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主査

吉浦@主査、へとへと。窓から新横浜駅がみえる。ああ横浜の灯。

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一年

 帰宅したら、「受洗一年おめでとうございます」という葉書が教会の方の連名で届いていた。
 昨年のペンテコステで受洗したので、ことしのペンテコステのとき、ああ一年たった、と思ったけど、日にちとしては、5月30日が受洗記念日ということになるのであった。(教会暦は年によって変動するものがある。たとえば、クリスマスは毎年いっしょだけど、イースターとかペンテコステは変動する)
 慌しい日々の中、なんだかはっとするような葉書であった。

・・・あすから来週まで「死のロード」(→ちと、おおげさ(*^_^*))。連続出張の日々・・・へろへろ。出張先からもケータイで一言はかきます〜

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根くらべ

 礼拝の後、総会。
 予算案とか教会事業計画とか・・いろいろと協議をする。それぞれ○号議案、とか資料があって、なんだか組合の職場会みたい^^;
 役員改選というのもあって、これがなかなかたいへんである。
 ちょっとまえ、カトリックのローマ法王の選出にあたって「コンクラーベ」が話題になったけど、教派を問わず、キリスト教の伝統なのか?^^;、小さな町教会の役員改選といえども、「根くらべ」である。4人を選出するのだけど、投票して上位4名が選ばれるわけではなく、3分の2以上の得票を得た人が選ばれるのである。3分の2の得票を得る人が出るまで、延々と投票を繰り返す。
 この投票がたいへんなので、すべての議案の検討の前にまず一回投票をして、開票・集計作業の間に、別の議案を検討する。票が確定した時点で、議案の議論を中断して、開票結果をみて、次の投票を行う。で、開票集計中に、またつづきの議案検討を・・、という流れ。
 今年は、結局、三回の投票ですんだので、早かった?のだろう。

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短歌的でない日々

 午前中、病院へ。先般のMRI結果について、専門の先生の意見を聞く。
 まあとりあえず様子見ということで、特にいますぐどうこう、ということはないという結論に。
 すっきりはしないけど、とりあえずよかった。

 今日話を伺ったのは、いつも行く病院と提携している専門医の先生で、専門の先生と聞いただけで勝手におじいさんの先生、と思い込んでいたのだが、今日、はじめて実際に会ったら、私と同じくらいかちょっと上くらいの方で、たいそう精悍で素敵な先生であった(*^_^*)
 <特にいますぐどうこう>、ということはない、ということなので、もうあの先生とはちょくちょくは会えないのね〜。残念!一年後か二年後、再検査を受けたとき、まだあの先生がいきつけの病院と提携してくれていることを祈る(^^ゞ

 午後から職場へ。ちょっとどうも仕事が立て込んでいる。

 帰宅したら、「塔」が届いていた。わたしが寄稿した文章も載っていた。
 短歌的でない日々を送っていたのでちょっと新鮮な気分になった。

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スカートのホック?

 午後から、職場で機密書類の整理ということで、職場メンバー総出で作業をする。
 古い古い書類を引っ張り出して、仕分け・廃棄作業を行った。どのくらい古いかというと、私の生まれた年の書類まであったのである。当時の家電品の広告写真つき(これはかなりお宝写真だと思う)書類などもあって、差し支えのない書類でわたしの生まれ月のものを記念に貰って帰って来た^^わたしがまだ1600グラムのころの書類かと思うとなんだか感慨深かった。

 ところで、その作業中、私は書類で手を切ってしまった(親指と人差し指の間のところ)。私は実は血とか傷とか怖くて、自分のちょっとしたけがでも恐ろしくて見ることができない。<わっ切った>、と思った瞬間、けっこう痛みがひどかったこともあって、こりゃ傷は深いと思って、余計ケガの状況を見ることができず、反射的に切ったほうの手を腰において「痛〜」と呻いていた。横にいた人がびっくりして「どしたん!?だいじょうぶ?スカートのホックが取れたんかっ!?」と言ったので、むっとした。こっちは怪我して痛いというのにスカートのホックだぁ???たしかにその人(居室の席も隣の人)にはよく「また太ってしまって、最近スカートが苦しい」とかよく喋っていたけど・・なんでいまそんなことを言うのかっ。私がぷんぷん怒っていたら「腰に手を置いてるから、てっきり腰でも痛くなったんかと思ったんやんか、心配してるのにー」と言われた。たしかに不自然な姿勢で作業してたんで、腰がおかしくなったはずみにホックがとれたと思ったらしい^^;心配してくれたのに悪かった。けどなあ・・・、やっぱり「どしたんスカートのホックがとれたんかっ?」はなあ・・・うーむ。

 夜、以前の職場の方+αと飲みに行く。ご迷惑をおかけして悪かったと思う。

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若草のころ、もあった

 横浜の駅をうろついていると、「元町」とか「関内」という地名が聞こえてきて、とてもなつかしかった。
 むかしむかし二年ほど横浜市民だったことがある。
 当時、横浜から東京の会社に通っていた。よく考えたら、その後、東京にはたまに行くことがあるけど、横浜の元町あたりって、ずっと行ったことがないなあ。新横浜およびそこから乗り換えていくところへは何回か仕事の関係でいったけど。そうそう関内あたりは一度、短歌の会でいったような記憶がある。
 ふっと元町あたりを歩いてみようかなとも思ったけど、昨日も今日もとってもへとへとだったので、そんな気力がなかった。
 若草寮はまだあるのかな?
 
 自宅PC宛メールとか、管理している掲示板に、最近とみにスパム・迷惑メール/書き込みが多い。外出先からたまに、ケータイでチェックだけはしているけど、「げっ・・・、またこんな書き込みが〜」と不愉快になりつつ、どうしようもできない。でも今日はあんまり頭に来たので、新幹線の中でどうにかケータイをいじって、掲示板への書き込みを削除することができた。ほっ。
 ・・・といってもその1時間ほどあとには帰阪したのだから、帰ってきてから自宅PCでさくっと消してもよかったのだけど^^;;

 若草寮の頃は、ケータイもPCもなかった。おまけに寮の部屋に個人で電話を持っている人もいなかったんで、みんな寮内に二台あった公衆電話に並んでいたり、寮監さんからの電話の呼び出し放送を待ったりしていた。(なんだかこう書くと100年位前のことのように思える。)遠距離恋愛組はだいたい電話の呼び出しや公衆電話に並ぶ頻度や感じで、周囲にバレバレで、かくいう私もその口だったので、「最近、電話の呼び出し少ないねー、彼とは大丈夫?」とか余計なことを^^先輩からとかもチェックされたり、まあ実に楽しい若き日々でありました!?。

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ヨコハマ

疲労こんぱいでホテル着。シューマイ弁当食べて寝よう。ホテルの部屋はやすい割にきれいだけどケータイが圏外。子供との連絡がやや心配。

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横浜に青い灯は見えるか

 なんだか気分が悪いわ、ぷんぷん。返事もこないし・・・。
 ちっ、ちゃぶ台でもひっくり返すか。
 (ノ-_-)ノ ~┻━┻

 明日は横浜。

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くるはずのなし

 礼拝。午後には、新任牧師先生の就任式もあり。先生の前任教会からも、何人かの信者の方が駆けつけ(千葉県から!)、先生がいかに前任教会でも信頼厚かったかということを感じさせられた。駆けつけ組の一人である大学生の男の子は、就任式後の茶話会で司会の方に促されてピアノ演奏を披露。「賛美歌とか弾けないんで、サザンの<TUNAMI>を・・・」というのも微笑ましく、礼拝堂に響くピアノのサザンも新鮮であった。

われら四方より患難を受くれども窮せず、
せん方尽くれども希望を失わず

       コリント2 4-8
 これは、所属する教会の名前の由来になった聖書の箇所である。通常は、教会では現代語訳の聖書を使っているが、この箇所を教会のパンフレット・週報などに印刷する場合に限り、あえて、文語訳が使われている。
 希望=のぞみ、を失わない。のぞみを掲げた教会ということで、のぞみ教会という名になったとのこと。
 私は正直にいって、この「われら四方より・・」の言葉にはずっとピンときてなくて、「なんかまるで迫害うけてるみたい(?o?)」で実感がわかなかった(^^ゞ。だって文語だと余計そんな感じがしません?なんか300年前の長崎のキリシタンになったような・・・。(→なんせ長崎出身なもんで、ほんとに隠れキリシタンの末裔とかいたんですよ、身近に。参照「マリア観音」。)
 しかし、今日、就任式であらためてその言葉の由来を聞き、なんとなく、「のぞみを掲げる」「希望を失わない」という言葉はいいなあ、と思った。
 のぞみ、だの、希望だの、その言葉だけを聞いたら、すごくありふれて能天気な感じもあるけど^^;

生きてゐても仕方がないと歌ふ日のわれにもくるかくるはずのなし
                                      竹山広
 「くるはずのなし」という言い切りは強いなあと思う。
 私も生きていても仕方がない、とは思わないけど、ここ20年ばかりやってきたことがまったく否定されてしまったので、この20年ばかり(特にここ10年)の歳月はしょーもなかった、やってても仕方がなかった、と思ったりはする。神様にはしかられるだろうけど。

 即詠
motivationなどいとぬるき言葉にて生活(たつき)のために明日も働く

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バスキン

 風邪が抜け切っていないのか、少々、からだがだるい。
 だるい体を起こして、ずっと前から行こうと思っていた心斎橋の大阪市立近代美術館(仮称)所蔵名品展に行く。
 中ノ島に建築予定の近代美術館用のコレクションの一部の公開。今回の公開は、50点ほどと数は多くないが、美術はまるきり素人の私がみても、かなり質の高い内容と思われ、見ごたえは充分であった。
 ユトリロ、ダリ、キリコ、モディリアーニ・・・等々、ここ百年の作品が公開されている。
 私が個人的に興味をもったのは、パスキン。はずかしながら、今まで名前も知らなかった。
 「サロメ」と絵本「サンドリヨン」の挿絵が展示されていたが、とても繊細な筆致で、非常に心引かれた。
 「サロメ」なんて、普通かなりまがまがしいイメージをもつのだけど、やわらかい、ほわんとした感じであどけないとすら思える「サロメ」像が逆にどこか異様で、こころ引かれた。
 調べてみると、かなり破滅型の生活をしていた画家のようで、45歳で自殺したそうである。
 展示自体もよかったし、バスキンを知ることができたのもよかった。
 それにしても20世紀前半くらいまでの作品には心を引かれるのだけど、第二次世界大戦後以降くらいの作品にはぜんぜん心引かれないなあ・・。美術展を見に行っていつもそうおもう。

 ところで私はミナミにはほとんど行くことがなく、心斎橋もほんとにひさしぶりだった。久しぶりに行ったら、「なんて都会なんだ〜」と圧倒されてしまった^^;思わずここは東京じゃなかとね!?とも思ってしまった。(→発想が田舎もの)
 キタの梅田近辺でも若い人がいくようなところには私はあんまり行かないからキタよりミナミが若いってこともないのかもしれないけど、今日の印象では、心斎橋周辺を歩いている層の若さにびっくりしてしまった(ただし、むちゃくちゃ若くてがきっぽいということもない)。そして皆さん、おしゃれである。うーん、次にミナミにいくときはもすこし服装を考えていこう(^^ゞ


即詠
<グロスレイの教会>のうへユトリロの空あり午後4時40分の

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生き生きとしたもの

ガラス戸の外に据ゑたる鳥籠のブリキの屋根に月映ゆる見ゆ
                      正岡子規
 なんということもない歌といえばそんな感じ。旧派和歌からの革新の時代であった当時としての価値はまた別として。
 正岡子規という署名をはずして歌会なんかに出しても「ちょっと素直すぎて・・」みたいな評が出そうだし、「見たままその通りですね」なんてこともいう人がいるかもしれない。でも私は100%の自信はないけど、無記名でこの歌に最初に出会っても、歌会で点を入れたと思う。
 よくわからないけど、まず「ブリキ」という言葉の響きがなつかしいという個人的感慨があって^^;、「ガラス戸の外に」、「鳥籠の」、「ブリキの屋根に」って、なんか説明的につづいている言葉の流れが、妙におもしろい、という感想をもつ。最後に月がでてくるのが、唐突なようなお決まりのような感じなのだが、ガラス戸、鳥籠、その屋根の上の月、という構図は単純なようで不思議にくっきりした印象を持つ。
 寝たきりの子規のために、外の景色をみることができるように、当時としては珍しいガラス戸が作られた。そのガラス戸から子規は外をみて、多くの歌を作った。

紙をもてラムプおほへばガラス戸の外の月夜のあきらけく見ゆ
月照す上野の森を見つつあれば家ゆるがして汽車往き還る
ガラス戸のくもり拭へばあきらかに寝ながら身ゆる山吹の花

                           子規
 よく言われることだが、寝たきりであった子規の精神は生き生きとしていた。<見る人>として、見える世界をみつづけた。100年前の人の視線を支える心は自由であった。

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 夕刻、いろいろと思うことがあって、ちょっと頭を冷やそうと職場がある建物の外に出た。外と言っても、広い広い構内である。特にどこに行くともなく、歩いていた。
 神様、わたしぁこんなに悩んでいるんだからどうにかしてくださいよ〜
 と思いつつ・・。
 ふと見ると、ある建物が見えた。はっと思い出した。ああこの建物には、以前の仕事の関係で知っている人がいる、と。
 そうだ、気分転換もかねて、知り合いをたずねてみよう、と思って建物の中に入った。
 いきなりたずねたにもかかわらず、その知人はすごくよく喋ってくれた。結局、一時間くらい話をした。
 いろいろとためになることを聞いた。ほんとにためになること。
 少し、力を得て、またとぼとぼ歩いて自分の職場に戻った。

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旅烏

 明烏って落語があったなあ・・・ということとは関係なく、旅烏である。
 5/24-25、5/31-6/1 横浜 
 6/2-3 某所(宿泊研修) 
 6/6-7 横浜 
 6/8-10 佐賀

 5/31から約二週間は、平日はずっと<どっかへ行っている>状態。
 6月下旬、さらに海外に行く予定があったが、それはキャンセル。さっそくパスポートが使えると思ったのだが・・。海外は9月までお預け。

汽車過ぎし小野の停車場春の夜を老いし駅夫のたたずめるあり
                       『海の声』若山牧水

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拾月参日

 計画年休。異動後はじめての年休取得。
 午後からパスポート申請に行く。
 別に差し迫って海外出張があるわけではないが、そのうち多分ある、ということで、「パスポートは取っておくように」と異動早々上司に言われてて、ようやく申請しにいった次第。たしかに職場をみまわすと、前の席の人が現在、中国出張中、上司が来週、別件でやはり中国。そのほか、チェコだの、マレーシアだのいろいろと地名がとびかっている。
 住民票を区役所でとったあと、はたと気づいたのが、戸籍謄本は本籍地に行かないといけない、ということだった。あ、当たり前ですが・・(^^ゞ。自分としては区役所とパスポートセンターにいけばすむと思い込んでたので、ちょっと慌てた。で、本籍地にむかったのだが、なんか不愉快だった。だって本籍地の門真市の市役所って、今の職場とおなじ駅なのだもの。わざわざなぜ休みの日に職場の最寄り駅まで行かんといかんのだ(-"-)そもそも裁量労働なんだから、、仕事のある日にちょっと私用外出して、役所に行ったほうがはるかに効率的だったのだ。なぜ事前に取っておかなかったんだ、段取り悪いぞ私は、と自分にも腹が立つ。いっそのこと、今日は戸籍謄本とるのやめようかな、とも思ったが、でもなんとなく、気分的に、今日中に申請までは済ませる、と決めていたんで、明日以降、戸籍謄本とって、それから申請して・・というのもすっきりしない。で、門真市役所まで、むっ、としながらいった。(案の定、駅から歩いていたら、今の職場の人じゃないけど、知り合いにあったりした・・・。)
 で、戸籍謄本とったのだが、戸籍謄本をとるのはもう・・ここ何年もなかったことだと思う。で、まじまじと謄本をみてちょっと感動した。自分の出生の届出の日付とかもわかるのだなあ、と改めて知った。<拾月参日>に父親より届け出、という旨が書かれていた。私の誕生日は9月24日だから10日近くあとである。まあ出生届は名前とかじっくり考えて出す人も多いから、10日あとといってもさほどびっくりするほど遅いわけでもないだろうけど。ただ、その記述をみて、私は母親がいっていたことを思い出した。私は出生時の体重が1600グラムしかなく(というのは昔の日日に少し書いたような記憶がある)、40年も前としては超未熟児だった。当時は、「数日で亡くなるだろう、とても育つまい」と言われていたそうだ。両親が出生届のことを話したらお医者さんから「たぶん助からないでしょうから死亡届といっしょでいいのでは?」と言われたそうだ。(なんつー医者でありましょうか?)
 でもまあ、結果的には、死亡届といっしょではなく無事10月3日に単独で^^;出生届は提出されていたわけである。で、かつ、<一回の授乳量がティースプーン一杯だけだった、それだけしか飲めなかった>という超未熟児は、その後40年余りたっても、まだなお生き延びており、ビールなら1リットルくらい飲んだりなんかしている。

 その後パスポート申請して、帰宅。夕刻、学校から帰って来た息子と、息子のコンタクトレンズを作りに梅田へ。これまでと同じ普通のレンズにしとけばいいものを、カラーレンズにするだの贅沢なことをいう。普通レンズとの差額は自分が払うから、でも次の小遣い日まで待って・・・やと(-.-)。
 その後、<肉、肉>とうるさい息子のリクエストで、しゃぶしゃぶ食べ放題を食べて帰ってくる。

 帰宅してまたふと思う。謄本の記事にあった<拾月参日>、父は27歳だった。そのときの彼の思いはわかりようがない。32歳で急逝した彼が今の私や私の息子を見てどう思うのか・・・それもわかりようがない。

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土がた

 ブログ上部のカラーを変えました。ちょっと気分転換。
 いや重大な気分転換、決意。もろもろとの決別の決意。
 さようなら、みな様。(→なんのこっちゃ(^^ゞ)
 
 鼻かぜがひどくて、ゆうべも鼻づまりでほとんど眠れなかった。
 今日は、かなり早く帰宅したのだが、夜になると、また鼻づまりが〜(ToT)

混沌が二つに分れ天となり土となるその土がたわれは
                     正岡子規

 よくわからない歌である。自作土蔵(秀真)という題がある。この題で一首のみ。
 土がたわれは・・・というくだりを読むとき、「土に返る人間」という聖書の言葉を思い出す。もちろん子規はそんなことは考えていないだろう。しかし、そもそも、混沌が分かれ・・というくだりからして、ちょっと天地創造を思い起こさせる。
 まったく状況が読めないのであるが、この歌にはなにか背景があるのであろうか?天と土に分かれるというのは、ろくろかなんかで土をこねているとき、中央部がへこんで上部と下部が出っ張っている状態、とかそういうことであろうか。
 土がたわれは、というところもよくわからないのだが・・・なんとなく、土くれに過ぎないものが、泣き笑い怒り喜びながら土の上で一生(ひとよ)を終えるイメージとどうしても重なる。この土くれは、一生、夢見る土くれ。

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葦笛

パネラーのプロで暮らしてゆく道はなきか ひと生(よ)を葦笛として
                    『ルーノ』 大辻隆弘
 生活(たつき)というのは苦しい・・・。
 パネラーのプロであってもなくても、ひと生は葦笛。

疲れたるときは遠くを見よという月のまわりの空青くあり
                    『海雨』 吉川宏志
 今夜は半月だった。
 月は論理的思考を強いない。ばかばかしい作業を強いない。
 その青白い頬は冷淡でありながら深い情念を引き寄せてくる。

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ペンテコステ

 今日はペンテコステ(聖霊降臨祭)。
 昨年のペンテコステで受洗をしたので、ちょうど受洗一年となる。
 ペンテコステというのは、降誕祭(クリスマス)や復活祭(イースター)とともに教会の大きな三つの祝日のひとつであるけど、どうも降誕祭や復活祭に比べると、ペンテコステは圧倒的に、地味、である(*^^*)
 降誕祭や復活祭は、信者以外の方も積極的にお招きして、式次第なんかも別刷りの冊子が準備されたりして、参加人数も多く、礼拝の後は愛餐会(昼食会)もある。それに対して、ペンテコステは、ぜんぜんふつーの礼拝です。愛餐会もないし・・。
 受洗式はだいたい3つの祝日のうちのどれかで行われることが多いのだが、よりによって、なんで一番地味なペンテコステで受洗してしまったかねー、と思わないでもないけど、一年前は、クリスマスまで待てるか〜!!って心境でしたもんね。まあいろんな人の話を聞いても自分のことを思っても、受洗というのはタイミングで、きっと「そのとき」に受洗しないとチャンスを逸してしまうということもあるように思うので、まあペンテコステでよかったのだろう。それもイエス様の導きというものであろう。
 ・・ということで、今日は、受洗一周年なので、普段は、あまり書かない信仰について少し書こうと思う。

 まずは、せっかくなので、私にとっては特に大きな意味をもつ、そのペンテコステについて補記しておこう。といいつつ、まだまだ新米信者の理解の範囲での記述であるが・・。
 ペンテコステというのは、ギリシャ語で「50」を意味するそうだ。キリストの復活から50日目ということである。
 そしてこの日はもともとユダヤ教の五旬祭の日に当たるそうだ。モーゼによってエジプトを脱出した民が、「作物の収穫を祝う」祝日としたのがはじめで、さらには「モーセを通して律法が授けられた日」という記念の意味も付け加えられたそうだ。
 それが新約の時代になり、キリストの死後、信者たちが集まって、五旬祭を祝っていたとき、一同のうえに「聖霊がくだった」ということで、それを記念して、「聖霊降臨」祭となったそうである。使徒言行録によると、その日・・
「突然、激しい風が吹いてくるような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、’霊’が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話し出した」
とあり、なんだかすごい状況だったようである。<炎のような舌>なんて、そこらへんのSFX映画もどきですらある^^。それをみていた一般の人々(各国からエルサレムに来ていた人々)はガリラヤ出身の使徒たちがいきなり、聴衆たちのそれぞれの故郷の言葉で語り出したので、衝撃を受け(そりゃ当然)、なかには「あいつら酔っ払ってんじゃないのか」というものもいたりして、大いに怪しんだ様子である。しかし、ここにすくっと立ち上がったのが一番弟子ペトロ。一番弟子といったって、彼もキリスト処刑のおりには、「イエスなんて知らない」とシラを切り逃げていた一人。その彼が、奇跡のような、一世一代の説教を放ち、それに感銘をうけた3000人が一日で受洗した、と記録にある。使徒たちが、宣教をする力を得た日ということで、ペンテコステは「教会の誕生日」とも言われている。
 ・・・と書いたが、キリスト教徒でない方には、上記の言行録の記述にしても、「聖霊」だの「降臨」だのという言葉にも、かなりと、「アヤシイ」「いかがわしい」「いかにも宗教っぽい」と感じられることでありましょう^^;
 しかしながら、自分なりに思うのは、結局、宗教というのは「信じること」に他ならず、「信じる」とはどういうことか、と考えても「信じるとは信じること」としかいいようがないように思う。まったく説明になっていないが。「信じること」は「理解すること」や「証明すること」を超えていると思う。理解をしたから信じたわけでも、たしかに事実であると証明されたから信じたわけでもない。<炎のような舌>を私はもちろん見ていないし、ペトロの説教を聴いたわけでもない。でも私は、言行録の記事を宗教的真実として「信じる」。
 でも、宗教に限らず、「信じる」というのはそういうことでないだろうか。たとえばある人を「信じる」というとき、それは信じる側の、「信じる」という思いとか意志とか決意に他ならないと思う。もちろん相手がなんらかの条件を満たしているから信じる、ということは現実社会の中ではあるかもしれない。仕事上の実績のある人だから、温厚な人柄だから、大企業に勤めているから・・・なんらかの条件があってそれをクリアしているから信じる、ということもあるだろう。しかし、「究極的に信じる」というのはそういうことではないのではないだろうか。条件が変化したら信じなくなる、というものではなく、ずっと信じる、信じ続けること。
 「信じていたのに裏切られた」ってことも、ままあるけど、「信じる」のはあくまでも信じた側の問題であって相手の問題ではない。裏切られたことに対する保障・謝罪を追求するのであれば、それは「信じた」のではなく、なんらかの有形無形の「契約」「約束」のもとの関係であったのである。もちろん人間関係において、純粋に「信じる」、「信じあう」というのは難しい。難しいからこそ、そこに「契約」「約束」のしばりが入ってきたりする。その契約すら守ることがおぼつかないのが人間でもある。さらに<信じた気持ち>を踏みにじるようなことをするのは往々にして<裏切った相手>ではなく自分自身であったりする。

 自分自身の問題だからといって、じゃあなんでもかんでも信じるのか?というとそれも難しい。宗教にせよなんにせよ、「信じる」にいたる流れというのはなかなか説明がむずかしい。受洗に関しては私の場合、聖書を読んだり、牧師先生の話をうかがっているうちに「信じたい」という気持ちが出てきたのである。イエスの救いを信じられたらいいだろうなあ、と感じた。そのなかで「信じたい」「信じられたらなあ」「信じてみようかな」「信じよう」・・というような変遷を経ている。その変遷ステップで特に何か宗教的な体験とか、不思議な感覚を持ったということもなく、なんとなく、こうなってしまったのであるが。

 とはいえ、宗教的な意味での「信じる」ということは、宗教というものになじみのない一般の日本人には、ある意味、恐怖なことでもあろう。歴史において、宗教の名のもとになされた戦争は数知れず、オウムなどのカルトの事件、宗教家の拝金主義、暴行事件、神の名の下の自爆テロ・・・等々理解しがたいことがあれこれとある。

 でも、やはり私は信じるとしかいいようがない。
 受洗して一年、実生活上、受洗前に比べてなにが変わったかというと、「ぜんぜん変らん」としかいいようがない。いや、生活上、ある意味、一年前のほうが楽しくゆたかであったようなところもあるくらいである。さらに自分自身を振り返っても、相変わらず、不平不満だらけで、怒りっぽく、よく人と喧嘩するし・・心のなかの状況においても言動においてもとてもとても「神の栄光をあらわす」信者とは言いがたい(-"-)。
 さらに、自分自身、この一年も(ある部分確信犯的に)いくつもの<罪>を犯してきたと思うし、これからも<罪>から逃れられないと思う。これは重いことである。

 そんな生活のあれこれのなかで罪深いにもかかわらず・・
「神様のばかやろー」
 と、正直、思ったことはこの一年、特にここ数ヶ月は、何度もあるけど(^^ゞ、 でも不思議なことに、神様はいる、とずっと思っているし、一年前よりもより強くそう思っている自分に気がつく。そうはいえ、神様のなさることは私にはよくわからない。「はっきり言って不満ですっ!」ってことも多々あるけど、 いまは不満でも、いつかわかるようになるという気がする。いくべき道は整えてくださる、と信じている。

 今日、礼拝で祈っていたとき、感じたのは、神様は私が幸せになることを望んでおられる、ということである。こう書くと、なんてお気楽かつ単純と思われるかもしれないが・・^o^
 こんなに文句たらたらの、意志の弱い、罪深い私であっても、喜びながら生きて欲しいと思われている、ということをほんとーに感じたのである。主に感謝。

あなたは命に至る道をわたしに示し、
御前にいるわたしを喜びで満たしてくださる
 
            使徒言行録2章 ペトロが引用したダビデの言葉

明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。
            マタイ6−34

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今日は休憩

 午前中、病院。GM中のMRIの結果を聞く。うーむ。

 一日、休憩。

生活を単純化して生きむとす単純化とはすなはち臥床なり
                    斎藤茂吉

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ああ、がせねた

 今日も都内某所で仕事。
 夕方、バックの中でケータイが着信でブルブルしているのがわかったが、そのときはケータイに出られる状態でなかった。ブルブルしている時間がけっこう長くて、かつ、なんとなく子供からのような気がして気になった。しばらくのち、やっとケータイを確認できて、みると、やはり息子から。なんかあったんだろうか?昨日の朝から家を空けて東京に来ているので、心配である。
 慌ててこちらから電話すると、
「自転車もって行かれた」。
 は?(--#)
 なんでも朝、普段は駅まで歩きで行くのだが、今朝は遅刻しそうだったので、自転車でいった。駅近くの路上にとめていたら、今日はたまたま放置自転車撤去作業をする日だったみたいで見事に持っていかれたそうだ・・。「ま、それだけの話だけど(笑)」と息子。・・・それだけの話かい・・・ま、なんかたいへんなことが起こってなくてよかったけどさ。

 夜10時まえ、新大阪着。ホームから新大阪駅の新幹線改札口へ向かって歩いていくと、遠くからでも改札口あたりにたくさんの人がたまっているのがわかった。異様な雰囲気である。なんか事故?と最初は思ったが、近づくとそんな感じでもない。人ごみの間をぬって改札を出たが、改札の外にも改札を取り巻いてかなりの人がいる・・どうもみんな誰かを待ってる風情。改札付近の駅員さんに「誰が来るんですか?」と聞いたら「いやー、誰でしょうね、わからないんですよ」。で、どうも気になって(←ミーハー(^^ゞ)、待っている人に聞いてみた。若い二人組の女性にまず聞いたら「さあ、わかんないんですよ、なんか韓国の人らしいんですけど」。わかんない割にはふたりともケータイのカメラをスタンバイして待っている^^;さらにその隣にいたやはり若い女性二人組に聞いたら「リ・シホンです」とのこと。だれじゃそれ?私は冬ソナも見ていないし、韓国の有名俳優でかろうじて顔がわかるのはヨン様しかいないのだ。興味ないし・・。でも俳優さんそのものには興味はないけど、どんな感じで出てくるのかなんか様子を見てみたいと思い、最初に聞いた二人組とそのあとに聞いた二人組の間にしばし立って、そのシホンとかいう人をまつことに。(←超ミーハー)さらに周囲の情報によると、愛知から来る、とのこと。で、15分くらい待っていたのだけど、ぜんぜんやってくる風情がない。周囲の人垣はどんどん増えている。改札から出てくる人が、改札を取り巻く人垣に皆いちようにびっくりしている様子がおかしかった。私は改札から遠からず近からずという場所で、かつ改札に向かって最前列(あーハズカシ)にいたので、改札から出てくる人から「みんな誰を待っているんですか?」とよく聞かれた。で仕方ないんで「リ・シホンとかいう人らしいです」と答えたりした。5人以上に聞かれて5人以上に答えたなあ。両隣の若い女性が、わたしが何回も答えていると「質問されてたいへんですね」とか言ってくれる。聞く人はほとんどサラリーマン風のおじさん。それにしても、ほぼ同じ位置にいる両隣の彼女たちでなく、なぜみな私に聞くのだろうか?若い女性には聞きにくいのだろか?
 しかしそれにしても出てこないなあ・・・ほんとにくるのかなあ、と疑念もうずまく。次の新幹線の到着時間まで待ってこなかったら帰ろう、と決めてその新幹線がついた頃、アナウンスが駅内で流れた。改札を出た側にはあまり聞こえなかったのだが断片的に「シホン・・・」「韓国に・・・」「到着・・」とか聞こえる。ん、韓国に到着?と思ったとたん駅内にいた人たちの人垣が崩れ、みんなが改札から出てくる。あ、どうもシホンさんはこないようだ。改札から出てきた人に「来ないんですか?」と聞いたら「韓国に到着ですって、大阪にはこないみたい」とのこと。
 なーんだ、ってことで、わたしもそそくさとその場を立ち去ったのであるが、出張帰りでへとへとだったはずなのに、なんてミーハーなことをしてしまったのだろう。韓国に帰国するシホンさんが大阪に来るなんてどこから湧いたガセネタなのか。しかも私はそのガセネタを何人かに伝えてしまったのである。ほんとにトホホな大馬鹿者である。
 それにしてもシホンってどんな人?

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銀座

朝6時の<のぞみ>に乗って東京へ。
都内某所で仕事ののち、大学時代の先輩と銀座で待ち合わせ。カウンター割烹へ。
こじんまりとしたお店だけど、とてもおいしい。ヤンキーズの松井選手が日本に帰国したときにはよく来るお店だとか。大将夫婦はN.Y.までいって松井選手に料理を作ってあげたりもするらしい。近々もN.Y.にいくので、「10日ほどお休みします」とのこと。
有名人が来る店ということでちゃらちゃらした感じはまったくなく、むしろ落ち着いた感じ。他のお客さんはというと、なんだか大金持ちそうなおじさんと若い女性のカップルとか業界っぽいご夫婦とか・・・。わたしはよくわからないのだが、こういうのが銀座っぽいのでしょうか?
先輩とはこの間のOB会の話とか、学生時代のあれこれを話す。

ホテルにチェックイン後、ホテルとなりのコンビに行き、大阪では見かけないメーカーの原稿用紙を買う。

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宣言

 職場で、隣の部屋にいる方が突然やってきて
「○○事業部におられた吉浦さんですよね」
と言われた。そうですが・・・と答えると、その方もその事業部に、かつておられたそうで私のことを知っている、とのこと。
「すっかり印象が違ったんで、気づかなかったんですけど、昨日、所感での自己紹介で○○事業部にいたといわれてたのを聞いて気がつきました。いやー、むかしはほっそりしておられましたよねー」
「は・・・はあ、当時からすると、10キロ太りました」
 そう昨日、転勤してきてはじめての所感だったのだ。初めての所感ということで、自己紹介をしたのであった・・・。
「いやー、ほんとに印象が違ったんで・・、ぜんぜんわかりませんでした
と何度も言われ・・・それでも、あれこれ懐かしくかつての事業部時代の話などをしたのだが・・・。もう転勤して、ひと月以上経つというのに、それだけの期間、私を目にしていても「気がつかないくらい印象が違う」のかぁ(TT)

 帰宅したら、GWのOB会で20年ぶりくらいにあった二つ下の後輩から手紙が来ていた。「ひさしぶりにお会いできて楽しかった」云々・・・。さらに「うーん、たしかにポッチャリになっていたけど、学生時代の雰囲気は変らず、若々しく感じました」とも。

 印象がかわったという人も、雰囲気は変らないという人も、

「太った」

という点では認識はいっしょなのだな(-"-)むむむ・・・・。

 むむむむ・・・・。
   むむむむむ・・・。
     むむむむむ・・・。

 くっそー、第3次ダイエット宣言をここにいたします。
 三ヶ月でウェスト5センチ減!!!!!

 明日は東京出張、夜は、銀座でカウンター割烹。銀座と聞いただけで田舎ものの私はめまいがしている^^;;。とりあえずダイエットはあさってから、ということで。

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休息の月

 職場で中国出張土産が女性限定で配られた。女性限定ということであるから、お菓子かなと思ったら・・・「耳掻き」だった。うーむ、女性限定耳掻き???
 帰り、駅近くで以前の職場の方とばったり会う。こういうところで会うとはなあ。

 今日も眠い眠い・・

オリーヴ油鍋に焦げつつ休息の月がそこまで来てゐるやうな
                      阪森郁代

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ねむらむときのくるしみ

 今日から仕事。
 早めに帰宅したが・・・ねむい(/0 ̄)
 精神の骨粗しょう症。

やうやくにねむらむときをかくも甕につめこみたりしもののくるしみ                                                 森岡貞香
 三首一連の最後の歌であるが前の歌2首を読んでも、この甕というのが唐突でなんのことやら実はわからない。甕ってなんでしょうか?私は最初、なんかほんとに甕がどっかにあるのかと思ったけど(割とそういうだしぬけな即物感っていうのが森岡貞香にはあるので)これは自分の中にある比喩的な甕ってことでしょうか?
 でも壜でも壺でもなく、甕ってところが、なかなか、だなあ、と思う。ほんとになんかくるしそうだ。

   即詠
明日起きむための眠りを眠らむと毛布を引き寄す夜のくるしみ

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共時性と共感

 GW最終日である。
 MRI受診に始まり、あれこれと個人的にはばたばたして過ぎてしまった。
 長かったのになあ、10日間、あっという間であった。。。。。

 なぜだか、昨日、急に「文藝春秋5月号」を買ってしまったので、ぱらぱらと読む。「平成ホリエモン事件」という特集を読みたかったといえば読みたかったのだ。(でもなんか一時的な気分で買ってしまったなあ、そんなまで読みたかったわけではない。それに反日デモだのJRの事故だの、あれこれあって、世間も私自身もすっかりライブドアの買収事件の印象は薄れているよなあ・・)
 いろんな人が<ホリエモン事件>にいろんなことを書いていたけど、あんまりぴんとこなかった。
 私は個人的には堀江貴文みたいな、ある種、ぺらんとした感じの人物が経営者として成功していくようになる世の中にはすごく不安感を持つのだけど・・・。

**
 今日は、HPの感想メールをある方からいただきうれしかった。
 面識のない方からであるが、<ここ1〜2ケ月のブログの内容から、「しんどいよ〜」という気持ちがストレートに伝わってきた>と。また、一面識もない私に対して「共感」や「連帯感」みたいなものも感じられた、とのこと。
 「しんどいよ〜」というのが、もろわかりなブログ内容というのもいかがなものかと思いつつ(^^ゞ、「共感」というのはありがたいような不思議な感じがした。
 この「共感」には、WEB日記のもつ共時性、というのも、ある程度、関与しているだろうな、と思う。

 ところで、ブログにしてときどきコメントをいただくようになり、またHPのほうには掲示板もありますが、コメントや掲示板ではなく、私宛になにかこっそり言いたいという方は、メールをください。ブログの右上にあるリンクからHPに飛んでいただき、HPの表紙ページのかなり下のほうにスクロールしていただくと自動でメールを送れるボタンがありますので、そこから送ってくださいね。
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白鳥の飛来地をいくつ隠したる東北のやはらかき肉体は
                      大口玲子

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道半ば

 連休も終盤に至って、部屋の掃除に燃える。といってもちっともきれいにならんが。
 とにかくほっちらかっているモノ-特に本・雑誌類-をどうにかせんと、100円ショップで整理箱などを買ってきて整理を試みる。まだ道半ばである。

ごみ捨て場のここより見ゆる月蝕は速度を上げて欠け始めたり
              『雪耳(シュエアル)』足立晶子

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博士の愛した数式

 今日もお休みで、休み中最後の平日ということで、あれこれ済ませたい用事があったが、結局、家の中でもやることがたくさんあって、もぞもぞして過ごす。支払いとか区役所での用事とかあれこれ滞っているというのに・・・(-_-;)。

 夜、ひさしぶりに息子と居酒屋へ。最初、いつも行く店にいったらお休みで、別の炉辺焼きへ行く。ここは、息子がまだ小学生の頃、多田零さんといっしょにいったりしたことがあった(と思う)。当時の息子にはその店は、「煙草くさくていや」って印象があったようで、その後、ずっと行っていなかった。・・・何年ぶりだろうか。ひさしぶりの店は、さほど煙草くさくもなく、料理もおいしかった。カウンターの中にいるおじさんも愉快でおじさんがなにかいうたびに息子もウケて笑っていた。値段も安かった*^^*。そうそう、三月の東京行き&この間の博多行き・・と贅沢したんで、これからはしっかり緊縮財政にしないといけない。親の贅沢で子供に不便をかけてはいけないが。。。外食や飲み会、控えないと・・・。ま、あの店ならたまにはいいかな。

 帰宅して、本を整理しながらふと手にした小川洋子の『博士の愛した数式』を読み返しているうちに、結局全部再読してしまった。あらためて、よく出来た話だなあ、と感心をする。細心の注意を払われ、レース編みのように繊細に織り込まれた話である。やはりこれは「物語」の世界なんだよなあ・・と思う。「物語」は嫌いなはずの私であるが、やはり読まされてしまう。

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飛び去っていく

 昼過ぎ、帰阪。
 教会の方から訃報が入っていた。
 夜、前夜式へ。
 亡くなられたのは89歳の男性。この前の日曜の礼拝にもお元気でこられていた。はじめて教会にこられた高校生くらいの女の子のお孫さんを伴われて、とてもうれしそうだった。実はその礼拝で、私はその方とお孫さんと同じ列の椅子に座っていたのだ。お孫さんが私の隣でその隣におじいさんという並びだった。はじめての礼拝でとまどわれているお孫さんに、「次はここ」と聖書を開くのを手伝ってあげたり、賛美歌集を取り出しておられたり、こまごまと気を使いながら、それがまたとても楽しそうだった。
 だから急逝の連絡にはびっくりした。
 しかし、驚きや悲しみは当然あったが、89歳で最後までお元気で穏やかな晩年だったということで、どこか救いのあるような前夜式だった。彼と彼のご家族のたましいのうえに主のあわれみと深いなぐさめがありますように。

 帰り、同じ方面に向かう教会員のご夫婦と途中までごいっしょした。いろいろとお話が伺えた。
 その話の中で、前任牧師さんが二度ほど教会員に対して、「自分のお葬式で流してもらいたい賛美歌を書いて提出するように」と言われたことがあったそうである。でもさすがに、みんなまだ自分は死なないと思っていてほとんど出す人がいなかったらしい^^;とのこと。
 そういえば、ある牧師さんのサイトで遺書の書き方、というのも紹介されていたけど、たしかに、どんなに今現在健康であっても、「死の準備」というのは必要かもしれないなあとは思う。ちなみにわたしがお葬式でながしてもらいたい曲は・・「18番:心を高くあげよ」「575番:球根の中に」「493番:いつくしみ深い」。

瞬く間に時は過ぎ、わたしたちは飛び去ります。
                        詩編90編

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40周年

 ゆうべ、キャンセルフリーのホテルの予約はしていたものの、あれこれ気にかかることもあり、博多にいくかどうか朝の時点でもちょっと迷っていた。
 しかしまあ息子の体調もまあまあ、ということで、新大阪へ向かう。のぞみに乗って博多へ。

 40周年記念OB寄席。寄席がある福岡市内唐人町の地下鉄の改札を出ようとしたところで、先輩から電話。
「いまどこ?」
「唐人町の駅をでるところですー♪」
「もう寄席おわったじぇー」
 「え"ーーーーー?!」
 開演時間は知っていたけど終演がそんなに早いとは知らなかった・・・(;ロ;)。
 のぞみに乗ってホテルまでとって、私は何しに来たんだ〜。・°°・(>_<)・°°・。

 とりあえず会場前まで行って、寄席が終わって出てきた皆さんと合流。打ち上げの時間まで茶を飲んだり、部室に行ったりしてすごしたのち、中洲で宴会。二次会、三次会。
 OB会に出るのは、20年ぶりくらいである。
 20年ぶりに会った顔。
 40周年でわたしが13期なので、わたしもすっかり長老の部類に入ることを再認識。30代前半くらいより若い人たちは誰がOBで現役なのか区別もつかず。

 三次会ののち、午前二時すぎ、数名が私のホテルまでおくってくださるということで、皆で歩いていた。「川を渡って親和銀行を左に曲がる」と昼間チェックインしたとき私は覚えていて、みんなも「ふーん、川を渡るんだねー」とついてきてくれた。が、中州から歩いても歩いてもつかない。「もう川わたってだいぶたちましたよ」と言われ、私としてはまだ目印の川についていないと思っていたので、そこでようやく、あさっての方向にむかっていることがわかった。中州から天神方面に歩かないといけなかったのに、まったく逆方向に歩いていたのであった。川というのが中洲と天神の間の川とはみんなにも言っていたなかったんで、「え、天神方向だったんですか?」とたいそう呆れられてしまった。「もうここは中洲過ぎて、呉服町ですよ(中洲から天神とは逆方向にいったところ)。」
 はぁ・・・すみませんでした<(_ _)> 。

 二次会のときある人から
「短歌と落語とコンピュータって、なんか脈絡ないですよね。ぜんぜん関係ないのに・・・」
と言われた。うーん、落語と文学は関係ないこともない。小説の言文一致近代文体は、だいぶ噺家の噺を研究して作られたところがあるから・・・と言ったら、
「うーん、文学と落語は、じゃあとりあえず関係がある、ことにしましょう、でもコンピュータは?」
「・・・」
 あんまりそういうことは追求しないように・・・。

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まじめ、ということ

 尼崎の事故を起こした列車に乗客として乗り合わせたJRの運転士ふたりが、乗客の救助活動をせず、その場を立ち去り、そのまま出社し通常勤務していた、と問題になっている。周辺の住民や職場の人たちが、救助活動をしていたにも関わらず・・ということで、かなり非難を浴びている。
 たしかにこの運転士たちの行動は常識的に考えて、とてもおかしいと思う。思いつつ、わたしはふと、以前読んだ、辺見庸の文章を思い出した。辺見庸は10年前の地下鉄サリン事件に遭遇したのだけど、そのとき、多くの人が道に倒れ、駅周辺は異常な状態になっていたのだけど、その道端にうずくまる人々の外側には、ごく普通の出社風景があった、と書いてあった。うずくまる人々、倒れている人々の体の上をまたいで、会社に向かう「まじめな会社員」たちの姿もあった、と。人が倒れているということ、異常なことがおこっていること、に深く心を留めることなく、出社する、という組織論理にしたがって行動する人々は、いまの日本にはごく普通に無数に存在する「まじめな会社員」「忠実な組織人」である。その倒れている人たちをわき目で見てあるいはまたいで出社しようとした「まじめな会社員」たちと、事故現場を立ち去り出社したJRの運転士は同じ思考回路をしている。というより個人としての思考能力を失っている、という点で同様である。
 会社とか組織に、みずから思考すること判断することをあずけてしまっている。一人の人間としての判断とか感性というものが失われている。
 去年聞いた安藤忠雄の講演でも「日本人は1960年以降、自分で考えることをやめてしまった」と安藤忠雄は言っていた。自分で考えない「まじめさ」はこの国に蔓延している。

 事故現場をみて、とっさに大量の氷を提供した市場の人、タオルをもって駆けつけた人、列車にはさまれた人の手を握りしめ続けた人。自分で見て感じて考える人にしかできない行動である。でも、もし自分が出社途中や、なにか重要な約束などがあって移動中にそういう事態に遭遇したときそういう行動がとれるかというと100%の自信はない。

イラク派遣先遣隊の隊列のひとりひとりに影はあつたか
                        竹山広

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息子、風邪

 昨日の私の風邪がうつったのか、朝から息子、37.6度。
 それでも学校に行くといって、朝からシャワーを浴びていたのだが、結局、「頭いてー、やっぱりあかん」とダウン。一日、寝込んでいた。ゆうべも早くから寝ていたようなのに、昼間もずーっと寝ていた。あんまり食欲もなく心配である。
 私のほうは、咳・鼻水は改善。でも微熱。

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まっくろくろ

 礼拝。
 新しい牧師さん、ずっとどこで見たような・・・と思っていたのだが、今日になって思い至った。島田幸典さんに似ているのだった。
 午後、短歌人関西歌会。
 咳と鼻水があり、少々しんどい。
 研究会「文語vs口語」の二回目。

 帰りの電車で一緒になった方は塚口駅付近がお住い、ということで、先週の尼崎の電車の事故以来、ずっと上空をヘリコプターが飛んでいたりして、周囲が騒然としていて、「まるで震災のときのよう」とのこと。直接のお知り合いに被害にあわれた方はおられないとのことだが、事故の生々しい様子はやはりよく耳に入ってくるし、ごく近所で多くの方が亡くなったと思うと、ほんとに辛い、と言われていた。

 JRの事故にしても、空港の管制ミスにしても、ほんとに日本はどうなっているんだ!?と思うようなことが多い。
 自分なんかもぜんぜんエラそうにはいえないのだけど、仕事とか責任に対しての姿勢が緩みまくっている。仕事の質、が落ちている。仕事をする人ひとりひとりのプライドに裏打ちされた責任感みたいなものが欠落しているような気がする。「利益優先主義が悪い」と単純に決めつけるのは気に入らないけど、「手っ取り早く数字に表れる利益」や「変化への適応速度」を求められるなかで、職種職能に関わらず、本来、時間をかけてひとりひとりが培っていくべき「仕事の質」が浅くなっていっているように思う。

 帰宅後、妙にシチューが食べたくなり(この暑いのに!)作ったのだが、煮込み中、目をはなした隙に、かなり派手に焦がしてしまう。鍋がまっくろくろすけである。こんなに焦がすのはめずらしい(ToT)/~~~材料がもったいなかったので、とりあえず、焦げの少なそうな部分の具を救出して、別の鍋で煮なおしたが、うーむ、苦みばしった焦げの風味はいかんともしがたかった・・。わたしの料理における仕事の質は・・・(-_-;)。

閃きてしずかに崩(く)ゆる核のごと咲き満ちてかつおもむろに散る  
         『no news』島田幸典

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