2017年8月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    

最近のトラックバック

リンク

フォト

« 2006年5月 | トップページ | 2006年7月 »

他人は変らない

 人=私以外の人は、私が思うようには変ってはくれない。変らない。相互の関係性において、私も相手もそれぞれが変っていくことはあるかもしれないが、私自身の思いや考えどおりに相手が変ってくれたりすることはない。「変えた」と思ったとしたら、それは主従関係になっているのかもしれないし、変えた以上に自分が変っていることに気がつかないだけかもしれない。まあ当たり前のことですが。。。。
 でも私はこの歳になっても相変わらず、「相手にこうあって欲しい」「こうあるべきなのに相手がああなのはけしからん」と思ってしまう傾向が強い。
 関係が近い人、思い入れが深い人であればあるだけ、こちらの「相手への要求」も深くなる。ありのままの相手を受け入れることができない。でも思いが深ければ、ありのままの相手を受け入れたいという要求も当然あるわけで、そんなありのままの相手を受け入れたい思いと、でも一方で変ってほしい思いとの狭間で苦しむことになる。
 ・・・とぐだぐだ書いているのは、ある人からのメールの返事を待っているから。別に恋愛関係のメールではありません(^^ゞ念のため。わたしは「返事は来るべき」「こないのはけしからん」という思いもなきにしもあらず。でもこないだろうな、と思う。その人のこれまでのわたしへの態度、対応、そしてその人自身のキャラクターからして、返事は来ない。「うりゃあ、返事ぐらい書かんかい、あほんだらぁ~」と、いくら心で悪態つこうが来ないものは来ない。悪態つく心のエネルギーの浪費である。
 だからもう今日はメールのことは忘れてゆっくり本を読んで寝てしまう。100%忘れることは出来ないかもしれないけど、本を読みながら気もそぞろ、なんてことはないだろう。じっくりヘンリ・ナウエンの「ジェネシ・ダイアリ」を読むつもり。
 そういうことができるようになった自分自身はある意味進歩したといえる。
 でも「あほんだらぁ~」と一晩中悪態ついていた頃より、なんか、いろんなことがすごく悲しいのである。
 

紫陽花をさがす

 昨日のHPの件、雨、そして地下鉄の枕木工事のための徐行運転で、むちゃくちゃユーウツな週明け。
 今いる職場のある構内の一角に小さな紫陽花が咲いている。普通の紫陽花がバスケットボールくらいの大きさとしたらソフトボールくらいの大きさ。色はやや濃い目のはっきりした青。工場工場した構内にその青は映える。
 食堂に向かう道すがら紫陽花を見ることができるのだが、心が食堂に急いていたり(^^ゞ、なんか余裕がないと紫陽花を忘れてしまう。
 今日も、忘れていた紫陽花。
 明日は断固として見よう。

手放すこと

 ある組織のHPの管理をやっていたのだが、処々の事情から最近更新ができていなかった。その組織と自分の関係を見直している時期でもあり、気にはなりつつ3週間ほどそのままにしていた。
 今日、ふと気になってHPを見て愕然とした。HPが知らぬ間に様変わりしていた。全体構成まで変えられ、私が作ったページがほぼすべてリンクからはずされていた。私が作っていた部分で残っているのは表紙のフォーマットだけであった。この一年ばかりボランティアで苦労して作ってきたものが消されていたのである。
 これはあまりに酷いのではないか。いくら更新が遅れているといっても営利団体のHPではない。専任の業務としてやっていることではなく、ボランティア的にやっていたことである。前任の管理者の頃から、数ヶ月更新がないことはざらにあった。しかもまだ管理人である(と思っていたのは私だけかもしれないが・・・)私になんの通知もなく・・・。さくっと消されていた。しかも私自身が組織からの去就も含めて考えている時期であり、まだその結論も出ていない時にこういうことをされるというのは、組織からみたら私は「もうすでに居ない人」という扱いなのだということがひしひしとわかった。
 もう管理人として不要、さあこの組織から出て行ってください、ということなのだろう。
 その組織と私をつないでいたのは今ではひょっとしたらそのHPの管理という一点だけだったのかもしれないのだから、たしかにもうわたしがそこに居る理由はないのだ。心に冷水を浴びせられたような・・・という決まり文句の心情がまさにそのままわたしのものとなった。

 非常に悲しいことだったけど、結局、<自分のぶん><わたしのもの>などはなにもない、ということなのだ。神様は手放すことを時に迫ってこられるのだ。

どて焼きもどき丼

 ひさびさに昨日から更新しているというのに、どーでもいいようなしょーもないことを書きます(^^ゞま、いつものことですが・・・。

 ゆうべ、わたしは<どて焼きもどき>を作った。そもそも私の生家では、どて焼きというメニューはなく・・というか、すじ肉を使った料理はおでん以外になかった。長じて飲み屋などで、どて焼きなるものをわたしは食べるに及んで、自宅でも、てきとーに<どて焼きもどき>の一品を作るようになった。これは、すじ肉と適当な野菜(大根など)をまず醤油ベースの和風の下味で煮込んで、ある程度煮えたところで、味噌をいれて再度煮込むというもの。こってりした味がご飯に合うし、意外に子供などにも好評なのだ。(昨年の正月、おでんの残りのすじ肉で作ったら、うちの息子より年少の甥っこがパクパク食べていた)
 で、季節的には全然マッチはしないけど、なんとなくゆうべもこの<もどき>が食べたくなって、作った。だが昨日は、ちょっとベースの醤油が濃すぎた。またすじ肉がやや脂身が多すぎる部分でもあった。一晩置いてたら、大根などはかなり辛く味がしみてしまって、すじ肉の味もしつこく、うーむ、という感じ。しかし、今晩、帰ってきたらまだ冷蔵庫に鍋ごとけっこう残っている。しかし、これだけ味が濃くてこってりしてるということは、きっと、ご飯にぶっ掛けたらけっこう美味しいのではないかと思いたち、やってみたら・・・ほんとにこれはいけました。刻みねぎ振りかけたら、そこそこさっぱりした品のいい味になって・・・(^^ゞ。最初私は卵でとじようかなとも思ったのですが、むしろ<もどき>+刻み葱のほうがシンプルでさっぱりしてよかったようだ。
 ということで、皆様、ぜんぜん季節感とは合いませんが、<どて焼きもどき丼>いつかお試しください。

年休

 本日、年休でひさしぶりに、ほよんとしています。
 しばらくブログの更新をしておりませんでしたけれど、ひとまず生きております。
 この間、博多に行き、大連に行き、鳥栖に行きました。

われら四方より患難を受くれども窮せず、
せん方尽くれども希望を失わず

       2コリント4-8

 上記の<文語>が好き。ちなみに<口語>だとこうなります。「わたしたちは四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方にくれていますが、行きづまることはありません。」・・・むむむ、「途方にくれていますが・・」なんて言い回しは、まるでシステムダウンの原因がわからない新米SEの上司報告のようである(^^ゞ

« 2006年5月 | トップページ | 2006年7月 »

これんのTwitter

無料ブログはココログ