« 2006年12月 | トップページ | 2007年2月 »

古妻のために

 MRIは2月17日になった。どうにか一週間薬なしで過ごすことができた。

 あたたかに寒の日の照る街をきてうし紅買ひつ古妻のために
        『青牛集』古泉千樫

| | コメント (2) | トラックバック (0)

祈り

 病床日記?のように日々、薬がどうの頭痛がどうのと書いていたら、いろんな方から御心配いただき恐縮です。どうもありがとうございます。
 頭痛がはじまったのが先月の26日夜。一番ひどかった28日未明から1月4日くらいをはさみ、はや一ヶ月を越す不調。しかし徐々に回復してきております。今日の午前中なんてひさびさに体が軽かったです。(逆に、つまりこの一ヶ月は、ものすごーく重かったということ・・・)夜になったら、さすがに後頭部が重かったですけど、少し前までの頭重感よりあきらかに軽癒しております。あと一息だ!明日は朝、病院にMRIの予約に行く予定。

 帰りの電車で加藤常昭の『黙想と祈りの手引き』という本を読んだ。この本は実は数ヶ月前に読んだことがあって、ふと思い立って再読しているところ。その前回読んだときは、はっきりいって、まったくおもしろくなかった(^^ゞ。いちおう、完読はしたのだけど。。さらに以前、同じ著者によるハイデルベルク信仰問答の解説本を読んだときも、なんだかおもしろくなくて、数行読むと眠くなる感じで、途中で投げ出してしまったので、この著者の本って退屈なんだ~と思っていた。(この著者はきっと日本でもかなりエラい有名な牧師先生だと思うのでこんなこと書くなんて実は相当に不遜かも・・・)
 しかしどうしたんだか、今回は、とてもおもしろい。特に後半の「祈り」の部分なんて、心に沁みるような感じ。いったい前回は何をどう読んでいたのか?!
 <祈り>の基本は神様と個人との個別の交わりであると思うし、<祈り>の文言なんて、そのときそのときの心からわいてくるものだとも思う。だから、<祈り>の言葉が、書物に印刷されて活字となっているのを読むのは少し違和感がある。しかし、その違和感を越えて、<祈り>の言葉が心に沁みこんでくるというのはどうしたわけだろうか?
 詩編86に導かれた祈り「主なる神よ、今私はあなたのところに戻ってきました。迷いに迷い、曲がりくねった道を走り、歩み、よじ登り、踏み外し、疲れ果てて戻ってきました。あなたの道が見えなくなったのです。自分で捨てたのです。・・・・」今日のわたしの心情とかならずしも一致はしないこの祈りの言葉が、心に触れるのはどうしてだろう。今日の私の心ではないと思いつつ、やはり、踏み外し疲れ果てて戻ってきた<わたし>のこの祈りは<私の祈り>でもあると感じられるのはなぜか。

 文語の詩編56編の引用もよかった。
 汝わがあまたたびの流離(さすらひ)をかぞへたまへり
 なんぢの革袋にわが涙をたくわへたまへ
 こは皆なんぢの冊(ふみ)にしるしあるにあらずや

 (本では表記は新かなでしたが一応旧かなに直してみました・・・まちがってるかも(-"-))

 ところで今度ハイデルベルグ信仰問答の解説本読んだらおもしろく感じるだろうか???

| | コメント (0) | トラックバック (0)

灯油巡回販売

 今日もどうにか鎮痛剤を飲まずに過ごせた。このまま回復しますように。

灯油巡回販売車はもはるばると月の砂漠を鳴らして行くも
     『時のめぐりに』小池光
 灯油巡回販売車ってあるのかなあ?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

MRIを受けることに

 水木金と出張。なかなかとてもたいへんだった。
 でも体調のほうはまあまあ。水曜からきょうまでの四日間は薬を飲むことなく過ごすことができた。

 今朝は、かかりつけの病院と提携している脳外科の専門医の診察を受ける。淀川キリスト教病院でのときと同様、年末来の頭痛については、火急な処置の要るリスクの高い要因は脳にはないだろうとのこと。ただ、念のためにMRIを受けることになった。今回の頭痛のため、というより、1年8ヶ月前に受けたMRIで若干の問題があったので、この機会に、前回検査後の経過確認をすることに。

 あれこれと、最近の私は不安定な状態に置かれている。あのこともこのことも、数ヵ月後にはどうなっているんだろう?とさっぱりわからんのである。それらのなかには自分に最終決定権があるものもあれば、決定権はない(まあ希望くらいは言えるかな)というものもある。
 いずれにせよ、何か今「変化」のときなんだろうなあ。自分に決定権のあるなしにかかわらず、事象の背後に<働いている力>に心を集中させないと。。。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

顔痩せなんてしないほうがいい

 mixi入会以来、よくmixiをアクセスする。移動中や出張先のホテルでもケータイからけっこうアクセスをする。アクセスしたからって、別に足跡が増えてたり、メッセージが来てたりするわけではないのだけど(^^ゞでもたまに意外なつながりとかメッセージがあったりして、びっくりすることもある。なかなかおもしろいツールだなあと思う。

 午前中は頭重感がほとんどなく、おおっ今日は快調だ!と思っていたが、夕方くらいから、痛み出し、がんがんしてきたので、結局、薬を飲んだ。うーむ。
 ところで、以前も書いたかもしれないが、私は、体は太っているが、顔はさほどではない。体はそれほど太ってないのに、顔がぽっちゃりしてて、何となく太った印象を与える人から見たら、<ぱっと見>において私は少し得しているかもしれない。
 しかし、この顔が曲者で、太っていない、というより、体調をもろに反映して、体調の悪いときはむしろ貧相になってしまうのである。年明け、複数の人から「痩せた?」と言われたけど、これも「顔の状態」のせいである。(体重はぜんぜん減っていない(-"-))
 体調がおかしくなって以来、なんか少し頬がこけているんですよね~。特に具合の悪いときなんか眼の下にクマがあったり、鏡をみても、われながら「やつれた」「貧相な」「疲れた」状態となっている。
 まっとうに体が痩せて、顔は健康的でありたいものだ。。。。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

 横浜日帰り出張。
 大阪は雨の気配がなく傘をもっていかなかったら、新横浜はぱらぱらと雨。売店でビニール傘を買う。
 でも雨はすぐにやんでしまった。
 夕方、早めに仕事が終わり、予定より50分早い新幹線で帰って来た。大阪に着いたら、周囲に傘を持っている人がいなくて、ビニール傘もってる私は変な感じだった。でも早く帰れてよかった、鎮痛剤も今日はいらなくて、やれやれ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

なまぬるき冬

 午前中、礼拝。午後から、かなり頭痛がひどくなって、木・金と飲んでいなかった鎮痛剤を飲む。どうも教会に行くと頭痛がひどくなってしまうような気がしないでもないのだが、いったいぜんたいこれはどうしたわけでありましょうか、神様(^^ゞ?礼拝が体質的に合わないクリスチャンなんでしょうか私は・・・。
 でも、今日は、礼拝中に持たれた癌闘病中の(それも80歳代と高齢の女性の)証(あかし←クリスチャンとしての自分の体験を語ること)がとても感動的だった。感動的だったのは、けっして劇的なこととか、奇跡的なことが語られていたからではなく、むしろ淡々と日々の中での神様との関係を語られていたことによる。信仰が練られるというのはこういうことなのだなあと感じた。苦しみのなかでこそ、より神様の恵みが感じられるという不思議。

 キリスト教でややこしいのは(と私が感じていただけかもしれないけど)神様とイエス様の関係。神様というのは、教会に行く前からなんとなくわかるような気がしていた。人間を越えた存在というかそういうものはあるかもしれない、いやきっとあるだろう・・という感じで。でも、イエス様はよくわからなかった。いちおう、受洗するとき、キリストによる贖罪とか、人間の罪のとりなしをしてくださるイエス様とか教わり、まあ知識としては理解していたし、<信じた>から洗礼は受けたのだけど。でも正直なところは、よくわかってなかった。お祈りするときは「主イエスキリストの御名によって」祈りはするけれど、実態は神様に直訴してるのと変らない感じで・・・(^^ゞ。ただごく最近、少しイエス様が身近に?なった気がする。自分にひったりと寄り添っておられる感じを持つ。人生の伴走者というか。(遠藤周作がイエスをして永遠の伴走者みたいな言い方をしていたかもしれない。彼のイエス観は、人間イエスの側面に傾いてて肯えないところもあるけど、伴走者という感覚はわかる。)

 鎮痛剤が効いてきたのでこれからがんばって原稿を仕上げます。

なまぬるき冬とおもへどゆふぐれて黒浜沼の杙(くい)にふくかぜ
              『時のめぐりに』小池光

| | コメント (5) | トラックバック (0)

検査結果

 朝、病院に行って先週の検査結果を聞いた。
 結果、コレステロール値以外は問題なかった。炎症もなければ、腎臓も肝臓も大丈夫で、動脈硬化もなさそうで腫瘍マーカも問題なし。結局、年末来の不調の原因は不明。来週、脳外科の専門医の診察を受けるけど、正月に淀川キリスト教病院でも脳外科の先生の所見はもらっており、脳内部になんらかの原因があることは、たぶんないだろう。
 症状のほうは、頭痛はだいぶましで、血圧も落ち着いているけど、まだ後頭部に頭重感は残っているし、疲労感がきつい。日常生活を完全に普通にできる状態ではない。
 とにかく気長に養生しなさい、ということなんだろうな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

どきどき

 だいぶ頭痛は軽癒してきたけど、今週まったく薬が要らなかったのは火曜日だけ。
 出張していた月曜が一番ひどかった。朝や昼間は良くても夕方くらいに痛くなってくるときもある。
 どうも疲労&緊張がよくないみたい。
 ところで先週の検査結果をあさって病院に聞きにいく予定だけど、ちょっと怖い。腫瘍マーカとかも項目に入っているし・・。どうかややこしい病気ではありませんように。。。。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

予知?

 今日は阪神淡路大震災12年目。ああ、もうあれから12年かという思いがある。東京のホテルで高瀬一誌さんの電話にたたき起こされた一日のことを思い出す。

 ところでおととい、出張で横浜のホテルに泊まっていたとき、午前三時過ぎ、地震があった。おそらく震度1程度の小さな地震だったと思うが、揺れてた時間はやや長かったように思う。その地震の30分くらい前に私はベッドのなかで目が覚めて、その後ずっと眼が冴えていた。なんか神経がきんきんになっている感じがあって、ああ眠れないなあと思ってベッドの中にいたら、しばらくして、ふとなんか妙な感じがあった。で、私はなぜか「ああ、地震が来るわ」と思った(というより確信した)。それからどのくらいたったかわからないけど(感覚的には1~2分後?)部屋が揺れ出して、ああやっぱり来たのね、となんか妙に落ち着いていた。
 揺れが落ち着いてから、おもむろにびっくりした。なぜ「ああ、地震が来るわ」と思ったのか?わたしはなまずになってしまったのか?おそらく、地震の初期微動だか、P波だとかを感じただけの話ではないかと思うのだが、それだって、わたしにしてはびっくりなことだ。これまでも、夜中や明け方にけっこう大きな揺れがきて、朝、会社に出社したら職場中の人が「ゆうべの地震の揺れはすごかったね」「うん、びっくりして飛び起きたよ」みたいな会話しているようなときでさえ「え、今朝地震あったの?寝てて気づかなかった~」といっている私なのに(^^ゞ
 なんか妙に神経が冴えていたのね・・・で、けっきょく、おとといはそのまま朝まで眠れなかった(*_*;

| | コメント (0) | トラックバック (0)

Forever

 病院に行った。今年になって救急外来を含め3度目の通院である(-"-)。
 血圧が通常値に戻っていたので一安心。でも頭痛は続いている。だいぶマシにはなったけど、完全に鎮痛剤が手放せる状態ではない。後頭部に頭重感が常にあり(これはまあ我慢ができる)、たまに右の眼の裏を中心にしたズキズキした痛みがやってくる(これは一時のような激痛ではないが、やはりけっこう痛い)。あと疲労感がひどい。
 なんだか体のことがどうも心配なので、今日は、あれこれ検査をしてもらった。今回の不調に関することだけでなく全体的な検診をしてもらった。すぐに結果が出た心電図、胸部X線、眼底検査などは問題なかった。「動脈硬化も糖尿病もだいじょうぶ!」とのこと。残りの検査結果は数日後。また今月末には脳外科の専門医の診察も受診する予定。
 そうそう怪我をした左手の指はほぼ回復。怪我したときけっこう血が出て、数日は痛かったのだけど、意外にあっけなく治ってしまった(^o^)。

 年末年始の頭痛がひどい頃、激痛の中で、まったく何も考えることができない状態だった。そういうときは困ったときの神頼み的な「この痛みをどうにかしてください!」というワンフレーズの祈りもできなかった。
 ただ、そんななかでも、ここ二週間ばかりはいろいろと信仰について考えた。考えたというより、なんと書いていいのか・・・神様が近くに感じられたというか・・・別に奇跡的な体験をしたというわけでも、ましてや臨死体験みたいなことをしたわけでもないのだが(^^ゞ。

 命のある限り
 恵みと慈しみはいつもわたしを追う。
 主の家にわたしは帰り
 生涯、そこにとどまるであろう。(詩編23.6)
 
 Surely goodness and love will follow me
all the days of life,
and I will dwell in the house of the Load
forever.(Psalm 23.6)
 
 上記の詩編の内容とは直接関係はないけれど、最近つくづく思う。客観的に見たら、恵みと慈しみからほど遠い状態にあるとき、むしろ、主の恵みと慈しみをより強く感じるというパラドックス。
 ところで、御言葉(みことば)に英文をつけているのは最近、英語のBIBLE(New International Version)を買ったので嬉しがって(^^ゞ書いているだけで他意はありません。これまでも新約聖書はコンパクトなバイリンガルタイプのものを持ってはいたのだが・・・と書きつつ、英文を読んで発見!日本語(新共同訳)を読むときわたしは「生涯」という言葉が、いまひとつぴんと来ていなかった。英文を合わせ読むと、ひょっとしたら前半と後半は対になっているのかなあと思う。「命のある限り」、つまり<地上での生を生きている間>も恵みと慈しみがあり、<将来的に主の家(天国)に帰ったあと>は永遠にそこにやすらいで住むのだ、というような・・?。まあ完全に対というわけではなく、この世の生のなかでもHouse of the Load はひとりひとりのなかにあるはず。そういう意味でのforeverなのだろう。

 ところで『鱧と水仙』の原稿がまだできていません。。。。。。うー、明日から出張だというのに(T_T)。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

後遺症

 今日は昨日の「2時間」が効いたのか、虚脱状態で体調もあまりよくない。
 昼間は1時間起きて1時間横になるって感じ。息子がケンタッキー食べたいといったので買ってきたのだが、ケンタッキー好きの私がケンタッキーを食べる気力も起きないくらい、なんだか虚脱してしまっている(^^ゞ。
 昨日の話自体はよい話だったんですけどね。
 子供の頃のことなども含めて、どーっと昔やら最近の記憶が立ち上がってきてどうしようもない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2時間

 昨日は、ある方とお会いして2時間くらい話をした。かなりヘヴィな内容で、かつて電話で連続バカ話最長7時間の記録を持つわたしにも、昨日の2時間は極めてハードであった。とても大事な話であった。
 話し終えたあと、帰り道、ほんとにもう魂が抜けたというか家にたどり着けるかどうかさだかでなかった(まあついたのだけど(^^ゞ)・・・・・しかし、いや、ほんとにあのとき私の魂は体から転げ落ちて地べたでへろへろほろほろとしていたに違いない。

 あなたがたは泣いて悲嘆に暮れるが、世は喜ぶ。あなたがたは悲しむが、その悲しみは喜びに変わる。(ヨハネ16.20)
 You will weep and mourn while the world rejoices.You will grieve,but your grief will turn to joy.(John16.20)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

出社

 今日は残務整理兼リハビリ?で午後から会社に行った。
 まあどうにかこうにか元気。
 カウント間違いしていた休暇は正規日数取れることになった。休暇はあと二日。
 なーんにも出来なかった年末年始・・・年賀状を明日から書こう・・・。

寒の粥くひをはりたるひと時をこの世の話聴かむとおもひし
           『小園』齋藤茂吉
 七草粥つくろうとスーパーで買ってきていた「七草粥セット」。結局しんどくてつくれなかったので、まだ冷蔵庫の中にある(-"-)。ま、草だし~、まだ腐ってはおらんと思うが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

なかなか

 なかなか日常生活への完全復帰は難しい。おまけに夕べは左指の人差し指のつめをひっかけて、割れたというか剥けたというか、けっこう血も出て・・・いまもイテ~(T_T)ちなみに私は左利きなので左手人差し指の負傷はけっこう不便・・、キーも打ちにくいし。

 雪つもるけふの夕をつつましくあぶらに揚げし干柿いくつ
                  『小園』齋藤茂吉
 大阪は午前中、風強く、雪。この冬はじめての本格的な雪だったかも。
 それにしても干柿を揚げるというのはびっくり。東北では普通のことなのだろうか?
 九州、関西では聞かないけど・・・

| | コメント (0) | トラックバック (0)

どうにか復活

 昨日くらいから頓服を服用しないでもどうにか大丈夫になった。毎食後の鎮痛剤はまだ飲んでいるけど。昨日、病院に行ったら血圧もだいぶ下がっていた。どうにか今日くらいから<日常活動>ができそうだ。

 しづかなる時代(ときよ)のごときこころにて白き鯉この水にあぎとふ           『小園』齋藤茂吉

| | コメント (1) | トラックバック (0)

日之出歩道橋

 淀川キリスト教病院に行った。とりあえず脳内の出血やら炎症といった高リスクな要因はないということで、ひと安心。結局、頭痛の原因はよくわからないのだけど、血圧が高いのは、強い頭痛による体の緊張状態のせいではないか、とのこと。対処療法で様子を見るしかない。

 ゴールデンウィークとか正月とかによく高熱を出したりするので、正月の救急外来ははじめてではなかったけど、なんだか今日は凹んでしまった。
 淀川キリスト教病院自体は初めてで、行きはタクシーで行って、帰りは駅まで歩いた。タクシー代をケチったのがいけなかった。その帰り道、駅までの道のりがよくわからず不安な感じで歩いていたら、そこそこ大きな交差点に出た。ところがその交差点のどっち側に行ったら駅なのか皆目わからない。雨が降るような降らないような天気で、けっこう広い道なのにあまり交通量もなく、人通りもなく、体はしんどいし、横を見ると日之出歩道橋ってあって、その歩道橋は誰もわたっていなくって、しばしその歩道橋の下にたたずんでいたら、なんだか私はこの地上で日之出歩道橋のほとりに忘れ去られてしまった人間であるような気がしてきた。ほんとにまったく正月に頭痛抱えて日之出歩道橋の横にひとりでいるなんて、孤独の極みではないか。
 「5羽の雀が2アサリオンで売られているではないか。その1羽さえ、神はお忘れになることはない」ってBibleにはあり、まあたしかに神様は覚えてくださっているだろう。でも私はやっぱりこの地上においては日之出歩道橋の下でひとりぼっちではないか~、で、いったい新大阪はどこなんだー。頭痛いのにぃ。
 と思いつつ、仕方なく、適当に交差点を渡ったら、すぐにコロナホテルがあり、新大阪駅が近いことがわかった。コロナホテルはわたしの歌集の批評会をしたところだった。思えばあの頃はまだ人生に活気というものがあった。

 テレビには明るいナショナル流れをりあああのころの明日の明るさ
                       『精霊とんぼ』

| | コメント (0) | トラックバック (0)

文語と口語

 あけましておめでとうございます。
 大阪は快晴で暖かく、おだやかで良き元旦でした。
 わたしの頭痛と血圧は相変わらずではあったが(先週、点滴受けたころよりは若干いいのだが・・)、午後どうにか母教会の元日礼拝には出席できた。懐かしい顔に会えてうれしかったです。
 タイトルの文語と口語は短歌の話ではなく、賛美歌の話。母教会では『讃美歌21』という歌詞が口語の讃美歌集を使っているのだが、現在所属している教会は『讃美歌』という文語の讃美歌集を使っている。短歌は文語!の私も、母教会で口語だった讃美歌に慣れていて、讃美歌はどっちかというと口語が好き。どっちが良いというわけではなく、あくまでも好み・感覚の問題だが。ただ、この口語文語についてはもっと感じたこともあるのだけど、ま、とりあえず今日は口語で賛美できてうれしかった、とのみ書いておこう(^^ゞ。(うれしかったのだが、大きな声出すと頭蓋内に響いて頭痛が余計ひどくなるので、ひそっとしか歌えなかったが。。。。。)

 今、処方してもらっている薬が「心筋梗塞、心臓の血管を広げる薬」とあってけっこう過激そうな割にいまひとつ症状が好転しないのと、あきらかに心臓に違和感があるので、明日は近隣で一番評判の良い総合病院である淀川キリスト教病院の救急に行こうと思う。うーむ、やれやれ。
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2006年12月 | トップページ | 2007年2月 »