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静まる時

P1010308_1←イースターの卵


 イースターのあと、三日ばかり寝込んでしまった。風邪で高熱が出て、会社も三日休んでしまった。比較的体は弱くて、しょっちゅう調子が悪くなる割には、三日続けて病欠というのは数年ぶりでめずらしいことだった。(ゴールデンウィークとか正月に三、四日寝込むことはなんどかあったが・・・病院も開いていない時期でよく救急病院に行った・・情けなか~(^^ゞ)
 今回の風邪のいちばんひどいときは、血液検査の白血球の値とか炎症を示す値が「肺炎の始まり」くらいを示しすほど高かったそうで、たしかになかなかにしんどい風邪であった。(昨日、再検査したら平常値に戻っていた)
 しかし自分としては、今年は正月から身辺ドタバタしてて、かつアメリカ行き台湾行きとつづき、このあたりでちょっと息が切れても仕方なかったなと思う。
 体がしんどくてあれこれ考え事などはできなかったのだけど、それでも、なんとなくひとり静まる時が与えられたような気がした。

 一年前以前のことを思い出しても不思議な気がするのだ。
 空騒ぎと焦燥感のなかできりきりとしていた。楽しくなかったといったら嘘になる。でも、もう戻りたくない、と今は思う。
 今でも自分自身のなかに不安は大いにあり、いろいろな問題は一触即発状態かもしれない。
 しかし今は自分のなかに静まりたい、そう思う。
 日々はなんとなく灯りに欠ける日暮れ時の風景のようだが(^^ゞたぶんそのなかで生まれてくるものがあるし、むかしもそうやって生まれてきたものがあった。そしてそれが自分にとって短歌だったと思うのだけど、今はまだ短歌とちゃんと向き合えていない。
 これからどうなるのかわからない。風邪からだけでなく私の中で回復していくべきものがあれば時間をかけて回復していくのだろう。

 疲れれば塩を恋いつつ店先の赤むらさきの柴漬けを食ぶ
                      吉川宏志 『曳舟』
 

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復活祭

 イースターおめでとうございます。
 ・・・ってキリスト教徒じゃない人にはイースターってなじみはないですね(^^ゞ。教会に通い始めた頃、牧師さんに、「復活祭(イースター)はキリスト教的にはクリスマスより大きなお祝い事なんですよ」と言われ、「はぁ(・・?)」と思ったことを思い出す。欧米の映画とか本でよく出てくる「イースター」の意味がわかったのはほんの数年前。

 子供たち作成のイースターの卵の写真をアップしようとしたら、SDカードリーダを教会に忘れてきていたことに気づいた・・・(@_@)。教会で、教会のHP作成時、教会のPCにくっつけたままであった。あのリーダは私の個人物なんで~どうか次会教会に行くまでそのまんまにしといてください~。
 写真はのちほどアップするとして、かわいいイラスト卵に書かれていた言葉・・・

 私は復活であり、命である。
                      ヨハネ11.25

 ところでヨハネというのは12使徒の中でいちばん最年少で、福音書・書簡・黙示録などを残している。それらの文章、特にヨハネの福音書などは他のマタイ、マルコ、ルカによる3福音書に比べ、非常に美しい感じがある。ヨハネはけっこう若い頃は短気だったそうで、同じく使徒だった兄といっしょにイエスから「雷の子」と呼ばれたりもしていたそうだ。しかし、<最後の晩餐>でイエスにしなだれかかっているのは、この若い「愛された弟子」であるヨハネであり、で、なんとなく私はヨハネ、というと、勝手に美少年風に想像したりして(^^ゞ、うるわしいイメージを自分の中でもっている。が、しかし、ヨハネって英語で言うとJohnなんですよね。うーむ、ジョンってねぇ・・・(-"-)、なんか日本のイメージでは「ワン」とか吼えそうで・・どうもイメージがずれるのである。

 しかし、まあイースターを記念してもうひとつヨハネの福音書から・・・
 言(ことば)の内に命があった。命は人間を照らす光であった。
                      ヨハネ1.4

 ついでに(←失礼な(^^ゞ)マタイからも。
 私は世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。
                      マタイ28.20

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土手のチューリップ

 昨日まで三日間、横浜出張。
 横浜には若い頃二年ほど住んでいたことがあったが、あの頃もいまも横浜って、なんだか都会か田舎かわからないところがある。横浜市内でも、けっこう、田園風景がみえる。田園というと聞こえがいいけど、遠方に山が見えて手前に宅地ではない田畑がみえると、なんだかここは佐世保か?という気になる。
 出張先の所在地の駅を降りると、川があって、その川沿いの土手には、チューリップが2,3本ずつぽつんぽつんと咲いていた。そのぽつんぽつんの感覚が一メートルくらいであったろうか、とにかく、等間隔だったので、意図的に植えられているものであることはわかった。(日本でチューリップが自生していること自体考えにくいが(^^ゞ)しかしその意図的に植えられているチューリップの周りは整備されていなくて、雑草がけっこうあって、そもそもその土手自体、うちの田舎の実家近くの川の土手同様、ごく普通のむき出しの土の何の変哲もない無造作な土手で、いかにも雑草が似合う土手であった。その雑草が似合う土手の雑草の中に等間隔にゆれるチューリップというのも不思議な按配だった。不思議な按配ではあったが、朝ごとにその雑草のなかのチューリップを見るのはなんだか楽しいものであった。
 来年の春もあそこにはチューリップが咲いているだろうか?

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血管

 怒っている。脳の血管が緊張しているのがわかる。私はもともと血圧が高いのであるから、これは危険である。

 ・・・と書きつつ怒りは虚脱感に移行していき、また長い沈鬱な日日となるのである。ま、血管が切れないのが救いである。日常は血管をいじめて過ぎていく。

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新年度

 新年度ももう10日である。
 自分自身が異動したり、仕事内容が変わったりということはないのだが、そのわりにこの4月は年度の変わり目を強く感じたところがある。(まあ一年前の異動の激震とはもちろん比べようがないのであるが・・。⇒一年前の異動は、今の会社への転職以来の変化といってもいいようなものであった。。。)
 まあそんな新年度ということで、ばたばたして、なんとなく日々が過ぎて、ブログもごぶさたであった。
 で、ばたばたしつつ、そこそこ元気だったのであるが、なんとなく今日は、一転、気分が暗いのである。
 私は、どうしてこう馬鹿なアヤマチを繰り返しておるのか?学習とか反省とか原因分析とか悔い改めとか性根を入れ替えるとか・・・きっと生涯できない人間なのである。

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