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大晦日

 小学二年生の姪のかのこを二年ぶりに見て、顔がすっかりその母(私の妹)の子供の頃にそっくりになってて、ひぇっ〜と思った。しかも、どことなく私の子供のころの風貌もあって、かのこの顔を見ているとどうも落ち着かない。こそばゆいような・・大層奇妙な気分になる。

 午後、かのこと散歩。私や妹の通っていた小学校まで。ことし最後の雪の降る道。

はじめてのをんな孫にてすなほなる喜びを母はかのこに見する
       『精霊とんぼ』

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ちゃんぽん

 朝、六時二十五分発ひかりで帰省。日帰り出張でもないのになんでこんな早い時間に〜(T_T)→切符の手配が遅かったからこの時間しかとれなかったんだけど(^^ゞ
 博多乗り換えで十一時には佐世保着。大阪を朝でて昼前には佐世保につくってすごいなあ、考えると。
 で、長崎についたらやっぱり昼ご飯はちゃんぽん、皿うどんでしょう、ということでちゃんぽん、皿うどんたべました。→写真はちゃんぽん、かなりぼけてそうですがケータイからの投稿なんで確認できません。帰宅後、ぎゃっと思うかも。p1000050.jpg

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もうだめ・・って感じ?

 朝から今年最後のごみ出し日でばたばた(うー、生活臭い〜^^;)にはじまり、銀行振り込みだなんだかんだと慌しい。なぜこんなに慌しいかといえば、ひとつには今年は帰省をするから、というのがある。
 いーねぇ田舎でゆっくりできて・・という人はおそらく男性であろう。中年女性が自分の実家といえども正月に帰ってはねが伸ばせるわけはない。(九州という土地柄かもしれないけど・・)かえって慣れない台所でおさんどんするはめになってたいへんなんだよ〜。甥っ子姪っ子はばたばたしてて、その合間にお馬さんさんしたりお年玉包んだりたいへんである。で、「おばちゃんの言葉おかしかー。なんでそがん言葉話すと?」とか聞かれる。わたしだって昔は純正九州弁喋っとったっちゃけどね・・・もう20年近く大阪におるんでね・・。
 で、そのたいへんな帰省をまえに、自宅でやっておかないといけないことがなかなか進まず・・・。ああもうだめだぁ・・時間切れ。明日、早朝の新幹線で帰省予定。ふぅ・・・。
 移動中読書、「名短編」から川端康成「片腕」。ああこれもわたしはだめ・・・こういう美意識とエロティシズムは苦手だ。怖い・・。

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年末じたばた

 今日が仕事納めだけど、年休。自宅であれこれやり残したことをばたばたやる。
 すっかり疲れてしまった。まだ腰も痛いし・・・。薬が切れそうな感じだけど、もう一度病院に行く時間はないなあ。

 スマトラ沖の大地震とインド洋の津波はたいへんなことになっている。地球規模の天変地異がこれからも続くのだろうか。伝染病などでさらに被害者の数が増えないことを祈ります。日本からの医療サポートチームが外国からでは一番乗りで現地に駆けつけたとのニュースもあり。たまには日本もいいことをするじゃないか。

 寝る前に、「名短編」の深沢七郎「おくま嘘歌」を読む。泣ける。

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どぶろく

200412272039.jpg
 夜、ささやかな忘年会。大阪京橋の品のいい料理屋さん。私にしてはかなり贅沢な店である。
 焼酎を飲んでいたら「お強そうですね。どぶろく飲んでみますか?」と店の人がすすめてくれ、いただく。甘酒のように少し甘く、かすかに酸味と香があった。(写真・・ぼけてますが^^;)

 通勤読書は「名短篇」の内田百けん「サラサーテの盤」色川武大「雀」。
 帰宅すると原稿の督促が。・・すみません(>_<)

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まだ腰痛

 FOMAと腰痛のせいでいろんなことが滞っている。まいったまいった。

 新潮創刊100周年記念 通巻1200号記念「名短編」は、ここ100年間の新潮誌上に掲載された短編のアンソロジー。森鴎外から町田康まで・・・なんだかすごいお買い得な一冊。腰をさすりさすり眠る前に太宰治『俗天使』と町田康『一言主の神』を読む。

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腰がいたい、豊作

 昨日から痛む腰が、今日も痛い。ただしさほど悪化はしていない。痛むのは左の腰だけ。歩いたり座っているときはほぼ大丈夫で、座っている状態から立ち上がるとか、寝返りを打つとかすると、イテテテ、テッということになる。年末だし、万が一悪化したら困るので、念のために病院に行く。結局、「ま、湿布貼って様子見ましょう」とのこと。ただし、
 「ひどく痛むようなら月曜日にまた来てください」
とひげのおやじの医者。
 「うーん、月曜は会社に行かないといけません」
 「会社にいけるくらいなら、こんでええ」
あ、そーすか・・・とすごすごと診察室をでる。スーパーの小ぶりな袋くらいのビニール袋にどっさり薬をもらう。湿布薬が嵩高いだけなのだけど、なんだかたくさん薬をもらったようで、自分がおばあさんになってしまったような気がした。

 その袋をさげたまま、腰をさすりさすり、所用であちこちへ。
 昨日、人生最大に悲しいクリスマスイブを迎えた私としては、道を歩きながら、飾り付けられたツリーを見ると、ぐさっときて憂鬱になり、たのしげなジングルベルなど聞くと腹が立ってくる。だいたいそもそも、クリスマスというのはぁ、ヨセフとマリアという貧しい夫婦が宿屋にも泊まれず、馬小屋でその第一子を出産せざるを得なかったという、けっしてたのしい状況ではなかった当時の民衆の苦難と、幼子のその後の受難を予兆するさびしい生誕の意味をこころ静かに受け止める日なのだぞっ、と思わずいきりたちたくなる。しかし、あんまりいきり立つと、なんか腰に悪そうなんで、そこそこにしておく。

 帰宅したら、京大短歌会の西之原一貴さんから同人誌が届いていた。『豊作』創刊号。
 『塔』の若手による同人誌らしい。『D・Arts』も『塔』のメンバーだし、『塔』はすごいなあ。
 『豊作』はまだぱらぱらと目次等をみただけだけど、作品と評論がともになかなかのボリュームで、かなり力が入っているなあという感じ。ただし、『豊作』というネーミングは・・・私の個人的趣味としてはいかがなものかと思う、あくまでも個人的趣味ですが^^;。

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ノエル、ノエル

P1000010 燭火礼拝、終了。
 通常の礼拝では見ない顔の人もたくさんいて、不思議だったけど、あとから考えると、あれは近所の人だったようだ。イブの夜に、信者でない方も、ふらっと礼拝に参加するって、なんだか素敵な気がする。小さな教会だけど、地域に根づいている様子なのは、地域外からの通い信者のわたしとしてもなんとなくうれしかった。

 どうにか担当部分の朗読も終える。椅子から立ち上がるとき、腰が痛むので大丈夫かなと思ったけど、かろうじて歩けた。職場の同僚一名も参加。

 実は今日は、個人的に、悲しいことがあって、生まれて○十年にして最大に悲しいクリスマスイブだったのだが、こんな日が初めての燭火礼拝で、しかも聖書朗読することになるなんて・・・これも神様のはからいかなあと感じた。

 ノエル、ノエル。
 降誕おめでとうございます。地のすべての人に祝福がありますように。

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東方の星

 クリスマス・イヴです。
 大阪は雲がありますが、ほのかに光がさしています。

彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、
ついに幼子のいる場所の上に止まった。
                       マタイによる福音書 2章

 夕刻より燭火礼拝。
 みなさんに祝福がありますように。

**
 本日、年休。朝から、なんやかんやとばたばた・・。昼過ぎ、ゴミ収集車の音に慌ててゴミ袋をかかえて走ったら、腰がぐきっと・・。礼拝の聖書朗読大丈夫だろうか。

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FOMA・・・

 結局、午後から、docomoショップ三店をまわるハメとなり、本体交換、かつ故障期間のメールはロスト、ということになってしまった。特に、二店目ではけっこう、すったもんだすったもんだすったもんだ、して・・・私も結構、文句を言ったりして・・・なんだか落ち込んでしまった。
 教訓:故障のとき、docomoショップは遠くてもなるべく大きなところに行ったほうが、結果的に、話が早く済む。(代替機の在庫、ロストデータの参照等)
 がっくり・・・うう、疲れた。
 昨日から今日にかけて私のケータイにメールをくださった奇特な方がおられましたら、上記のような理由でメールは消失してしまいましたので、再送いただけたらうれしいです。(昨日分までの確認はとりあえず取れていますが・・)

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ばかFOMA

 ゆうべからケータイのメールの送受信ができない。最初は電波の問題かと思っていたけど、今朝になってもなんかみなれないメールマーク表示がされている。(あとで、<メールがセンターに残っていて受信できていない状態の表示>ということがわかったが・・)で、相変わらず送信はエラー、受信は「取得できませんでした」となってしまう。(PCからケータイ宛テスト送信すると一瞬FOMA君は、受信するぞーというような画面になるけど、すぐ「取得できません」とへなっと力尽きて終わってしまう。むかっ--#。)
 それでも、なんかの設定の問題かなんかだろうと、朝までは軽い気持ちだった。で、朝、docomoの相談センターに電話をかけると、結局、「お近くのdocomoショップまで本体をお持ちください」とのこと。何回もあれこれ設定をきかれ、確認し、電話かけなおして、結局、ショップ店へ、なのねー。かなりやりとりに時間がかかったのに・・・。
 それに・・あれこれ操作してて、私自身も、途中でやりとりしながら「こりゃ、けっこう重症っぽい」という感じがしてきていた。でも電話応対の人が、どうもマニュアルどおりっぽく一通りの確認操作をするように言われたのには少しむっとした。携帯の専門家でもないわたしがおこがましいかもしれないけど、絶対そのあたりは関係ないだろうと感じられるところをあれこれ言われているようだった。むかーし、PCやらシステムのトラブルシューティングをしていたとき、なんとなくある程度見たり聞いたりしたら、直感的にここらへんが怪しいという感じがつかめるたのだけど(割とそういう勘は私は良い方だったと自負しているが!?*^^*)、どうも電話対応の方は、そういう感覚がなく、手順どおりの対応って感じだったなあ。それにしてもdocomoショップまで行くの面倒だよー。しかも、この忙しい時期に。。。。買って三週間だよー。でもFOMAの機種を思うとちょっとどきどきしてきた。どきどき、ムカムカしながら、いまからdocomoショップに行ってきます。

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大忘年会

 職場の忘年会。
 もろもろのちほど記述。

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ブログでなくてもいいかも

 職場の人とブログのことを話していて、ふと自分自身のこのブログのことを考えた。この日日はブログである必要はないような気がしてきた。自分自身、ここ数ヶ月、ネット上の他のサイトのいくつかは定期的に閲覧はしているが、自分自身の日日以外に書き込みをすることはほとんどなかった。自分自身がブログにしたからといって、他のブログにコメント書くわけでもトラックバックかけるわけでもなく、ほとんど引きこもりブログ状態。うーん、だったらもとのごく普通のWEB日記でいいじゃん、という気がしてきた。もとのWEB日記に戻ろうかなあ、とだんだん真剣に思うようになってきた。せっかくココログ、有料契約したんだけどなあ^^;

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言いたいこと

 板一枚のしたは奈落(というほどでもなくドブ?^^;)って感じの毎日。

皮の暗さがおまへの髪の色に似て今宵の茄子ぞ妙に愛しき
 矢部雅之『友達ニ出会フノハ良イ事』
 写真や散文の多いユニークなつくりの歌集。言いたいことにあふれている、という印象。言葉が定型の中に収斂していかない。ページをめくりながら、ふと、この人は定型を必要としているのだろうか?とも思う。散文やルポタージュを書けばいいのではないか?集中、亡くなった先輩カメラマンについての散文をまじえた一連がある。書かれている内容は深刻で、真摯な思いというのは伝わってくるけれど、はっきり言ってあまり上手くない。ただこの一連を読んで、この人は目の前の<事実>を自分の中に回収するためにやはり定型を必要としているのかもしれないとも思った。短歌は言いたいことを書くのではない、というのは単に短歌は短いから言いたいことを直接言わずに、しらべや比喩や文体で感じさせるのです、ということではない。定型そのものが自分の中の(自分でも気づかないような)言葉を拾ってきて<言う>ものだろうと思う。まあもちろん、そんなにコトは単純でもなく、自分自身、定型との関係が良好とはいいがたいのだが。

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言(ことば)は肉となって

言(ことば)は肉となって、わたしたちの間に宿られた。
                   ヨハネ1-1-18

 クリスマス礼拝。そののち愛餐会。子供たちの歌、若い人たちの歌・・さいごにダビデ会(おじさんたちの会)の歌と続き、その最後のおじさんパワーに圧倒される。酒を一滴ものまずにあそこまで盛り上がれるというのは・・うーむ、実はクリスチャンというのはおそろしい人たちかもしれない・・。まったく<おそるべきおやじたち>である。(ダビデ会最年少で私と同世代の牧師先生は最後の挨拶のとき声がつぶれていた^^;)
**
P1000037愛餐会での手作りミートローフ。おいしかったです。(はじめてのクリスマス礼拝記念の一枚が食べものかいっ!?*^^*)

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電話

 気分が落ち着かない12月の週末。正月の帰省について親に電話。普段、電話に出たがらない息子がめずらしく電話に出て母(むすこには、ばーちゃん)と喋る。
 『翔べ麒麟』完読。おもしろかったけど、辻原登の小説に出てくる女性は、みな、超美人で、タイプは違えどそれぞれ「いい女」すぎる。そこがなんだかなあ^^;という気がする。
 なかなかやるべきことはかどらず。

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どきどき

 『鱧と水仙』の原稿がまだ出来ていなくて・・・ちょっとどきどきしている。ああ、困った。。。。
 左岸の会欠席。
 通勤読書、辻原登『翔べ麒麟』。これがむちゃくちゃおもしろい。若き遣唐使の話で裏表紙の説明に「陰謀と友情、恋と剣。沈みゆく帝都の都を舞台に繰り広げられる新感覚歴史活劇」とあるけど、ほんとに活劇という言葉がぴったり。登場人物たちはそれぞれある種典型的なところがあるのだけど、スピード感とさわやかな感じがあって引き込まれてしまう。・・・とそれより原稿原稿・・・。

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世紀末ウィーン

 安藤忠雄の『建築に夢をみた』を通勤読書にて完読。
 これまであまり興味がなかったウィーンに行きたくなってしまった。
 クリムト、エゴン・シーレ、レッティ蝋燭店。
**
白子酢を食(は)みつつながむ居酒屋のけぶれる壁のクリムト『抱擁』

旧作より。
・・・てっきり『精霊とんぼ』に入っていると思ったのだがいま探したらなかった歌。(見落としかも)

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過ぎ去りし日々

 過ぎ去った日々はなべて美しい、ような気がする。
 忘れな草を押し花にしてあなたに!?
**
即詠
あたたかき冬のゆふぐれまもるべきなにもなき手にパセリを持ちて

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ダンカンの歌

 先週末、ちょっと借りたいCDがあってひさしぶりにレンタルビデオ屋に行ったら、たまたま見たコーナーに「サイモン&ガーファンクル」のベスト盤がおいてあって、あまりの懐かしさに思わず借りてしまった。中学とか高校くらいのとき、結構好きだったのだけど・・何年ぶりだろうか、ちゃんと聴くのは。
 あの当時はまったくわかっていなかったのだけど、今、「スカボロフェアー」とか「America」とか聴くと、当時の時代背景が色濃く漂っているのがわかる。ベトナム戦争とか、そういうものが影を落としていたのだ。どこかひりひりと不安で痛ましい感覚がある。
 そういうことなど何も考えてなかった能天気な田舎の中学生だった私は、当時、レコードなんて買うお金もなかったから、安物のラジカセで、FMラジオからロックとかポップスの曲を録音していた。このラジカセというのがほんとにあんぽんたんなラジカセで、ラジオからのエアチェックなのに、なぜか外部入力をときどきひろってしまうことがあった。ポールサイモンの「ダンカンの歌」(落ち着いた悲しい感じの歌だったと思う)を録音していたとき、隣の隣のうちで飼っていた鶏が朝でもないのにコケコッコーと鳴いていたのだが、しっかりその声まで録音されてしまって、なんだか情けなかったことがある。そのコケコッコー付のP・サイモンの録音テープは、きっとさがせば、いまのマンションの押入れの中から出てくると思う。
 あのころ、アメリカは青春の終わりの時期で、日本全体はどうにか豊かになりつつある時期だった。我が家はまだびんぼーだったが。

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スワイショウ

 昨日の歌人集会で撮ってもらったケータイ写真で自分が写っているのをみて、かなりショックを受けた。島田修三氏の講演も刺激的だったが、自分の写真は私にとってさらに刺激的だった。
 だって・・超デブなんだもの。がーん。
 反省のため、その写真をケータイの待ち受けにするとか自宅や会社のPCの壁紙にして、つねに私はデブであるという自覚&危機感をもったほうがいいかとも思ったが、ノイローゼになりそうなんでやめた。
 とにかく、早く水泳を復活させないと。あと、ちょっと気功をやってみようかとも思っている。少し前に、『気功エクササイズ』という本を買ってて、ときどきぱらぱら見ていたのだ。気功はそもそもダイエットのためのものではないし、ヨガなどと比べても筋トレ的な要素も少ないけど、気長にやるとすっきり引き締まってくるようだ。ということで、まずはスワイショウ。手をブランブランさせて、左右にひねる動作をする。自分自身がでんでん太鼓になった気分で。けっこうこれが気持ちいい。単純な動作ながら、体のこりや無駄な力が抜けて、心身ともリラックスできる感じ。これで、ウェスト5センチ減+『鱧と水仙』の原稿作成を乗り切ろう。

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現代歌人集会

 礼拝、および燭火礼拝の打ち合わせ。

 そののち京都、四条大宮アークホテルで現代歌人集会秋季大会。
 島田修三氏の講演。「アマチュア新『新派和歌』の現在」。私は個人的に<わがまま>以降の短歌についてどうも嫌悪感があったのだけど、この講演を聞いて、近代短歌(と氏はあえて言わず新派和歌といっておられた)と<わがまま>以降の捉え方に違う観点があることに気づいた。
 講演後の、懇親会での島田氏の挨拶にも若い世代に対してのねんごろの思いみたいなものが感じられて感慨深かった。
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P1000027左から、吉岡生夫氏、島田修三氏、歌人集会賞受賞 魚村晋太郎氏、大辻隆弘氏、倉本修氏

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理事会

 たましい抜けた週末。
 夜、マンションの理事会。私は会計担当ということに。私に金なんか預からせちゃまずいだろう、と思ったが、お金そのものは管理人さんがやってくれるそうだ。で、私はなにをやるかというと・・駐輪場にとめてある自転車やバイクの駐輪シールがちゃんと貼ってあるかどうかの1ヶ月にいっぺん程度の点検らしい。
 ところで・・こういう会社とは違う雰囲気での打ち合わせって、どうも落ち着かない。子供が小さいときの保育園だの子ども会での話し合いもそうだったけど、どうも話があちこちに飛ぶ感じがあって、良くも悪くも冗長。もちろん会社の会議もだらだらしているときはあるのだけど、やはり根底に生産性とか効率の概念がどん、とあってそこへ収斂していく感じがある。でも、そういう話し合いばかりじゃないんだ。というか世間一般のごく普通の話し合いなんて、「落としどころ」へ落としていくためのものではないんだなあ。
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 安藤忠雄の『建築に夢をみた』読みかけ。なかなかおもしろい。先週聞いた講演の内容と重なるところも多し。やっぱりなあ人生おもしろいことしなくちゃ。
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P1000022 夜闇に浮かぶ謎の果実。

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今日よりあした

 なんとなく意気消沈している。
 最近、疎遠になってしまったあの人この人を思う。ああ、さびしー。
 さびしくても日々は過ぎていく。

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 まゆみの実くれなゐふかく滴れば昨日よりけふ今日よりあした
                   小池光『滴滴集』

 <昨日よりけふ今日よりあした>、というフレーズは意味だけからみたら、かぎりなくありふれている。1960年代ではなく、2004年歳末に読むとき、<今日よりあした>に明るい意味を見出す日本人なんていないように思う。
 でもやっぱり・・<今日よりあした>になにか意味を見出さないことには人は生きていけないと思う。ひどく素朴に単純に。<今日よりあした>とつぶやくとき、なんだかとても悲しい。すごーく悲しいぞ、人間は。

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多忙

 年末ということで、なんだか気分が慌しい。実際、みょうにほんとに忙しいのだ。家のこととか、あれこれあれこれ・・・。しかも、マンションの役員にもなってしまったらしい。(いきなり管理人さんから、「決まりました」と通告されて第一回の役員会が今週末あるらしい。)今週末は、短歌関係の行事もあるしなあ・・・。
 こうやって怒涛のように年の瀬に向かっていくのだろう。
 そうそう、24日には燭火礼拝もある。私は聖書の朗読をするのだ。これも緊張する。私の読む予定の部分には「ベツレヘム」という地名が何回か出てくるが、これがどうも間違えそうなのだ。「ベ、ベ、ベ、ベツヘレム」とかいいそうだ。「ヘロデ王」もなんかも言いにくいなあ(- -#)
 去年の24日はなにしていたんだったけなあ・・。少なくとも、今年、聖書を朗読することになるなんて、一年前には夢にも思っていなかった。教会にも行っていなかったし。振り返ると、たいそう不思議な不思議な一年だったとおもうことだろう。そんな一年もあと20日ほど。

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グローバルスタンダード?

 職場での雑談。
 私「ああ痩せなくっちゃ」
 A氏「最近、ダイエットやっていないんですか?」
 私「うん・・・」
 ・・とそれを聞いていた今年入社の新人さん(彼は中国人である)は、素直そうなまっすぐな視線を私に向けて言った。彼は日本語がとても上手なのだけど、ちょっとだけ発音が中国風?なところがあって、それが余計、口調を柔らかく感じさせる感じ。
 新人さん「え、ダイエット・・・する必要ありますか?しなくて、いいんじゃないですか?」
 ダイエットしなくていい=太っていない・・・ってことよね・・と私はでへっと嬉しくなる。しかし、それを聞いたA氏はぷっと吹き出して曰く
 「○○さん(新人さんの名前)ったら、もう・・すっかりサラリーマンっぽくなっちゃってぇ。」
 サラリーマンっぽい=先輩をよいしょしている・・・ってことっすねー、すなわちダイエットが不必要なわけないだろうー!ということ?!むっ・・・。新人さんはグローバルスタンダードの視点から素直な心でいったくれたんですよ、きっと。ぜったいにそうです。彼の素直なまなざし、柔らかな口調を私は信じます。

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安藤忠雄

 社内の技術者向けイベントの招待講演で、建築家の安藤忠雄氏の話を聞いた。
 曰く・・60年安保以降、日本人は自分でものを考えることを放棄した。自分でものを考えないところに創造なんてない。もう日本は終わっている等々。うむうむとうなづきながら聞いた。
 会社員であることと創造ということについて、私自身が思っているところとずきずきと感応するところがあった。
 なかなか大阪っぽいノリもあって話も上手だった。何回も会場が笑いに包まれたけど、安藤忠雄は日本人や会社員に対して、ある意味、深く絶望しているのだと私はすごく感じた。

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コート

 関東は、週末、夏日だったそうだが、大阪は寒かった。今日も寒くて、この冬初めてコートを着て出社。黒のお気に入りのコートでちょっと気分がよろしい。

 ケータイで撮った(本人には無断で^^;)息子の写真をケータイの待ち受け画面と、会社のPCのデスクトップに使っているけど、これって、ちょっと気色悪いことだろうか?もっと小さな子供(乳幼児とかせいぜい小学生くらいまで?)の写真を母親がケータイの待ち受けにしたりしているのは、まあさもありなんという気がするが、高校生の息子の写真ってちょっとまずいだろうか?でもいくつになっても息子は息子だし、と思うのだが。。。。

 D・artsに関して少し書きたいと思ったけど、どうも平日の夜は疲れてなかなかちゃんと書けそうにないので、またのちほど。ただ川本千栄さんの、「短歌という形式には、近代の矛盾といった重いテーマを受け入れる素地がない。」という指摘は、視点として鋭いというか、ポイントを突いているように思った。素地の有無については、よくよく検証する必要があるが・・。

**
 写真は夕べ撮ったもの。我が家恒例、ボーナスサンデーのちょっとぜーたくな但馬屋の焼肉。
P1000019.jpg半年ぶりの塩タン、ハラミ、上のほうでブレているのは息子の箸。

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待降節

200412051304.jpg
 礼拝。先週から待降節。説教台の横に、毎週1本ずつ点火していく蝋燭が登場(アドベントクランツっていうのでしょうか?)。今週は二本目が点された。
 午後から所用で梅田に。

 夏ごろ?に購入してずっと読んでいなかった関川夏央『現代短歌そのこころみ』を、やっとここ数日で読了。戦後短歌〜現代短歌のながれ、ひいては近代日本のなかでの短歌と日本人のあり方について考えさせられる一冊。下手な短歌史の本や短歌論より示唆深い。短歌をはじめたばかりの特に若い人とかには読んでもらいたいなあ・・などと私ごときが偉そうにいうのものなんだが、まあそんな本だ。・・・と褒め上げながら、かならず文句も書いてしまう私であるが、ちょっと複雑な気持ちも持ったのである。私にとって関川夏央はかならず新刊本がでたら買う数少ない作家のひとりなのだが、その関川夏央だから・・という思い入れもあるのかもしれないけど、どこか食い足りない気もしたのである。ただその食い足りなさの理由がよくわからないのだ。たとえば短歌の専門外の人が短歌について書いたものを読むとき、少なからず感じる違和感(いい意味での新鮮さもある)というのは、ほとんどこの本からは感じなかった。違和感ではないが、どこか焦点が絞れていないというか、内容が広いので仕方がない面もあるが、どことなく駆け足っぽい感じがあった。特に前半の、中城ふみ子・寺山修司あたりは事実関係の紹介に比重がかかっていて、しかもその紹介が、どうも私自身もどこかで読んだなあといういろんな情報のコラージュ(コピペという感じではない)で、関川夏央自身の主張というのが少なかった感じがある。
 あと個人的には、葛原妙子の第一歌集を出した年齢と、さらに自分の文体を確立した年代をあらためて、この本を読んで思い出し、すこーし力づけられた気がした^^; 

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わたしもFOMAへ

 午前中、病院。また二週間分、風邪薬をもらってくる。そもそも風邪が治っていないのに飲みに行くという根性が基本的に間違っているのだ、と今日になり、はたと反省する。
 ところで、この病院の待合室には、病院モノお医者さんモノのマンガコミックが数種類並んでいる。私はほとんどマンガは読まないのだけど、風邪でしんどい長い待ち時間、細かい活字を追うのも疲れるので、この病院の待ち時間には、最近、「やぶ医者のつぶやき」(原作:森田功 画:引野真二)というコミックを読んで過ごしている。だいたい待っている間に一話完結の話を数話読めるのである。医者と看護士さん一人だけの、町の小さな医院にやってくる患者と病気をめぐるちいさな(といってもやはり病気がらみだから生死をわけるようなところもある)ドラマが軽いコミカルなタッチで描かれている。「やぶ医者」とみずから言い、たしかに羽振りもよくなさそうな主人公の医者は、でも結構、ちゃんと仕事をしてて、「格好悪さ」を装いつつ、実はちょっと格好良すぎるのではないか、とも思う。そのあたり、もう少しで嫌味になるところの一歩手前で止まっている感じ。だいたい救われるような結末なのも安心して読める。(安心して読めなければ、病院の待合室には置けないだろう^^;;)

 で、相変わらず風邪気味なのだけど、ゆうべ、必死でケータイを取りに帰った以上は、今日、ケータイを切り替えようとヨドバシカメラに行く。息子と同様、FOMAに変える。P900iV。カメラ付ケータイは初めてである。カメラ付ケータイを手にしたら、しばらくはものめずらしくて、ぱしゃぱしゃなんでも撮るんじゃないか、と思ったけど、梅田の人ごみで疲れたのと雨だったのもあって、まあテスト的に自分の顔撮ったり(ああ撮ったもののわれながら見たくない^^;)部屋の中とったり・・した。意外に、街なかでは撮りにくいものですね。慣れてないからかもしれないけど。街なかでカメラを向けていたら、なんか怪しい人のように思われそうで・・・。
 しかし、せっかくなんで、カメラ付ケータイ初日映像をアップします。ぼけてる・・・?
 P1000009.jpgなんの意味もなく、みかん。風邪にはビタミンC。

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忘れ物

 月例会議は無事終了。
 夜、腎臓結石の人、他2名(+あとから1名追加)と焼き鳥屋へ。
 腎臓結石の人は、職場が違うので、話題が新鮮。楽しく談笑ののち、同じ方面の人と電車で帰宅・・、車中、ふとバックを探すとケータイがない。探しても探しても、ない・・。どうも焼き鳥屋に忘れたようである。焼き鳥屋に電話して確認しよう、と思っても電話するケータイがない。ケータイを忘れた、なんて初めてのことである。電車の中でパニックとなる。店のテーブルの上に電車の時間を確認するために時計代わりに置いていて、そのまま忘れてしまったみたいだ。よく知っているお店なので取りに行くまで、ちゃんと保管してくれるとは思うが、やはり自分以外の人の手に自分のケータイがあるのはどうも不安。。。
 ケータイがないからと致命的に困ることはないようにも思うが、月曜まで手元にないのもやはり不便。子供との連絡がつかないのが一番困る。それに実はこの週末、私は二年半使っていた現在のケータイを新しいものに変えようと思っていた・・・。
 結局、途中下車して、お店に戻る。やはりお店の人が気づいてちゃんと取っていてくれた。しかし、これで終電はアウト。さっきのメンバーで遅れてきた人が、まだ一人で飲んでいたので、もう一杯やけくそで飲んでから帰宅。

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どよん

 どうにも朝からだるくて起きることができなくて、起きたあともぐずぐずとして出社。出社後も頭がどよんとして、集中力なし。結局、晩までどよんとしていた。
**
即詠
ポケットにひとつのしあはせありしかば叩ひてふたつに、よつつにせむに

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月例・例月・体重計

 会社で、「月例会議」の案内メールを職場の人全員宛に送ろうとして、宛先、Subject、本文を書き、送信前にふとみると「月例会議のご案内」であるべきところが「月例歌会のご案内」になっていた。さすが、10年間、短歌人関西歌会の案内係&詠草係をやっていただけのことはある、すごいなー、刷り込みが・・・(^^)v、なんてのんびりした気分では到底なく、さーっと青ざめてしまった。一人二人数人ではなく、たくさんの人に、しかもエライ人にも送るというのに「月例歌会」だあぁぁ・・・、ひー、気がついてよかった。よかった。よかった。よかった。神様、感謝します。・・でも、おかしいなあ、歌会のときは、「例月歌会」だったはずなんだが・・。うーん、「月例会議」「例月歌会」「月例歌会」「例月会議」・・あ、だめ、どんどん、こんごらがってきた。
 で、この「月例会議」、当日、わたしは進行をするのだけど、なんか・・、間違って、「月例歌会」といいそうな気がする。これまでも進行は担当してて、(たぶん)間違ったことはないと思うんだけど、一回、気にしだすと、かえって間違えちゃいけないと意識するあまり緊張して間違えそうな気がする。「では、月例むにゃむにゃをはじめます・・」って感じであえてはっきり言わず、もごもご言うことにしよう。わりと慣例的に「じゃあ月例はじめます」って省略していうときもあるし・・うんうん、だいじょうぶだいじょぶ。あーでも心配。間違えたからってそれでどうってこともないといえば全然ないけど、なんかはずかしい。以前、新年寄席をまちがって新年歌会って書いたこともあったんだよな・・・(;;)。
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 帰宅したら、ちょうど風呂からあがってきていた息子が、体重計が壊れている、と言う。体重が10キロ近く減って表示されるというのだ。(わたしにしてみたら、なんて素敵な体重計(*^^*))
 その体重計、正確には体脂肪体重計であったものは、息子がびしょびしょの濡れた体で飛び乗って、乱暴にはかっていたものだから、表示盤のところに、一時、水がたまってしまって、以後、体脂肪の計測ができなくなってしまったものだった。体重はちゃんと測れていたので、そのまま脱衣場にはその体重計を置いておき、私は実は自分の部屋にこっそり新しい体脂肪体重計を買って持っているのである。この新しい体脂肪体重計は息子には使わせんもんねー、と思っている。
 しかし、とうとうその古い体重計が体重まで測れなくなったのであれば、ついに私の極秘マシンを拠出しないといけないかな・・とちらっと思った。しかし、ためしにもう一度、息子に測らせると、今度は、なんとなくそれらしい値が出た。なーんだ大丈夫じゃん、と言って、私は極秘マシンを拠出しないことにして、「さっきはきっと、あんたが体脂肪のところのボタンかなんかを間違って押したんだよー」とかいい加減なことをいって、そのままにしてしまった。私は悪い母親かもしれない・・・。

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ひかり

11月30日の日記ですけど、書いているうちに日が変ってしまいました・・・
 ちょっと今日の気分は何と書いていいのかよくわからない。
 息が出来ないくらいショックなことがあったといえばあったのだけど。
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 週末+年休明けで出社の朝、会社近くの駅を降り、駅前の交差点でふと見やると、職場敷地まわりの桜の木々の紅葉が先週末より鮮やかで、なかなかに美しい。そう思いつつ、交差点を渡り、その木々のかたわらを歩き、木々を見上げると、まばらに緑の葉もまじっていて、かつ、結構葉は落ちていて、しかも紅葉している葉の色合いも鮮やかとはいいがたい。貧相といえば貧相。交差点の向こうからみたときは、おっ、と思ったのに・・。まあ日々の実相なんてそんなもの、・・といえばステロタイプすぎるけど・・。

 でも桜についていえば、貧相であっても私は職場をめぐるこの桜の並木が好きである。
 今の会社に入社して以来、ずっと見てきた。職場が変わって、見なかった時期もけっこう長かったけど、私の会社時間はこの桜たちとともに流れている。
 わたしはこの桜と、土と、流れる時間に感応する。
 職場をめぐる桜並木に詩的なもの抒情的なものを喚起する特別なものはあまりないのかもしれない。
 でも私はなにか頼みにしていた。なにを?といわれるとよくわからないけど。
 桜の木々のうえのほのかにながれるときおりの光を、としかいいようがないが・・・。
 私はおりおりに光を見たし、木々はときおり、とても美しかった。それだけで充分といえば充分だった。

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