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最終日

 現職場、最終日。
 特に挨拶回りするでもなく、相変わらず、がさごそ資料作ったり机整理したり。ああいつになったらけじめがつくの?
 結局、いくつかの資料をまとめて社内技術データベースへの登録作業がすんだのは夜の9時。
 その後、異動者+αのメンバーで、すでに最後の一献をかたむけているところへ合流。最後まで、よく酒を飲んだ職場であった^^;

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歓送会・長い夜

 朝から、子供関連の用事のため、ばたばた。
 午後三時、最後の会議に出席のため会社へ。年休予定だったが、急遽、昨夜、出席を決めた。(それから慌てて資料を作った--#)
 夜、歓送会。私を含めて、送別されるのは5名。参加者は40名ほど。ほんとはたくさんの人に挨拶をしないといけないのだろけど、なぜか、普段あまり喋らなかった人数名と長話をした。これはこれで感慨深かった。
 歓送会は飲み屋の2Fの座敷を貸切状態であったのだが、店をでるとき、2Fからの階段を10段ほども足を滑らせて転落。痛くはなかったけどびっくりした。
 その後、二次会。若人の勢いに押され、なんだかとんでもない夜に。会社員生活ながしといえど、こんなことってあるんかい?ってなことに。転勤前にまたこれも感慨ぶかし!?

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けじめ

 明日は年休予定なので、仕事のひきつぎをなんとしてもどうにかせねばいけないと思いつつ、なかなか進まず。
 まあここ一年は開発をしていたわけではないので、ひきつがないと、即、後がたいへんってことはぜんぜんないのだが。ひきつぎというより、まあ自分なりのけじめって感じかなあ。
 ・・・ああ、でもけじめがないなあ。。。

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一升瓶

 異動までのカウントダウンがはじまったような週明け。引継ぎ等なかなか進まず。気分最悪。
 夜、仕事をしていたら酉丸から電話。金曜日とは違うメンバーが飲んでいるらしく「吉浦さん、おいでよ」とのこと。仕事放り投げて酉丸へ。(いいのか--#)
 歓談ののち、酉丸のおじさんから、芋焼酎「古酒 たちばな」の一升瓶をいただく。「これまでお世話になりました。転勤してもがんばってね」と。うーん、これまで酉丸に経営貢献していたしなー^^;。しかしながらその一升瓶もちかえるのがたいへんだった。バックにいれても半分くらい壜が外に出るので、カーディガンで隠すのだが、やはり、一升瓶の先端が見えてしまうのだ。まあそれでも持ち帰ったのだが・・・。
 御堂筋線に焼酎の一升瓶抱えて乗る女はめったにいまい。
 

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イースター&斉藤斎藤

 朝5時半!に家を出て、早朝礼拝に。
 今日はイースターであり、かつ、今月で転任される清弘牧師の最後の礼拝、ということで、ほんとはメインの礼拝に出たかったのだが、この後の東京行きのため、早朝礼拝に。
 礼拝後、清弘牧師にご挨拶ののち、教会を出て、ふと思い立って、再度、教会へ。ケータイのカメラで牧師先生とツーショット写真を撮ってもらう*^^*最初で最後のツーショット。清弘牧師は、次は東京の教会に赴任される、とのこと。

 その後、「のぞみ」で東京へ。斉藤斎藤氏の「渡辺のわたし」の批評会へ。たいへんな規模の批評会。総勢140名くらい参加と聞く。パネラー:岡井隆、小池光、穂村弘。まあこの三人の話を聞くだけで充分価値はある会。
 (で、どんな意見が出たか書こうと思ったら、メモしたレジメがない・・・むむむ、見つかったら後述します)
 二次会も80名くらいの参加。すし詰め状態でもう熱気むんむん。
 11時過ぎ大阪着。

 私自身が、「渡辺のわたし」について思うのは、どこかオーソドックスな<私>へのこだわりというのがあって、そのこだわりのオーソドックスさにおいて、上の世代の読者にもある種の安心感を与えるのだろう、ということ。ただ、そのこだわり具合が私にはそこまでこだわるか?という感じがあって、ちょっと違和感もある。
 あと歌の愛誦性ってどうなんだろう?加藤治郎でも穂村弘でも、いつのまにか暗誦できてしまう歌があるけれど「渡辺のわたし」にはないのでは?
P1000126斉藤斎藤さん




P1000127あまりに参加者が多く。定員オーバーのため、座りきれなかった人用の、臨時椅子。冗談のようである^^;(一脚150円で購入したものらしい)

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満開

 辛夷が満開である。道の向こうに、白い花をつけてけぶるようないつもの辛夷をみると、なにかこう・・成人した息子をみるような気分である(?)^^。
 しかしなあ・・・春なんだけどなあ。なぜ心はさびしいのだろう。
 わが人生最大にさびしい春。

P1000120今日の辛夷



P1000122全体を撮ってみました



 関係ないけど、私は今回のライブドアの件で、<堀江社長がニッポン放送を買収したら、番組を降板する>、といったタレントたちに好感を持てない。
 たまたまデーブスペクターがなんかの番組で堀江批判をしているのをみたが、(TOBを理解していない私がいうのもなんだが)どこか本質的でないところで揚げ足取りをしているような気がした。「マネーゲームだ」とか「違法性がある」とか<ホリエモン=ダーティ>というイメージを心情に訴えるような表層的なものいいで、その言い方に私ははっきりと<こいつはなにかにおもねっている>、という感覚をもった。
 降板発言をしたタレントすべてが「おもねっている」わけではもちろんないだろう。でもどこか短絡的で尻軽な印象をもった。
 だからといって、私は堀江社長に好感を持っているか、というとそうでもない。(生理的に三木谷社長はもっとイヤだけど--#)えらそうなことをいえば、短期的にみたらマーケットの動きや企業の利益というのは流動的なものであるが、結局のところ、業種業容を問わず、企業価値や商品価値というのは「文化」を作りうるか、ということにかかっていると思う。一過性の勝ち組ではなく、ほんとの意味で顧客へ「価値」を提供できる商品やサービスというのは、新しい文化を創出するポテンシャルを持つものである、と思う。それがトースターであれ、ゲームソフトであれ、駅の発券機であれ。
 堀江社長に文化が語れるか?
 語れないと思う。彼にはなにかそういう「深み」というのが感じられない。もっともこれは<放送文化>などと軽々しくいう輩だって同様と思うけど。

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[湖]歌人への5つの質問・姿勢

 一日遅れのFridayFive。
 先週も回答いただきありがとうございました。
 今週は、姿勢について。短歌への姿勢、とかでは全然なく、短歌を読んだり詠んだりするときの体勢について^^;
 全問ではなく回答したい項目だけの回答で結構です。
 回答は3/31までにコメントかトラックバックでお願いします。

【1】家で歌集を読むときはどんな姿勢で読みますか?(寝っころがって?机に向かって?机は椅子式?etc)

【2】歌集を読むときの姿勢は短歌以外の本を読むときとなにか違いますか?いっしょですか?

【3】姿勢とはちょっと違いますが、電子ブックみたいなもので歌集を読みたいですか?

【4】短歌を作ろうと思って作るときはどんな姿勢で作りますか?(歩き回りながら?椅子に座って?特に不定?)

【5】もし小さなホールで30人くらいの人を前にして、自分の短歌を朗読しなさいといわれたらどんな姿勢で朗読しますか?

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花の名前

 夜、宴会。
 私の送別会みたいなものなのかどうなのかなんだか不明なまま開始。(だって最終的な場所の予約・確認とか私がしたし^^;)。メンバーは同じ職場の人ではあるのだけど組み合わせ的には脈絡のない不思議なとりあわせ7名でやや不安もあったが、ま、いつものいきつけの酉丸で普通になごやかに歓談。
 普通に宴は進んだところで、突然、花束を渡されてびっくり。
 え、やっぱり私の送別会だったんすか(TT)?(どんな宴会や?)
 泣かせるんじゃねぇ。

P1000118 春らしい明るい色合いの花束。こういうカラフルな花束ってもらったことがないようにおもう。



 即詠
春さむき道より戻り歳月のあかるきかたへ置く花束は

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洗足木曜礼拝

 洗足木曜礼拝。
 今日は、教会歴で言うと、最後の晩餐〜イエスが逮捕された日。キリストの受難をおもう礼拝。
 クリスマスの燭火礼拝につづき、今回も聖書朗読担当となる。私の担当は、キリストが十字架にかけられ、人々がイエスをあざけり罵る場面(うー、なんて場面だ--#)。礼拝自体は、今回もペンライトを使った燭火礼拝なのだけど、クリスマスのときと違い、朗読がすすむにつれ、だんだんとライトが落とされ、最後は真っ暗になる、というもの。これは、相当、いろんな意味でくらーい礼拝だと覚悟して行ったのだけど(ま、もちろん明るくはなかったけど)、暗い、というのとも違う感慨を持って帰って来た。
 イエスを罵る場面を朗読しながら、朗読中は余裕がなかったけど、席に戻ってつくづく「ああ、罵っていたのはこの私だ」という思いを持った。私もあのゴルゴダにいたら、いっしょになってイエスを罵っていただろう。いや今でも私はあの群集のひとりだ。しかし、「ことは成し遂げられた」のだ。そう思うと暗い気持ちにはならなかった。
**
 息子、まだ餃子屋のバイト続いているようだ。
 なんでも久留米に本店のある店らしく、店長さん他数名が九州弁なのだそうだ。
 

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ふんべつ・愛に走る

 会社のお手洗いを出ようとして、なぜか
「分別」
という文字が目に入った。分別、ふんべつ・・・うーむ、なぜここにこんな文字が?ふしぎに思いつつも、考えてみれば、わたしには大人の分別ってもんが足りんよなあ、とかつぶやいたりした。もういちど、文字に目をやると、「分別」のあとにさらに字が続いていて、よく見ると「分別回収ボックス」と書いてあった。ふんべつを回収するってどういうことだろう?と一瞬なんのこっちゃかわからなかったが、これはもちろん「ぶんべつ回収ボックス」のことである。さらに下に「分類:一般ごみ」と書いてあった。ただのゴミ箱であった。
 しかし、先頭の「分別」の二文字だけがいきなり目に飛び込んできたのもこれはなにかの啓示に違いない。
 ふんべつもぶんべつも大事である、とこころに思った。
**
 帰宅して、日日を書き出して、はたと重大なことを思い出した。
 辛夷である、辛夷。
 先週末、体調が悪かったり、あれこれ忙しかったりして、辛夷見てなかったよ辛夷〜。
 土曜くらいに、用事で行った一駅となり近傍の辛夷がかなり膨らんでいる、というのは確認したのだけど、定点観測の辛夷を見にいけなかった。この数日で咲いてるんじゃないだろうか、あーん、せっかく定点観測してたのに開花を見逃してたらくやしいー。ごめんよー、辛夷〜。
 ・・ってんで、夜の10時過ぎに慌てて走って、定点観測の辛夷に逢いに行った。
 で、今日の辛夷。
P1000110 うーん、ぎりぎりセーフかなあ。これはまだ開花・・とまでは言わないだろう。・・いや、咲いてるかなぁ^^;

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地震のショック

 福岡の地震は、全国規模のニュースではだんだんと扱いが小さくなっていくのだろう。でも、私にとってはいまだにショックなニュースである。なにか深いところで衝撃だった。その理由が自分でもよくわからない。もちろん生まれ育った長崎を含む北部九州に起こったことであり、被害の中心だった福岡市は大学時代4年間をすごしたところであり、しかも地震のほんの4日前にその地に出向いていっていたのだし、ショックをうけて当たり前といえば当たり前なのだが、当たり前以上のなにかがあるような気がする。そのなにか、がよくわからない。

 大学OB向けのネット掲示板に地震お見舞いやら福岡在住のOBの状況報告とかが書きこまれている。もともとそんなに書き込みの多い掲示板ではないが、さすがに地震に関しては、普段は書き込みをしないような方も書き込まれていて、ネット掲示板ってこういうときの連絡板としてよく機能するのだ、ということを改めて感じた。(普段何にもしていない管理人としても^^;こういうときは多少役に立てた気がしてウレシイ)
 ここにいけば、なにかあるかも、とふらっと見にこれたり、なにかのときにさっと連絡がとれる、という感覚。

 夜、飲み会。深夜女性三人で散歩。

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『境界線』

 最近読んだ「境界線(バウンダリーズ)」はいい本だった。キリスト教関係の本なのだけど、キリスト教ということを離れても、いろいろと目からうろこ、みたいな本だった。ヘンリー・クラウドとジョン・タウンゼントというアメリカの心理学博士による本。(中村佐知、中村昇 共訳、地引網出版)心理カウンセリングの実用書としても読める。と言っても基本は聖書の教えであり、キリスト教関係者以外にはお勧めしづらいかもしれない。個人的にはお勧めしたいけど。
 
 人間は、生きていくとき、ひとりひとりが家族や周囲の人との間に、確固とした「境界線」を確立してこそ、ほんとに良い家族関係や人間関係を築くことができる、というのが骨子。キリスト教徒の場合、「無償の愛」とか「奉仕」という概念で縛られて、「境界線」を引くということが、愛のない行為、自分に執着した態度のように感じられる場合があるが、そうではない、と筆者は説く。神様は一人一人にそれぞれ感情・欲望・才能等々を与えられ、人はそれらのものをしっかり自分のものとして<所有>し<管理>し<責任をとって>、自分自身を育てていくことこそ大事なのだという。その自分自身のものとして<所有する範囲>を明確にすることが「境界線」を確立することだそうだ。
 しかし、多くの人は、十全に「境界線」を確立できていない。あるいは「境界線」に傷をもっている。そのためにひとりひとりがあるべき自分を所有できず、他の人に振り回されている(迎合)。あるいは所有できないはず他の人を所有しようとしている(支配)。

 ・いちばん重要なことは「ノー」ということを学ぶことである。自分の境界線のなかに良いものを取り入れ(「イエス」と言い)悪いものを排除する(「ノー」と言う)ことが基本であるが、往々にして人は、「ノー」と言えない。
  ある人から頼まれたある事柄について「ノー」といった場合、「ノー」をいった相手との本質的な信頼関係を失うことなく、「ノー」ということができる環境・関係が大事。(育児において大事なことも、子供が親の愛情を失うことなく、自由に「ノー」ということができる環境をつくることが、子ども自身の境界線を確立することになる。もちろん子供は自分自身が判断した「イエス」「ノー」の<結果>については自分自身が責任を負うということも合わせて学んでいかねばならない。)
 幼児期の虐待やら、DVといった深刻な心身の「境界線」侵害はもとより、子供のためを思った親の善意の「境界線」侵害もある(子供が失敗する前(「イエス」「ノー」の判断をする前)になんでも親の判断でやってあげる、とか)。
 もちろんこの環境・関係というのは、成人した、特に悪意のない大人同士の間でも往々にしてむずかしい。「境界線」作りは、けっして簡単な問題ではない。
 ・相手によって引き起こされた感情であっても、自分の感情は自分の境界線内にあるものだから自分で責任をとらないといけない。
 ・家族であれ親しい人であれ、他の人は自分の境界線外にあるから、人は徹頭徹尾、他人を変えることはできない。(自分自身の態度によって、相手に影響を与えることはできる)

 たとえば例として、アル中の夫に対して「お酒を飲むのはやめてください。あなたの飲酒のせいで家族みんなの生活がめちゃくちゃになっています。」というのは×で(相手を変えることはできない)、「今度あなたがお酒を飲んだら、私と子供はxxさんのところへ出て行きます。」というのは○(アル中といっしょいることはできないという境界線を明確にして、自分の行動を示す)なのだそうだ。

 いままで心理学的な本で、幼児期からのトラウマについて書かれた本はたくさん読んできたが、じゃあそれに対してどうやって克服していいのかよくわからないところがあったのだが、この「境界線」ではそれがすっきり書かれている気がした。(もちろん克服そのものは簡単ではない)

 キリスト教的なところを離れても目からうろこの本、と書いたが、キリスト教的な部分でももちろんいろいろと考えさせられるところの多い本だった。自分自身の最近のあれこれを思うと、結構、イタイ本でもあった。
 おもしろかったのは、「神様に怒ってもいい」というくだり。「私たちが心の底から正直になり、真の自分という人間を所有するとき、そこには神に対して怒りを表現する余地があります。」「怒りを感じることができなければ、怒りの下に埋もれている愛の感情を感じることもできません。」・・・これを読んだから、(まだ私は真の自分という人間を所有している、というわけではないけど)安心して最近は「神様のばかやろー」とか言っております、はい^^;

 そのほか印象的だったところは・・・
 「人生のしつけから逃れられる人はいません。結局、否応なくしつけられるのです。私たちはいつでも自分が蒔いたものを刈り取ります。」
 「変化とは恐ろしいものです。しかしもしあなたが恐れているなら、あなたは多分正しい道-あなたを成長させ変えて行くための道-にいるのです。そう知っていれば慰められませんか?」
 うしろの変化についての言葉は、とても力づけられたのだが、一般的なビジネス書で書いてあるような「変化に対応しなければならない」というような話のトレンドの「変化」についてではないのでご注意。

 「境界線」を読んで、特に心に響いたみことば。(本でも引用されていましたが、下記は、新共同訳で掲載しています)

 心を尽くして主に信頼し、自分の分別には頼らず
 常に主を覚えてあなたの道を歩け。
 そうすれば
 主はあなたの道筋をまっすぐにしてくださる。 
箴言3.5.6

 (自分の分別に頼らず、というのは、自分で考えたり努力しなくていい、ということではなく、自分自身の無力さを知る、境界線の傷を知る、ということだと理解している。)

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花灯路

 九州の地震のことが気になりつつも、夕刻より、京都へ。
 花灯路。
 花灯路とは「東山山麓に連なる北は青蓮院から円山公園・八坂神社を通って、南は清水寺までの散策路約4.6kmに、京焼・清水焼、京銘竹、北山杉磨丸太、京石工芸、金属工芸の5種類の露地行灯約2,400基を設置(HPより)」した、まあ春の京都の夜のライトアップ行事。

 友人と京阪四条で待ち合わせ、まず腹ごしらえということで、でもどうも京都は不案内で店がわからない。で、結局、「白木屋」に・・・。なんで京都まで来て「白木屋」(TT)。
 リーズナブルに満腹したのち、散策。(下記写真はクリックすると大きくなりますが、ほとんどぼけています)
P1000106道端にこういう路地行灯が置かれています。





P1000103知恩院入り口脇。けっこう、はっとするくらい美しかったのだけど、あまり写真でそのイメージはでていない・・・





P1000104高台寺、だったか・・(@@)





P1000107幽玄というより、おばけが出そう





 すごい人出で、ゆっくり散策、という感じではなかった。
 これは京都版ルミナリエなのね、と了解。
 行路途中の、可愛らしい工芸品のお店とか、おしゃれな和食器の店とか・・・われわれはすべて素通り^^;。ま、もっと若くて、彼氏と行っているのなら、「わ、かわいいー」とか言って、そんな店に入らんこともないだろうが・・。
 よく考えたら(よく考えんでも)キリスト教的には異教の寺院めぐりをしていたことになるが^^;、日本文化探訪ということで神様には了解いただく。
 最後の清水寺までの道のりが特に混んでて小雨は降ってくるわ、寒いわ、坂でしんどいわ・・・
P1000109やっとの思いで着いた清水寺。





 結局、特別拝観料払うのがもったいなくて、この門で引き返す。・・・う、何のためにここまで来たのか。門の前で大道芸人さんが、まぬけな音楽に合わせて風船芸をしていた。こ、これを見るために来たわけではなかったが・・。

 すっかり体も冷えたので、引き返す路の途中で甘酒を飲んで帰る。
 帰宅すると、息子も餃子屋のバイト、まだクビにならず帰宅。

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春の短歌・回答

春畑茜さんのアールグレイ日和へのトラックバックのかたちで自分で回答してみます。

【1】「春」というイメージが似合う歌人って誰だと思いますか?(あくまでも印象・イメージで結構です)
  永井陽子、斎藤史 (単純に歌のイメージから^^)

【2】好きな春の歌を教えてください。(正確な記述でなくても、「あー、ほれ、あの下句が<うすいがらすもみがいてまたう>とかいった・・・」といった程度でも結構です^^)

あはれしづかな東洋の春ガリレオの望遠鏡にはなびらながれ 永井陽子
歳月はさぶしき乳を頒てどもまた春は来ぬ花をかかげて 岡井隆
数寄屋橋ソニービルディング屋上に青きさんぐわつのみぞれ降りゐき 小池光
萱(くわん)ざうの小さき萌を見てをれば胸のあたりがうれしくなりぬ 斎藤茂吉

 最後の歌、「胸のあたりがうれしくなりぬ」という妙に素直な?いい方が印象的

【3】短歌と関係ありませんが、好きな春の草木、花は?

 チューリップとかグラジオラスとかなんか理科の時間に栽培したようなのにこころ引かれる^^;

【4】春の短歌、というとき、<桜>に思い入れはありますか?

 <桜>の歌って、なんか怨念とか狂気に連なる感じで、敬して遠ざけたい

【5】短歌に季節感って必要?

 いま手元になくうろ覚えですが、小中英之さんの「わがからんどりえ」のあとがきに「季節のために」という言葉があったと記憶しています。それが印象的で、以後、やはり短歌は「季節のために」あるべきではないか、と思っています。

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地震!

 礼拝の後、たまたま自宅へケータイで電話をした人が、TVをみていた家の人から「九州で震度6の地震があったらしい」と知らされた、と言っていた。

 九州?震度6???
 慌ててケータイから、佐世保の自宅に電話するも、ぶちぶち、切れてつながらない。
 大宰府に住んでいる妹のケータイにかけると呼び出しはなるけど出ない。
 何回かけても同様である。
 私が慌てていたら、「教会内の和室にあるTVでニュースをみたら?」と牧師先生がおっしゃってくださって、和室に行ってTVをつけるがTVがうつらない。(アンテナのケーブルがない!)結局、和室の隣の部屋にあるPCでインターネットニュースを見る。するとほんとに福岡市中央区東区(先週、出張したばかりだ!)が震度6、大宰府・佐世保は震度4。うーむとWEBニュースをみていても、それ以上の情報がない・・・、
 と、そばにいた女性の信者さんが、「あ、あれはTVのケーブルでは!」と気がつく。なぜかPCの机の横の棚にTVのアンテナケーブルがあった。牧師先生がそのケーブルをもって、さきほどの和室に飛んでいって、TVをつけてくださる。(電器メーカー勤務のわたしがTVくらい映さんかいっ)。しかし最初、映りが悪く、町の映像を見てても、被害状況がよくわからない・・・。そこへ妹から電話。なんと今、知り合いの結婚式で家族全員広島にいる、という。ま、だから家族全員無事とのこと。(そういえば阪神大震災のとき、私と息子はたまたま東京にいて、無事だった・・・姉妹って似ているのだろうか・・)でも妹も九州の状況がわからなくて不安、だと言っていた。電話をしながらもTVの映りが悪く、妹にうまく伝えられない。電話を切った後、牧師先生がケーブルをいじってくださったら(電器メーカ勤務のわたしが調整せんかいっ)、突然、画面が鮮明になり、玄海島の倒壊した家屋が映る。わっ、福岡市内はどうなんだっ?と不安がつのる。が、いきなりニュースが終わり、「のど自慢」に。その後、もうどのチャンネルにしてもニュースをやっていない。TVでニュースをやらないくらいなら、さほど被害は大きくないのだろうかと思いつつ、再度、となりの部屋でWEBニュースを確認。玄海島以外の建物倒壊・火災等の記事はなく、とりあえず大丈夫だろう、と思って帰宅する。
 帰宅後、佐世保と連絡がつく。私が勢いこんで「ぜんぜん連絡がつかんかったとよ」というと母は「え、そうなん?どがんしたと?」といたってのんき。私が地震のことをいうと、「ああー」という感じで、ちょうどスーパーで買い物をしていたとき地震がきてびっくりした、とのこと。で地震の話題は三分で、その他あれこれあれこれ約一時間ばかり電話--#

 佐世保でも博多でも、とにかく北部九州で地震にあった記憶がない。(大分は火山地帯なのでときどきあったけど)だから今日の地震はほんとにびっくりした。まったくほんとに何が起こるかわからない世界である。
 特に先週出張したばかりの福岡の震度6というのはほんとにびびった。出張時、お会いした人たちの顔が浮かんだた。OB掲示板を確認すると先週お会いした<五郎>先輩は、自宅も研究室もたいへんそうで、「朝から桃の缶詰しか食べていない」と復旧作業に奮闘されている模様。その他、北九州在住の先輩はだいじょうぶそうであった。

 ・・と地震にびっくりした日曜であった。
 びっくりしたその足で、京都の花灯路にいったのだが、こちらの記事はまた明日にでも別途。

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にんにく

 今週の5つの質問はいまひとつなのだろうか?回答の出足がいまひとつ・・・、どうかよろしくお願いいたします。

 午前中、病院。といっても体調はそこそこ。夕刻、短歌人の研究会の打ち合わせ、二時間ほど。
 息子、今日からバイト。にんにく臭くなって帰ってくるのだろうか?

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[湖]歌人への5つの質問・春の短歌

 体調悪かですけど、FridayFive行ってみます。
 先週はたくさんのコメントありがとうございました。
 3/24までにコメントかトラックバックで回答をお願いいたします。 (全問ではなく、回答したい・回答できる範囲の質問のみに回答いただいて結構です)

【1】「春」というイメージが似合う歌人って誰だと思いますか?(あくまでも印象・イメージで結構です)

【2】好きな春の歌を教えてください。(正確な記述でなくても、「あー、ほれ、あの下句が<うすいがらすもみがいてまたう>とかいった・・・」といった程度でも結構です^^)

【3】短歌と関係ありませんが、好きな春の草木、花は?

【4】春の短歌、というとき、<桜>に思い入れはありますか?

【5】短歌に季節感って必要?

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餃子スタジアム

 まだばてばてなのだけど、午後くらいからやや復活。ブログ数日分まとめ書き。

 バイト面接で、6回連続で断られていた息子--#、ようやくバイトが決まった模様。梅田の餃子スタジアムのなかの餃子屋らしい。決まるときは即決って感じで、明日から来い、とのことで、生まれて初めて息子は働くことに。
 接客なのか厨房なのかよくわからないけど、私が食べに行ったら嫌がるだろうな^^;

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五郎

 今日もばてばて。
 咳&微熱。

 以前、緊急連絡先を書いていただいた方に、メールを書く。
 いろいろと腑に落ちる(というと変な言い方であるが)ところの多いレスをいただく。

 OB掲示板に、先日の九大出張の折、調整をしていただいた先輩に簡単なお礼と「ところで大学の教授って民間企業で言うとどのくらいエライんですか?」って、いまさらな、おばかな質問を書いてしまった。

 先輩からのレス。
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どれくらいエライかですが、私は民間企業を知らないのでよくわかりません。ドラマ「白い巨塔」のイメージでいうと、あそこにいた人達は病理学教室の教授で、僕が五郎ちゃん。I教授が医学部長。でも、私たちは、社会性とお金はありません。
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 寝込んでいたのにおもわず、「白い巨塔」の公式サイトの登場人物相関マップをまじまじとみてしまう。そうか先輩は唐沢寿明だったのか(似てねー^^)。

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どっと疲れが

 すっかりばてばて体調最悪--#。

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教授がいっぱい

 九大へ出張。
 学生時代のサークルの先輩(医学部教授)に調整の労をとっていただき、某教授とコンタクト。
 ところが、その某教授が他の研究室にも声をかけていただいていて、結局、先輩をはじめ教授と名のつく人が5名もいる会議に。ありがたいことであったのだが、そんなこととは想定していなかった私としては、へどもどする。

 ところで、ちなみに3/15は私の父の命日。(昭和39年没。享年32歳)ついでにいえば、私の九大合格発表の日でもあった。(ま、たまたま命日だから覚えていたんですけど)。歳月を経て、今日のこの日のはかなさはいかばかり。

P1000099 へどもどの1時間ほど前、部室に寄る。○十年ぶり。壁の落書きも昔のまま。(クリックすると大きくなります)

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福岡の東

 明日は博多に出張である。九州大学まで仕事で行くことに。現職場でのほとんど最後の仕事・・・。
 職場のAさん(たぶん大阪地元の人)との会話。
Aさん「明日、九大に行きはるんですか?」
私「そうなんですよー」
Aさん「九大ってどこにあるんですか?」
私「福岡市内です」
Aさん「じゃあ、○○○(わが社のグループ会社名)のあるところといっしょですか?」
私「そうです、そうです、おんなじ福岡市内です。」
Aさん「へぇ・・○○○と九大って近いんですか。」
私「うーん、近いといえば近いですけど、○○○は市内の中心部にあって、明日行く九大は、ちょっと田舎のほう、東のほうになりますねぇ」
Aさん「はぁ・・・東というと、関門海峡の近く?」
私「・・・。(●★△■!!福岡市はどげん大きか市ねっ)」
 九州外の人が九州の地理に疎いのは仕方がないけど・・し、しかし、博多が関門海峡に隣接しているなんてちょっとそれはあんまりな・・・それって外国の人が日本の首都は北京といったりするのとおんなじかしらね^^;


 九州出張を記念して、二週間前ちゃんと引用できなかった歌を・・・

泣かうごとある、とつぶやきたる女(ひと)の声の深みのなかの九州
                             大辻隆弘『抱擁韻』「九州」

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小雪舞ふ

 さぶいさぶい日曜。いまだに私はTOBってのが理解できない。わからん・・・わかろうと努力しようとも思えない。というか努力しようという気を起こす気もなくすほどこのあたりのことは、まったく未知の領域すぎて歯がたたない。会社員である以上、もちっと経済のこととかわかってないといけないのだろうけど、こればっかりはどうしようもない。ああ、TOBはわからない。心がさぶいし、部屋もさぶい。
 今日は外は小雪が舞っていた。そう・・小雪が・・、小雪といえば思い出す。短歌人に入会して最初の半年だけK氏の添削を受けたのだけど、「小雪舞うなんたらかんたら・・」という超ウルトラ初心者マークの歌に「<小雪舞う>という慣用句は不可」と×がついて返ってきたこと。そっか・・・小雪舞うはだめなのねー、以後、いっさい小雪舞う、使っておりません。でも、今日、大阪の街には小雪舞っておりました。小雪舞う・・日日には使ってもよかろう。まあ舞うというより塵みたいなもんが散っている、吹き上がっている、というのが正しいような気もしたが・・。
 息子、今日もバイトの面接に行って、玉砕の模様。
 次は火曜日、梅田のマクドに行くらしい。砕けても砕けても闘うのがおとこのこ。おんなは砕けていいのさー(ほんとか^^;?!)。

   即詠
風なかに三月の雪吹き上がり天の塵とぞ呼ばむしばらく

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けふのこぶし

P1000093昨年の湖蓮日日(CGI版)を見ると3月16日(火)の記述に「先週末、自宅近辺の辛夷だか白蓮だかかいっせいに開いて、いっきに春っぽくなってきた。」と見える。昨年の開花は3/13くらいだったのかなあ。今年は少し遅めだろうか?


ああ春のひかりといひて炬燵より出づれば膝の驚きて鳴る 
                  竹山広
 去年の上記日日で引用していた歌。この歌好きであちこちで引用している^^

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無私邪

 ここ一ヶ月ばかりいろんなことがあった。まだ身辺も気持ちもすっきり落ち着いたわけではないが、まあどうにかこうにかやっていくことになるだろう。
 結局、自分を自分自身からいったん放り出そう、という思いに至った。
 いちおう^^;キリスト教徒なんで、本来、洗礼受けたときから神様にすべておまかせ、という心境であるべきなのだろうけどなかなかそうもいかず・・。
 放り出そう、というのはキリスト教的にうんぬんというより、もうあんまり自分自身のおもいに執着するまい、という気分からの発想である。キリスト教的なところからの発想ではないけど、もちろんたぶん神様の働きが背後にあるのではないかと思っている。

 ところで、なぜか最近息子がしゃにむにバイト先を探している。
 以前、私のほうからバイトでもしたら?といったことがあって、それに応じて中途半端に探して結局見つからなかったことがあったけど、今回は本気みたいで、自分でHP検索したり、街角でコンビニのバイト募集をみつけたら電話かけたりして探している。この間も職場で仕事してたらケータイに息子から電話があって何かと思ったら「バイトの面接行ったら履歴書もってこい、って言われた。履歴書ってどこに売ってあるん?」って内容だったので笑ってしまった。
 昨日、一件面接をうけて「どうもダメそう」という感触で、明日ももう一件面接を受ける予定のようだ。ま、月並みだけどバイトといえども自分で働くというのはいい経験だし、そうやって面接だけでも社会に触れるのはいいことではないか、などとのんびり思っている。
 とはいえ、それなりに一生懸命そうではあるけど、やや疑問も・・。
 疑問その1:飲食店・接客関係のバイトは圧倒的に「茶髪お断り」らしい。うちの息子は茶髪である。で、「茶髪であそこもここも断られた」と息子がいう。「じゃあ髪、黒に戻したらいいやん」と私がいっても、「それはぜったいにありえへん」という。うーむ--#。
 疑問その2:息子はコンビニ関係ではローソンしかバイトをしたくないそうである。理由はローソン以外のファミリーマートとかセブンイレブンの<制服がださいから>。「あんな制服着るなんて耐えられへん。」はあ?制服がださいだあ?仕事すんだろー仕事ぉ?制服なんか関係あるかよー、まったくもって理解不能。・・まあ私はコンビニの店員さんの制服の区別って基本的についてないっていうのがあるのだが(ついたとしても興味ないし・・)、それにしても馬鹿息子である。
 ・・・と思っていたら、はたと思いついたことがある。
 わたしの4月からの転勤先は制服着用の職場らしく、ここ10年以上制服なんて着ていなかった私としてはとても抵抗があって、非常にイヤで思わず「制服なんて着たくありませんっ」ってなことを口走ったような記憶が・・^^;はあ?制服がいやだあ?仕事すんだろー仕事ぉ?制服なんか関係あるかよー・・・・し、失礼いたしました。
 
 4月から息子も私も生活一新の予定。

歳月はさぶしき乳を頒てどもまた春は来ぬ花をかかげて
                    岡井隆

 おお、そういえば短歌人の締め切りである。ここ一ヶ月あれやこれやしっちゃかめっちゃかで、短歌なんかできるかよー、って、ふてくされたり涙ぐんでいたのだが・・・(ほんとにまじで手帳広げて呆然としていたのだが)どうにかこうにか、もう無理やりという感じで、先月よりは多くの歌を作ることができた。

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恋人に短歌を作っていることを言うか

 今週の歌人への5つの質問・・・回答0ではないか、と思ったらどうにかトラックバックがあってうれしいうれしい^^
 この質問の中に、「つきあっている恋人に自分が短歌を作っていることを黙っていたことがありますか」というのがあったのですが、わたしはありましたね〜。そんな恥ずかしいことをいえるか〜、って感じでした、はい。今考えると馬鹿みたいですけど、なんかとても言えなかったんです。結局、ほとんど別れる直前にカミングアウトしたんですけど、とてもびっくりされました。カミングアウトしたから別れたわけじゃあないですけど^^;。その彼に歌集を渡そうとしたら拒否されたのは今でも痛恨な思い出ですけど、最近、あることがあって、ようやくその彼とつきあっていたことがなんかいい思い出になってきました。(多田さん、こないだバックレたときに話をしたあの件ですよ。)
 ほとんど多田さんとの会話状態のトラックバックでした。あー、なにおばかなこと書いているんでしょうか。
 多田さんのブログ

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[湖]歌人への5つの質問・短歌は恥ずかしい?

 先週の回答が少なかったけど、めげずに続けます。
 回答いただいた方、ありがとうございました。

 今回は自分が昔から思っていることで、ひょっとして他の人と(特に最近の若い人とは)はずれているのかもしれないと思っていること。・・・うーん、ますます回答が少なそうだ。答えられない(答えたくない)項目はスキップしていただいて結構です。
 回答はコメントかトラックバックで3月17日までにお願いします〜

【1】電車の中など人の目に付くところで歌集を読むのは恥ずかしくないですか?

【2】つきあっている恋人に自分が短歌を作っていることを黙っていたことがありますか?

【3】職場の人に自分が短歌を作っていることを言っていますか?

【4】家族はあなたが短歌を作っていることを知っていますか?短歌を作ることに賛成していますか?好感をもっていますか?

【5】あなたが短歌を作っていることをたまたま知ってしまった知人が、悪気なく、ごく無邪気に「へえ、けっこうなご趣味をお持ちですね」と言ったらあなたはなんと答えますか?

・・・・うううう、回答がくるだろうか・・・

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あめ

 ときおりぱらぱらと思い出したように小雨が降る。さんがつのあめ。今日はあたたかかった。短歌人締め切り!

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なかもず

 子供の用事でなかもずまで。なかもずって、地下鉄御堂筋線の南側の終点なんですよね。堺市。
 行って帰ってきただけでどっと疲れた。

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元気

 社内勉強会M塾最終回。あるテーマについて、かなりつたないプレゼンをする。つたないものだったにも関わらず、パワーポイントの一枚一枚に対して熱心なコメントをいただき、うれしい・・というより感銘をしてしまった。
 ここ最近でひさびさに元気がでた出来事。

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だめ

 帰路、やっぱりこれはだめだろう、と確信。
 だめだめだめ・・・(なんのこっちゃか、という記述であるが)

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バックレ

 礼拝ののち、関西歌会。
 歌会後、バックレ。

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根源的な力

 クリスチャンの私なのだけど、ここ数日、私を支えてくれたのは聖書のみ言葉でも神に祈ることでもなく、短歌の韻律だった。(・・あ、いやもちろん短歌も神様が私に与えてくれたものなんですよ、はい、そういう意味で別に私は神を否定しているわけではありません、はい、いやほんとまったく。神様っていろんなものを用いて人間を導いてくださるんです、それにわたしちゃんとお祈りもしてますし・・ほんとほんと⇒やや、焦り(^〜^;)ゞ)

 短歌によってささえられるとき、単純に「言葉によって力づけられる」というようなものではなく、歌の生理というか、なにか根源的な力というものがあって、そういうものが背骨の中あるいはお腹の中に入ってくるような感じがある。癒されるとか、そういう感じではない。

 ・・といっても実生活はへろへろで、もう全く踏んだり蹴ったり殴られたり、という状態で、なんか一日布団にもぐりこんでなんにもしたくないって気分である。もうカラ元気は出さないことにするのである。一日、ユーウツそうな不機嫌そうな、まったくもって元気がないぞーというオーラをぷんぷん放出して日々を過ごすことにする。
 なんだかいろんなことが
ばかばかしい、ああばかばかしいばかばかしい


と思われてならない・・・。は・・・、わたしってばクリスチャンなのにこんなこと書いていいのか<(-_-)>。一番ばかばかしいのはじぶんであって自分で自分に蹴りを入れたい今日この頃である\(`O´θ/。

航終へし白き船より象(かたち)なきものも静かに降ろされてゐむ                          小中英之

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[湖]歌人への5つの質問・口語短歌

 ひさしぶりの、かつ、一日遅れのFridayFive。たとえ回答がなくとも^^;来週もやります。
 さて、今週は口語短歌について。昨日、ある方と話をしてて思い立った質問です。
 口語短歌云々というのは、いまさら、という部分もあるかもしれませんが^^;3/10までにコメントかトラックバックで回答をいただけたらうれしいです。

【1】あなたは口語で短歌を作りますか?(口語で作る場合、ほとんどすべての歌が口語ですか?文語口語どちらも作る方はその比率を教えてください。)

【2】あなたが口語で短歌を作る理由(あるいは作らない理由)はなんですか?

【3】あなたが好きな口語歌人(こういう言い方が適当かどうかわかりませんが)は誰ですか?あるいは好きな口語の歌は?

【4】文語にできなくて口語にできることってなんでしょうか?(あんまり難しく考えず、ぱぱっとお答えください^^)

【5】口語で書いたものを読んでみたい文語の歌人、あるいは文語で書いたものを読んでみたい口語の歌人ってだれですか?(たまーに文語で書く口語歌人は口語歌人、たまーに口語で書く文語歌人は文語歌人と、てきとーにラフに分類してお考えください^^。また、文語⇔口語、どっちからかどっちへ途中から変った歌人については、現在を基点に考えてください。)

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泣こうごとある

 ある方からメールをいただく。以前在籍していた事業部の大先輩からである。
 事業部はいっしょだったが部署が違っていたので仕事での接点はなく面識もなかった(たぶん・・。⇒廊下とかですれちがったことはあったかもしれないが)。ひょんなことから、HPを読んでくださり、歌集も読んでいただき、ごくたまーに(年に数回)メールでやりとりをすることがあった不思議な間柄。
 昨年、その方から定年退職をする旨のメールをいただいたとき、一度お会いしたいと思ったのだが、東京在住とのことで会えぬままで、その後も音信不通であった。(・・・あ、その方自身のHPの更新とかブログ立ち上げのメールはいただいていたのだが私はろくに返信もしていなかった・・・)
 で、今日はその方から「ブログを拝見していて、信仰のほかに悲しみとかでてくるので気になって、やぼと知りつつメールしました。」というメールをいただいた。よほど、不穏なものを感じられたのか、緊急連絡先まで書いていただいていて、ちょっとびっくりした。
 なるべく自分なりにあれこれの<事情>は出さぬように日日は書いているつもりなのだが(めいっぱい意図的に出して書くときもあるけど・・)、<事情>を出さないで書いているとき、身近な人よりむしろ<事情>を知らぬ人のほうが、敏感に感じとられる部分というのもあるようである。基本的に気分の上下というのは割とわかりやすい日日ではあると思うけど、ここしばらくの不穏さまで感じられるというのは、かなりびっくりした。このようなしょーもない日日でも、そういうところを「感じとられる」ということを思うと、やっぱり文章って怖いなあと思う。
 メールを読んでさいしょは息を呑むくらいびっくりしたのだが、やがてうれしくて泣きそうになってしまった。
 緊急連絡先に電話しようかとすら思ってしまった。
 電話しようかと思ってしまったわりにメールの返事はまだしていない--#
 でも、ほんとうにありがたかったです。しばらく考えてからレスをしようと思っている。

 で、ここで気分的に、大辻隆弘さんの「泣こうごとある」という歌(うーん記憶間違いでなかったらこういう歌があったはずだ、九州の女性のことを書いた歌・・・)を引用したいのだが、歌集開いても出てこない。以前、大辻さん自身が掲示板に書いていただいていたようにも思うのだが検索しても出て来ない・・・。どの歌集に載っているのか焦って歌集をみればみるほどでてこない。えーん、まったく泣こうごとある・・・。(すみません大辻さん。)

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小鹿!?

 なにをしたというのでもないけれど、すごーーーく疲れた、ので今日は早寝。

身ぢろがず鳥類のやうに部屋にゐつ時は逝かむと長くおもひて
                     『鱧と水仙』23号 吉浦玲子

身ぢろがず小鹿のやうに部屋にゐつ春が逝く日の吉浦玲子
                     『鱧と水仙』24号 坪内稔典
  『鱧と水仙』24号 特集「脱ぐ・脱がす」。そのなかの吉浦脱がし担当の坪内氏の文章中で私に贈られた歌。
 こ、小鹿だなんて・・・小鹿に恐縮至極・・・。

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思い煩うな

 「思い煩うな」
 この言葉が聖書のどこにあるのかよくわからないけど、今朝、明け方近く、ふと目覚めてしばらく眠れずあれこれ考えるともなく考えていたら、この言葉が浮んだ。そう・・思い煩っても、どうしようもないこと。現実に身をゆだねることはあきらめではない。ただ、どうしようもないことをあれこれおもいわずらってもほんとうにどうしようもない、思い煩いはさらなる思い煩いを誘発し、思い煩いの負のスパイラルを出現させるのだ。

たんぽぽの黄をきざみたるごとき陽よときにばからしくなる人生は
                        村木道彦
 で、今日は一日、「思い煩うな」という言葉を呪文のように心の中で繰り返していた。
 繰り返していたんだけどぉ・・・ちょっとなぁ、ばかやろーってなこともあった。
 むっちゃばかばかしいぞ。ばかやろー!!!!
 このばかやろーも現実なんだが^^;気分的にこの現実には身をゆだねたくない。めちゃ腹が立つ。<腹をたてる>と<思い煩う>の相関やいかに?とかなんとか思い煩いつつ、ああ私ってぜんぜんだめじゃんと沈んで帰ってきた。

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さんぐわつ

 今日から三月。いろいろと心を入れ替えてがんばろうと思ったのだけど思ったのみ。

 即詠
水出でぬ噴水ありてみづの面(も)にただにあかるしさんぐわつのそら

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