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祈り

 病床日記?のように日々、薬がどうの頭痛がどうのと書いていたら、いろんな方から御心配いただき恐縮です。どうもありがとうございます。
 頭痛がはじまったのが先月の26日夜。一番ひどかった28日未明から1月4日くらいをはさみ、はや一ヶ月を越す不調。しかし徐々に回復してきております。今日の午前中なんてひさびさに体が軽かったです。(逆に、つまりこの一ヶ月は、ものすごーく重かったということ・・・)夜になったら、さすがに後頭部が重かったですけど、少し前までの頭重感よりあきらかに軽癒しております。あと一息だ!明日は朝、病院にMRIの予約に行く予定。

 帰りの電車で加藤常昭の『黙想と祈りの手引き』という本を読んだ。この本は実は数ヶ月前に読んだことがあって、ふと思い立って再読しているところ。その前回読んだときは、はっきりいって、まったくおもしろくなかった(^^ゞ。いちおう、完読はしたのだけど。。さらに以前、同じ著者によるハイデルベルク信仰問答の解説本を読んだときも、なんだかおもしろくなくて、数行読むと眠くなる感じで、途中で投げ出してしまったので、この著者の本って退屈なんだ~と思っていた。(この著者はきっと日本でもかなりエラい有名な牧師先生だと思うのでこんなこと書くなんて実は相当に不遜かも・・・)
 しかしどうしたんだか、今回は、とてもおもしろい。特に後半の「祈り」の部分なんて、心に沁みるような感じ。いったい前回は何をどう読んでいたのか?!
 <祈り>の基本は神様と個人との個別の交わりであると思うし、<祈り>の文言なんて、そのときそのときの心からわいてくるものだとも思う。だから、<祈り>の言葉が、書物に印刷されて活字となっているのを読むのは少し違和感がある。しかし、その違和感を越えて、<祈り>の言葉が心に沁みこんでくるというのはどうしたわけだろうか?
 詩編86に導かれた祈り「主なる神よ、今私はあなたのところに戻ってきました。迷いに迷い、曲がりくねった道を走り、歩み、よじ登り、踏み外し、疲れ果てて戻ってきました。あなたの道が見えなくなったのです。自分で捨てたのです。・・・・」今日のわたしの心情とかならずしも一致はしないこの祈りの言葉が、心に触れるのはどうしてだろう。今日の私の心ではないと思いつつ、やはり、踏み外し疲れ果てて戻ってきた<わたし>のこの祈りは<私の祈り>でもあると感じられるのはなぜか。

 文語の詩編56編の引用もよかった。
 汝わがあまたたびの流離(さすらひ)をかぞへたまへり
 なんぢの革袋にわが涙をたくわへたまへ
 こは皆なんぢの冊(ふみ)にしるしあるにあらずや

 (本では表記は新かなでしたが一応旧かなに直してみました・・・まちがってるかも(-"-))

 ところで今度ハイデルベルグ信仰問答の解説本読んだらおもしろく感じるだろうか???

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