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表情を失うとき

 最近気づいたこと。30代後半を過ぎた女性は、ぼーっとしていると表情を失う。表情のないとき、女性はとっても老けて見える。これは30代後半をはるかに越えてしまったじぶん自身にも当然当てはまるわけで実に恐ろしいことである。
 電車に一人で乗っているとか、道を一人で歩いているとき、つまり、人に見られている意識もなく、なんとなくぼんやりしているとき、たいていの場合、どんな人でもあんまり表情がない。しかし、ある一定年齢を超えた女性の場合、この表情がない、という状況は極めてまずい。疲れているとか精神的にしんどいとかそういうことがまったくないとしても、単に表情がない、というそれだけで、なんとなく冴えない老けた顔に見えるのである。
 遠目に「あれ?あの人かなあ」と思って見るけど、なんだかやけに老けて見えて別人かと思い始めていたら、むこうがこっちに気がつき、「あっ」という<表情>をする。その表情が戻ったとたん、いつもの<あの人>の顔になる。とり立ててこちらに笑いかけたり、改まった表情でなくても、普通に表情を取り戻しただけで、いつもの生き生きとした<あの人>の顔になるのである。
 でもなあ・・・電車に乗っているときはぼんやりしたいし、年がら年中<表情>作っているわけにもいかんしなあ。。。。中年女性の日々はきびしい。

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におい

 嗅覚というのはある意味、いちばん原始的な感覚らしい。博多のはじめて行ったある場所で、「ああここは九州だなあ」とつくづく感じたことがあった。生まれ育った佐世保の実家近くにくらべたら、むしろ今すんでいる大阪市内に近く交通量も多いにぎやかな場所だったにもかかわらず、なにか九州っぽいものが感じられた。
 やはり博多に出張してて駅前のそこそこにぎやかなところに宿泊したにもかかわらず、たまたまホテルの部屋の窓をあけたとたんはいってきた風に、あっと思った。やはり九州っぽいのである。
 で、つらつら考えるにこれは嗅覚に起因するものだという結論に達した。
 記憶のどこかに「九州の匂い」というのがどうもあるようだ。

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マルちゃんのカップチャンポン

 月曜から博多に連泊中。
 とある事情で夕食をちゃんととれず、夜、ホテル隣のコンビニでカップチャンポンを買った。
 マルちゃんのカップチャンポン。
 これが・・・・うまい!
 長崎県人として、カップのチャンポンをうまいなどと言ってていいのか、という気もするが、いや、これがほんとに美味しい。
 大阪のスーパーでもみかけるたまに食べるカップチャンポン(マルタイ製、これもまあ不味くはない。「長崎チャンポン」と銘打って、大阪の中華店で時々出されるスープも麺もぜんぜんチャンポンではない<五目ラーメン>にくらべたらはるかにまとも)より、はるかに味が本格的。
 ちなみに今回の出張時、いっしょに仕事をした九州人ではない一名および長崎県人の一名もこのマルちゃんのカップチャンポンは「美味しい」と言っておられました。
 みなさま、だまされたと思って、九州に行かれたときは、コンビニ・スーパーでマルちゃんのカップチャンポンを買って食べてみてください。150円くらいです。(もうワンランク高いマルちゃんのカップチャンポンもありますが、150円クラスのほうがお勧めです。)お土産にもグッドです。

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京阪電車の夜

 昨日、9時過ぎまで仕事をして帰路、いつもの京阪電車に乗った。
 急行や準急連絡ではなく、普通で各駅停車の電車だった。
 夜10時近い車内、さほど混んでもおらず、なんとなくだるーい感じ。ふと子供の声がするので見ると小学校に上がる前くらいの男の子。お母さんに盛んに話しかけている。地下鉄とかもう少し早い時間帯の京阪なら子供は見かけるけど、この時間帯の京阪では珍しい。
 その子の声を聞きながら、ふっと私が京阪沿線に住んでいた頃の情景がくっきりと浮んできた。10年以上まえ、そう、夜の京阪電車。保育園に通ってた息子と二人で電車に乗っていた。歌会の帰りであったか。まばらな乗客のすがた。<普通>しか停車しない駅が、当時の自宅への最寄駅だったから、今晩のような各駅停車に乗っていた。なんということもない、あの当時のごく当たり前の光景。京阪沿線の車窓の景色は垢抜けない。光が乏しくどちらかというとさびしい。今も十年前もそれは変らず、目の前に、あのときの車窓の景色がくっきりと思い浮かぶ。でもあの頃、そんな車窓を見つめながら、別にさびしくはなかった。希望に満ちていたわけでもなかったけど、あの京阪電車の夜の光景がとても当たり前でごく普通のことだった。小さかった息子は、ぽつぽつと私に話しかけたり寝入ったり。
 思い起こしながら、なんとなくすこしばかり胸が熱くなるような思いにとらわれた。

寝ねし子をうつせる夜の車窓には遠く火の輪となる観覧車
                   『精霊とんぼ』

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元気一発

 職場で打ち合わせのあと、なんだかやけに喉が渇いて冷たい飲み物を飲みたくなった。
 で、職場(2F)を出て非常階段から外に降り、屋外の道路わきにある自動販売機に飲み物を買いに行った。自販機を見ていたら、「オロンナミンC」が売ってあって、無性に飲みたくなった。で、「オロナミンC」購入。居室に持って帰るのが面倒というのと、栄養ドリンクっぽい「オロナミンC」を居室で飲むのも恥ずかしいような・・ということで自販機前で立ち飲みをした。くいーっと飲んでほぼ飲み終えたとき、目の前三メートルくらいのところに職場の男性二人がこちらに向かってやってくるのが見えた。げっ、見られてしもうた。。。。彼ら、案の定、にやにやしながらやってくる。
 「いやー、すごい飲みっぷりでしたねー、ずっと向こうから見ていましたよー」
 ・・・いーやんかー、「オロナミンC」飲んでたって。たしかに一気飲みっぽく、かーっと飲んでたけどさ。ひょっとしたら腰に手を置いていたかもしれんけど・・・(-"-)
 ・・これから「オロナミンC」はこそこそ飲もう・・。

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電デボ

 クリスチャンたるもの祈りは欠かせない。
 ・・・欠かせないのだけど、朝、あと五分三分と布団の中でうだうだして、ぎりぎりの時間で、どばっと起き出したあとは、ひたすらばたばた準備をしないといけないというような信仰薄く根性のない人間の場合、いきおい、電車の中で祈ったりなんかする。これを電車デボーション、電デボ、という。
 今朝もダッシュで家を出て電車に乗って電デボ。ところが、なんでか、今日に限って、どばーっと、ある瞬間、なみだがでてきてしまった。そんな悲しいこととか深刻なことを祈っていたわけではないのだけど、ぼたっと大粒の涙が数滴落ちて自分で焦ってしまった。しかも、どーっと人が乗ってくる京橋でですよ。ちょっと涙ぐむ、というくらいなら、「あ、なんかコンタクトレンズの調子が悪いわあ」ってな風情で乗り切れるけど、あのぼたぼた涙はどうしようもない、困った。
 やはり、祈りは自分の部屋でひとりでしっかりとしないといけない、と感じた次第(^^ゞ

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私をアメリカに連れてって、ふたたび

 三月上旬、アメリカに出張に行く、かもしれない。
 まってろよー、アメリカ〜(^o^)/
 と書きつつ、なんか行かないような気がするが。

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一年

 ちょうど一年前のことを思い出す。
 一年たってもまだ精神的な痛手からは回復していない。
 深い深い人間不信とみずからの無力感からいまだに逃れられない。
 絶望しているわけではないのだけど、なんだろう、まだどうにも心には厚雲が垂れ込めているのである。

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会員カード

 みぞれまじりの雨が冷たい。ニュースを見ると全国的に今晩から明日にかけて雪のようだ・・。
 来週の予定だった中国出張がキャンセルになって、今週来週は出張なしというひさびさに落ち着ける?日々となりそう。それにしても海外出張のキャンセルは三度目。なんかもう一生海外出張には行かない気がしてきた。そのかわり国内の出張は多そう・・・。先日届いた、東横インの会員カードが食卓の上にあり、なんだかなあ・・・という気分である。11月の登録して、ずっと仮カードだったのが、やっと本カードが届いたのであるが、もう使うこともないなあ。。。

生足(なまあし)といふはあるとき求道のごとくに雪を踏みつつぞくる
                      竹山広

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