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つまずきの石

 以下、主としてクリスチャン向けに書きます(^^ゞ

 ここのところ、ちょっとムカッときていることがある。クリスチャンだってムカッと来ることはあるのである。私は新米のクリスチャンであるけど、クリスチャンだからといっていつもニコニコ穏やかに敬虔そうな風情であるべきとは限らないと思う。そりゃあ、おだやかであるに越したことはない。自分の性格の欠けを自覚しつつ、直せるところは直したいとは思う。ただ、けっこう眉唾なニコニコや敬虔そうな態度だってあるように思う・・・、というのはあまりよくない書き方かもしれないけど・・。
 そもそも、むしろ穏やかで敬虔そうなクリスチャンがかえって他のクリスチャンのつまずきの石になる場合もある。そのことに私はムカッときているのである。

 まったくもって困るのである。いかにもやんわりおだやかに敬虔そうに「悔い改めが足りない」だの「感謝の心が足りない」だのということを安易に他のクリスチャンに言われるのは。まだ筋の通らないことをがんがん頭ごなしに言われるほうが罪が少ないと思う。
 だいたい「感謝」だの「悔い改め」なんてことは、クリスチャンである以上、誰でももともといろいろと考えているわけで、いくら新米といえどそれらが信仰の基盤に関わることであるのは言われなくともわかっているのである。
 わかったうえで、どうしても悔い改められないことやら感謝できないことというのはあるのである。そしてこういうことは新米クリスチャンかどうかにも限らないことでもあるだろう。信仰歴の長い方でも、やはりどうしても悔い改められないことや感謝できないことがある、ということは身近に知っている。悔い改められないこと、感謝できないこと、あるいは赦せないこと・・・そういうことはその人の心のもっとも弱い部分に関わる場合が多い。また人生のなかの辛い経験や精神の闇の部分に関わっていることが多い。
 そういうことの理解もなく、安易に「感謝が足りない」だの「悔い改めが足りない」だのという人は、相手の人間性の深いところや、心の傷や、相手のそれまでの人生への深い洞察がない。表面的な常識的な見方で言葉を発する傾向がある。でもその言葉を発する本人は自分が浅い常識的な見方、つまり一般論で相手を見ていることの自覚がない。一般論で相手を見ている、ということは、すなわち、結局のところ相手を見ていない、ということである。
 そして、一般論で相手をみながら、善意で「よかれ」と思って相手に対してものを言うとき、そもそも見ていない相手に対して発された言葉であるから、その言葉が相手にとって的を得ていることは少ない。結局、浅い常識的な言葉であることが多い。
 しかし、どんなに浅い常識的な言葉であっても「感謝が足りない」だの「悔い改めが足りない」という言葉は、クリスチャンにとって、重い言葉である。そしてあくまでも善意で言われていて、しかも信仰の先輩の言葉であればその言葉はさらに重みを持つ。ただの知り合いの善意のおじさんおばさんの言葉なら、聞き流せることが、むしろつまずきの石となる。
 その言葉を発した人は神でもなければ、牧師でもない。さらに言えば、その言葉は、本当に祈り神に問うたうえで発された言葉でもない。ただの「人間の言葉」である。つまずきの石となった言葉が「ただの人間の言葉」であった、というところに思い至るまで、言われた人間はどれほど傷つき迷わないといけないか。
 よーーーーーーく、考えてもらいたいものである。

 ・・・ということを上記に書いたので、一応すっきりしました。したがって、今後は、上記のような善意のおじさんおばさんにムカッとするようなことは、止めます。(上の文章はかなり怒っていて、読み返すとたしかに私は悔い改めが足りんなあ、という気になりますが(^^ゞ。。。。)

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