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まじめ、ということ

 尼崎の事故を起こした列車に乗客として乗り合わせたJRの運転士ふたりが、乗客の救助活動をせず、その場を立ち去り、そのまま出社し通常勤務していた、と問題になっている。周辺の住民や職場の人たちが、救助活動をしていたにも関わらず・・ということで、かなり非難を浴びている。
 たしかにこの運転士たちの行動は常識的に考えて、とてもおかしいと思う。思いつつ、わたしはふと、以前読んだ、辺見庸の文章を思い出した。辺見庸は10年前の地下鉄サリン事件に遭遇したのだけど、そのとき、多くの人が道に倒れ、駅周辺は異常な状態になっていたのだけど、その道端にうずくまる人々の外側には、ごく普通の出社風景があった、と書いてあった。うずくまる人々、倒れている人々の体の上をまたいで、会社に向かう「まじめな会社員」たちの姿もあった、と。人が倒れているということ、異常なことがおこっていること、に深く心を留めることなく、出社する、という組織論理にしたがって行動する人々は、いまの日本にはごく普通に無数に存在する「まじめな会社員」「忠実な組織人」である。その倒れている人たちをわき目で見てあるいはまたいで出社しようとした「まじめな会社員」たちと、事故現場を立ち去り出社したJRの運転士は同じ思考回路をしている。というより個人としての思考能力を失っている、という点で同様である。
 会社とか組織に、みずから思考すること判断することをあずけてしまっている。一人の人間としての判断とか感性というものが失われている。
 去年聞いた安藤忠雄の講演でも「日本人は1960年以降、自分で考えることをやめてしまった」と安藤忠雄は言っていた。自分で考えない「まじめさ」はこの国に蔓延している。

 事故現場をみて、とっさに大量の氷を提供した市場の人、タオルをもって駆けつけた人、列車にはさまれた人の手を握りしめ続けた人。自分で見て感じて考える人にしかできない行動である。でも、もし自分が出社途中や、なにか重要な約束などがあって移動中にそういう事態に遭遇したときそういう行動がとれるかというと100%の自信はない。

イラク派遣先遣隊の隊列のひとりひとりに影はあつたか
                        竹山広

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