをリセットしてもらった。。。。
 はあ。
 セキュリティってたいへんである。

最近、Pitapaで会社に入門しようとしたり、うちの近所のスーパーのポイントカードで入門しようとしたバチが当たったのか、

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やりなおし

 最近、いい味出していたぬか床君・・・・し、しかし、朝、きゅうりと茄子を漬けようとして、見たら・・・虫ちゃんが・・・。蓋がしっかりしまってなかったみたいで、小バエがぁ・・・(-_-;)。表面だけ削って捨てて・・・とも考えたけど、なんか気味が悪くて、最初からやりなおすことに・・・。ああ。

 「菜の花が咲いてゐるわねェ」鉄橋をわたるときおほきな音したりむかし
        『滴滴集』小池光

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またサタンについて

 最近、基本的に体調は良いのだけど、今週は少し疲れ気味。まだ火曜日だというのに。

 先日、ある人から「吉浦さんがブログに<サタン>について書いていたけど、私は<サタン>って怖くないから・・・」と言われた。その方はクリスチャンではなく、よくよく聞くとその人の<サタン>のイメージは映画などに出てくる悪霊といったもののようだった。「ああいうのはクリスチャンには怖いかもしれないけど、そういうものを信じていない私には怖くない」というような主旨だった。
 で、私が答えたのは、<サタン>って映画に出てくるような(『エクソシスト』とか)悪霊みたいなものだけではないこと。むしろごく普通の善良な人間の姿で、やさしくおだやかに人間を陥れようとするのが<サタン>なんだ、ということを言った。(もちろん、人間の姿ではなく、自分の内側から囁きかける<サタン>もいる)
 もっとも以前読んだ本に、ローマカトリック公認のエクソシストはいて、そういうエクソシストが実際に活躍するところというのはあるらしい。だからまあ、悪霊みたいな感じのものもあるのはあるのかもしれない。

 その後、また先日、ある牧師先生から、「自縛霊とかそういうのはいる」というような話を伺った。「え?そういうのは本当にいるんですか?」って聞いたら「いる」とのこと。そういえば、以前、別の牧師先生がその先生が牧会している教会には幽霊がいるらしくて、先生が一人で教会で仕事をしていると、「ああ、いるな」とよく感じたそうだ。もっとも「教会にいる霊ですから、悪い霊であるはずがありません」とのこと(^^ゞ

 で、つらつら思うに、あんまりこういうことを安易に書いていいかわからないけど、私自身、クリスチャンになってから、なんとなくその方面・・・幽霊とか・・・(-"-)・・・のセンサーが敏感になったような気がする。明確にそういうものを見たりはっきり感じるわけではないが、どうもね、ふっとちらっと感じることがあるように思う。以前はまったくなかったのに。(クリスチャンになったことと関係あるかはわからないが・・・)
 なんとなく、ある場所がやばそうな感じとか、たまらなくいやーな感じっていうのを感じるような・・・
 自らの内なるサタンの囁きには鈍感なのに・・・(T_T)

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009:週末 (吉浦玲子)

週末は雨となりたる電気街ロシアのスパイも濡れつつ過ぎぬ

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008:種 (吉浦玲子)

平常心平常心とぞつぶやきてかぼちゃの種をほほばりてをり

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007:スプーン(吉浦玲子)

ふるさとの水屋に今もしまはれて左利き矯正スプーンはありぬ

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東京VS大阪

 どうにか自分用のヘアワックスを購入。
 昨日は、昼、所用があり、その後、現代歌人協会主催の現代短歌フェスティバルin大阪に行った。着いたのがかなり遅く、三部構成のなかの最後の「東京人の歌 大阪人の歌」だけしか見ることができなかった。この「東京人の歌、大阪人の歌」は<東京人>の歌人3名と、<大阪人>の歌人3名のパネラーによる、東京人の書いた短歌、大阪人の書いた短歌についての議論で、たいへん会場は沸いていた。
 会場は盛り上がっていたし、パネラーの方の意見もそれぞれそれなりに興味深くおもしろかったのだが、正直にいうと私は楽しめなかった。そもそも「東京VS大阪」という構図自体が短歌に限らず、わたしにはまったく受け付けられないもので、食傷するテーマなのだ。こういう構図をもってきたときの(構図自体から止むを得ず引っ張り出されるものだとは思うけど)<大阪人の自己肯定の強さ>というのが生理的にまったくだめなのだ。
 会のあと、東京からこられていた短歌人のFさんをみかけ、挨拶。何年ぶりだろうか?と思ったら、Fさん、開口一番「作品出してくださいね!」。う、はい。。。。。。(いちおう、2月と3月の締め切りは出しています。)

 今日は礼拝のあと、Novaへ。現在、文法強化レッスンを受けていて、今日の担当の先生はどこの国の方か知らないけど(欧米系の方のようだった)専攻が「日本文学」とかで「夏目漱石の『三四郎』は読んだか?」とか「『源氏物語』は読んだか?」とか聞かれた。先生は、『源氏物語』読んだそうだ(@_@;)。はずかしながら源氏物語はわたしはぜんぜん読んでいない。先週の先生も、「僕は『五輪書』が好きだ」とか言っておられた・・・、もちろん(^^ゞ『五輪書』も読んでいない私って、日本のことを何にも知らん人だと改めて反省した。

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息子のヘアワックス

 朝、ねんごろに髪のスタイリングなんてしない私である。
 しかし、今朝、鏡を見て、これはひどい・・・と思った。昨日、たまたま美容院に行って散髪をしたのであるが、そのとき念入りに美容師さんがセットしてくれた髪と今朝の髪のあまりの落差。
 いつもいく美容院は通勤途上にある。ほぼ毎朝、美容師さんと私は、目と目を合わせ、朝の挨拶をするのである。昨日、丹精こめて私の髪をきれいにしてくれた美容師さんは、今日目を合わせるとき、一晩あけたこの私の髪の惨状をなんと思うだろう?
 その美容師さんは、いつもカットを終えるとき、洗髪後の髪の乾かし方、あるいは毎朝の手入れについて簡単に教えてくれる。美容師さんは、「この客は、言ってもぜんぜんちゃんと手入れをしない人だ」と毎朝、美容院の前を通る私の姿を見て実感しているので、レクチャーは、年々歳々、行くつどに、「これだけはせめてやってね」とか「こーんなに簡単にできるんですよ」と無精者への配慮を最大限にしたものになっていく。
 で、今朝、鏡を見て、あまりにこれはひどかろうと昨日カットしてくれた美容師さんの笑顔を思い出しつつ、おもむろにヘアワックスの容器を手に取ったら・・・空であった。そうそう、先週くらいに空になっていたのだけど、ま、いいかとずっと買っていなかったのである。うーむ、しかし昨日の今日で、この髪のまま、あの美容院の前を通るのはなんか気が引ける・・・、で、みると、息子のヘアワックスが洗面所の鏡の前にあった。まあおんなじ髪に使うものだから、大差はなかろうと、こそっと使わせてもらう。
 たしかに大差はなかったけど、すっごく髪が固くセットされてしまった。つんつんつんとけばだつような髪の立ち具合。よくよくその容器を見ると「ハードワックス」と書いてある。たしかにハードである。かんかんに固まった髪をみながら、なかば感心してしまった。なんかロッドスチュアート(古!)になった気分である。
 しかしロッドスチュアート気分もたいがいにしないといけない。やっぱり女性向けのワックスを早急に買うべきである、と感じつつ会社に急いだのである。

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006:使(吉浦玲子)

使徒ヨハネのあふぎし光と異なれどあけぼのすぎの木の間まぶしも

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005:しあわせ(吉浦玲子)再送

しあはせの遠き記憶に卓袱台をひつくり返す父はありしや

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004:限(吉浦玲子)

ハッカーの愛は熟してぬばたまの夜を限りなく奔るパケット

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003:屋根(吉浦玲子)

 永遠より少し短い愛がある玉姫殿の屋根の十字架

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漬物快調

 新しく作ったぬか床が寒い季節にもかかわらず、どうにか乳酸菌発酵が進んだようで、よい塩梅になってきた。茄子が最高!の漬かり具合(^o^)/

 あした征くどこであってもニッポンの蒼いブリキの兵隊として
       『環状線のモンスター』 加藤治郎

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出走

 題詠マラソン2007に参加した。遅い参加で、はぁ、完走できるでしょうか、というところ・・・・。
 ブログのカテゴリ「 題詠blog2007 」の記事が、走りの跡、ということになる。10月31日までに指定された題で100首。10月なんてずーっと先もことじゃん、って思っていたが、あと七ヶ月として月14~15首はつくらないといけない計算。わたしのここ数年の作歌ペースを考えたら・・・・(@_@)
 それにしても今日も寒い寒い一日だった。
 寒い寒い長門峡の詩をふと思い出す。

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002:晴(吉浦玲子)

衛星より降りくる画像に晴ればれと前世語りてゐる占い師

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001:始(吉浦玲子)

三月のゆきはあかるくふりてこよ始めからある言葉のごとく

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題詠blog2007

 短歌人の吉浦玲子です。初参加します。
 よろしくお願いいたします。

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Lift up your hearts!

 金曜日はどうにか無事にプレゼン終了。本番では上手ではないが、わたしなりに落ち着いて話ができた気がする。(けっこう本番強いと言われる・・・(^^ゞ)
 当日朝、井上牧師にいきなり電話して、電話でプレゼンのことを祈ってもらったのが良かったのだろう。

 土曜日は、蜆橋歌会。今年の2月時点では、歌会参加に1年数ヶ月のブランクがあったのに、今月はなんと三回も歌会に出席したことになる。(短歌人の関西歌会、神楽岡歌会、そして蜆橋歌会)
 蜆橋歌会は、比較的テクニカルな評をかちっとやる感じ。歌会は、歌会ごと、それぞれに味がある。
 それにしても私は自身の作品はゼロ票で・・・うーむ、やはりブランクの後遺症か・・・という感じ。でもそんなに凹みはしなかった。
 それより、師匠の作品を「品がない」と評したことのほうが・・・・|||||/( ̄ロ ̄;)\||||||| 。無記名だからねぇ、だれの作かわからんまま評するんでねぇ・・・。評をするまではぜったいに師匠の作品とは思わなかったのだけど・・・評をし終えたとたんに、「あ、ひょっとして・・・」と気づいてしまった。時すでに遅し。
 あとから「どーせ俺の作品は品がねぇよ」って言われてしまったヽ(  ̄д ̄;)ノ 。
 歌会とはスリリングなものである。。。。。

 今日は、朝、礼拝に向かうとき雨かと思ったら、雪が降っていた。いまさらのように冬が戻った寒い日だった。空はとても明るい感じだったのだけど。
 礼拝では「讃美歌21」の18番「心を高く上げよ!」を歌った。この18番には思い出がある。三年前、母教会の礼拝に行きだしたころ、洗礼を受けるつもりなどさらさらなく、教会に継続的に通う気持ちすらそれほどなかった時期、月間讃美歌みたいな感じで何週か続けて歌った讃美歌だった。とても有名な歌というわけではないし、すごく曲や歌詞が好きかというとそうでもないのだけど、当時、なぜかこの歌を歌うと涙がこぼれて止まらなくなってしまった記憶がある。礼拝では他の讃美歌も歌ったのだけど、なぜかこの18番が妙に琴線に触れたというか、ツボにはまったというか・・・忘れられない讃美歌である。
 その後、母教会を離れ、今年の一月まで通っていた教会では使っていた讃美歌集が違って、この18番はなかった。最近通いだした教会は母教会と同じ讃美歌集を使っている。今日、ふたたび18番を歌って、なにか感慨が深かった。また讃美歌18番が歌えるとは思わなかった。
 あれこれ事情があって、まだ受洗後三年もたっていないというのに、礼拝の場が2回変わり、牧師先生の異動などで牧師先生も4人目。(正確に言えば、今通っている教会は御夫婦とも牧師なので、5人ということになる)洗礼を受けて10年20年と、一つの教会で一人の先生とともに信仰生活を送る人もおられると思うと、なんだか怒涛?の教会生活・・・。まあこのくらい怒涛の状況に放り込まんと、こいつはすぐに信仰がだらけてしまうだろう、という主の配慮があったのかもしれない(^^ゞ
 Lift up your hearts!
 ・・・って、神様が常に言ってくださっているのかもしれない。

 「心を高く上げよ!」
 1 「こころを高くあげよ!」      
  主のみ声にしたがい、       
  ただ主のみを見あげて、      
  こころを高くあげよう。        
 2 霧のようなうれいも、       
  やみのような恐れも、        
  みなうしろに投げすて、       
  こころを高くあげよう。

 歌は4番まであって、なぜかこの2番あたりから、どーっと涙が出てきていた。歌詞だけ読むと、なんということもないといえばなんということもないのだが・・・。でも三年前、「うれいや恐れを投げ捨てなさい」というメッセージがほんとに、なにか救いのようにストレートに心に入ってきた記憶がある。
 ちなみに「心を高く上げよ」はラテン語の「スルスム・コムダ」という言葉から来ているらしい。哀歌3:41「天にいます神に向かって両手を上げ心も挙げて言おう」に基づく。カトリック教会では昔から、ミサや聖餐式の最初に言われていた言葉だとか。(「須賀川教会HP」より) 

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「硫黄島のことを忘れない」

 今朝も出社時、社員認証の機械にPitapaカードをかざしてしまった。。。。ああ・・・・・(-"-)。
 しかも、明日は、80名くらいの人の前でプレゼンをするので、ユーウツ。たかだか15分くらいのもんなんだが・・・、とにかくプレゼンは下手で下手で・・・。どうでもいいような話とかは大勢の人の前でも、まあそこそこぺらぺら喋るし、宴会やパーティの司会とか(^^ゞとかも、そこそこやるのだが、かっちりしたプレゼンというのがまったくダメ。みんなてっきり人前で話すのは大丈夫な人とわたしのことを思っているが・・・。どーにか無事終わりますように。

 今日は早く帰ってこれて、普段はTVを見ない私がめずらしく夜9時のNHKニュースを見ていたら、硫黄島で日米合同で行われた慰霊祭のことをやっていた。62年前、実際に硫黄島で戦った敵味方である米軍と日本軍の年老いた生存者が共に並び、戦死者のために祈り、遺品の引渡しをしていた。けっして大々的な式典ではない感じだったのだが、それが余計に、じんわりと感動的であった。戦闘では日本軍20000人、米軍7000人が命を落としたらしい。
 そのなかで、アメリカ側からの式典参加者で23歳の現役の軍人で、まだ実戦経験のない若い上等兵が紹介されていた。彼の上司である中尉はイラクで複数回の実戦経験を持つ人だが、「若い実戦経験のない兵を硫黄島の式典に参加させたかった。戦争に英雄はいない、ということをわかってもらいたいから。」と語っていた。
 その若い兵は、硫黄島に上陸するとき、62年前ここに上陸した兵士たちの気持ちを思い「周囲は敵ばかり、と思うとぞっとしただろう」と語っていた。
 その式典ののち上等兵は、「この硫黄島のことを決して忘れない」ときっぱり語っていた。年老いた先輩とかつての敵の姿は彼にどう映ったのだろう。上司である中尉は、「(敵味方かかわらず)人間の死に、良いも悪いもないのだ」とも語っていた。
 若い上等兵は上司の思いを理解して、きっとなにがしかの思いを得て硫黄島をあとにしたと思う。「硫黄島をけっして忘れない」というときの口調にそれを感じた。
 わたしが理解できないのは、むしろ上司である中尉のこころである。現実にこの世には戦争がありテロがあり、いかなる理由か職業軍人という道を選ぶ人たちがいる。戦争には英雄はいない、死に善悪はない、そう語る中尉に安易なヒューマニズムは通じない。しかしそれでもなお、戦場に生きるこころというのは何なんだろう?と思った。

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狂歌徒然草

 吉岡生夫さんのメルマガ、「狂歌徒然草」が、早いピッチですでに6回目の配信になっている。

春くればいろも花香も別義にてやどの大ふくたつかすみかな
              入安(『入安狂歌百首』)
 「大ふく」とは「大福帳」のことらしい。現代短歌でない57577はわたしにはかなり難しい。こういうとき、理系出身者で、そもそも古典の素養がないという地金が出てしまうのかな、と思う。(理系出身でも古典の素養のある人は山ほどいるから、いい訳にはならんけど・・)
 いずれにせよ、とてもユニークなメルマガだと思う。
 ところで、吉岡さん、ブログ「兎月庵日記」のどこかに、まぐまぐの登録サイトへのリンクがあったほうが良いと思います。(私の見落としでしたらすみません)
 ちなみに登録先はこちらです。

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ジープの車輪

 本日年休。淀川区役所に税金を払いにいく。
 淀川区役所は阪急十三にあるのだが、<そういえば・・十三といえば山本だ>、とふと思い立って、ねぎ焼きの『山本』に行く。べつに山本に何度も行ったことがあるわけではなく、子供が小学生のとき、子供といっしょに一回行ったことがあるだけで、それ以来なのだが・・・。あのときは行列して1時間くらい待ってたべた記憶があるが、今日は昼ごはんの時間帯も過ぎた中途半端な時間帯だったので、席が空いてて、すぐに食べることができた。注文したのは、牛すじねぎ焼き、おいしかった(*^_^*)。前、食べたときは、ちょっと、しとっとした食感が???だったのだが、今日は、それが美味しく感じられた。

 夜は神楽岡歌会。

**
空転のまま朽ちてゆく草色のジープの車輪めつむりて想う
  『環状線のモンスター』 加藤治郎

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ピタパ

 一年ほど、通勤(地下鉄御堂筋線、京阪線)でPitapa(関西地区の地下鉄・私鉄で使えるIC乗車券)を使っていた。
 最近、諸事情から地下鉄に関しては、定期券利用に戻した。通勤の京阪線とか、通勤以外で関西の私鉄を使う場合はPitapaを相変わらず使っているわけだけど、懸念は、定期券を購入している地下鉄の路線でまちがってPitapaを使ってしまうこと。当然Pitapaの課金が別途かかるわけで、定期券を購入した意味がなくなる。
 一年ほど、Pitapaをパスケースに入れ、通勤を含め関西圏での移動にはPitapaをつかっていたので、電車に乗る=Pitapaを使う、というのが体に染み付いている。JRに乗る時だって、JRのプリペイ型乗車券Icocaと連携があるので、オートチャージで乗れてしまう。どこにいくにもPitapaを使っていたのだ。
 通勤の地下鉄で定期を使うにあたって、私は考えた。Pitapaをパスケースではなく、とりだしにくい財布に入れ、地下鉄の定期はパスケースに入れようと。Pitapaは、改札機に投入する必要がなく、パスケースごと、軽くリーダに接触させればいいので便利なのだけど、財布に入れてしまったら、取り出してカードを接触させるという手間が発生する。でも、そのくらいしないと、つい間違えて、定期を投入すべき地下鉄でPitapaを使ってしまいそう・・。
 そうやって、どうにかこうにかここ1週間ほど、定期とPitapaを使い分けてきたのだが・・・。
 今朝、通勤時、ついにわざわざ財布からPitapaを取り出し、地下鉄に乗ってしまうというヘマをやらかしてしまった。定期があるにもかかわらず、乗車運賃230円がPitapaに課金されてしまったわけである。小額とはいえ、なんかショック。いや小額ゆえ余計妙に腹立たしい。
 その後、京阪にPitapaで乗って、会社に着いたときのこと。会社の入り口で、やはり社員認証用のICカードをリーダに接触させて入門しないといけないのだが、このカードはパスケースに昔から入れてあるにもかかわらず、なにをぼーっとしてたのか、私はわざわざ財布からPitapaカードを取り出して、社員認証用リーダに接触させて入門しようとしたのである。もちろん、Pitapaカードで社内に入門できない。認証されず、あたふた。後ろの人からは、「なんでこのおばさんは、Pitapaカードを社員認証機に提示してんの?」ってしっかりわかってしまう状態。赤面。しかも朝、うしろにたくさん人が続いている。あたふたしてるお馬鹿な社員のせいで、後続の皆様に御迷惑をおかけしてしまった。。。ハズカシ・・・。その後続の人の中には同じ職場の方もおられ、あとから「なんかばたばたしてる人がいるなあと思ったら吉浦さんやった」と言われてしまった。。。。
 ううう、ICカードなんて嫌いだ。。。。

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寒っ

 週末は、子供たちが半袖で遊んでいるくらいの陽気だったのに、今日の夕方から冷え込んできた。ここ数日、冬物のコートは着ていないのだけど、明日は着ることになるのだろうか。
 三月で思い出すのは、昔々、子供の頃、佐世保に降った三月の雪。積雪そのものが年に1~2回程度という土地柄なのに、その年は、三月の、それも後半に雪が積もった。10センチだったか30センチだったか忘れたけど。とにかく雪だるまが作れるくらい降るというのは、九州・佐世保では大雪というか豪雪(^^ゞ。
 時期はずれの意外な大雪!?に、大人も子供もびっくりした、あの日の朝の、新鮮な驚きは数十年後にも、はっきりと記憶している。逆にあれほどの新鮮な、あの日の朝の空気のようなきーんとしたようなまっすぐな驚きというのを、その後の人生において私はどれほど経験したかなあとも思ったりする。
 

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へたりこまざる

 通勤電車内の、マナー広告のポスターのコピー。三匹のお猿さんのイラストとともに・・・
 「電車の床に
  すわりこまざる
  しゃがみこまざる
  へたりこまざる」
 <すわりこまざる><しゃがみこまざる>は、すっと何ということもなく、そんな子供やお馬鹿な若者みたいなことはせんわい、と読み飛ばしたのだが・・・
 <へたりこまざる>
 は、なんとなく琴線に触れてしまった(^^ゞ
 ああ、へたりこみたいときってあるよなあ、と、電車の床にへたへたへたとへたりこんでいる自分自身を思い描いて、しみじみ?してしまった。

**
 ドアノブに残る指紋を拭ひつつ死後の時間のはつか明るむ
    『斧と匂玉』 内藤明
  

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短歌人関西歌会

 サタンってのがいる、というと、「なんじゃらほい?」と大方の人は思われるでしょう。わたしも洗礼を受ける直前、牧師先生と話をしてて、ふと先生が「それは、サタンの仕業ですよ!」って言われるのを聞いて、
へ?サタン???(-"-)(-"-)(-"-)
って気分的に大いに引いてしまった記憶があります。サタンっていうとわたしなどは、どうもマンガチックな尻尾の生えた容姿を思い、ヤリみたいなものをもったバイキンマンみたいなイメージがあって・・・。大の大人がなにゆーとんねん、という感じで。。。「げー、この牧師先生、マジでサタンとか言ってる~」と大いに脱力し、心の中で「やっぱり洗礼受けるのやめようかな」と思ったりしたのでした。ま、それこそサタンの力であったのですが(^^ゞ
 まあ、結局のところ、サタンってのは人間を罪に引っ張っていく力の総称なんでしょうね。
 どんなに信仰深く敬虔であっても、罪の方向へ人を引っ張る力は強大で、その引っ張る力-ありとあらゆる誘惑-がこの世に満ち満ちているらしい。その誘惑は実に巧みで、一見、悪だの罪だのとは思えないまっとうな言葉やら、柔和な態度でもってやってくる。聖書の言葉すら巧みにつかって、さも敬虔そうな姿でやってきて、人を神のもとの平安から引き離そうとする。バイキンマンみたいな格好なら私にもわかりやすいのだけど・・。
 気分が落ち込む、というのも、ある種の、サタンの仕業とも思えなくはない、と最近、私は発見した。
 気分が落ち込む→なんだか自己嫌悪になる→ああわたしってだめだわ、神様の前に顔向けできない→祈る気にもならない→なんか神様から見捨てられたような気がする→ああ私ってほんとにだめだわー、きっとなにをどうしたってわたしなんて生きていても無駄・・・と、だんだんとほんとに、神様から離れていく私・・・これこそ、サタンの仕業ですな。。。。(と書きつつ非クリスチャンの方が、どーっと引いていく気配を感じてしまいますが(^^ゞ)
 だいたいサタンがいると体調も悪くなる感じだしね。(さらに非クリスチャンの方が、どーっと引いていく気配(^^ゞ)
 そういうときは、声に出して言いましょう。
 「退け、サタン!!」
 どうもね、最近、二、三匹、肩あたりに飛んでおるような気がするのです、サタンが(^^ゞ

**
 礼拝のあと、短歌人の関西歌会。短歌人の歌会はおととしの10月以来。
 ひさびさの出席で、自分としては短歌リハビリのつもりでの参加。知らないお顔もちらほら。そんななか、もう少し控えめな態度を取るつもりが、けっこう好き放題言って帰ってきてしまった・・・(-"-)。所用があり、研究会前に失礼した。

 裏山に兎が出ると聞きしより笹の葉わたる風のやさしさ
  『壺中の空』内藤明

 

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二年

 そろそろ二年、もう二年。
 何回か書いたかも入れないけど、この二年というもの、ほんっとにたいへんだった。公私ともども。
 おおっぴらには言えないことであるが・・。
 <公>に関しては友人から、「吉浦さん、クリスチャンになってから、むしろ苦労が増えたんじゃないの?」と言われたりもした(^^ゞまあたしかに試練の二年間だった。
 二年前、いろんなものを奪われたような気がした。その後も、あれこれほんとにたいへんなことが続いた。
 でも少しずつ最近いろんなことが戻されてきているような気がする。取り上げられたものが、ふたたびわたしのなかに返ってきているような・・・。
 まだこれから先どうなるかはわからないけど、いま、変化の時期であることはたしか。
 この二年間は必要な期間だったのだろうと思う。でも、これからどうなっていくのか・・・神様のなさることはわからない。

疲れた者、重荷を負うものは、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。
       マタイ11.28
Come to me,all you who are weary and burdened,and I will give you rest.
Mathew11.28

**
かといつてこのおそろしいアナロジイ(類似)には万軍の主なる神のはからいがある
   『2006年水無月のころ』岡井隆
 <老いはある年齢以上に生きた人のあつめられたる一収容所である><といふ連想は連想されたからといつて直ちに正しいとはいへない>といった歌に続く。アナロジイは、老いと収容所にかかると思われる。
 万軍の主という言葉はクリスチャンである岡井氏ゆえ、と感じる。岡井氏の信仰ってどんな感じなのかよくわからないけど・・・。

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