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発泡

 朝から礼拝へ。
 教会にばたばたと駆け込むと、すでに前奏が鳴っていた。しかし、喉が渇いた。駅の売店で買っていた飲み物を一口飲んでから礼拝堂に入ろうと、慌てて、飲み物のペットボトルのふたをひねってあけたら・・・

ぷっしゅわー、ぶぁばっしゃああああああ・・・・・

とペットボトルから、気体と水分が噴出、なんじゃあこりゃー\(◎o◎)/!。
 教会受付の床、教会員連絡用棚、および先週クリーニングに出したばかりのわたしのワンピースが、どばっと濡れてしまった。
 ふだんはコーヒーか、ミネラルウォーターをもっている私でありますが、そう、今日は初めて「発泡ミネラルウォーター」ってのを買ってもってきていたのであった。発泡・・そう、炭酸入りなんですねー、はい、駅からタッタカタッタカ早足で歩いてきて、さんざん振られていたペットボトル。そりゃあ蓋開けたら噴出するよなあ・・。なんせ発泡なもんで、四方八方にしぶきが飛び散って派手な状況。
 事務長さんが雑巾とりに走るわ・・はあ、たいへんご迷惑をおかけしました。

 「婦人よ、天なる父は、乾いているものが、礼拝の前に水を求めることをおとがめになることはない。渇きを癒して礼拝に出るものはさいわいである。しかし、ひとこと言っておく、婦人よ、礼拝にあと五分早く来るものは、さらにさいわいである」(ソコツ人への手紙1-3:2 ←もちろんこんものはありません)

 発泡ミネラルウォーターは礼拝にはもって行かないほうがいい。

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不可逆

 また息子が駐輪禁止場所に止めていた自転車を撤去されたといっている。知らんぞ、もう。。。。

 朝から病院。ちょっと血圧が高めだった。ま、お医者さんは特に気にしてはいなかったけど。最近、ずっと睡眠不足だからなあ・・・。

 時も人も心も流れていく。不可逆的という言葉を思い出す。
 
 付箋!ぽつぽつ更新しています。

抱擁のすべての意味を消してゆくそののち胸に恋ほしきさくら   
             『なよたけ拾遺』永井陽子

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ぶくぶく

 朝会で所感。とりあえず笑いが取れてよかった。(←所感は笑いをとるためにやるものではありません・・・以前も同じ文句を書いた気がするが(^^ゞ)
 話の本筋ではなかったのだが、所感冒頭、前回所感のあと、10年前に私が所属していた事業部にやはり同時期いたある人が「ああ、あの吉浦さんでしたか」と声をかけられたという話をした(参照5月のブログ)。一ヶ月も同じ職場にいながら「あまりに風貌が変ってて気づかなかった」と。なんせ私は当時より10キロ太ったもので・・・、というくだりが妙にインパクトがあったようで、いろんな人から「10キロも太られたんですねー」とその後声をかけられた(-"-)。うれしいようなフクザツなきぶん。
 夕方、残業前にパンを同僚といっしょに食べていたら(その同僚もどっちかというと、むっちりしている(^^ゞ)通りかかった人(同世代男性)が、
「ほんまに・・二人とも、ぶくぶくしているなあ、そんなん食べているからいかんのや。」
と苦笑した。
 ぶくぶく?
 え?それって、いくらなんでも女性に面と向かっていう言葉ですか?????
 ぶくぶく、

 ぶくぶく、
ぶくぶく・・・。
 くー。
  酸欠のため水面で口あけて息をしているデブ金魚になった気分であった。

  夜、飲み会。ちょっと皆さんより早めに帰った。

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<瞬間の王>

また『詩のことば』から引用する。

 一編の、目に見える詩のなかですべてを表現するのは無理なことである。その詩の前にあるもの、その詩が書き出される以前にあるものを利用する。呼吸をそこからも、もらいうける。そうすれば詩は、広い場所で、つくられることになる。

 これは<瞬間の王>としてある時期、圧倒的な支持を得、あるとき突然、詩から遠ざかった谷川雁について書かれているが、ひろく詩というもの、言葉というものについて示唆的である。
 <瞬間の王>は、目に見える詩のなかですべてを表現しようとした。よく練られたイメージと華麗な比喩。そこには人々を興奮させるものがあった。しかしそれは少し詩とは違うものだったのだろう。

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不信の極み

 ゆうべは結局、4時間かかってCD-ROM研修の課題を仕上げる。PCでテスト問題を解くのが課題なのだが、80%以上正解しないと合格にならない。結局3回つづけて不合格で、4回目で合格。一回のテストの所要時間が1時間(T_T)。毎回毎回ちゃんとテスト問題が違うというのが、まったく至れり尽くせりで、しっかり勉強せざるを得なかった。合格した解答内容を暗号化して研修所に送って終了。
 おかげで、「平均の分散の期待値は、母分散のN分の1」とか「規格値の幅をシックスσで割った値から工程能力を見極める」とかいうことがソラで言えるようになった。
 ・・・で、睡眠不足で出社すると、新しい通信教育のテキストと提出課題が送られてきていた・・・、むむむ・・。

 昨日も書いた『詩とことば』。
 そのなかで石原吉郎について書いた文章が沁みる。石原吉郎は、第二次世界大戦で応召、戦後も長くシベリアに抑留されるという過酷な体験をへて帰国。しかし帰国したものの、抑留という過酷な体験をしたにもかかわらず祖国は「シベリア帰りはアカ」という冷たい視線でしか彼をみなかった。やっと帰って来た日本に彼には居場所がなかった。
 そんな彼の詩を紹介しながら、荒川は書く。下記、長いが引用する。

 詩は自由なものである。それが日本語としてどう崩れていようと、乱れたものであろうと、無様であろうと、詩の世界では許される。むしろあわれなもの、さびしいもの、どこにも行き場のないものにこそなさけをかける。そしてそれらを擁護する。抱擁する。それが詩のもつ、あたたかみである。まわりにあるすべてのものが信じられなくなったとき、石原吉郎には詩のことばが見えた。

 擁護とかあたたかみ、という言葉があるが、それが「まわりにあるすべてのものが信じられなくなったとき」という言葉の対極にあることを忘れてはならない。
 不信の極みにたどりつくごくごく私的なことばの世界、それが詩なのである。

 夜、なぜかひさしぶりに息子とお好み焼き屋に行く。「行列ができる法律相談所」の橋本弁護士がうちのすぐ近くに住んでいるとは知らなかった。橋本弁護士の息子さんはうちの子の出身中学に通っているのだとか。・・・などといった他愛のない話などした。

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 まだCD-ROM研修の課題ができていない・・・。ここのところ、毎日、テキストお持ち帰りで努力しているのだが・・、分散とか正規分布とか、学生の頃から私は統計は苦手だった(T_T)。

 今年の初めごろに買ってて、なぜか家の中で行方不明でずっと読んでいなかった荒川洋治の『詩とことば』、突然発掘されて読み出した。詩の入門書といってもいいような、たいへんベーシックな書きぶり。でもなかなか含蓄深い。荒川洋治のエッセイも好きだが、詩論もとても良い。『詩論のバリエーション』はほんとに良い本だった。
 『詩とことば』はまだ最初のあたりしか読んでいないが、この本と永井陽子全歌集のおかげで、わたしはどうにか言葉に復帰できそうな気がしてきた今日この頃である。

 即詠
ねむりへと曳かれゆくとき息の間(ま)に砂のごときを吐くわたくしは

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電車の蒸と涼

 疲れて帰路、電車でふと前を見ると、鼻輪・・・いや鼻にピアスをした若い男性・・。げんなり・・・。
 鼻にピアスもげんなりだけど、暑苦しい黒髪のロンゲ、膝の破れたGパン、腕、首、腰にじゃらじゃらメタル系のアクセサリーが、さらに体感湿度を上げる印象。人様の容貌のことをいうのはとても僭越ではあるけれど、その青年の顔立ちとファッションがまたかなりミスマッチ・・・。うー、申し訳ないけど、見ているだけで暑苦しい・・。
 乗換駅で乗り換えると、各車両に、浴衣姿の若い女性たちの姿。さっきの鼻ピアスとはうってかわって、これが清涼感あふれる感じ。同性から見ても、若い女性の浴衣姿は涼しげで可愛らしい。どの女性も、ごくオーソドックスな柄、着こなしだったのも、浴衣本来の良さを感じさせてくれて好感を持てた。普段、着慣れていないだけに、かえって初々しい感じがあって、さらに可愛らしい。
 ああ、天神祭りなんだなあ。

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練乳

 昨日いただきもののアイスを食べて以来、ちょっとお腹が冷えて体調悪し。練乳かけのカキ氷風アイスでおいしかったのだが・・。ちょっと早くも夏バテがでているような気もする。ビタミンB類を取らねば。
 子供の頃、たまに、お店でカキ氷を食べるとき、「練乳かけ」は高かったから、ただの「イチゴかけ」にしていたなあ。「練乳かけ」はすごいゼータク、めったに食べられないもの、だった。大人になってからは、冷たいものは苦手で(嫌いというわけではない)、アイスとかは死にそうなくらい暑い時期にほんの2,3回くらいしか食べない。そのうち1,2回は練乳かけアイスを食べることにしている(*^_^*)。練乳には思いがある。

 ブログ版付箋!更新しました。
神々の死角にオオオニバス開く 
     『葦牙(あしかび)』永井陽子
 永井さんの青春句歌集から、俳句を中心に引いてみました。

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課題課題課題

 異動以来、「研修」が多い。テキスト学習、合宿研修、CD-ROM研修、通信教育。
 先週、通信教育のレポートを出したと思ったら(通信教育はまだ半年続く)、CD-ROM研修の課題提出期限が迫っている。。。。。

  即詠
鉄橋をわたりゆくとき身にひびく音につらなる思慕の記憶は
帰りたき昨日はあらず通り雨過ぎたる路はすでに乾きつ

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しあわせになりたい


 手と手のしわを合わせて、「しあわせー」って言いますけど、合掌する心って大事なんでしょうね、しあわせになるには。仏壇屋のさしがねにのるわけじゃありませんが、なんだかそれはわかるような気がします。しかしながら・・・皺をあわせない、合掌しないクリスチャンはしあわせにはなれないのでしょうか?そんなこたぁないでしょう、そりゃあ、ねぇ(^^ゞ要は、祈る心、感謝する心が大事なんですよねー。・・・と思いつつ、実は私はクリスチャンの祈りのときの手の形って正式に習っていないなあ、とあらためて思った。・・・で、実はかなりとてきとーに祈っていたような・・・(-"-)。うーん、カトリックだと十字切ったりするけど、プロテスタントって実はどうなんでしょうか?
 ・・・ということを書きたかったわけではなく、長い付き合いの友人が、このたび、突然、「しあわせ」になっていたのでびっくりした、ということを書きたかった。といってもあれこれ事情は細かく書けないので、読まれる方はなんのこっちゃと思われるだろうが・・・。
 いやとにかくその友人は、長年、「不幸」であった。本人も周囲も認める「不幸」であった。半端じゃない不幸であった。しかもその不幸の質が、なにか改善できるような種類、乗り越えていけるようなもの、というわけではなかった。そういう意味で、まさにその不幸は、運命的な<重い重いくびき>と思えた。
 しかし、その<重い重いくびき>がいきなり取れた!そうなのである。聞いて私はたまげました、はい。そんなことがあるものだろうか?と。まったく思いもつかなかった方法で。しかも友人がしあわせになることによって、周囲の誰も不幸になっていない。みんなハッピー。いままでそういう周囲との関係で身動きがとれず、より不幸だったというのがあったので、ほんとにこんな大団円があるのかとびっくりした。(いや今にして思えばそういうことも可能性としてはないこともなかったと考えるには考えるけど・・・やっぱりなぁ、聞いて仰天、友人を祝するというより驚きの気持ちのほうが最初は多かった・・・)
 「もうね、ほんとにね・・・こんなに心が軽くなるなんてねー」
と友人は明るい声で饒舌に喋る。
 「吉浦さん、神様って、いるって思ったな、ほんと、こんなことがあるんやからねえ。いやあ人生ってなにがあるかわからんねえ。」
とも。友人はもちろんクリスチャンではない。
 ふーん、そうか、人生何が起こるかわからんかー。いやあ・・・あの友人が幸せになるんだからねー。ほんとにそうだろうねー。(ちなみに幸せと言っても、その友人、ごく普通に見ると、今でも物理的には-経済的な面とか-けっこう不幸なんですけど、そういう、物理的な不幸なんて、ほんとどーでもいいくらい、これまでもっとおもーく不幸だったから・・・ほんとに今は友人は幸せだと、本人も思っているだろうし、私も心から思う)
 友人の幸せ話に、ほんとに私もここ数ヶ月の鬱々とした気分がけっこう晴れた。いやほんと人生何が起こるかわからない。やっぱり神様はいる、かぁ・・。うんうん・・。
 と思いつつ、私がちらっと自分の愚痴を友人に言ったら・・
「吉浦さん!元気出しなー、ぜったいいいことあるからねー」
と言われた。ま、ごく普通の励ましの言葉だけど・・・・友人がいうと妙に説得力がある。
しかし・・友人から励まされている私、というのがこれまでの友人の不幸を思うと妙な気分(^o^)。
「うーーーん、あんたから私が励まされるような日がやってくるとは思わんかったわ・・・」
「あはは・・、そーやろそーやろ、とにかく、がんばりやー」
はい・・・がんばります(*_*;。

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座右の歌?!


 あんまりネットサーフィンはしないほうである。しかし今日は、たまたま・・・ほんとに偶然、見つけてしまった。カーテンコール31というブログ。塔に所属する方のブログのようである。そこの7月2日の記事に、もうかれこれ4年以上前に出した、ほとんどすっかり忘れ去られている(^^ゞ私の歌集『精霊とんぼ』について触れていただいている。・・・し、しかも
  子を守ることよりほかは道楽と思ひいたれば心安らぐ
という歌を、座右の銘ならぬ座右の歌にしていたとまで書いていただいてる・・。
 その他にも子供の歌を数首ひいていただいている。実にありがたいことである。こんなに大事にしてもらって『精霊とんぼ』は果報者である。

 上記の歌は歌集のにも引かれている。だから、私の歌集を手に取った人は、まずこの歌を読むことになるのである。実のところ、歌集の帯はK氏にお任せきりで、歌集ができてくるまでどんなものになっているのかぜんぜん知らなかった。で、できたものを見たら、上記の歌が引かれていて、私はちょっとショックをうけた記憶がある。あまりにもべたべたの歌で、自分自身、さほど好きな歌ではなかったので・・。しかし「インパクトがある歌だよ」と数名の方に言われた。それでも内心釈然としないながらも、まあ徐々になじんできた・・・というか、そういう経緯がある、今だから書くけど(*^_^*)
 あとついでに書けば、歌集上梓当時に自選した20首をみても、批評会などで話題になった歌とか上記のカーテンコール31ブログで引用されている歌はほとんどごそっとなくて、自分としては「べたべたがいや」という意識が強くあったみたいだ。

 息子も16歳になった。ここ数年は、もうほっぽっている(というのは標準語?)状態。平日は残業か飲み歩いている母であるし・・(最近はほとんど飲みに行かなくなったけど)。ある程度子供の手が離れた親が誰でも感じることだろうけど、ある種のさびしさはある。小学生くらいの男の子を見ると、なんとなく胸がきゅーとするような思いを感じる。今のマンションではなく、その前に住んでいたマンションは、今住んでいるところから徒歩5分であるが、そのあたりをたまに歩くと、ひどく懐かしい気持ちになる。当時、子供は小学校の低学年で、日曜の夕方など、台所で夕飯を作っていると、窓のむこうから、息子やいっしょに遊んでいる友達の声が響いてくるときがあった。声が聞こえるほど近くで遊んでいることは常ではなかったけど、たまにそういうこともあった。子供たちの声が聞こえたあのゆうまぐれどきの幸福感とか充実感というものは、ある種賜物だったなあと思う。小学校のころくらいまでは、子供の友達を呼んで、誕生会みたいなこともしていた(料理がたいへんだった^^;)。その誕生会のときの子供たちの顔や、私が泊まりの出張に急に行かないと行けなくなって泣きべそをかいていた息子の顔とか、いろいろ思い出す。
 幸せなときは幸せに気づかない、というのは月並みな言葉だけど本当だと思う。

明日が見えぬといふやすらかさ月かげは築十九年のマンションに降る
                           『精霊とんぼ』

 あの・・ところでまだ『精霊とんぼ』数冊ありますよー。ご購入いただける方は連絡お待ちしております(~_~)。

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「恋ふ」・トラバについて・焼肉


 ひさしぶりにブログ版付箋!を更新しました。
 永井陽子さんの歌をあげてみました。あげたのは下記の歌。


人ひとり恋ふるかなしみならずとも夜ごとかそかにそよぐなよたけ                
         『なよたけ拾遺』


 一首評というより、永井さんの思い出?をぐだぐだ書いたような感じ。思い出と言っても同じ結社に属していただけで、それほど交わりがあったわけではない。遠い人だった。
 ただやはり歌を読み返してみると、いろいろと去来する思いはある。


いさよひの月掻きいだく手のなかにひとのやうなる影あるばかり                 
         『なよたけ拾遺』

 上記の「人ひとり」よりあるいはこちらの歌のほうが歌としては、すっきりしていいかもしれない。どっちにしようか迷って、やはり「人ひとり」のほうを付箋!にあげることにした。「恋ふ」という言葉がいいなあと思って。この「恋ふ」には情念とかそういう粘度はなく、ただ闇を照らす月かげのような悲しみがある。
 生身の人間の「恋」はどうしても、多かれ少なかれ、どこかどろどろした粘度を持ってしまう。そのこと自体が悪いわけではないが(ごく個人的に振り返るとめちゃ悪かった・・ということはあるが(-"-))、上記の歌の「恋ふ」のかなしみは、そんな粘度を持ってしまう人間のかなしみそのものも包含するような普遍性があるように思う。

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 トラックバックについて。
 あんまりトラックバックをすることもされることもないので、さほど気にならなかったというか気にしないようにしていたのだが・・・、トラックバックスパムはやはり不快。スパムとまでいうのはビミョーな場合が多いけど、やはり、「やっほー、ひさしぶりにトラックバックがついたわー」と喜んでリンク先に飛んでいったら、私の記事とは関係のない話題で、私の記事へのリンクも紹介もない場合は、「なんだよー、自分のブログにアクセスさせるために一方的宣伝リンク貼っただけだったのかよー」とムッとすることが何回かあった。
 そもそもトラックバックってそんなものなの?と思って、トラックバックのマナーみたいなものを調べたら、やはりトラックバックの基本は相互コミュニケーションであって、自ブログへの一方的リンクはマナー違反のようである。もちろん明確な線引きはむずかしいけど・・・。
 で、一応、当ブログへのトラックバックに対する基本方針を下記に書いておきます。(あくまでも基本方針です。たとえば、私がよく存じ上げている人が、勢い余ってトラバしたけど私のブログへリンク貼るの忘れてた、なんてのは笑って可(*^_^*))
 ◎当ブログへのトラックバック記事で当該記事とは関係のないと思われるもの、当ブログへのリンクの貼っていないものについては、当ブログからトラックバック履歴を削除することがあります。

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 息子と息子の彼女と私の三人で焼肉(そこそこ高級な)を食べに行く計画あり。明日かあさってか・・・。
 そういえば一年ほど前だったか、やはり息子と息子の彼女と三人で中華料理(これもまたそこそこ高級な)を食べに行った。
 問題なのは、その中華料理の彼女と、今度焼肉にいく彼女は同一人物ではない(-"-)ということ。
 ま・・・いーけどねぇ。。。。。

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短歌バトン


 近藤かすみさん(気まぐれ徒然かすみ草)からまわってきた短歌バトンに答えます。


■質問
□ 短歌を始めたきっかけを教えてください。
 まったく、ある日突然です。HPのプロフィール参考のこと。
 

□ 好きな歌人がいれば教えてください。


小池光 竹山広 森岡貞香


□ あなたの好きな短歌を3首挙げてください。


 三首というのはむずかしい・・・、そのときどきの気分にもよるし・・・

 
夕暮れの水よりあがる人体に翼なければあゆみはじめき
                  小池光
 
 
ああ春のひかりといひて炬燵より出づれば膝の驚きて鳴る 
                  竹山広

 
夜の風の其處にて消えぬ日比谷なる濠のみづのうへなる終り
                  森岡貞香


□ あなたにとって短歌とはなんですか?


 なんでしょうね?最近わからなくなりました。
 昔、短歌のことを考えることがないくらい忙しい時期、「ああ私は生きているけど生きていない」と思ったことがあります。短歌を作っていないと私は生きていないのだ、とある意味聞きようによってはキザではありますが、非常にベタに実直に感じていました。
 いまはなんか少し違います。うーん、私は生きていないのかもしれない。


□ バトンを渡す3人の歌人。


 多田零さん、西村一人さん、吉岡生夫さん

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手のひらとなまこ


 終日出張。といっても、大阪市内。一応、社外だけど、会社に行くより近い!^^;


 昼ごろ、「あ、今日はひょっとして早く帰れるかも」と気づく。
 で、急遽、左岸の会へ久しぶりに行くことに。
 今日の会は変則的で、中津昌子さんの『夏は終はった』と、吉川宏志さんの『海雨』の批評会。
 私は、ぜんぜん準備もしていなかったのと、どうも短歌モードが落ちまくっているので、ひたすら他の方の批評を聞くのみの参加。
 なんにも意見を言わず、中津さんや吉川さんに申し訳なかった。


かはいそうに。手が来てわれを撫でてをり体温いたくうすき手のひら               
        中津昌子

黒板に<なまこ>と書かれいる店に人のすきまを見つけて座る

                      吉川宏志 

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気温差・プラグマティズム


 日帰り東京出張。

 朝、6時40分の、のぞみで東京へ。新大阪についてから、ジャケットを家に忘れたことに気がついた。でがけに家でばたばたしてて、そのときは暑くて半そでのカットソーの上にジャケットは着ていなかった。忘れたことに気づき、新幹線の中は冷房で冷えそうなので困ったなあと思った。車内で一応、薄手のカーディガンは荷物袋にいれていたのでそれをはおる。しかし、新幹線のなか、さすがにそれだけでは冷える。そもそもカーディガンはひざ掛け代わりに遠距離出張時は四季にかかわらず持っていく必須アイテム。今日はその<ひざ掛け>がなく、膝が冷える冷える。。。

 おまけに降り立った東京は、気温そのものが低いようで、ひんやり。東京駅で落ち合った上司曰く、「今日は東京は最高気温が26度くらいらしい。大阪は30度くらいみたいだから、かなり気温差があるよ。」

 さらに悪いことに一日いた部屋がまた冷房が効いてて寒い。

 そんなわけで冷えまくって帰阪。

 新大阪駅に降り立つと、もわぁーむぅーっとする熱気。冷えるのも困るが・・、この湿気含みの暑さもなあ・・。


日本脱出したし 皇帝ペンギンも皇帝ペンギン飼育係りも

                             塚本邦雄
 上記の歌とは直接関係のないことであるが・・・、世の中<プラグマティズムな人>っているよなあ。人間的にけっこういい人であっても、どこか突っ込んで話をしたいと思えない。それなりに会話はできるのだけどあとからどっと疲れる。そういう人は面と面を接合するような、ボードの上に細かく線を張り巡らせるような実利実用の生活・感性で生きていっているのだ。価値観の相違であり、別にその人が悪いってわけではないし、むこうからみたら逆に私などはなんだかへんな奴であろう・・。しかし、だいたい自分の生活の中に<プラグマティズム濃度>が高くなると、私はペンギンのように逃げ出したくなる。とても孤独になる。いや正確にはもともと孤独だったことにあらためて気づく。そんな孤独も神様の賜物とも思う。思いつつ・・・気分はペンギン。
  今日はちゃんと腕時計をして出張したペンギン。

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欠詠

 また欠詠してしまった。。。。。。
 だめだぁ・・・。

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自己完結


 ようやく今日は、腕時計をして会社へ。


 成果主義における「成果」は組織内自己完結、ということがつくづくわかった今日このごろ。(←わかるの遅い!(*_*;)

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私をアメリカに連れてって


 今日も腕時計をしていくのを忘れてしまった。買った意味なし(-_-;)。もっとも社内にいる分にはほとんど腕時計の必要はないけれど。。。。


 4月に話があってその後うやむやになっていたアメリカ出張の件、本日、再度、吉浦指名で話があった。正式な出張命令というわけではなく、ある案件があって、「これは吉浦さん担当だねー」という感じで朝と午後の会議でそれぞれ名前を出されただけではあるが。。。
 ほ、ほんとに行くのだろうか???半分行きたい様な、半分怖いような・・・。
 ただ・・・最大の不安点は・・・・そもそもわたくし・・・・TOEIC460点なんですぅ・・・ヽ(  ̄д ̄;)ノ
 基本的にかなり<会話><質疑応答>が要求されそうな出張で・・・ほんとに行くとしたら英語力的にかなりしんどそうな気がするが・・・行きたい!

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意表をつく神


 礼拝にいくとき、やっぱり、腕時計をしていくのを忘れた^^;時計をする習慣というのは当分戻ってきそうにない。次の出張時は忘れずにしていきたいが・・・。


 最近買った本。
 『意表をつく神』ジェラード・W・ヒューズ
 『永井陽子全歌集』
 『『赤光』の生誕』岡井隆
 『意表をつく神』は、人間の怒りとか妬みとか孤独感とかいった否定的な感情について興味深い考察があった。それにしてもこの本のタイトルは秀逸。今年になって特に、意表をつかれっぱなしの私としてはなおさら・・・(TT)。


 わたしのなかの腹立ちやねたみなどに神はずっと鷹揚に対応なさると信頼する心に、成長せねばならない。自分のなかのあわれみや優しさの深い感情の層に到達できるのは、否定的な感情をあるがままに表せるとき、はじめて可能となる。 『意表をつく神』

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腕時計


 おそらく・・・7,8年ぶりに腕時計を買った。この7、8年間、ずーっと腕時計はしていなかった。
 腕時計をしなくなった直接の原因は、7,8年前当時していた腕時計の電池がきれて、交換しようとしたら、「当店では扱っていない種類の電池で・・」とか言われて、別の店にまで足を運ぶのが面倒だった、からである。その当時の腕時計は、ぜんぜん高価ではないものだったのだが、いわゆる時計メーカーの製品ではなく、どっかのブティックで洋服といっしょに買ったファッション時計で特殊なものだったようで簡単に電池交換ができなかったようだ。

 しかし、まあ腕時計がなければないでさほど不便もなく、かつそのうちケータイを持つようになったんで、余計、「時間を知る」ということに関して腕時計がなくても問題はなくなった。で、ずっと腕時計はしないことになった。

 しかし、最近、出張がちとなり、飛行機の中ではケータイも電源オフしないといけないし、また、会議の途中、ケータイで時間確認するのもはばかられるような感じであり、やはり腕時計は必要だなあ・・と感じていたので、ふとみかけた時計屋で購入した。

 思えば、高校の入学祝が、腕時計か万年筆だった、という世代である。

 腕時計には、ある種、改まった思いがある。

 しかし・・・ひさしぶりの腕時計を腕にして時計屋をあとにしたあと、思わず時間を確認しようとバックの中のケータイをまさぐった私であった^^;

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成果主義


 成果にならないことはやらないほうがいい。何の得にもならないから。評価されることだけをやっていればいい。
 これ、成果主義。
 別に、仕事に妙な情を入れたり、仕事関係のつきあいに必要以上の思いやりなんかはいらない。ただ当たり前の人間関係としての配慮すら、成果評価外として切り捨てられていくのは許せない。

 
 自分のほんとにやりたいことをやりたいと思う。
 能力と生活のハザマで祈るしかない。一度はやってみなければ、やらなければ私は生きていたことにならない。

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呆然


 今日は頭痛は沈静化。
 息子は学校の合宿で白浜へ一泊でむかう。


 ロンドンでテロ。テロで亡くなった人々と、連合軍の攻撃でなくなったイラクの市民。命の重さはいっしょである。
 ブレアもブッシュも「テロを憎む」とお決まりのように言うが、自国民や連合国の人間以外の命の重さを考えることはあるのか?


 欧州出張が直前でキャンセルになった同僚。その同僚がもし欧州に予定通り出張していたら、まさに今日、ロンドン入りするスケジュールだった。キャンセルは痛恨だったけど・・・今夕のニュースを知り、なんだか呆然とする思いがある。


 まったく関係ないが、午後、ある<演習>をやってて、そのなかで、グループで、計算を大量にしないといけなかった。で、わたしは、がーっと暗算で計算をした。(さすがに偏差を出すのは電卓に任せたが・・)グループの皆が私の暗算力にびっくりしていた。(←包み隠さず自慢をしています(^^ゞ)一応、珠算4段なもんで・・。(←さらにあからさまに自慢をしています(^^ゞ)長崎県で珠算総合4位、読み上げ暗算2位になって、珠算の全国大会に高校一年のとき出場しました。(←ますます自慢をしています(^^ゞ)
 でも・・・暗算するとすごく疲れるようになった。以前はこういうことはまったくなかった。能力の減退をはげしく感じてショックだった。特に引き算がダメ。すごく消耗する。10代のころは、頭の中に7桁まで計算できるそろばんがあった。今日の計算は、せいぜい4桁。むかしはカシオよしうらと言われていたのに・・・。最近は飲み屋の割り勘計算すらおぼつかない。(←これは飲みすぎのため)

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ぎくっ

 おさまったと思っていた頭痛が今朝は、復活。起きたとき、目の裏(やはり左側)が痛くて、三日ぶりに病院からもらった薬を飲む。ただ朝だけ薬を飲んで、夜まで、どうもないので、さほど心配する必要はないかもしれない。頭痛がひどいときは、痛みそのものは薬で抑えていても、なんか頭や首などに違和感があって、体調的にもしんどかったのだが、今日はそういうことはなかった。
 ・・しかし、今朝、会社の朝会の所感で、最近、奥様を肺がんで亡くされた方が話をされた。非常に痛ましくて聞いてて辛かったのだけど、その奥様はがんがわかる直前まで、エアロビクスなどもされていて、たいへん元気だったそうだ。「ただ自覚症状として、数ヶ月前から<原因不明の頭痛>がありました」と言われたので、
え゛っ?
と思ったllllll(-_-;)llllll 。

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雨・音・ひかり

 雨。
 夜、窓の外を車が走り去っていくときのタイヤの音。ぬれた道をすべっていく、なにかを曳いていくような独特の音。けっこう好きである。なんとなく遠い時間のむこうに去っていくような音。

  即詠
街灯のしたにはげしき雨脚は白きひかりををのをの負ひつ

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目つきが悪いそうだ

朝、出社したら隣の席の同僚が私の髪型を見て
「吉浦さん・・・、<男の子>になっちゃいましたねぇ・・。」
「は・・?!Σ( ̄ロ ̄lll)」
うーむ、このキュートではじけたスタイルがわからんかー、おやじめ。(同僚は私より若いが)

夜、だっち君と会う。
だっち君と会うのは三ヶ月ぶりであったが、なんでも私は、顔が疲れてて、目つきが悪くなって、少し痩せてやつれた感じがするらしい・・(・.・;) 。

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つんつん

 昨日は、子供が友達のところに泊まりに行っているのをいいことに夕方から断続的に朝まで寝てしまった。トータルの睡眠時間がすごい。なんかどうも週末に<まとめ寝>をしないと体が持たないようなこのごろ・・・。
 で、朝からそうめんみそ汁を食べて礼拝。午後から短歌人の関西歌会。

 わたしの短歌に対する考え方って、ある意味、短歌原理主義?みたいなところがあるかも。定型・文体について深く考えない、短歌史をまじめに考えない、つまらない自意識の表出を表現と考える・・こういうのは断固許せないだけなのだけど。

 あと、短歌にかぎらずネットをみて少し思うこと。
 言葉が過剰すぎる人がたまにいる。
 言葉というのは、口にしたとき、文字にしたとき、本人が思う以上に、力を持つ。他者が鼻白むような陳腐な表現であっても、(いや陳腐であればあるほど)そんなみずからの言葉にみずからが流されていく場合がある。本人は流されていることに往々にして気づかない。言葉は削り取るべし。静謐であるべし。特に、散文の中で比喩は最小限にすべし。自戒をこめて、思う。

 歌会後、二次会には行かず、帰宅。美容院がまだ開いていたので、受付終了直前、飛び込む。気分を変えたくて、「思いっきり短くしてください!」といったら、ほんとにつんつんのショートカットに。おそらく社会人になってさいこーに短い髪型。基本的に顔というか頭部は小さい私である。最近のデブい体型に髪が短くなって、さらにアンバランスなくらい頭部が小さい印象になったような気がしないでもない^^;ま、人はどう思うかはわからないけど、個人的にはなかなか気に入っている。小ぶりのピアスがしっかり見える短さというのもいい。

 今日も薬は飲まずに過ごせた。頭痛はほぼもう大丈夫のようだ。

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キレはないだろう、そりゃ

 今日は薬なしですごせるくらい頭痛は軽癒。このままよくなってほしい。
 気分転換に、リフレ&ボディマッサージに行く。
 足もみと、肩・背中中心のマッサージ。でも、施術してくれた人によると、偏頭痛のときはほんとはマッサージはしないほうがいいらしい。緊張型の頭痛のときは、マッサージをして血管を広げると楽になることがあるけど、偏頭痛の場合はまったく逆で、血管を広げないほうがいいそうだ。「お風呂とかも避けたほうがいいくらいなんですよ。こめかみあたりを冷やしたりしたほうがいいです。」とのこと。まあ、そうはいっても、偏頭痛と緊張型頭痛の混合型の場合もあるし、なにより私は全体にこりまくっているようで、多少はもみほぐしたほうがいいようだ。「腕がとても凝っていて、おそらく腕から肩・首にコリが広がっているようです。腕のコリが、頭痛にも関係しているかもしれません。」とのこと。うーん、腕ねえ。

 だっち君から「内容がネガティブとかポジティブという以前に、最近、湖蓮日日にキレがないのでは」という旨のご心配のメールをいただく。
 うん、そりゃキレはないだろう、これだけ日常生活でキレることばっかりあったら日日でまでキレてられるかー・・というのはあほな冗談であるが。
 うん、ほんとにキレはない、だいたい短歌にも最近、ない。まあ以前は短歌にキレがあったかどうか、それは判断がむずかしいが(^^ゞ
 (ただ、だっち君のキレがないという指摘は正しいけど、こんなんを書いたら?という提案は、・・・でした。そりゃーちゃうだろう!)

 日日のことだけではなく、全体に、たましいがどよーんとしてて、感性もうすらぼんやりしてるし、なにより、言葉へ対する緊張感が保てないのよ。やっぱりこれは短歌をちゃんと書いていないからだろうと思う。言葉に対する(ある意味での)訓練を怠っているから。。。
 だから、というわけでなく、ブログ版付箋!を実は数日前にこっそり作ってみた。内容はHP版と別に変りはない。ごくシンプルな一首鑑賞。(ちゃんとした鑑賞というよりほとんど独り言ですが。むちゃ地味〜な内容。)
 これはまず自分のために作ってみて、ある程度内容がたまったら公開しようかと思っていたのだけど、たまろうがたまるまいが、あんまりカンケーないかーという気もしてきたので、とりあえずここからリンクを貼ってみます。
 この新しい付箋!でちょっとおもしろかったのが、公開していないといっても、自分のHPからはリンクを張っていないというだけで、ココログには公開通知を出しているし、更新したら「短歌」カテゴリに案内も載る。つまり物理的に非公開設定をしているわけではないにもかかわらず、見事にアクセスがない(*^_^*)。ほんとにまったく、ない。まだ検索エンジンにひっかからないというのもあるだろうし、名前を出していないというのもあるだろうけどねー。たんにネット上になんか書いただけでは、たまたまそこを見に来る人なんていないんだなあーとあほなことに感心してしまった。→ブログ版付箋!

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軽癒

 トラブルはひと段落、というか次のステップに移行したというか。

 今日も頭痛はだいぶマシ。

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