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二月尽

 ちゃぶ台をひっくり返したことはないが、 (ノ-_-)ノ・・・~~┻━┻
 ミートソース入りなべをぶん投げたことはある。(ノ-_-)ノ・・・★△■彡
 だからどうしたということもないが、なんか・・・暴力的な気分の二月尽。

バオバブの一樹のみ佇つ惑星に子とわれふたりゐるやうな夢
                          『精霊とんぼ』
 本文となんのかんけーない歌ってところがまた・・・^^;
 日常的な気分と短歌的気分はまたちがうのさー(?)

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 言葉は武器ではない、杖である。
 どうにかそれによってのみ私は歩いていくことができる。
 もう歩きたくもねーや、って思うときもあるのだけど。そんなとき言葉は遠い。

凍るやうな薄い瞼をとぢて聴く ジュビア、ジュビア、寒い舌をお出し
                       大辻隆弘

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聞くために

 耳をすませば聞こえるはずである。目を凝らせば見えてくるはずである。
 いまはなにも聞こえず見えない。
 聞くために、見るためにどうすればいいのか。
 ほんとうはわかっているはずである、ずっとまえから。

白き霧ながるる夜の草の園に自転車はほそきつばさ濡れたり
                          高野公彦
P1000086今週の逆光の辛夷。Phot by 逆境の吉浦。

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危機一髪

 帰宅時、うとっとしてはっと気づくと、降りる駅に電車がついていた。あっ、とおもったとたん電車の扉がぴしゃっと閉まった。
 あちゃーと思って隣の駅まで行って反対方向の電車に乗り換えて戻ってきたのだが、その電車は梅田方面行き最終電車、危ない危ない・・・。あと一駅乗り過ごしていたり、もう一電車遅かったら、たいへんなことになっていた。

辛夷咲く日まではわれを問ふなかれこころ澄まねば襤褸のごとし
                      小中英之

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デジャブ

 「時間軸」で書いた離人症的な感覚とあわせて、子供の頃はデジャブもよくあったように思う。大人になってからはめっきり、ない。
 小学生くらいの記憶だと、<給食をたべているときにこれこれこんなデジャブを感じた>というデジャブとしての?記憶が残っているのだけど、もっと小さなころの記憶にはデジャブと実際の記憶がごちゃまぜになってなにがなんだかわからん^^;記憶もある。
 その印象的なものが、佐世保の花園町の近くと思われる道路わきの記憶。<落石注意>のネットが張られたむきだしの岩の山肌のわきをバスがとおっていくのだけど、そのむきだしの山肌の記憶が、5,6歳のときから小学校低学年のときの記憶にぱしっぱしっと交錯してて、実際にその山肌をみたのがいつだったのかがよくわからない。その風景がなにか深い意味があったのかもよくわからない。
 同じように、佐世保の大宮町の(・・・って上の花園町とあわせてめちゃローカルな話^^;)ある公園脇の道。母親と歩いていて、あ、この道どこかで見たことある・・と思ったのだけど、その後、ずっとその近辺に住むことになって普通に頻繁にその公園脇を歩くようになったせいか、どうもそもそもデジャブと思ったこと自体がなんか勘違いのような気もしている。しかし、やはり思い起こすとどうも妙な感じがある光景で、実際、子供のころもその場所を通るたびになにか変な気がしていた、というのも事実。

デジャビュ、デジャビュ、雪解(ゆきげ)の泥(ひぢ)にくれなゐのつま先を容(い)れ立つてゐたひと
                                         大辻隆弘

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はずかしいことば

 ちょっと前に書いた恥ずかしい言葉。よく考えたら、なにが恥ずかしいって、やっぱ「愛」だろ「愛」。
 これは最大にはずかしい。「好き」とは言えても「愛してる」とは言えないだろう、うん、これはやっぱり。
 もっとも、キリスト教的には、「愛」はてんこ盛りなんですけどね^^;;ちなみに愛の使徒ヨハネの福音書って、私、福音書の中で一番好き。キリスト教の愛はいいんです、これは。(きっぱり)
 でもそれ以外の一般的な意味での「愛」はどうもはずかしい。恋愛の愛でも、そうでない愛でも。
 たぶん、短歌で使った記憶も現実生活で使った記憶もないような気もするが・・・ちょっと自信がない。
 ま、愛のない生活である^o^。でもこころには愛はあるぞ。・・あるかも、きっと。たぶん。・・・あってほしい。あるべきである。あらまほしけれ。愛をくれ〜。

壜の中さむき脳(なづき)の彼生きて在りし日いかなる愛に苦しむ
                         小池光『バルサの翼』
 T医大資料室に人をたづねて、という詞書のある歌につづく一連の中の一首。
 考えるとちょっと怖い状景である。不気味さのなかで<愛に苦しむ>という言葉が異様にリアリティを持っている。

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時間軸

 子供の頃、ときどき意識が体の外に出てしまうというか変な感覚になるときがあった。幽体離脱とかそういうオカルト的なものではなく、純粋に意識が自分自身から独立してしまうというか・・・。そういうとき、<意識>は家の中とか家族の会話とか自分自身をすら、なにかドラマをみているような、ひとごとのような感じで眺めていて、<自分>の感覚がないような感じだった。子供のころというのはだれにでもこういうことがあるのかそうでもないのか、よくわからないけど、私の場合、たぶん中学生か高校くらいまで、たまに(年に数回くらいだったか)こういう感覚に陥ることがあった。おそらく数分か10数分くらいの間だと思うが、ふっと、いう感じで、意識はもとにもどって特にそのあとはなにごともなかった。傍目にも誰もわからなかったと思う。(そういう状態のときでも普通に会話していたりはして、そういう喋っている自分を<意識>は離れて見ていた)
 大人になって、たまたま読んでいた本で「離人症」というのがあることを知り、その症状がたいへん子供の頃の意識が外に出たときの状態に似ていることを知った。あれは軽い離人症的なものだったのかなあ。

 最近、離人症というのではないが、どうも周囲の世界と自分がずれているような気がする(今頃気づいたのか?という突っ込みはなしで・・・^^;;)。子供の頃の感覚とはぜんぜん違うのだが、まったく世界が変ってしまったという感じがある。職場でいつものように自販機でコーヒーを買う、扉を開ける、仕事メールの最後にちょっと書かれた私信に笑う。・・・そういういつものことがいつものようでもあるのだが、なんだか自分から離れてしまったことのようにも感じるのである。むかしのような、ドラマのようなひとごとのような感覚というのとは違うのだが、どうも周囲と自分の時間軸がずれてしまったような感覚がある。時間の軸はいつか取り戻されるのだろうか。

あはれしづかな東洋の春ガリレオの望遠鏡にはなびらながれ
                  永井陽子 『ふしぎな楽器』

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超疲労

 年休。子供関連でばたばた。超疲労。

コンピュータ一基に春夜藤いろの淡き灯ともるさぶし官能                 
                           『廃駅』小池光

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白い手紙

 礼拝後、外に出ると、空があかるく、いちだんと春の気配。
 風は冷たく、公園の桜はまだ芽吹いていないけど、なにかこう・・よろこばしいやわらかな感じがあたりをつつんでいる。
 なべて世はうつくしい。

白い手紙がとどいて明日は春となるうすいがらすも磨いて待たう
                        斉藤 史

 昼、待ち合わせて職場の同僚と昼食。改まった話をする。

P1000085今週の辛夷。(クリックすると大きくなります。)ぱっとみて膨らんできた感じ。辛夷とは関係ないが、燭火礼拝の私の朗読が好評(ほんとかなー?*^^*)だったそうで、来月のなんとかかんとか礼拝(→なんだかよくわかっていない)でも朗読をしてほしいと言われた。プレゼンは下手なんだけど朗読はそこそこ・・・!?。

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手招き

 大橋麻衣子歌集『シャウト』の会。大阪梅田弥生会館。
 いろんな観点からの批評が出たのでよかったのではないかな。

 言いたいことを言うためのツールとして短歌はあるのではない。ちっぽけな自分よりはるかに定型の器は大きい。などとえらそうなことをいえる私ではないが・・。↓

 批評会あとの懇親会。立食パーティ。円卓のこちらで喋っているとテーブルのむこうにいるK氏が手招き。怖い顔している。すごすごとテーブルの向こう側に行くと、「ちゃんと歌を出せ」「短歌をなめとる」とお叱り・・・。言い返す言葉もありません。。。。

2005-0208-1249さてこれは誰でしょう?

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たこパー

 会社の昼会で所感当番。仕事と全く関係のない実にくだけたネタをしてしまった。息子のバレンタインデイの話と数年前のやはり息子の<たこ焼き>の話。けっこうウケたのだけど、うーむ、こういう所感でいいのかと、あとから深く反省をした。

 その所感ネタになったたこ焼きの話は、むかーしの初代の掲示板に書き込んだもので(当時は日日などはなく日々のあれこれも掲示板に書くことがあった。)その内容は以下の通り。日付は、検索したら2001/05/27だった。
---
「青春のタコパー」 
息子(中学一年)がタコパーに行くという。
タコパーとは何か?
一般的な言葉なのか?
大阪地方でのみ流通する言葉なのか?
スカパーの親戚なのか?
不明にして私は知らなかった。

息子によるとタコパーとは「タコ焼きパーティー」
のことらし

クラスメートの女の子の家に、男女数名が集まって、たこ焼きを
作りつつ、食べつつ、歓談し、遊ぶ、という趣向のようである。
どの家庭にも必ずたこ焼き器があるという大阪ならではの
催しとも言える。

しかし、そんな若人の楽しいタコパーにも屈折はある。
いやいや、若いからこその悲哀というべきか。
どうも様子を聞くに、今回のタコパーの主導権は女の子側に
握られているようである。しっかりと女の子たちがしきって
采配を振るっている。で、参加する男の子にちゃんと準備の
役割分担をふっているようである。
うちの子の役割は「タコの調達」。
たこ焼きに、タコがなければただの「焼き」であり、メインの、
コアとなる役割である。が、どうもうちの子の表情は晴れない。
なぜか?
クラスで一番人気のハンサムかつ秀才のY君には役割が振られて
いないのだ。つまり「来てくれるだけでいいわ」という待遇。
しかるに他の男子には、「来てもいいけど、あんたタコね、
君は小麦粉もってきてや」と指示が飛んでいるという次第。

「なんであいつは手ぶらで、僕はタコやねん」
と息子は不満を隠さない。

しかし、今朝になったら
「おかーさん、タコってどんなん選んだらええんかな?」
とタコ調達に燃えている様子。
タコ代をもって、いそいそと出かける息子の後姿を見ながら
彼の将来の恋愛パターンを見てしまった私であった。
---
オチの部分は所感では少し仕事寄り(こんな内容でどんなんや!)には変えたのだが、まあこんな内容で話をした。

 昼会後、午後しばらくたって、所長が所長室から呼ぶので何かと思って行ったら、所長室のテーブルに「たこ焼き」が置かれてて「いま外出してたんやけどな、帰り道、たこ焼き屋の前をとおっスら、吉浦の所感思い出したんや。で、買ってきたから食べや〜」
とのこと。どひゃあ・・・^^;;。女性数名でいただく・・・。うーーむ。おいしかったが・・・。なんかフクザツな気分であった。

 夜、酔っ払い虎。

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悲しいことは

 私のばあい・・悲しいことは、短歌にしたらいいと思う。悲しいことを悲しくないように短歌にする。
 悲しいことは、散文にしてはいけない。悲しいままに書いてしまうから。
 短歌は感情をせきとめ、散文は感情を流露させる。

 朝、会社に行きたくなくて七転八倒。七転八倒と抱腹絶倒は似ている。(似とらん!)感情の流露。短歌的に出社。短歌は会社員を救う。

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あゆみはじめき

 恥ずかしい言葉。人生、青春、情熱。
 でも実は私は情熱という言葉は嫌いではない、短歌で使ったことはないけれど。
 もっとも情熱なんてわたしにとって日本海溝に沈んでいる角砂糖くらいに遠いものだ。

夕暮れの水よりあがる人体に翼なければあゆみはじめき
                   小池光

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カレーチャンポン

 昼食時、食堂で「カレーチャンポン」なるものを食べている人がいて、それは「カレー五目ラーメン」のようなものであった。長崎県人としてはチャンポンに関してはうるさい。関西でチャンポンという名前をつけて出されたもので、ほんとうのチャンポンであったためしがない。

やはらかき昼の灯下に並びをり深海といふ闇の底の水
                     竹山広

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あくせんと

 九州の某氏へ電話をすると最初に出てこられた秘書さんが・・・なんかとっても言葉のアクセントがもろ九州弁で面食らってしまった。言葉遣い自体は丁重な標準語なのだけど、アクセントがなんの躊躇も迷いもない完全な九州弁でそのてらいのなさに感心した。先週はじめて電話したときに、かなりびっくりした。今週もやはり同じ人がでてきたが今回はすぐに某氏に替られたのであまり声を聞けなくてちょっとさびしかった。(某氏も純粋な九州の方だがビジネス喋りをしているときのアクセントは九州弁っぽくない)
 私も昔はあの秘書さんのような感じでしゃべっていたのかなあ・・。(ひょっとしても今でも?@@・・きっと聞く人が聞いたら「あ、これは九州出身の人だ」とわかるような喋り方だとは思うのだけど・・)

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明るみてあれ

 やらねばいけないこと、たくさん。が、ぼんやりとした感じ。午後から所用で会社。空調が入ってなくて寒かった。
 コートを着て机に座って数時間。

目の奥のつかれ冬日の火をさへもまぶしむごとく涙をこぼす
昏れゆくとこの町どこも冬の風われの出口は明るみてあれ
     
            『わがからんどりえ』小中英之

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燃す

P1000076 今週の辛夷。辛夷は咲くべし。開くべし。

身辺をととのへゆかな春なれば手紙ひとたば草上に燃す
                      小中英之

 身辺を整え、手紙も自分自身の存在さえも燃す。
 春がくれば、辛夷の花が終われば、手紙も私も消える。

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[湖]歌人への5つの質問・斎藤茂吉

 先週も5つの質問へお答えいただきありがとうございました。
 今週もいってみます。今週は「硬」な質問、と言っておりましたが、さほど「硬」ではありません。
 茂吉についてです。茂吉を好きな方も嫌いな方も読んだことない方も気軽にお答えください。
 (答えにくい質問かもしれませんが)
 回答は、コメントかトラックバックで2/17までに、お願いします^^。
 今週は回答者が少ないような予感〜。

【1】あなたにとって茂吉はどんな存在ですか?

【2】あなたはこれまで茂吉の歌、歌集をどのくらい読みましたか?また読んだ理由は?

【3】あなたは斎藤茂吉の歌集ではどれが好きですか?

【4】今後あなたは茂吉を読みますか(読み続けますか)?読まないですか?その理由は?

【5】茂吉を色であらわすと何色?

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から

 ゆうべはほとんど眠れず。なんだかほよーんと一日。人生が一回転してしまった。風邪はどこかに飛んでしまった。

 ひさしぶりに茂吉が読みたくなって、それも「ともしび」が読みたくなって、「ともしび」を探すが、見当たらず。全集のその箇所もなし。選集までなし。うりゃあー、うちの本管理はどんななっとるんじゃあ。しかたなし、岩波の茂吉文庫を手にスタバへ。

やけあとのまづしきいへに朝々に生きのこり啼くにはとりのこゑ
家いでてわれは来しとき渋谷川に卵のからがながれ居にけり
ここにもほそく萌えにし羊歯の芽の禍葉(うづは)ひらきて行春のあめ
いにしへも今のうつつも悲しくて沙羅雙樹(さらさうじゆ)のはな散りにけるかも
さ夜ふけて慈悲心鳥(じひしんてう)のこゑ聞けば光にむかふこゑならなくに
夏山の繁みがくれを来しみづは砂地がなかにみえなくなりつ
くれぐれにわれのいそげる砂利みちは三月(やよひ)にちかき雨ふりて居り
きさらぎの二日の月をふりさけて恋しき眉をおもふ何故
                            斎藤茂吉

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仕事中

 職場で、わけあって、ダイエット関連のHPをサーフィンする。もちろん仕事なんだけど、どうも、「ダイエットレシピ」とか「ウェスト即痩せ」とかのページを見ているのを、通りかかった人から見られたら、「就業時間中にネットサーフィンして遊んでる」とか思われそうでちょっとどきどき。「効果的なダイエットサプリ」とか「骨盤ダイエット」とかのページを私が開いていたとしても、皆さん、遊んでるとは思わないでくださいね。仕事です、仕事です。(ま、実益がないとはいわないが^^;;)

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灰の水曜日

 今日はレント(受難節)の始まり。就業後、夜、「灰の水曜日礼拝」に、出席。
 「灰」というくらいなんで、けっこう、重い礼拝。キリストの受難をしのび、かつ自分の罪を思う礼拝であるわけで・・まあ明るくはありません。
 カトリックのほうでは、この日は断食したりすることもあるらしい。これから復活祭までは肉を食べないとかもあるらしい。プロテスタントではそんなことはいわないようだけど(プロテスタントは宗派によって基本的にばらばらですけど)、生活を正してキリストの苦難を思いましょう、というのはあるようだ。
 でも私、礼拝から帰宅したら、なんだか癖で、プシュッと缶ビール開けてしまったし、明日も仕事だというのに餃子たべてしまったし・・・、うーむ・・・(--#)。悔い改めがたりない・・・。

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形象

 うー、相変わらず鼻水が・・・。健康管理室に行くととりあえず微熱。総合感冒薬をもらって帰ってくる。

 やっと、「汝、尾をふらざるか」完読。いや、正直、かなり斜め読みだった。こういう1950、60年代の過剰に詩的な(と私には思える)文章ってどうなんだろう?(いろんな文章が載っていて、1950,60年代のものが多かった。1990年代のものあるのだけど)うしろのほうに、定型について書かれた文章があって、ぜったいにここまでは読んでやる、と意地のように読んだのである。その定型について書かれた文章も・・うーむ。すごーく意訳すると短歌>俳句>現代詩と詩は進化してきた、ということで、ある意味わかる部分もあるのだが、ちょっとそれはそれで現代詩人としてなにか安易なのではないかとも思う。短歌は音声をともなわなければ存在できない、俳句は<空間化と無性化>を実現した。さらに現代詩は<無音>を超えて近代と接触した。<無声>化ということが近代化ということにリンクされている。

 俳句がつきあたれなかった近代思想の核にともかくも接触したのが現代詩であり、それは異文明をみつめてふっと黙ったカナリアの内なる<啞>の自己表出とみなせますから。

 上記に安易とは書いたが、決して谷川雁の定型観は単純なものではない。しかし、谷川の説をすれば、すでに滅びてしかるべき定型がいまなお残っているということと、近代のありようというのはけっこう皮肉な様相を呈するのではないか。いや実際、現代において、すでに定型は滅んでいるのかもしれない。しかし、定型の亡骸のうえを現代詩が時代の言葉を鮮烈に伝えているのか?私にはそうは思えない。

**
煙木(スモークツリー)に臙脂のわか葉萌えいでてつゆのひとつぶころがり落つる
ここのつの蕾をもちて芍薬は四月二十日の朝をうごかず
苔のうへに表面張力かがやきて秘蹟のしづくの玉あらはれつ
                  小池光『滴滴集』
 こういう形象から立ち上がる世界というものを私は愛する。


 

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鼻かぜ

 明け方から、鼻がつまって息苦しくて眠れず。
 う、ぶぶぶ・・・。
 熱は平熱だが、一日、不調。
 皆様も、風邪にはお気をつけください。

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箴言

 良識派とか良い人とまわりから賞される人間ほど、冷酷な人間はいない。
 しかし、その冷酷さに気づく人は少い。たぶん、本人を含め、その周囲のごく身近なもののおおくは<良識派>の彼・彼女が墓にはいるまでその実態を知らない。知らないことは幸せでもある。不幸なのは知ってしまったごく数人、彼・彼女に魂を殺されたにんげんである。殺された人間は往々にして加害者にすらされる。(箴言パリフィエ 23−1)
**
 朝から礼拝。
 その後、紀伊国屋で仕事関係の本を買う。のち短歌人の関西歌会。14ヶ月ぶりの歌会なのに喋りすぎてしまった--#
**
 風邪ひどくもならずよくもならず。心身ともに嫌な感じ。

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フレッシャーズ

P1000073 風邪は熱があるようなないような、咳と鼻づまりが少々・・・たいした症状ではないのだが、妙にしんどい。
 寝たり起きたりして過ごす。今日は一日外に出たくなかったのだが、夕刻遅く、夕飯の買い物に。そしたらSaleしていた安いスーツが目に入り、つい買ってしまう。フレッシャーズ用って書いてあったけど^^;もうずいぶん昔フレッシャーズだった私だが、特にクレームもなく購入できた。

 なんとなく気分的にはちょっと短歌ができそうな気がしてきた。

 写真は今週のぶれる辛夷。(クリックすると大きくなります)
 先週と今週は同じ木です。しばらく定点観測しようと思っていますが、けっこう近辺の木をみると、木によってつぼみの具合ってばらばらだなあ、ということにあらためて気がつきました。

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海のものとも・・・

 ときどき、読書に詰まる?ときがある。ちょっと読みにくい本にとっつかまってしまうのだ。いま、とっつかまっているのは、谷川雁の『汝、尾をふらざるか』。年初、なかなか良い本と思ったのだが、これが実に読みにくい。締め切りすぎた原稿とかあれこれあって読み進めぬままとなっている。別に他の本を読んでもいいと思うのだが、なぜかどうもつかまったままでしばらく読書全体がとまってしまうような本というのがあって、これもその類・・・。むむむむ。

 <海のものとも山のものともプロジェクト>発足。がむばろー。ひとまず辛夷の咲くころまで。

 帰宅したら、どうも風邪っぽい。37.2度。五虎湯を飲む。

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[湖]歌人への5つの質問・短歌ができるとき

 金曜日です。
 先週は、「歌人への5つの質問」に予想外に多くの方の回答をいただきとても嬉しかったです。ありがとうございました。

 さて、今週は、「短歌ができるとき」。先週同様、「軟」系の質問ですが、ちょっと獏としているかもしれません。回答しづらいかもしれませんが、よろしくおねがいいたします。
 回答は、コメントかトラックバックで2/10までに、お願いします^^。

【1】 あなたは、一日のうちで、どの時間帯に短歌ができますか?(あるいは短歌を作りますか?)

【2】 あなたは、一年のうちで、どの季節に短歌がたくさんできますか?また短歌ができづらい季節ってありますか?

【3】 あなたは、喜怒哀楽でいえばどんな感情・気分のときに短歌ができますか?(あるいは短歌を作りますか?)また短歌ができづらい感情・気分のときってありますか?

【4】 どうしても短歌ができないとき、短歌をつくるための必殺技、隠し技、呪文等があれば教えてください。

【5】 学校の授業・宿題以外で、生まれて初めて個人的に短歌を作った(短歌ができた)のはどんなときでしたか?

 来週は、ちょっと「硬」な質問にしてみます〜

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豆腐

P1000072 職場の歓迎会歓送会そして中国へ留学される方の壮行会。京橋の豆腐料理の店。宴会が豆腐料理とわかっていながら、そもそもあまり豆腐類を食べない私がよりによって昼ごはん、社員食堂で揚げ出し豆腐をたべてしまったのは不覚としかいいようがない。ま、京橋の豆腐料理はそれでもおいしかったが。なごやかに宴会、しめやかに二次会。お開きのあと、自宅近くの最寄駅についたところで、賑やか二次会組からケータイに留守電が入っていることに気づく。カラオケボックスとおぼしきところから、複数名からのよくわからん伝言。むかっ。「吉浦さーん、どこにいるんですかー?」・・・もう家の近くだよ〜。「二次会いかなかったんですかぁ」・・ふーんだいったよ〜。二次会はしめやかに限る。大人にはしめやかが似合う。ふん。

写真はコースの最初の頃にでてきた一品。なんかヨーグルトのような感じ。豆腐とは思えなかった。さっぱりと美味。

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いづこへ

 「吉浦さん、どこへ行っちゃうんですか?」
と、最近、いろんな人から聞かれる。それって・・・私自身がいちばん聞きたい。
 「私はどこへ行くんでしょうかぁ?(TT)」 
 いづこよりきていづこへ向かふ。行き先によっちゃあ五寸釘。(⇒わたしってばクリスチャンじゃなかったっけ・・^^;)

 人からも、ものからも離れてゆわゆわと浮遊していけたらいいと思う。いつかたましいは永遠という時間のなかにいくのであれば1000年位の孤独は耐えられるだろう。

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おーい、ヤマモトくーん

 朝、手が離せぬときに電話が鳴り、リビングに走っていったときには、切れてしまった。留守電を聞くと、いかにも60代半ば自営業といった感じのおじさんの声。
「おーい、ヤマモトくーん。
 交野の○○やけどなあ、すまんけど、電話くれへんかなぁ(がちゃん)」
 ・・・はぁ?・・ヤマモトWho?
 しかし、この交野のおじさん、いかにも気の良さそうなほがらかな口調だったので、間違い電話である旨伝えられなかったことがなんだか申し訳ない気がした。ヤマモトくんにも悪かったなあ。連絡ついたかなあ。
 
 息子は、朝は平熱。食欲はいまひとつだが、まあ大丈夫そうである。

 昼、所用で梅田。むちゃくちゃ寒い。風が強く、雪も舞っている。用事をしていたビルの窓の外が、ほとんど<吹雪>状態になっていた。あー、さぶかった(@@)。

 息子の進路のことであれこれ悩む。うーむ、うーむ、うーむ、うー・・・

 それにしても歌人サイトを読むと・・みなさん、ちゃんと短歌作っておられますね。わが短歌人関係で言えば、すでにあちこちのサイトで2月出詠分詠草をまとめた・・という記事を読みます。締め切りって12日ですよね。今日ってまだ1日ですよね。なーんだ、まーだあと11日もあるじゃあないですかっ!なんてこと書いていたら殺されますね・・・。
 月末までに歌数をそろえ、月初ただちに推敲、締め切り一週間前には発送!・・・てのが正しい短歌人のありかたです、はい、深く反省しています。二ヶ月も欠詠してしまいました。来週の歌会の詠草も締め切りに間に合わず白板板書になってしまいました。いけませんこういうことでは。
 でもぜんぜん短歌できそうにない雰囲気なんだなぁ(⇒甘えとるな〜)。数は書こうと思ったら書けるけど、どうもなんかなあ・・・。(⇒もっともっとたくさん書けば道は開けるんじゃあないのかっ、努力が足りんぞ!)どうやったら短歌ができるのでしょうか?頭の中が吹雪いております、神様。
 ・・・なんてこと書いていたらほんとに殴られそうな気がしてきた。花も吹雪も乗り越え、短歌作ろう。いや、ほんとに作ります。こころは極地をめざす越冬隊員。

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