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デジャブ

 「時間軸」で書いた離人症的な感覚とあわせて、子供の頃はデジャブもよくあったように思う。大人になってからはめっきり、ない。
 小学生くらいの記憶だと、<給食をたべているときにこれこれこんなデジャブを感じた>というデジャブとしての?記憶が残っているのだけど、もっと小さなころの記憶にはデジャブと実際の記憶がごちゃまぜになってなにがなんだかわからん^^;記憶もある。
 その印象的なものが、佐世保の花園町の近くと思われる道路わきの記憶。<落石注意>のネットが張られたむきだしの岩の山肌のわきをバスがとおっていくのだけど、そのむきだしの山肌の記憶が、5,6歳のときから小学校低学年のときの記憶にぱしっぱしっと交錯してて、実際にその山肌をみたのがいつだったのかがよくわからない。その風景がなにか深い意味があったのかもよくわからない。
 同じように、佐世保の大宮町の(・・・って上の花園町とあわせてめちゃローカルな話^^;)ある公園脇の道。母親と歩いていて、あ、この道どこかで見たことある・・と思ったのだけど、その後、ずっとその近辺に住むことになって普通に頻繁にその公園脇を歩くようになったせいか、どうもそもそもデジャブと思ったこと自体がなんか勘違いのような気もしている。しかし、やはり思い起こすとどうも妙な感じがある光景で、実際、子供のころもその場所を通るたびになにか変な気がしていた、というのも事実。

デジャビュ、デジャビュ、雪解(ゆきげ)の泥(ひぢ)にくれなゐのつま先を容(い)れ立つてゐたひと
                                         大辻隆弘

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