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雲の上を散歩、永遠というなつかしさ

 「雲の中で散歩」ってキアヌリーブスの映画があったけど・・・飛行機に乗って雲海をみると、ごくごく月並みながら、「なんか歩けそう・・・」と思ってしまうなあ。(昨日も飛行機のこと書いていて・・「そんなに飛行機に乗ったのがうれしいんかいっ!」って感じですが^^;)
 あのうわーーっとかなたまでひろがる光景って、なんとも言えず不思議。超陳腐だけど「ここは天国か」とかも思ってしまう。うん、まさに空の上、天なんだが・・・^^;。きれいとかそういうのを通り越して、どこか寂獏としたというか、突き抜けた無音感がある光景だと思う。まあ、じっさいの雲海のうえってどういう状況なのか私は知らないけど。実はビュービュー風が吹いているとか、なんかいろんな音がしているのかもしれないけど、光景のイメージとしては、実にしーんとした地から切り離された異界。散歩なんてもちろんできはしないのだけど、ああいう突き抜けた無音感・・・人の気配も、音もない、異界を歩く、という感覚が、なんだか私にはひどくリアリティをもって感じられる気がする。
 特に昨日の帰りは、夜7時半発の飛行機で、夕暮れから完全にくれてしまうまでの雲海が(そんなに窓にへばりついて長い間見てたんかいっ!?初めて飛行機に乗る子供じゃあるまいし・・・ってな気もするが)実に「あの世」的!?で、なんだかいつかこの世からでていったあと、ああいうところを一人で歩くのかもしれない、と強く思ってしまった。

 以前、「永遠について」ということで、「永遠というのは、私たちの考えている、私たちがそこから通常は抜け出すことのできないこの世の時間とは別次元にある」という結城浩さんの文章を引用して書いたけど、三次元的な世界とは違うところに「永遠」の時間の世界があって、その世界というのは、当然、三次元的な感覚では捉えられないものだろう。でもたとえば、三次元的な感覚で捉えられない世界を、三次元的に無理やり仮に転換するとしたら、その転換例のひとつは、かーんと響くような、でも突き抜けた無音の世界で、熱感も冷感もなく、ただ寂獏とした雲海のような光景が広がる世界なのではないか、とも思う。
 そして、なんだか変なことを書いてしまうが、人間はそういう寂獏とした光景を実はよく知っているのではないか、とも思う。雲海を見ながら、なんだか私はなつかしい・・とも感じたのだ。
 おそらく永遠は空のかなたでも地の果てでも深海の底でもなく、おそらく私たちの意識の遠い記憶の中にある。それは世界が生まれたときの記憶であり、私たちが死んだ後の記憶でもある。私たちは、感覚のどこかで永遠を感じることができる。三次元的な世界に生きる私たちにとって、それはほんとうの永遠からしたら刹那的な擬似的なものかもしれないが・・・。でも私たちはどこかで永遠と結ばれている。

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