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『境界線』

 最近読んだ「境界線(バウンダリーズ)」はいい本だった。キリスト教関係の本なのだけど、キリスト教ということを離れても、いろいろと目からうろこ、みたいな本だった。ヘンリー・クラウドとジョン・タウンゼントというアメリカの心理学博士による本。(中村佐知、中村昇 共訳、地引網出版)心理カウンセリングの実用書としても読める。と言っても基本は聖書の教えであり、キリスト教関係者以外にはお勧めしづらいかもしれない。個人的にはお勧めしたいけど。
 
 人間は、生きていくとき、ひとりひとりが家族や周囲の人との間に、確固とした「境界線」を確立してこそ、ほんとに良い家族関係や人間関係を築くことができる、というのが骨子。キリスト教徒の場合、「無償の愛」とか「奉仕」という概念で縛られて、「境界線」を引くということが、愛のない行為、自分に執着した態度のように感じられる場合があるが、そうではない、と筆者は説く。神様は一人一人にそれぞれ感情・欲望・才能等々を与えられ、人はそれらのものをしっかり自分のものとして<所有>し<管理>し<責任をとって>、自分自身を育てていくことこそ大事なのだという。その自分自身のものとして<所有する範囲>を明確にすることが「境界線」を確立することだそうだ。
 しかし、多くの人は、十全に「境界線」を確立できていない。あるいは「境界線」に傷をもっている。そのためにひとりひとりがあるべき自分を所有できず、他の人に振り回されている(迎合)。あるいは所有できないはず他の人を所有しようとしている(支配)。

 ・いちばん重要なことは「ノー」ということを学ぶことである。自分の境界線のなかに良いものを取り入れ(「イエス」と言い)悪いものを排除する(「ノー」と言う)ことが基本であるが、往々にして人は、「ノー」と言えない。
  ある人から頼まれたある事柄について「ノー」といった場合、「ノー」をいった相手との本質的な信頼関係を失うことなく、「ノー」ということができる環境・関係が大事。(育児において大事なことも、子供が親の愛情を失うことなく、自由に「ノー」ということができる環境をつくることが、子ども自身の境界線を確立することになる。もちろん子供は自分自身が判断した「イエス」「ノー」の<結果>については自分自身が責任を負うということも合わせて学んでいかねばならない。)
 幼児期の虐待やら、DVといった深刻な心身の「境界線」侵害はもとより、子供のためを思った親の善意の「境界線」侵害もある(子供が失敗する前(「イエス」「ノー」の判断をする前)になんでも親の判断でやってあげる、とか)。
 もちろんこの環境・関係というのは、成人した、特に悪意のない大人同士の間でも往々にしてむずかしい。「境界線」作りは、けっして簡単な問題ではない。
 ・相手によって引き起こされた感情であっても、自分の感情は自分の境界線内にあるものだから自分で責任をとらないといけない。
 ・家族であれ親しい人であれ、他の人は自分の境界線外にあるから、人は徹頭徹尾、他人を変えることはできない。(自分自身の態度によって、相手に影響を与えることはできる)

 たとえば例として、アル中の夫に対して「お酒を飲むのはやめてください。あなたの飲酒のせいで家族みんなの生活がめちゃくちゃになっています。」というのは×で(相手を変えることはできない)、「今度あなたがお酒を飲んだら、私と子供はxxさんのところへ出て行きます。」というのは○(アル中といっしょいることはできないという境界線を明確にして、自分の行動を示す)なのだそうだ。

 いままで心理学的な本で、幼児期からのトラウマについて書かれた本はたくさん読んできたが、じゃあそれに対してどうやって克服していいのかよくわからないところがあったのだが、この「境界線」ではそれがすっきり書かれている気がした。(もちろん克服そのものは簡単ではない)

 キリスト教的なところを離れても目からうろこの本、と書いたが、キリスト教的な部分でももちろんいろいろと考えさせられるところの多い本だった。自分自身の最近のあれこれを思うと、結構、イタイ本でもあった。
 おもしろかったのは、「神様に怒ってもいい」というくだり。「私たちが心の底から正直になり、真の自分という人間を所有するとき、そこには神に対して怒りを表現する余地があります。」「怒りを感じることができなければ、怒りの下に埋もれている愛の感情を感じることもできません。」・・・これを読んだから、(まだ私は真の自分という人間を所有している、というわけではないけど)安心して最近は「神様のばかやろー」とか言っております、はい^^;

 そのほか印象的だったところは・・・
 「人生のしつけから逃れられる人はいません。結局、否応なくしつけられるのです。私たちはいつでも自分が蒔いたものを刈り取ります。」
 「変化とは恐ろしいものです。しかしもしあなたが恐れているなら、あなたは多分正しい道-あなたを成長させ変えて行くための道-にいるのです。そう知っていれば慰められませんか?」
 うしろの変化についての言葉は、とても力づけられたのだが、一般的なビジネス書で書いてあるような「変化に対応しなければならない」というような話のトレンドの「変化」についてではないのでご注意。

 「境界線」を読んで、特に心に響いたみことば。(本でも引用されていましたが、下記は、新共同訳で掲載しています)

 心を尽くして主に信頼し、自分の分別には頼らず
 常に主を覚えてあなたの道を歩け。
 そうすれば
 主はあなたの道筋をまっすぐにしてくださる。 
箴言3.5.6

 (自分の分別に頼らず、というのは、自分で考えたり努力しなくていい、ということではなく、自分自身の無力さを知る、境界線の傷を知る、ということだと理解している。)

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コメント

なんだろうなあ、という、わからない理由はいろいろあります。
 表現の技術に問題があって説明ができてなくてわからない場合もあれば、なんだかわからないけど魅力的という場合もあります。

投稿: 吉浦玲子 | 2005年3月24日 (木曜日) 21:45

>愛の海原ってなんなんだろなあと思います。

「なんなんだろう」と思うと多分、絶対感じられないと思いましゅです。
疑問・疑惑・疑いはそれで意味があるけど
それが意味をなさない場合もあると思いますでちゅ。

人として 歩みし道の 全てには

  愛の導く 花の香りが


その香りをかぐしかないかもかもでちゅねっ。

投稿: 歌っ太郎 | 2005年3月24日 (木曜日) 11:33

歌っ太郎さん、こんばんは

 愛の海原ってなんなんだろなあと思います。

投稿: 吉浦玲子 | 2005年3月23日 (水曜日) 23:19

常に主を 覚えて歩む その果てに

  ふと振り返る 愛の海原

投稿: 歌っ太郎 | 2005年3月22日 (火曜日) 12:18

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