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だいじなことはなにか

 大きなトラブル。
 拠って立つものはなにか。ほんとに大事なことはなにか。
 
 頭痛、多少マシに。

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おわり

 おわりのおわり。
 
 無駄だった20年、そのなかでも特に無駄だった二年半。すべておわり。

 問「これからの日々の中での無駄な時間をどうやりすごしていけばいいですか?」
 答「一分一秒たりともあなたに無駄な時間は与えていない」

 神様の目からみたら、無駄などは何ひとつないだろう。
 だけどいまの生活を現時点で思うと、二年半はあまりにも無駄すぎた。

 10年後、無駄だったことが無駄だったということを基点にしたターニングポイントとして認識されるときがくるかもしれない。

 即詠
偏頭痛激しき夜更け鎮魂のごとく花器には花はあらずも
 

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Music Baton

西村一人さんからきたMusic Baton。・・・し、しかし回す人がいないのだけど・・^^;

とりあえず回答してみます。
・Total volume of music files on my computer (コンピュータに入ってる音楽ファイルの容量)
 いま見てみたら、4Gくらいでした。

・Song playing right now (今聞いている曲)
 「今」は聞いていません。

・The last CD I bought (最後に買ったCD)
 なんてこったいそれを聞くかー
 「かぐや姫」のベスト盤だよー

・Five songs(tunes) I listen to a lot, or that mean a lot to me (よく聞く、または特別な思い入れのある5曲)
 小泉今日子「優しい雨」
 チューリップ「博多っ子純情」
 エリック・クラプトン「レイラ」
 ビートルズ「ブラックバード」
 クイーン「ショーマストゴーオン」

・Five people to whom I'm passing the baton (バトンを渡す5人)
 ・・・・。ちょっと考えさせてください・・・。

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嘘つき

 昼食時、職場の人でだいたい同じところに集まって社食で食事をとるのだけど、今日は最初、私と普段あまり喋らない違うチームの人とふたりだけだった。私が前に座ったら、その普段は喋らない人がめずらしく間髪いれず
「頭・・・痛いんだって?」
と聞いてくれて
「あ、はあ」
と答えたら
「(にっこりという感じで)あれこれ考えすぎなんや」
とぽつり。
 うーん、3チームからなる小さな職場なせいか、わたしが頭痛いって言うのがすでに知れ渡っている感じで気遣っていただいているようである。・・・なんだか恐縮でもありありがたくもある。

 ・・・しかし、頭痛なかなかよくならない。対処療法の鎮痛剤を日に三回飲むように病院から貰っているが、だいたい日に一回くらい飲めばどうにか大丈夫。なんだろうなこの頭痛は?

 即詠
空梅雨のけふの曇りに隠れゐる嘘つきをとこのやうな三日月
 

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夕陽に向かってばかやろーと叫びたい

 年休。
 だいぶ頭痛は軽くなってきたのだが、念のために、朝から病院へ。
 それから銀行行って郵便局行って借金払い。
 梅田で定期券購入。天満橋でパスポート受領。
 その後、教会で、新PCのセットアップのお手伝い。(といってもメールの設定だけだったけど)
 事務局長さんに身の上話。
 ・・・なんだかけっこう忙しかった一日。
 ああ、わたしって馬鹿馬鹿馬鹿、と改めておもった一日でもあった。・°°・(>_<)・°°・。

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爆睡&かぐや姫

 今日も反省して一日を過ごす。
 ・・・といっても礼拝遅刻してしまったが(-"-)。朝、余裕で早起きしていたんだが、洗濯だのなんだのやっていたら、ふと、時間の感覚がなくなってしまって、結局、家を出るのが遅くなってしまった。
 昨日ゆっくりしたせいか、だいぶ体調はいい感じではあるのだけど、礼拝中はなぜか生あくびが出て(別に説教が退屈だったというわけでなく^^;、なんか少し体がだるくなってしまって・・)ちょっと微妙な体調だった・・。で、帰宅後、昼食ののち、早々にお昼寝モードに入ったら、夕方までしっかり眠ってしまった。なんだかほんとに体が疲れていたみたい。

 ところで昨日、本屋で買い物のついでに、かぐや姫のベストが安くでレジ横に並んでいたので、ついつい買ってしまった。。。。「この私が、か、かぐや姫かよ〜」・・・と内心の抵抗は強く強くあったんだけど。(ああいう昔の<フォーク>というものに対しては、私はみょうに屈折した思いを持っているもので。)

 そもそも10代の頃、基地の町佐世保で育ったせいか音楽といえば、洋物、ロックであったわけで、フォークなんてものは、内心小馬鹿にしていたのだ。湿っぽくって、なんか「小さい」って気がしてならなかった。はあ?石鹸がかたかた鳴っただとー?という感じ。(でも、高校の音楽の時間、各自自由演奏で実技テストだったことがあって、普段はちょっと地味目の男の子が、ギターの弾き語りで「妹」を上手に歌ったときはけっこうドギマギしたりはしたけど(^^ゞ・・・ああいうのはどうしても、女子は目がハートになりますですね。エレキギターばりばりより、むしろ。)
 そうこうして大学時代をすごしたのがたまたま博多。これがもうフォークの町だった。そりゃあ、チューリップ、海援隊、長渕剛を輩出した町ですもんね。そういう町の雰囲気もあったし、あと、自分自身が大学生になって、ある種、ああいうフォークでうたわれている内容というのに、どうしてもシンパシーをもってしまうお年頃になってしまったというのもあって、この頃から、すこーし、洋物以外もこそっと聞くようにはなった。
 それから歳月は経て、世の中はJ-POPだなんだということで、フォークなんてものは大昔のしろものになってしまった。それはそれで、やっぱりまた聞くのはこそっと・・・という感じを増長しないでもない。
 で、買ったCDをこそっと聞いてみたのだけど、やっぱりこれがその泣けるんだな、まったく(^^ゞ
 でもやっぱりどこか気恥ずかしい・・・ってところもある。なんだろうなこの気恥ずかしさは。
 (20年くらい前の青春短歌を読む気恥ずかしさに14%くらい重なる。)
 でも、メロディーの美しさ、やはりこれはほんとうに素晴らしい。POPなメロディーラインではなくて、良くも悪くもフォークフォークしたメロディーなんだけど、なんか、「歌」を聴いたという充実感がある。
 いまは「歌」がない時代。音楽にも詩にも。
 「歌」はある種、抒情を引き寄せる。抒情は弱く湿っぽく生産的ではなく、格好悪い。
 格好悪くても「歌」は人を支えると思うけど。

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反省の週末

 一日、反省して過ごす。

 読んだ本。『不在の神は<風>の中に』前島誠。『浄土』町田康。
 「不在の・・」は元カトリックの司祭さんで、ユダヤ教・聖書研究家の方のエッセイ集。もちろん聖書の引用はされているのだが、まったく説教っぽさがない。ごくごく普通に戦争中や戦後を生きた市井の日本人の感覚で書かれたエッセイ。純粋にエッセイとして楽しんで読める。なにより文章が味わい深い。この本の印象だけでなく、なんとなく感覚的にカトリックは伝統を重んじて格式ばっているような印象がある反面、どこか情味があるというか、ふしぎな自由さがあるようにも思う。
 『浄土』はまだ最初の短編くらいしか読んでいないけど相変わらずの町田節、ぶんぶん、である。

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反省と節制の必要

 ゆうべ、体調が悪いにもかかわらず飲みに行ってしまって(今週4件飲み会断ったんだから、一回くらいいいやんかーというサタンのささやきに、つい・・・(-_-;))、案の定、未明、激痛で目が覚める。
 いままで経験したことがないくらいの頭痛。いやもうほんとにだめかと思った。
 昨日、病院で貰っていたひどく痛むとき用の頓服と通常服用の鎮痛剤をいっしょに飲んだら(病院で同時に飲んでも大丈夫とは聞いていたが・・な、なんかキケンそう・・)朝にはおさまったけど・・。といっても、どよーんとした痛みは一日残ったまま・・。

 まったくもって、自業自得である。
 深く深く反省して節制をしたいと心から神様に誓う私であります。。。。
 月曜は年休が取れることになったので、三日間、休養と節制に努め体調を立て直したいと思う。

酒に酔いしれてはなりません。それは身をもち崩すもとです。                                             エフェソ5・18
 パウロ様、あなたはまったく正しい。

 ところでパウロは聖餐以外では、お酒飲まなかったのかなあ?・・と思ったらこんなことも言ってる(@@)

これからは水ばかり飲まないで、胃のために、また度々起こる病気のために、ぶどう酒を少し用いなさい
                           テモテへの手紙1 5
 焼酎でも可であろうか?
 とか、たわけたことを思っていたら・・

酒におぼれる者は、決して神の国を受け継ぐことはできません。                                            コリント1 6
 やっぱりそうよね・・・・、たしかにそうだろうな、うん、まったく。
 はい、ほんとに反省します。悔い改めます。

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虚妄

 朝から病院。血圧正常、4月のMRI結果からも特に頭痛に関してリスク因子なし・・・ということで鎮痛剤処方で様子をみるとのこと。
 病院で貰った薬を飲むために喫茶店でモーニングを食べる。(朝食抜きで一番乗りで病院に行った・・ここのところだいぶ市販の鎮痛剤で胃の具合が悪かったんで鎮痛剤を飲むときは腹ごしらえをしたかった(^^ゞ)
 その喫茶店で読んだ読売新聞のコラム欄に小池光氏の下記の歌が引用されていた。

戦没者といひかへしとき戦死者のするどき眸(まみ)はみえなくなりぬ

 戦死者を戦没者と、あるいは英霊といいかえていくとき、言葉によってなにか精神や感覚が操作されていく感覚の恐怖というのがよくわかる。

 しかし、改めて考える・・するどき眸はわたしにとってなんなのか。
 結局のところわたしにはわからないのである。
 日々の糧を得、そのときどきのささやかな充実感のようなもの以上のものを私は望んでいない。
 それがいかなる絶望的なまなざしにさらされていようとも。

 しかしそもそも日々はそれ自体すでに絶望的であるということを考えるとき、またこの眸は違うまなざしを持つのである。

 日々はまことに絶望的である。

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まだ頭痛

うー(後述)

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今日も頭が痛い

 今日も頭が痛い。左側。
 夕方からひどくなってきて、会議終了後、さすがにその後の仕事はほっぽって帰宅。
 階段の上り下りで、がんがん響いて・・・・ううううう、(хх。) イタイ。夜8時前だが、もう寝ます。
 ヨン様が過労で入院したらしいけど、ヨシ様も倒れそうである。。。。→バカなこと書いて余計頭がイテー(*_*;

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ヌースン・ツースン

 昨日に引き続き、まだ頭の左部分が痛い。昨日よりは軽いけど。範囲も昨日よりは狭い。
 うーむ、どうしてしまったんだろうか?
 脳の血管がきれるさきぶれ、とかではないよなー。

 絵本や児童文学にはまるきり興味がない。(ちなみに宮沢賢治にも興味がない。)
 なのに、なぜか少し前に買った「夜の鳥」という児童文学。トールモー・ハウゲンというアンデルセン賞作家の作らしい。まだ読んでいないのだけど^^;その第1ページに出てくるおまじない?の言葉「ヌースン・ツースン」がおもしろい。階段のしみのあるところを「ヌースン・ツースン」と唱えながら上っていく少年。そのしみのところで魔女につかまらないように。
 そう、むかし、天井の木の木目の形が怖いところがあった。眠れない夜、ふとそこに目が行って、ますます怖くなる。目をつむっても、なんかその木目から何か現れそうで怖い。で、目を開けてみると、どんどんとその木目がさらに異様さをまして感じられてくる。そんなとき、「ヌースン・ツースン」と唱えればよかったのかもしれない。
 闇につかまらないように・・・「ヌースン・ツースン」。深層意識のなかの闇に子供は大人よりつかまりやすい。

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 即詠
地下道の壁際の端滲み出せるみづの濁りはけふもかはらず

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私をハイデルベルグへ連れてって

 昨日から少し心にどよーんとなってること。
 なんか金曜にぺらぺら喋りすぎた・・・。別に悪口やら内緒話を暴露したわけでもないけど・・・どうも喋りすぎた・・・って気がして、かなり反省モード。

 今日は、起きたときから左目の裏っ側というか眉間のあたりというか、左の首の裏っ側というか、なんか頭の左側が痛くて、礼拝で、歌っててもがんがん響く感じ。うー、神様、喋りすぎた私が悪いでしょうかー。
 帰宅後、ますますひどくなって、ちょっと横になっても、なんだか痛い。で、バファリン飲んで、冷えピタ貼って休んでいたら、少しマシになってきた。

 ところで、教会には祈祷会というのがある。日本で祈祷というとなんか密教系の儀式で装束つけた人が護摩とかたいていそうな雰囲気ですが^^;私が行っている教会の祈祷会は、「聖書の勉強会」みたいなもののようだ。ようだ・・というのは祈祷会は平日にあるので私は参加したことがないのでよくわからないのである。
 その祈祷会で、6月からテキストに「ハイデルベルグ信仰問答」が使われているらしい。事務局長さんから、これは良い内容だから、テキストのプリントだけでも申し込んだら?と言われ、申し込んだ。また、教会にあった「ハイデルベルグ信仰問答講話」という本も借りて、少しずつだけど読んでいる。
 「信仰問答」自体は、なかなか難しい。普通の本を読むみたいに「理解する」というのとはちょっと違う感じ。言葉や意味は理解できてもなんかちゃんと読めている気がしない・・。
 しない・・のだけど、おばかな私は、なんとなく、この「ハイデルベルグ信仰問答」が書かれたハイデルベルグ、というドイツの町に行ってみたくなってしまった(^^ゞ。だって、祈祷会のプリントの第一回のところにも、借りてきた講話の最初のところにも、ハイデルベルグはドイツ中部にある古い都町でたいへん美しいところで・・と書かれているのだもの。どうもハイデルベルグはほんとうに美しい町のようだ。行ったことのないドイツの深い緑とそのなかに立つ古いお城とか河のながれとかが目に浮んで、うー、行ってみて〜!っと思ってしまった。
 もともとドイツはヨーロッパの中では私はイギリスと並んで行きたい国のひとつ。(なぜ行きたいかというと、中学時代に読んだ、萩尾望都の「11月のギムナジウム」とか「トーマの心臓」とかの影響なんですけど・・・。ギムナジウムには美少年ばかりいるんだー、ギムナジウムがあるドイツにいきたーい*^^*、という10代のころの妙な期待感がいまだに抜けない・・あ、まったく神様とは関係ないですけど・・・なんてバチあたりな・・・)
 神様、「ハイデルベルグ信仰問答」ちゃんと勉強しますので、私をハイデルベルグに連れてってください。
 ついでに、茂吉の歩いたドナウ川源流にも行かせてください。

**
ハイデルベルグ信仰問答

  問1「生きている時も、死ぬ時も、あなたのただ一つの慰めは、何ですか

 129まであるらしい問の一番目がこれ。人間は「慰め」を必要としている、そこからすべてがはじまる。
 もっとも講話の本にも書いてあったけど、日本語では「慰め」という語感はよろしくない。「そんなのはただの慰めだ」というように「気休め」と同義のような表面的な言葉として使われる。
 しかし、本来、人間は深いほんとうの意味での「慰め」を必要としている、と問答ははじまる。
 慰められるべき人間・・・。慰めなしでは生きていけない存在。

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佐世保バーガー

 Yahoo!Japanのニュースに以下の記事が載っていた。
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佐世保バーガー 評判守る認定制 “食のプロ”抜き打ち調査

 長崎県佐世保市の佐世保観光コンベンション協会は今月末から、人気の「佐世保バーガー」の認定制度をスタートする。知名度が上がり店舗数が増えた一方で、品質やサービス面に苦情が出ているため、一定基準を満たした優良店を認定するもの。同協会は「ブームに終わらせず、本物の佐世保名物として定着させたい」と意気込んでいる。

 同協会によると、佐世保バーガーは朝鮮戦争の特需に沸いた一九五〇年ごろから、佐世保市内で食事をとる米国人向けにハンバーガーを出す店が出現したのが起源。地元では一般的に「手作りで大型」のものを指している。市内には専門店だけで約二十店ある。

 同協会は二〇〇一年度から本格的にPRを開始。雑誌やテレビで取り上げられ人気が急上昇した。売上数は〇一年度の年間約三十万個が、〇四年度は約百八十万個に六倍増した。

 その一方で(1)客を長時間待たせる(2)味やサービスへの苦情増加(3)規格が明確でない―などの問題点が浮上。休日、市外からわざわざ訪れても期待外れで帰る人もいるといわれ、佐世保バーガーの信用力確保のためにも認定制度を決めた。

 同制度では、雑誌編集者やハンバーガーを食べ歩いてきた研究家ら約十人の“食のプロ”が抜き打ちで店を調査。味、特徴、こだわり、サービスの四項目を十点満点で採点し、基準を満たした店に認定書を発行。結果もも公表する。

 同協会は「それぞれの店がこだわりを持って作っている。お客さまに本物の味を食べてほしい」と話している。
(西日本新聞) - 6月18日2時17分更新
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 佐世保バーガーについて、佐世保出身にもかかわらず、少し前に、会社の同僚から「佐世保ってバーガーが有名なんですよね」と言われて、「へ?バーガー・・・、特に有名なことはないのでは??マクドだったらあるけど・・・」と答えるくらい知らなかった。
 で、それ以降、「佐世保バーガー」気になっていて、今年の正月帰省したとき、駅で「佐世保バーガー」と銘打ったものをその場で作って売っていたものを食べたが、これがまずくてまずくて・・(-"-)。大阪に戻ってよくよく調べたら、「佐世保バーガー」は何店も店があって、駅で食べたのはたまたま「はずれ」もしくは「便乗バーガー」だったのではないか、と思った。まあそういうのもあるから、上記の記事のようなことになったのだろう・・・、うん、佐世保人としては納得ができる。美味しい「佐世保バーガー」食べてみたいものである。

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雲の上を散歩、永遠というなつかしさ

 「雲の中で散歩」ってキアヌリーブスの映画があったけど・・・飛行機に乗って雲海をみると、ごくごく月並みながら、「なんか歩けそう・・・」と思ってしまうなあ。(昨日も飛行機のこと書いていて・・「そんなに飛行機に乗ったのがうれしいんかいっ!」って感じですが^^;)
 あのうわーーっとかなたまでひろがる光景って、なんとも言えず不思議。超陳腐だけど「ここは天国か」とかも思ってしまう。うん、まさに空の上、天なんだが・・・^^;。きれいとかそういうのを通り越して、どこか寂獏としたというか、突き抜けた無音感がある光景だと思う。まあ、じっさいの雲海のうえってどういう状況なのか私は知らないけど。実はビュービュー風が吹いているとか、なんかいろんな音がしているのかもしれないけど、光景のイメージとしては、実にしーんとした地から切り離された異界。散歩なんてもちろんできはしないのだけど、ああいう突き抜けた無音感・・・人の気配も、音もない、異界を歩く、という感覚が、なんだか私にはひどくリアリティをもって感じられる気がする。
 特に昨日の帰りは、夜7時半発の飛行機で、夕暮れから完全にくれてしまうまでの雲海が(そんなに窓にへばりついて長い間見てたんかいっ!?初めて飛行機に乗る子供じゃあるまいし・・・ってな気もするが)実に「あの世」的!?で、なんだかいつかこの世からでていったあと、ああいうところを一人で歩くのかもしれない、と強く思ってしまった。

 以前、「永遠について」ということで、「永遠というのは、私たちの考えている、私たちがそこから通常は抜け出すことのできないこの世の時間とは別次元にある」という結城浩さんの文章を引用して書いたけど、三次元的な世界とは違うところに「永遠」の時間の世界があって、その世界というのは、当然、三次元的な感覚では捉えられないものだろう。でもたとえば、三次元的な感覚で捉えられない世界を、三次元的に無理やり仮に転換するとしたら、その転換例のひとつは、かーんと響くような、でも突き抜けた無音の世界で、熱感も冷感もなく、ただ寂獏とした雲海のような光景が広がる世界なのではないか、とも思う。
 そして、なんだか変なことを書いてしまうが、人間はそういう寂獏とした光景を実はよく知っているのではないか、とも思う。雲海を見ながら、なんだか私はなつかしい・・とも感じたのだ。
 おそらく永遠は空のかなたでも地の果てでも深海の底でもなく、おそらく私たちの意識の遠い記憶の中にある。それは世界が生まれたときの記憶であり、私たちが死んだ後の記憶でもある。私たちは、感覚のどこかで永遠を感じることができる。三次元的な世界に生きる私たちにとって、それはほんとうの永遠からしたら刹那的な擬似的なものかもしれないが・・・。でも私たちはどこかで永遠と結ばれている。

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なぜ急ぐ?

 博多より帰着。
 最近、何回か飛行機に乗ったけど、今日も飛行機で移動してふと疑問に思った。
 飛行機が着陸態勢になってから、シートベルト着用ランプが点灯し、着陸、静止してからしばらくしてシートベルト着用ランプ消灯、飛行機を降りるという段取りになるけど、最近何回か乗った感じでいえば、いつも着陸後、飛行機が静止するかしないかのうちに(シートベルト着用ランプが消灯する前に)多くの人がシートベルトをはずしてて、シートベルト着用ランプ消灯とともに、どーっといっせいに人々が立ち上がり、まだ飛行機の扉も開いていないというのに、通路に押し寄せ、通路に並んで扉が開くのを待っている。
 ・・・それって、なんか急ぎすぎではない?わたしがなんか飛行機に乗りなれていないから感じるだけだろうか?
 シートベルト着用ランプが消えてからゆっくりシートベルトはずして、飛行機の扉が開いてから、ぼちぼち立ってもいいのではないか?とにかくシートベルト着用ランプが消えたとたんの人々のいっせいの立ち上がりに私はびびる。少なくともまだ扉も開いていないのに通路にしばらく並んでいる、というのがよくわからない。並ぶのに出遅れるとなんかものすごい不都合があるのだろうか?
 飛行機に乗る人ってそんなに忙しいのかな?空港バスとか乗り継ぎとかいろいろご都合があるんでしょうか?
 わ、わからん。とにかく、あの、シートベルト着用ランプ消灯とともに立ち上がる人々をわたしは怖い・・。
 びびりすぎて、もう少しで、傘、忘れそうになってしまった、私。

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 横浜へ。
 駅から降りるとどしゃ降りというほどの強さではないが、けっこう雨が激しい。10分弱歩いて、靴はべちょべちょ。
 そこそこ大きな川があってその川を渡るとき、なんとなく実家近くの川を思い出したりした。 
 橋って不思議なものだ。

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さくらんぼ

山梨もさくらんぼの産地らしい。山梨に自宅があって単身赴任中の方が職場に山梨のさくらんぼを山盛りもってこられ、残業時間に皆で食べた。むちゃくちゃおいしかった。やわらかくて甘い。ふつうのさくらんぼは高いので、買うとしたらブラックチェリーが多いのだけど、きょうのあのさくらんぼを味わったあとでは、当分、ブラックチェリーは食べられないなあ。

今週は少し落ち着くかと思ったら、明日は横浜、あさっては博多。

 即詠
一日のおはりとて顔あらふ手のあはひより落つみづも記憶も

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働く女性?

 まずいです・・・。自分で蒔いた種とは言え^^;。今日、礼拝の後の求道者会(ざっくばらんな質問・意見交換会。礼拝のときの説教の内容やその他日ごろ信仰に関して疑問に思っていることを聞いたりできる、・・私は日曜午後から用事があることが多かったりして、あまり参加しない)に参加したのだが、その中で、わたしの短歌のこととHPのことが話題に上がり、たはははは・・(*^^*)という感じだった。短歌を作ることはもともと言ってはいたけど、HPに関しては、ちょっと前に牧師先生に口を滑らせたのであった。求道者会で、たまたま詩編のことで私が質問したのに対し、ある方が「あなたは歌を作られるからこういう詩的な表現は云々・・」と答えられたのをうけて、牧師先生がそうそうという感じで「吉浦さんのお名前で検索すると吉浦さんの短歌のHPが出てきます。」と宣伝?してくださった。。。。。。
 教会の方がHPを見られるとなると・・・もうあんまりこのブログでぐちとか弱音とか後ろ向きなことは書けませんなあ・・・"^_^"いやいや・・・クリスチャンとて人間。時には後ろ向きにも神様から離れるような心境にもなるけれど、やっぱり神様とつながっている・・・というところがわかってもらえればいいのかな・・とも思う。思うが、しかし・・・(~ ~;)。

 その後、教会のPCを買い換えるということで事務長さんと相談。事務長さんから、あれこれPCの使用状況に関して説明を受け真剣に聞いていたら、事務長さんが急に笑い出して曰く「吉浦さんって・・・なんかほんとに<働く女性>って感じだなあ。普通、女の人だったら、僕が説明すると<あー、はい〜(やわらかな物言いの真似)>って感じで聞きはるんやけど、吉浦さんは<はいっ、なるほど(どっしりした態度をまねして)>って感じで・・。いやー、ほんま働く人なんやなあ」。・・・うーん、たしかに腕組みこそしていなかったけど、ことPCとかソフトとかのことでもあったし、なにか間違いがあってはいけない、とことさらに力をいれた、強面な表情・態度であったと思う。最近、特に<審査>という立場で人から説明を受けることが多いせいか、余計、なんか「きつい」態度なのかもしれない(^^ゞ
 神様、こんな態度いけないですか〜????
 

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追悼

 鳥栖のホテルの朝のロビーで、仕事に行く前にチェックしたケータイで、塚本邦雄逝去のニュースを知ったというのはなんとも不思議な巡り会わせだった。
 私は塚本邦雄のよい読者ではぜんぜんなく、直接的に影響や刺激を受けたという思いはない。ただ前衛以降、意識していなくても、現代短歌そのもののベースラインが塚本によって変えられていて、塚本以前の短歌とはそもそも違うものになっていたと考えれば、その「塚本以降」の流れのなかで短歌に参入していった私も間接的に塚本の影響を受けていたことになる。
 個人的にもまったく接触はないといえばないのだが、実は短歌をはじめようと思っていた頃・・まだ短歌人に入会する前、一度、塚本邦雄を至近距離で見たことがある。「生きた歌人」「動く歌人」を初めて見たのが塚本邦雄であった。15年以上も前のこと、NHKの関西地区の短歌大会みたいなものが神戸だかであって、なぜか私は一人でそれを見学にいった。自分自身はその大会に出詠もしていなかったのだが、だれでも見学ができるというのを、なぜだか知って、ひょこひょこ行ってみたのである。そこで、ミニ講演(15分くらい)の講師が塚本邦雄で、例の独特のやや高いトーンで早口に機関銃のように「旧かなで短歌はかかれるべきだ」とか「季節感のずれた短歌はよくない」とか述べておられ、会場の、ほとんど年配であったおば様方に大いに受けていた。その後、公募されていた作品からの入賞作の公開討論が行われたが、そこには塚本邦雄は参加していなかった。
 討論会が終わって、私が会場を出て、しばらく歩くと、なんと三メートルばかり先を、さきほどの塚本邦雄と、討論会のパネラーの一人であった永田和宏が前を歩いていた。わたしは「わわわ・・・<歌人>が歩いている〜」となんだかビビった。(そりゃ<歌人>だって歩くだろうが・・・)もう少し短歌を作ったり勉強をしていたら、「先生」とかいって寄っていって、質問したり、歌集にサインしてもらったりしたかもしれないけど(それもかなり勇気のいる行動だが・・)、そのときはなんだかどきまぎして、三メートルの距離を保ってうしろを歩いていた。たまたま行き先が同じ方向だったから、三メートル後ろを歩いていたのだけど、はたから見ると、ストーカの尾行のようだったかもしれない^^;
 で、私は息をひそめて、おふたりの後を歩いていたのだけど、<歌人>たちはいったいどういう会話をするのかちょっと興味津々でもあった。しかしそこで聞いた会話は、
塚本:「お茶でも飲んでいきましょう」
永田:「あ、はい、そうですねー」
のみであった。そ、そうか・・・・<歌人>も茶を飲むのかー、と感心するような気抜けするような私に気づくことはなくお二人は私の向かう方向とは違う方向に曲がって去っていかれた・・・。
 ・・となんとも他愛のない思い出であるけれど、生まれて初めて見た<歌人>が塚本邦雄であったということは縁あって関西の地にいることと関係が深いだろう。自分の思っている以上に、塚本は私のなかに入ってきているのかもしれないと改めて思う。ご冥福をお祈りいたします。
 

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へたり

 ゆうべ外で友人と晩御飯を食べて帰って来た息子が、土産のイカシューマイをみて、いますぐ食べたいというので、食べさせたら、うーむ、という表情。「551のシューマイのほうが余裕でうまい」とのこと。
 今日、昼、わたしも食べてみたが、私にはけっこういけた。中身も魚系の具で、さっぱりしている。10代の男の子には豚ミンチが入っていないとかなり物足りないだろう。値段が高いのが難。(8個1050円、大き目とはいえど・・)

 スーパーに買い物に行く以外はへたりこんで過ごした一日。
 息子は雨だというのにUSJへ。
 近畿入梅。

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山のかたち

 夜8時40分伊丹着。
 だいぶ飛行機にも慣れてきた。
 鳥栖の山並みは表情が佐世保の山並みに似ていた。
 いかシューマイを買ってきた。いかシューマイってこんなんです。→いかシューマイ

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塚本邦雄

いまケータイからニュースをチェックして塚本邦雄が亡くなったことを知った。ゆうべはまったくニュース見てなかった・・出張先でネットもチェックしてなかったし。
偶然いまわたしのバックのなかには短歌研究社の塚本の文庫が入っている。

わが埋葬ののちにかがやき 髪なせる太陽神経叢のはつなつ
                             塚本邦雄

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天ぷら

今日も鳥栖。いわしピザにこりて今日はオーソドックスな居酒屋メニュー。たとえば天ぷらもりあわせ、六百円でおいしく量も多し。大阪なら三倍くらいの値段だろう。ところで佐賀の土産はなんといってもイカシューマイ・・ってほんとだろうか?

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いわしピザ

朝の飛行機で福岡へ。(六月八日)鳥栖泊。いわしピザ強烈。FA機器の制御ソフトは清しき世界。

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消耗

 以前にも書いたけど、日を追うごとに、二十年間が無駄だったという思いが強くなっていく。
 ほんとにばかばかしかった。このばかばかしい日々の中でくだらなく消耗していくだけの時間というのはなんなんだろうか?
 

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日帰り

 日帰りで横浜。
 あさってから鳥栖に二泊三日の予定なので、今日は宿泊にならなくてよかった。
 明日帰ってきて、あさってからまた泊まりというのはかなりしんどい・・・。
 今日帰って来たかわりに、また来週、横浜に行く。それでしばらくは出張はない・・・と思いたい。

一日といふ組み立てのあはひにて虚のやうな通路またも逢ふべく
                          森岡貞香
 午前中の仕事を中断して、昼食。椅子に座ったとたん、頭の奥のほうでゆっくりと波打つような感覚があった。めまいといえばめまいなのだけど、ゆったりと深い波長の揺れが起こった感じ。すごく疲れているのだろう。
 でも体が疲れていると、感覚的に妙な具合になってきて・・・こういうときは森岡貞香を読むといい。

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こもり

 礼拝ののち、梅田で所用を済ませて帰宅。
 今日は、短歌人関西歌会が神戸であっているのだけど、神戸までいく体力なし。
 午後家ごもり。
 なかなか疲労が回復しない。

 ところで昨日、そうめんみそ汁について書いたが、ふとネットを検索したら、こんなんがあった。
 ・ナスとそうめんのみそ汁
  夏の定番みそ汁だそうだ・・・。そうか定番かぁ^^;
 ・わかめ入りそうめんみそ汁
  これはみそ汁をつゆにしてそうめんを<つけて>食べる・・・らしい。つけるとおいしいのかなあ(??)。つゆはあったかいらしいから、別につけずに最初から<入れて>食べたらいいと思うのだけど。

 また明日から慌しい。慌しさの中で忘れたほうがいいことも忘れてはいけないことも忘れていく。
 悲しいことである。

ブラインドの羽根に小指を置いて待つ もう来はしない、来ない明日を
                         大辻隆弘

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そうめんみそ汁

 最近、週末のお昼ご飯によく食べるのがそうめんみそ汁。みそ汁にそうめんを入れるだけで、めっちゃ簡単なんで、けっこう好き(*^_^*)。
 ちょっとまえに風邪気味で肌寒かった日、なんだかむしょうに「にゅうめん」が食べたくなって、そうめんを買って帰ってきた。で、いざ、にゅうめんつくろうと思ったけど、なんか、だしとか味付けとかめんどーだなあと思って、結局、みそ汁にしてしまえっと!・・と作って食べたらおいしかった。私の母親は、私が子供の頃、たまーにみそ汁にそうめんをいれることがあったけど、わたしの息子はあまりそうめん入りみそ汁は好きではないので、普通にみそ汁を作るときは、ながらくそうめんをいれたことはなかった。
 ひさしぶりにそうめんをいれたみそ汁を食べたら、けっこう気に入って、以来、息子のいないときの軽食?によく作る。特になにか凝ったことをするわけではぜんぜんなく、ただのみそ汁という安易さ^^;わかめとか、ねぎとか、気分に合わせてそこらへんの野菜とかもいれて、味噌煮込みそうめん風にして、お汁茶碗ではなくどんぶり!で食べる。味噌にこだわりはないけど、田舎から送ってきた長崎の白味噌(京都のみたいには白くない、味はかなり甘め)と近所のスーパーで買ってきたごく普通の味噌を半々にまぜて使うと、ほんのりやわらかめな味わいで美味しいっす。・・・ま、すでに季節的には、普通に「冷やしそうめん」の時期ではありますが(^^ゞ。

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どうにか

 どうにか研修から生還。
 つかれた〜
 週末はなにもしたくない。
 月曜はまた横浜、そのあとは鳥栖(佐賀)。

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当たり

きょうはいろいろ<当たって>しまった。
研修時、職種転換した人間ということでなのか、本部スタッフだったからなのか、とにかく質問されてしまった。
「○○とは、こうこうなんで、このように大事なんですよ、ね、よしうらさん」
「・・ということなんだけど、いまの説明からいくと、この例ではAとBではどっちが正しいかな、吉浦さん」
ってな具合。。。。半分いじって楽しんいたのだろうか、やたら、こわもてのあの先生。。。。
で、その後のグループ討議の発表当番もあみだくじで当たってしまった。
さらに明日朝の、朝会の所感当番まで当たってしまった。(その研修の出席番号が私は3番で、「明日は3日なのでー」と事務局の人に言われた--#)

・・・ということで、某所研修施設で夜十一時すぎまで議論アンド資料作成。こんなハードな研修ははじめて(T_T)

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みどり

 昨日から胃が縮み上がるようなことばかり。夜、帰阪。夕刻、あれこれ紛糾して、予約していた新横浜からの指定席に乗り遅れたので、名古屋まで「立ち」かなとおもっていたら、自由席で座れたので、ほっ。
 また明日は某所へ出張、一泊。来週一杯、「死のロード」と思っていたけど、今日の紛糾のおかげ?で、来週は一日は大阪にいれそうだ。
 東横線沿線の緑が深かった。

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