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くるはずのなし

 礼拝。午後には、新任牧師先生の就任式もあり。先生の前任教会からも、何人かの信者の方が駆けつけ(千葉県から!)、先生がいかに前任教会でも信頼厚かったかということを感じさせられた。駆けつけ組の一人である大学生の男の子は、就任式後の茶話会で司会の方に促されてピアノ演奏を披露。「賛美歌とか弾けないんで、サザンの<TUNAMI>を・・・」というのも微笑ましく、礼拝堂に響くピアノのサザンも新鮮であった。

われら四方より患難を受くれども窮せず、
せん方尽くれども希望を失わず

       コリント2 4-8
 これは、所属する教会の名前の由来になった聖書の箇所である。通常は、教会では現代語訳の聖書を使っているが、この箇所を教会のパンフレット・週報などに印刷する場合に限り、あえて、文語訳が使われている。
 希望=のぞみ、を失わない。のぞみを掲げた教会ということで、のぞみ教会という名になったとのこと。
 私は正直にいって、この「われら四方より・・」の言葉にはずっとピンときてなくて、「なんかまるで迫害うけてるみたい(?o?)」で実感がわかなかった(^^ゞ。だって文語だと余計そんな感じがしません?なんか300年前の長崎のキリシタンになったような・・・。(→なんせ長崎出身なもんで、ほんとに隠れキリシタンの末裔とかいたんですよ、身近に。参照「マリア観音」。)
 しかし、今日、就任式であらためてその言葉の由来を聞き、なんとなく、「のぞみを掲げる」「希望を失わない」という言葉はいいなあ、と思った。
 のぞみ、だの、希望だの、その言葉だけを聞いたら、すごくありふれて能天気な感じもあるけど^^;

生きてゐても仕方がないと歌ふ日のわれにもくるかくるはずのなし
                                      竹山広
 「くるはずのなし」という言い切りは強いなあと思う。
 私も生きていても仕方がない、とは思わないけど、ここ20年ばかりやってきたことがまったく否定されてしまったので、この20年ばかり(特にここ10年)の歳月はしょーもなかった、やってても仕方がなかった、と思ったりはする。神様にはしかられるだろうけど。

 即詠
motivationなどいとぬるき言葉にて生活(たつき)のために明日も働く

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コメント

吉永様

書き込みありがとうございます。
戦国時代を生き抜くパワーが枯渇している今日この頃です。

自分の努力が否定されたのなら、今度はその相手を否定したらいかがでしょう。これでおあいこ(笑)。いま戦国時代、仕事も領域も切り取り自由。

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