キリスト教

2014年2月17日 (月)

主を尋ね求めよ~湖蓮日日献身編

 面談の場で、私は聞いた。

 「すでに任地が決まっているのですが、どうしたら良いでしょうか?」

 面接官が慌てて私の受験書類に目を落とされた。しかし言われた。

 「それは、、、招聘先との話し合いになります。いったん話が白紙に戻るかもしれませんし・・・」

 招聘の関係者に連絡すると、基本的に信徒伝道者として予定通り4月から赴任する方向で調整する、と言われた。

 実際、そのように調整された。関係の皆さんに、ほんとうにご迷惑をおかけすることになってしまった。現在の所属教会から、赴任予定の教会へ信徒の身分でいったん転籍をして、「副牧師」的な仕事をしながら再度、試験を受けることになった。

 「赴任」は4月からであったが、3月の上旬に、主任となる牧師、および教会の方との顔合わせを兼ね、赴任予定の教会で主日礼拝をお捧げした。はじめて降りる駅で初めての教会に向かった。はじめて教会に行った日のようであった。赴任予定の教会は創立130年を超える伝統ある教会であり、そんな格式ある教会に、試験に落第したとんでもない「副牧師」候補はどのように迎えられるのか不安であった。

 前日に、佐世保から分骨してきていた母の骨を大阪教区の墓地へ納骨したところだった。試験には落ちてしまったが、いろんな意味で区切りの季節であった。

 古い木の香りのする教会に入り、吉浦であることを告げると、年配のご婦人の長老が

「ようこそおいでくださいました。お待ちしておりましたよ。」

 とおっしゃってくださった。その一言がほんとうに涙が出るほどうれしかった。

 4月からその教会に仕えながら、新しい生活が始まった。また、これは試験の結果に関係なく決めていたことであったが、神学校の授業を何科目か聴講(科目等履修を含む)をした。大阪基督教短期大学と関西学院大学でそれぞれ数科目を受講した。学校の構内を若い人たちに交じって歩きながら、心がふーっと、ほどけていくような感覚をもった。長い会社員生活と、K先生の指導はあったとはいえ孤独なCコースの学びからの解放感はとてつもなかった。試験勉強としての学びと本当の意味での神学や伝道者訓練の違いを肌で感じることができた。

 教会の仕事はとても楽しかった。ホームページ作りや事務作業ひとつひとつが、とてもやりがいがあった。休校していた教会学校も再開して、毎週、子供向けの説教をさせていただいた。

 また月に一回程度、無牧の教会で礼拝の奉仕を担当させていただいた。これは主日礼拝の司式も含めて説教も任せられた。ほんとうに畏れ多い仕事をさせていただき緊張とともに喜びも大きかった。

 そうこうしているうちに、次の試験はあっという間にやってきた。私の場合、筆記試験は残っていなかったので、7月初旬に事前提出する「旧約聖書釈義」「新約聖書釈義」が試験のすべてだった。

 8月になって、他のCコース受験者複数の人から、事前提出レポートの再提出要請が届いたという情報をいただいた。私のところには今回は再提出の要請は来ていなかった。え?それは合格点に達しているということ?

 とにかく前回の悪夢があるので、不安だった。でも自宅ポストを毎日覗いても通知は届いていなかった。再提出も不要なくらい出来が悪かったとか・・・まさか、、、、そんな不安が頭を巡った。

 不安なまま、9月の面接試験の日を迎えた。秋季試験は、東京で実施される春季試験と異なり大阪クリスチャンセンターで実施される。春は泊りがけで東京に行ったが、今回は地元ということで、多少、気は楽であった。筆記試験のない私は初日のオープニングなどには出席しなかったが、遠方から泊りがけで来ていたCコース受験の仲間と初日の夜、お好み焼きを食べに行き、さまざまな情報交換をした。私は試験もこれまで春季試験だけで毎年合格して来て、秋に追試(レポートの追試は一回あったが)を受けることはなく順調に来ていた。でも勤務の都合で春に全科目受けられず秋季に追試を受けながら苦労してきた仲間もいた。皆、任地もこれからの話だった。そういう話を聞くとき、自分がどれほど恵まれていたかを改めて思った。

 地元の私はその翌々日が面談だった。前日、面談をすでに終了していた遠方からきた仲間たちから、補教師試験の合格者は1名(A,B,Cコースすべて合わせて)と聞いていた。残り半数くらいが「保留(追試レポートあり)」だとのこと。仲間たちは皆、「保留」でそれぞれにレポートの課題を与えられたそうだ。彼らは「合格の一名はきっと吉浦さんでしょ」と言ってくれたが、どうにも不安だった。

 いよいよ自分の面談の番となり部屋に入ると面接官の一人が話し始められた。

「前回の試験では、吉浦さんのご希望に沿うことができませんでした。でも、そののちの半年間、吉浦さんがたいへんなご努力をなさってきたことを、わたしたちは皆、知っています。」

 その言葉だけで目頭が熱くなって、ここで泣いてはいかんと思いつつ踏ん張り、その後の諮問に答えた。試験結果は合格であった。

 うれしいのだが、やったーという気分ではなく、いろんな感情があって胸がいっぱいであった。

 試験場となった大阪クリスチャンセンター1階の喫茶店のママさんのNmさんのところへ行った。Nmさんの顔を見ると、また胸が詰まってしまった。Nmさんの背後の壁にはこの喫茶店を立ち上げたNさん・・・私の献身の背中を押し三年半前に亡くなったNさんの小さな写真が貼ってある。 私が黙ってるのでNmさんが少し不安な顔をされた。慌てて私は

「合格でした」

 と報告した。Nmさんの顔が緩んだ。亡くなったNさんが、晩年、監事をつとめられ尽力されたこの大阪クリスチャンセンターで合格の報を聞けたのは良かったのかもしれない。Nさんからは「そんな人間的な甘ったるいことゆうたらあかん」と叱られそうだが。

 重い大きな扉がようやく開いた。やっと第一歩を踏み出すところへ、たどり着いた。学びを導いてくださったK牧師からは

「おめでとう。あなたにこの半年の時間が与えられた理由は、のちのち、神様が教えてくださるでしょう」

と言われた。

 その後、12月に教区で准允を受け、正式に伝道師として招聘を受けて歩むこととなった。でも今、その歩みの困難さを改めて思っている。「明日はどっちだ!?」振り出しに戻るかのような思いも持つ。ある牧師がツイッターのDMで准允を祝してくれた。

 「ジェットコースターがてっぺんに届いて前に動き始めました。もはや脱出はできません。もう誰にも止められません。あとは主の導かれるままに。でも、ジェットコースターは基本的に安全なので、安心してください。神様のコースターなら、なおさらです。祝福を祈ります。」

 でもやはり神様のコースターであっても怖いし絶叫したくなる。・・・いや絶叫してごらんと神様はおっしゃっているのかもしれない。私を呼べ、と。いつも私を呼べ、とおっしゃっている。会社を辞めて1年ちょっと、また、不合格だった春季試験から1年たった今、新たに真剣に(いままで不真面目だったのかい!?、と突っ込みたくなるが・・)神と向き合うように示されていると感じている。

 新たなみことばとともに歩んでいきたい。

Dendousi_2主を尋ね求めよ、見いだしうるときに。

呼び求めよ、近くにいますうちに。 

   イザヤ書55章6節

 

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2014年2月 7日 (金)

遣わされたものとして~湖蓮日日献身編

P1000548  母は軽い心筋梗塞とのことでカテーテル手術をすることになった。母とは、12月の退職前、最後の出張の仕事が博多でだったので、その前に佐世保まで足を伸ばして母のいるグループホームで会ったのが最後だった。認知症が進んでいて私のことはまったくわからなかった。

 昔のことならわかるかもと思って、持っていった私の子供の時の写真や息子(母の孫)の赤ん坊の時の写真を見せたが、「かわいかね。」「ふたりともあなたのお子さんですか?」ときょとんとしていた。が、体はいたって元気そうだった。ホームの職員さんも「このホームで一番体は元気で健康です」とおっしゃっていた。

 妹の連絡をうけて、翌日、佐世保へ行き母の手術に妹と一緒に立ち会った。手術は無事終了し、一か月の入院予定とのことだった。

 大阪に戻り、ふたたび再提出のレポートの準備を始めたが、今度は私の体調が思わしくなかった。疲れから風邪をひいたかなと思った。熱があるようだったが、いま、体温を測って熱があるのがわかったら、ぐったりして寝込んでしまうと思って、とにかくレポートを仕上げた。レポートを提出してから熱を測ると、38.6度だった。私は年に数回、疲れた時などに突発的に高熱を出すのであまり気にしてなかったが、病院に行ったら、インフルエンザと診断された。記憶にある限り、生まれて初めてのインフルエンザ罹患だった。高熱に慣れている?私だったがこのインフルエンザはきつかった。体のあちこちが痛み、1週間近く寝込むことになった。

 ようやく回復して、試験勉強を再開した。試験が迫り、かなり焦っていた。実はちょうどそのころ、指導してくださっているK先生は夏に診断された癌の放射線治療を開始されていた。毎日通院されながら、私からの過去問題の解答への添削もほとんど毎日してくださった。

 試験まで2週間と迫ったとき、母が入院している病院から連絡があった。母の容態が急に悪化したので緊急再手術を今から開始するとのことだった。その数時間後、今度は妹から電話があった。

 「手術したけど、だめって・・・。もう、24時間もたんって・・・・。」

 ふたたび佐世保へ向かった。今度は息子と一緒に向かった。

 私は混乱した。実は母が認知症になる前の数年間、私は母と疎遠になっていた。さまざまな確執があった。思い起こせば、その確執について相談したのがN姉と親密になった最初のきっかけだった。それまでは華やかで押しの強いN姉とはむしろ私は意識的に距離を置いていた。ただ、母とのことで悩んでいた時、彼女ならこんな私的なややこしいことでも相談できそうに思えて、突然電話をしたのが最初だった。彼女のアドバイスはどのようなときでも信仰的だった。きびしくズバッと言われることもあったが最後にはかならず神様のことに話はいきついた。

 母へは、本当に複雑な思いがあった。妹が素直に母を思って泣いている横で私はそのような思いになれなかった。そんな自分が嫌だった。

 いっぽうで虫の良い思いも持っていた。私がいつか牧師となったとき、母に万が一のことがあったら、私自身の手で葬儀をしたい。母の葬儀の司式をしたいとも思っていた。

 でもいま、母が亡くなってしまったら、それもできない。私はまだ牧師にもなっていない。まだ補教師になる試験にすら通っていないのだから。

 東京のある親しい牧師に電話をして事情を話した。いつも相談事をすると柔らかく対応してくださり、ほっとした気持ちにしてくださる先生だった。

 しかしそのときの口調は厳しかった。

 「吉浦さん、あなたとお母さんの間にこれまで何があろうが、あなたがいまおかあさんのことをどう思っていようが、そんなことはまったく関係ありません。

 大事なことは、あなたはもうすでに神様によって、お母さんのもとに、家族のもとに遣わされているということです。いいですか?遣わされているんですよ。 

 だから行って、なすべきことをするんです。あなたのするべきことをするんです。」

 さらに言われた。

 「そして、もし仮にお母さんの地上での命が終わったとしても、、、、それで終わりではありません。神の業は死では終わりではありません。そんなもので神さまのなさることは終わらない。だから、行って、遣わされた者としてあなたは家族の中でなすべきことをなしなさい。」

 その言葉を胸に私は佐世保へ向かった。その夜、母は地上での生涯を終えた。

 葬儀と納骨を済ませて帰阪し、試験までの数日、全力で勉強をした。任地も決まっているので落ちるわけにはいかなかった。

 ・・・・しかし、結果は不合格だった。筆記試験の「組織神学」「旧約聖書神学」「新約聖書神学」「宗教法人法/教憲・教規」、事前レポートの「牧会学」は合格だったが、再提出した「旧約釈義」「新約釈義」が不合格だった。筆記試験の不合格なら、一年目の時のように<追試>という場合もあるが、レポートの場合は、次回試験(9月)を受験のこと、ということであった。

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2014年1月31日 (金)

退職へ~湖蓮日日献身編

 Cコース三年目となった。順調にいけばあと1年で補教師となれる。

 そのなかで最大の懸念事項は補教師として仕えさせていただく教会があるか、つまり任地があるかということである。

 神学校を経ないCコースで補教師になった者の場合、「97%任地はない」という人もいた。所属教会の役員で「もし任地がなかったら、補教師の間、この教会で仕えたら?」と言ってくれる人もいた。しかし主任牧師は「それではこの教会にいつくことになり、吉浦さんのためにならない。無任所(仕える教会のない)教師となってでも任地を探す方がよい」と言われた。

 しかし、任地のあてはまったく無かった。

 それと並行して現在の仕事をどうするかということが現実的な問題として浮上してきた。

 仕事-会社の問題という点では、2年目の時点で、教会に仕えるときは会社を辞めて専任で、と決めていた。一方で、受験勉強をしながら勤務を続けることにも限界も感じてきていた。2年目の試験の時、実は仕事が忙しかった。その中で2日間の年休を取得し東京まで受験しに行った。同僚が働いているとき穴をあけるというのは本当に心苦しかった。昨今、いわゆる「セカンドライフ」に備えて、在職中から勉強したり準備をすることは珍しくはない、でもそんな「セカンドライフ」というのと献身は違うし・・・という思いもあり複雑だった。

 そんななか、勤務先の会社は二年連続の赤字決算を計上していた。社内の多くの部署で早期退職者が募られていた。しかし私の所属部署は当時、本社スタッフ部門で、直接に採算を問われる部署でないため、早期退職の応募はそれまで一度も行われていなかった。ところが、社長が交代し、新社長は本社も構造改革をするらしいといううわさが流れた。

 私はたいへん不埒ではあるけれど内心「チャンス!」と思った。いままでなかった構造改革が私の部署で行われる、それこそ神様の備えではないか!?所属部門で早期退職者が募られたら、手を上げようと思った。しかし、なかなか、所属部門の構造改革の話は具体的に出てこなかった。春から夏へと季節は移った。周囲ではやっぱり構造改革はないのでは?という人もいた。気分的に落ち着かずジリジリとした。

 しかし、はたと思った。早期退職で辞める場合、確かにいくばくかの退職金の付加があり、普通に辞めるより「得をする」。でも得をしたいから辞めるのか?もちろん早期退職でやめてもその後の生活が保障されていないのは同様である。せめて退職金の割増金をいただいても悪くはないだろう。でもだからといって、早期退職が募られたら辞める、そうでなければ辞めないというのは神様の前でおかしいようにも思う。とはいえ、26年務めた会社を辞めるのは不安であった。住宅ローンも残っている。うーーーーんと考えた。そしてほんとうに悔い改めて祈った。ある意味、清水の舞台から飛び降りるような思いで祈った。

「神様、私をほんとうに献身するものとしてください。早期退職とは関係なく、一年以内に退職への道を平和に整えてください。」

 所属する部署として初めての早期退職者公募の告知があったのはその翌々日のことだった。びっくりした。

 10月1日に正式に公募が始まり、その初日の朝一番で申請書を提出した。

 しかし、まだ任地のあてはなかった。K先生が探してくださっていて、ある小さな教会にどうかということはあったが、具体的な進展はなかった。ちなみに夏にK先生に任地のことで電話をしたとき、電話がつながらなかった。どうしたのかと思ったら、あとから「今、入院中」と連絡があって驚いた。前立腺がんと診断されたそうだ。にもかかわらず、先生は私の任地のためにツテをあたってくださっていた。

 そんなたいへんな状況の先生にわたしは早期退職の正式応募の前に聞いた。「小さな教会で仕えるとしたとき、私が働いていた方が教会の方は謝儀などの面で気が楽では?」しかし先生はきっぱりと答えられた。

 「いえ、そんなことより退路を断つほうが大事です」

 11月下旬、上記の教会の話は正式に無理だということになった。退職まで一か月となっていた。職場では業務の引き継ぎなどを具体的に行っていた。すぐに任地が決まるとは思っていなかったので、それほど心配はしていなかったし、むしろ2月の試験準備のほうが気になった。とはいえ任地のことが、まったく不安でないといえば嘘になる。

 12月上旬、別の教会の話が舞い込んだ。決まるときは早かった。K先生と一緒に関係者と二度ほどお会いして、大阪市内のある教会の副牧師として招聘されることになった。その2週間後、26年9か月勤務した会社を退職した。

P1000075  年が明けても、退職関係の手続きでハローワークに行ったり区役所に行ったり、なかなか慌ただしかった。退職したらゆっくり勉強できると思っていたが、そうでもなかった。もっとも退職して気が抜けて、時間があると思うとかえってなかなか力が入らなかった面もある。

 そんななか、1月下旬、教団の検定委員から封書が届いた。見ると、12月に提出していた「旧約釈義」「新約釈義」「牧会学」のレポートがこの内容では不合格という通知だった。再提出を求められた。私は慌てた。再提出の準備を始めたとき、九州の妹から電話がかかった。

 「佐世保のばあちゃん(私と妹の実母)が心筋梗塞で倒れて救急車で運ばれたってよ!明日、緊急手術って!!」

(つづく)

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2014年1月29日 (水)

力を捨てよ!~湖蓮日日献身編

P1000148  Cコース受験二年目に入った。

 所属教会では牧師交代があった。3月から4月にかけて、慌ただしかったし、精神的にもしんどかった。大震災という大きな出来事も自分の中に影を落とした。そのなかで将来に向けて少し考えたことがあった。

 この期間、主日の礼拝説教を2回、また毎週の祈祷会の奨励と週報作成を担当した。当然、会社での勤務は続けながらである。

 献身の思いを与えられたときから私の中では、将来は小さな教会に奉仕をさせていただきたいという願いがあった。そしてこの時期まで、小さな、財政的にも豊かでない教会に仕える場合、もしかしたら、私自身、仕事を続けながら教会に仕えるということも選択肢としてありかな、と思っていた。実際、Cコースで牧師になった方で、教会に着任して最初の数年間は会社員を続けていたという方も存じ上げていたので、そのようなやり方もあるのかなと漠然と考えていた。

 でも、この牧師交代の時期、実際に、説教(ほんの2回だけだが)やら、毎週の祈祷会の奨励、週報作りをさせていただいてみて、これは片手間ではできない、と感じた。そもそも牧師の仕事はこれだけではない。これ以外にもさまざまな牧会の仕事がある。教会の状況や自分自身の体力や別に仕事を持つ場合の仕事の内容にもよるかもしれないが、少なくとも、自分の現在の体力や勤務の状態では「二股」なんて到底無理だと感じた。

 なのでこの時期に決心したことは、ある時点で、私は会社を辞めるということである。それは試験に合格してからなのかその前なのか、あるいは仕える教会が決まった時点なのかそのあたりはまだはっきりしていなかったが、いつかどこかで、定年を迎える前に会社を辞めるのだと考えるようになった。

 Cコース2年目で、もうひとつ自分の中で大きな変化があったことは、「力を捨てよ、知れ/わたしは神。(詩編46編)」のみことばを与えられたことである。

 それは秋となり、また願書提出の時期を迎えた頃のことである。新牧師は、教会として私を献身者として送り出すという思いを教会の皆が持つために、教会の皆さんの前で献身者としての証を私がする場を設けてくださった。

 私自身としては、1年目の受験の時と同様、N姉のことであるとか献身への導きの出来事として話すべきことは決まっていたので、取り立てて新たな準備ということはしなかったのだが、それでもその証のことを祈りつつ覚えているとき、上記のみことばと出会った。

 それまで自分の中に根強くあった意識は、「本当は自分は牧師や伝道者には向いていない」ということであった。まず人に何かを教えるような仕事は向いていないと確信していた。たとえば一応、大学では、高校や中学の教職の資格は取っていたが学校の先生にはならなかった。むしろ人と接することがメインではない技術職についた。そしてなによりそれ以前に、性格的に短気で押しが強く、悩みやしんどさを抱えて教会に来る人に思いやりをもって接することなどできない人間だと自分のことを感じていた。

 でも「力を捨てよ。」というみことばと接したとき、はっとした。もちろん詩編のこの箇所を読んだことはその時が初めてではなかった。でもその時、知らされた。「ああ、神様は私に牧師として伝道者としてふさわしいなにかの<力>があるから召されたのではないのだ。」と。私になにかふさわしい特性や能力があるから選ばれたのではない。神の選びはそのようなものではない。ふさわしかろうがふさわしくなかろうがそれは人間の考えることであって、神は神の考えで選ばれ用いられるのだと思った。<適性>のあるなしを勝手に考えていた自分を恥じた。

 そうこうしているうちに2年目の試験が近づいてきた。Cコースの2年目は筆記試験が一番たいへんと言われる。「旧約歴史」「宗教教育」「教会史・教理史」「ギリシャ語」が受験科目だった。もともと暗記が嫌いで理科系の大学に進んだくらいの私に「歴史」ものが複数あるのも苦痛だったが、なんといっても「ギリシャ語」は難関だった。DVDのギリシャ語講座で勉強したりもしたが、やたらと変化形が次々に出てきて、ちっとも頭に入らなかった。

 いよいよ年が明け、これではあかんと焦って、正月に10年分のギリシャ語の過去問題を見直し、そこに出てきている単語をすべて単語帳に書き写し、和訳問題のギリシャ語部分をコピーして持ち歩いた。通勤電車の中で、ひたすら単語帳を繰り、徹底的に単語を暗記し、ギリシャ語のコピーを読んだ。会社の人に見られたらちょっとまずいかも?と思ったがそんなことは構ってられなかった。

 そうこうして迎えた2年目の試験―結果は全科目合格だった。今回は「追試」もなかった。東京から結果をお世話になっている方々に連絡した中でおもしろかったのがOCCで喫茶店をしているNm姉。

 わたしが「全科目合格でした!」というと、「うわー、すごいね、、、神様って!」と喜んでくださった。他の方はだいたい「すごいね、良く頑張ったね」「良く勉強したんだね」というような言葉だったのに、Nm姉だけは「すごいね、神様って」だったので、おっと思った。

 いや確かに神様がすごいのである。自分としても別に私が優秀とはちっとも思っていなかった(本当に!)。でも改めて、「すごいね、神様って!」というNm姉の言葉を聞いたとき、あらっ!と、意表を突かれてガクッと来た自分がいた。やっぱりちょっとは褒めてほしかったのだ。そんな自分に気がついてなんだか笑えてきた。「そ、そうですね、、、か、神様はすごいですよね」と答えつつ声を出して笑ってしまった。いままで張っていた気持ちも緩んだ。そうだそうだ神様ってすごい!まさに「力を捨てよ」だ。そう改めて感じつつ二年目の試験を終えた。

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2014年1月24日 (金)

平安仏教!~湖蓮日日献身編

P1000140 年が明け3月初旬の試験まで二ヶ月を切った。寒い早朝に起きて勉強をするのはなかなかたいへんだった。

 さらに、所属していた教会は大きな節目を迎えていた。主任牧師の交代である。23年間仕えられた牧師が退任して新しい牧師を迎えることとなった。

 教会の役員としてやることはてんこ盛りだった。教会としても23年ぶりの牧師交代・牧師招聘であり、役員のなかに牧師招聘の経験のある人はいなかった。慣れない中で、わたしは書記でもあり、招聘状の作成、招聘条件の調整等、ほとんど手探り状態で行った。

 通常でも1月~2月は新年度へ向けての予算策定・行事計画など大変で2月の教会総会に向けて大わらわの時期である。そのなかで牧師招聘という一大事業の責任の大きさに押しつぶされるような日々だった。

 K牧師はそのような私の状況を見ながらおっしゃった。

「いま、あなたがやっている教会での仕事は将来絶対に役に立ちます。そのすべてがこれからに向けての勉強です。」

 たしかに牧師招聘なんていう経験は長年教会役員をしてても経験しない人は経験しない事項である。それをまだ役員歴の浅い私が経験できるというのは感謝なことであった。

 とはいえ、2月に入り、試験まで一か月を切ったころには、気持ちにも焦りが出てきた。日曜日の午後遅くまで教会に残りながら、もうこのくらいで切り上げて帰って家で勉強しようか、、、と思うこともあった。

 でも「教会のことをおろそかにして勉強しても神様は喜ばれないな」と思い直して招聘や総会の準備を続けた。優等生的にそう思ったのではない。召命が神からのものであれば、神がどうにかしてくださるだろうと不思議と確信していたのである。といっても、役員会が紛糾することもあり、歯を食いしばるような精一杯の思いのときもあった。

 勉強の方で困ったのは、「一般宗教史・日本宗教史」だった。適当なテキストが見当たらなかった。迷いつつ本屋で、「図解・すぐわかる世界の宗教」みたいな安直な本を買って参考にした。

 2月下旬、教会総会を終え、無事、招聘決議も可決され、招聘状も作成できた。

 そしてあっという間に3月、Cコースの一年目の試験を受験に東京に向かった。ちなみにCコースの試験は、現在は3年に分けられている。以前は、いっぺんにすべての科目を受験することもできたそうだが、召命感を確かめるのに最低3年という時間をかけるように変更されたそうだ。各当該年の科目をすべて合格できたところで次年の科目受験へ進めるようになっている。

 その1年目の試験は、事前提出をしていた「説教」と当日の筆記試験として「旧約聖書緒論」「新約聖書緒論」「一般宗教史・日本宗教史」だった。

 K牧師からアドバイスは「とにかく解答用紙に何か書きなさい。万が一、わからない問題が出ても、ピンとはずれと思っても、<何か>書くこと。」だった。

 その言葉通り、書いて書いて書きまくった。解答用紙が足りなくて追加用紙をいただくくらい書いた。全体的な感触は「お、これはいけるかも!?」だった。ただ、「新約聖書緒論」はコリントの信徒への手紙に関する問題への解答に少し自信がなかった。

 一日目の試験のあと、Cコース1年目受講者が集められ、2年目の勉強に向けて検定委員の方からのオリエンテーションがあった。Cコースの1年目の受験者は7,8名ほどだった。40代50代くらいの人がほとんどのようだった。いろんな事情で勉強を続けることに困難を覚えておられる方もいた。また、指導者がいなくて困っている人もいた。自分にはK牧師がおられると思うと、改めて感謝なことだと思った。

 試験の結果は翌日の面談の時に発表された。

 結果は、「説教」「旧約聖書緒論」「新約聖書緒論」は合格だったが、「一般宗教史・日本宗教史」はレポート提出の<追試>を受けることになった。<イスラム教>についての質問にはしっかり答えられていたが、<平安仏教>に対する記述が不足していたとのことだった。それで<平安仏教>についてレポートを提出するようにとのことだった。

 そもそも「一般宗教史・日本宗教史」は勉強の時から不安ではあったが、いざ、追試といわれるとちょっとムッとした。(面談の場で追試料もとられた(~_~;))

 面談後、関係者に連絡すると口々に「レポートを出せば合格できるから良かった良かった」と祝賀ムード一色だった。私としては自分の不勉強は棚に上げて、どうもすっきりしなかった。それでも新幹線で大阪に帰る車内、ようやくリラックスしてきたら、やはりレポート1科目だけで済んでよかったと思った。実質、半年だけの勉強でよく1科目の追試だけで済んだものだ、感謝だなあと、だんだんうれしくなってきた。

 しかし、関西に列車が入り京都に停車したとき、新幹線の窓から京都の景色-さまざまな仏閣が見えた。急に「平安仏教」という言葉が頭によみがえり、なんだかまたムッとした。

 ともあれ、帰阪後、レポートを提出したら、合格通知が3月下旬に届いた。

 どうにか一年目の試験は無事終了した。

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2014年1月20日 (月)

美しいこと~湖蓮日日献身編

P1000435  ようやくCコースの学びを腰をすえて開始することになった。月に1~2回程度、K先生のもとに伺い、学びの時間をもった。合わせて、過去問題に対する回答を作成してメールベースで先生とやり取りをしてアドバイスをいただいた。

 なんせ会社での勤務を続けながらだったので、勉強はしんどかった。その数年前までのソフト開発をしていたころに比べたら残業時間は減っていたが(これも神様の配慮だったなあと思う、開発現場を離れる異動は当時とてもイヤだったのだが)、それでもフルタイム業務、出張もある仕事だった。帰宅後は、疲れてバタンキューなので、勉強はもっぱら出勤前の朝5時、6時の時間帯だった。といっても正直、毎日毎日勤勉にやっていたかというとそうでもない。サボりサボり、、、という状態だった。

 それでも、だいたい土曜日がOCCの信徒伝道者向け学校とK先生との学び、日曜日が教会。教会では役員をしていて、朝から夕方までびっしり奉仕があった。いくら平日の勉強はサボりサボりしつつとはいえ、今思うと、よくそんなスケジュールで体がもってたなあと思う。

 そんななかでCコース受験のための願書を準備することになったが、提出しないといけない書類の多さに面食らった。受験申請書、召命についての小文、Cコース受験にあたっての決意の小文、教会における奉仕内容etc、8種類もあった。

 どうにか書類を準備して提出すると、教区の人事委員会の面談を受けることになった。Cコースの、特に、初回となると、比較的厳しく召命感などが問われる。神学校経由の方に比べて、Cコース受験者については召命感のあやふやな人、中には、「資格取得の一種」と勘違いして受験する人もごく少数とはいえおられる背景があるそうだ。

 私の場合、受洗からの期間が6年と比較的短い間に、教会を3回変わっていることを突っ込まれた。

 私は実は受洗二年目に、母教会を自分自身のふがいなさによってつまずいて去ってしまった。その後、移った教会が思いがけず混乱して、突然、無牧となることになり、そうこうしているうちに導きがあり(これも本当に不思議な導きだった!このことはまた機会があれば書きたい)受験当時所属していた教会に移ることになった。

 母教会でのつまずきは自分にとって痛みだった。そこを突っ込まれ、かなりうろたえた。幸い、人事委員長がうまくフォローしてくださり面談は終了した。

 面談が終わると、今度は教区の常置委員会に陪席をすることになった。この常置委員会において、正式に教団へ教区からの推薦者として申請が承認されることになるそうだ。

 常置委員会には委員が20名程度出席されていた。委員と受験者以外にも陪席の方が同数程度おられた。K先生も陪席者のなかにおられた。私のことを心配して陪席してくださったのだ。

 常置委員会では、受験者は簡単な自己紹介をするだけであった。人事委員会で面談は終了しており、推薦可否については人事委員会の申し送りでほぼ決まっているのであろう。

 受験者にはCコースだけでなく、神学校終了予定のBコース(学部卒)、Aコース(院卒)、さらには正教師試験受験者もおられた。全員で10名くらいだったろうか。

 最後に、議長が代表して受験者のための祈りをM牧師に指名した。母教会の先生であった。20名程度の委員の中での指名なので、確率的にはあたっても不思議ではない。でも、私としてはよりによって・・・という思いがあった。

 母教会を出ます、と申し上げた時の、M先生との話し合いの場面を思い出し、申し訳ない思いで胸が詰まった。M先生は洗礼を授かったK牧師の後任で、1年ほどのお付き合いだった。もとよりM先生に不満があったわけではない。いろいろな個人的な出来事があり、ほんとうのところの転会の理由をしっかりとお話することもなく、突然、無理やり出て行った私であった。

 M先生の祈りを聞きながら、泣きそうだった。ああ、神様は何でもご存じなんだなあ(当たり前だが)。私が失敗したこともロクでもないことも。過去から現在にいたるすべてのことをご存じだ。でも今ここに神様は私をおいておられる。

 常置委員会の陪席が終わり、1階の伝道喫茶に行くと(常置委員会はOCCのなかで行われていた)Nm姉がその日はもう営業終了していた喫茶店の会計をしていた。

 涙目で「M先生がお祈りを~」と私が事情を話すと、Nm姉は「泣いたらあかん!」と制しつつ「ほんとに神様はなんでもご存じや!」とおっしゃった。

 帰宅後、M先生に「お祈りありがとうございました」とメールをした。

 すぐにM先生から返事があった。

 「今日は祈祷の指名を受けて光栄でした。職務として吉浦さんの申請書類一式を拝見させていただきましたが、召命の文章を読み、神様はほんとうに美しいことをなさると感謝いたしました。」

 ほんとうに神のなさることは美しい・・・・。

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2014年1月10日 (金)

出会い~湖蓮日日献身編

P1000026  「あなたは神に仕える方だと思いました」

 N姉はそのメールを残して逝ってしまった。信徒でありながら、多くの人を信仰に導いた人だった。(かつて姉の家で行われていた家庭集会では10名以上の方が洗礼に導かれたそうだ)また姉は大阪教区の主事として、教区の140教会のお世話をなさっていた時期もあったそうだ。

 しかしなにより、思い起こすのは、本当にひとりひとりを心にかけておられた方だったということ。たとえば教会の集会で、たくさんの人がいる中で、ある人の顔がさっきから見えないということにすぐ気づき、「具合が悪くなったのかも」と心配をしてトイレにまで探しに行く方だった。

 誰に対しもいつもいつもそうだった。はっきりとものを言い、その分誤解も受ける人であった。しかし率直に批判はしても、けっして相手を全否定したりはされなかった。誰をも受け入れる、まさに愛の人だった。

 姉のメールはきっと神様が姉に書かせたものだろうと私は思った。

 私はもう神に仕えるしかない。そう思った。そう思うしかなかった。

 それからCコース受験のためのガイダンスや過去問題を教団から取り寄せたり、必要な参考書を揃えたりしているうちに時間は過ぎた。

 なかなか勉強は進まなかった。姉が言っていた信徒伝道者向けの学校が9月に開校した。聖書神学の基本を学べて助かった。しかし、そのクラスの学びと補教師試験の内容が直結しているようには思えなかった。過去問題を見ても、何をどのようにどのくらい解答していいのかピンとこなかった。

 そんななか、9月下旬に、N姉の親友だった方でN姉が大阪クリスチャンセンターに作った伝道喫茶を運営しているNM姉から突然電話があった。

 「さっきね、K牧師が喫茶店に来られたの。先生はねCコースで補教師を目指している人の支援をしたいそうよ。いまから言う先生の連絡先にすぐ電話して!」

 NM姉はK先生とは長い付き合いだったようだが、先生がCコース受験のための支援をされていたことは知らなかったそうだ。その日、たまたま先生が喫茶店に来られ、そこにCコースで受験中の方が居合わせ、Cコースの話になったときK先生がCコース受験をされる方の支援にかつてかかわったことがあり、今後も個人的にやってみたいという思いを持っておられることが、偶然わかったそうだ。NM姉は

 「その話、聞いたとき、わたしは鳥肌だったわよ。思わず<うちの教会にもひとりCコース受験を目指してる人がいますよ!!>って叫んだのよ」

 とのこと。K先生とCコース受験中の方がその日、NM姉の喫茶店で居合わせなかったら、出てこない話だったと思うと、いまでもたしかに私も鳥肌立つ思いがする。

 K先生とはN姉の記念会でお会いしたことはあったが、そのときごあいさつしたくらいで特にお付き合いはなかった。教えていただいた連絡先に連絡し、その週末にK先生の教会に行った。

 K先生は、まずなぜCコースで受験しようと思ったのか聞かれた。私は緊張して、もぞもぞとあまり要領良くなく話をした。N姉のこと、自分自身の今の生活のことetc。

 K先生は私が最後まで話し終えないうちにさえぎるように言われた。

 「わかりました。あなたはCコースで受験なさると良いと思います。」

 ちょっとびっくりして顔を上げると、K先生は続けられた。

 「実は、私はNさんに献身してほしいと以前から願っていました。いつか彼女に教会の責を負っていただきたかった。でももうその願いはかないません。

 ・・・しかしNさんは、あなたに後を託したのでしょう。いっしょにCコースの学びをいたしましょう。わたしでできることであればお手伝いさせていただきます」

 わたしはびっくりした。しかし先生はさらに続けられた。

 「ただし、このようなこと、、、伝道者の出発は、祝福に満ちたものでなければなりません。あなたの第一歩も神の祝福のなかではじめないといけません。あなたにとって、祝福の第一歩は、まずあなたの所属する教会で受験のための推薦を受けることです。推薦を受けたら、一緒にスタートしましょう。

 もし万一、推薦がいただけなかったら、、、そのときはまだ神の時が来ていないのです。祈りつつ考えましょう。」

 教会の推薦、、、、所属教会の牧師はCコース受験に消極的だった。推薦をいただけるだろうか。。。。不安だった。

 教会の方にも祈っていただき、牧師に申し出た。

 そのときのことは記憶にないくらい、あっさりと推薦をしていただけるようになった。その後、実際に推薦書を書いてくださる時も、目の前で一気に牧師は書いてくださった。

 重い大きな扉がほんの一ミリくらい目の前で開きかかったように感じた。

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2014年1月 7日 (火)

3月のメール~湖蓮日日献身編

P1000159  所属教会の牧師はCコースでの受験に消極的だった。

 「献身する気があるなら神学校へ行け。」

 それは当然のことだろう。

 Cコースでの受験ということに関して、そのときだけでなく、私自身、Cコースを受験した三年間を通して思い悩んだところだった。私の献身への思いはいい加減なんだろうか?

 ただ自分の中に神学校へ、という踏ん切りはつかなかった。

 「押し出されるものや」と言われたN姉も、「Cコース、受けてみたらええ」とおっしゃったものの、私自身の召命感(神様から伝道者へなるようにと召されたという自覚)はまだ曖昧と感じておられたようである。それでもN姉は牧師と私の今後について相談などをしてくださっていた。

 ある牧師にはこう言われた。「伝道をしたいのなら信徒であってもできる。いやむしろこの世で生きている信徒さんのほうが、この世に近いだけ、この世の人への伝道はできる。じゃあ教会をあずかる牧師は何をするのかというと教育であり、サタンから群れを守る働きである。」

 私は人一倍伝道をしたい思いは持っていたと思う。でもその牧師のおっしゃるような役目はできるのだろうか。。。。

 そうこうしているうちに3月になった。

 あるとき、ちょっとびっくりするような出来事があり、N姉に夜、長電話して相談した。N姉には献身や信仰のこと以外でも、あれこれ相談をしていた。N姉はいつも親身になって相談に乗ってくれた。なにより大胆に信仰的にアドバイスをいただけるのがうれしかった。

 その翌日の午後のこと、仕事中に珍しくN姉から携帯にメールが来た。そんな時間帯に彼女の方からメールが来ることはなかったことだった。

「ゆうべ、あなたと話をしたあと、やはりあなたは神様へお仕えする方ではないかと思いました。だから、いつか、ではなく、今、お伝えしますね。」

といういきなりの書き出しで、献身者はより一層神により頼むこと、サタンに気をつけることなどが、綿々と書かれていた。

 私はとにかく<やはりあなたは神様へお仕えする方>という言葉に仰天した。で、そのあと夕方まで何回かメールをやり取りした。

 翌朝、通勤電車の中で、教会からのメールを受け取った。見ると、

「N姉、昨晩、急性心不全にて召天されました。」

 驚いて教会に問い合わせると、間違いではないとのこと。突然のことだったと。

 N姉はわたしへのメールのあと、いつものようにご主人と夕食をとられ、翌日行く予定にしていたお孫さんのピアノの発表会の準備をされていた時、倒れ、急逝されたそうだ。召天時間は19時で私への最後のメールは18時前だった。

 私は愕然としてN姉からのメールを見直した。

 「あなたは神様にお仕えされる方」。。。。。顔文字や絵文字がちりばめられたN姉らしいとても元気な文面だった。

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2014年1月 6日 (月)

押し出される~湖蓮日日献身編

P1000038_2 N姉がその信徒伝道者養成学校に「あんたを入れようと思ってる」と言われた時、私の心の中でなにかが弾けた。

 私はもともと神学を勉強したかったし(といっても、実はそのころは一時期よりあんまり熱心には思っていなかった)渡りに舟という気持ちで、

 「ぜひ入りたいです!」

と答えた。答えると同時に不安にもなった。「信徒伝道者」という言葉にである。<信徒>が頭についているけど、「伝道者」という言葉に重荷を感じた。自分自身、これまでも教会に仕えながら、それなりに人一倍熱心に伝道ということは考えて実践してきたつもりではあった。でもそれはあくまでもクリスチャンとして当然のことであって、教会に来られた新来会の人の対応をしたり、受洗のおすすめしたり、教会のHP作ったり、、、、そういう範囲では、これからも頑張って「伝道」はしたかった。しかし、改めて「伝道者」といわれると、なんだか分不相応な気がした。

 正直にN姉に言った。

 「でも、、、勉強はしたいですが、<伝道者>というのはちょっと良くわからないんです」

 N姉は即座に言った。

 「<伝道者>ってな、自分がなりたい!と思ってなるんちゃう。押し出されるもんや。だからな、なんも心配せんでええ。押し出されるときは自然に押し出されるんやから。勉強したいという思いがあったら、まずは勉強したらええ。」

 N姉はしっかりと私を見て、柔らかく語られた。

 思い出すことがあった。その少し前のことだった。

-------

 教会で、平日の夜にちょっとした交わり会をしていた。当時、若い受洗したての方や求道者が数名おられた。青年会を作るほどの人数ではなかったのだけど、せっかく集われている方の、ちょっとした学びと交わりの機会があればということで、はじめた会だった。

 晩御飯を準備したこともあって(それも若い独身男子が満腹するような牛丼とか、豚の生姜焼きとかがっつり系メニュー(^_^.))10名以上の参加があった。もちろん若い人限定の会ではなかったので、私はそこに自分の友人も何名か誘った。

 あるときお誘いした方は交わり会をとても喜んで帰られた。これまで来られた友人はどちらかというと私への義理でちょっと来てみようかという感じもあったのだけど何かその人は違うように感じた。

 そもそもお誘いしたら即座にOKされたので、むしろ不安になって念を押した。

「あの、誰でも参加できる交わり会、懇親会って言いましたけど、あくまでも教会の集会ですよ。もちろん信仰の強要はしませんが、キリスト教を知っていただきたいという<下心>はもった会ですよ?それでもいいんですね?」

 それでもその方は来てくださった。会のなかでの様子を見ても、ひょっとしたらこの方は継続的に集会に来てくださるかも、と期待した。

 ところがその交わり会の翌日、その方から電話があった。詳細は書けないが、その方のご家族が、その方が教会に行ったということで大変怒っている、そしてそのご家族はもともと精神的な病を抱えておられ、自分が教会に行ったと聞いて精神的に動揺して大混乱になっている、もともと宗教が嫌いなところへ自分が病気でたいへんな時にその方が勝手にそういうところへいったということで精神的な状態も悪化している、ということだった。実際、電話の背後で、怒っておられるご家族の激しい叫び声が聞こえていた。

 私はその方にたいへんなことをしてしまったと動揺をした。その方のため、ご家族のために祈り、牧師に相談し、またN姉にも相談した。

 次の日曜日、礼拝の後、礼拝堂でN姉と共に祈った。数日前の、ご家族の電話の向こうでの激しい声が耳にまだ残っていた。病の中でどうしようもない怒りを発しておられた声。祈りながら涙が出てきた。N姉も泣いて祈ってくださった。

そのときN姉に言われたことは、

「この出来事は、あなた自身に神様がなさったことやで。交わり会にこられた方やご家族の姿を、神様があなたにお見せになったんや。今回のことはあなた自身に示された問題や。だからあなたは自分のこととしてしっかり考えなあかんのやで。」

 この言葉は今でも心に残っていて、なにかびっくりするようなことがあったとき、想定外の出来事を前にしたとき、いつも心で繰り返している。「今、神様は私にこのことをどのような意図でお見せになっているのか・・・ 」と。

 帰宅後、N姉に「今日はいっしょに祈っていただいてありがとうございました」とメールしたら、どういたしまして、とレスが来た。ただ、そのメールの最後に、「あなたは救霊の思いが強い方だ」という意味のことが好意的に書かれていた。

 「救霊」?不思議な気がした。そんなことは今まで考えたこともないと思った。

------

 「押し出されるものや」と、いま、N姉は目の前でおっしゃっている。N姉の中でわたしはどう見えていたのだろう?以前言われた「救霊」ということと関係があるのかどうか。。。

 「押し出されるものや」という言葉は心の中でそれからずっと気になっていた。この言葉はいわゆる「受動態」であるから、自分で考えても仕方ないことなのだと思いつつも考え込んだ。自分は押し出されていないのか?押し出されるっていうのは明確に背中を押されるようにわかるものなのか?そもそもなぜ神学を学びたいのか?教養のため?神様が好きだから神様の学問はしたいのは当たり前だから?

 年が明けた。

 自分の中で結論を出した。自分の中でなにかもやもやとしたものがあった。そのもやもやがなんなのかわからない。でも「信徒伝道者」というのはどう考えてもぴんと来なかった。自分が押し出されているかどうかはわからないけど、とにかく、勉強をする。「信徒伝道者」ではなく、専任の「伝道者」を目指して。

 教団に神学校を経ず、試験で伝道者になる「Cコース」というのがある。ひとまずこれを目指そう。信徒伝道者の学校に通いながら「Cコース」受験の準備をしよう。勉強をやっていくうちに、自分が押し出されていないのなら、それは示されるだろう。いずれにせよ勉強することは無駄にはならないだろう。「救霊」の役には立つだろう。

 安易な一歩だったかもしれない。すべてをなげうって献身をする、そのために会社も辞めて神学校に行くという心意気というのではなかった。

 でも、今思えば、あれも「押し出された」のだ。

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2014年1月 2日 (木)

明日はどっちだ~湖蓮日日献身編

20131217  2014年が始まった。昨年秋から創世記を読み始めてほどもなく、アドベント前から、多忙を極めて中断中。とほほ、である。

 聖書を読み進めることも再開したいが、昨年末、ふと自分が教会にはじめて行ってからちょうど10年だということに気がついたのもあって、受洗編の続編として献身編を書いてみるのもいいかと思っている。更新は不定期と思うし、聖書を読む記事と交互になるかもしれない。まあ献身編も受洗編同様、数回で終わる予定だが。。。。

 ということで、発端は、、、受洗後3、4年後くらいのことだったと思う。諸般の事情から母教会から別の教会に移ったけど、そこの教会の牧師と当時なんだか気が合ったこともあって、それなりに楽しい教会生活を過ごしていた。

 ただ、なんとなく食い足りないというか、すっきりしない思いもあった。いろんな、いわゆる<信仰の養いのための本>はあれこれ読んでいたが、もっとなにかぐっと勉強をしたい気がしていた。

 K.バルトの「ローマ書講解」が名著であると聞き、高価であったが買って読もうとしたが、なんだかやけにテンションの高い訳語で辟易したのと、やはり内容が今一つ私には難解で読み進めなかった。

 牧師に言った。

「『ローマ書講解』買ったんですけど、10行しか読めませんでした。」

 牧師は、呆れ顔で言った。

「情けない。10行だなんて。」

と、とっとと2Fの牧師館に駆け上り、ふたたび1冊の本を手にして降りてこられた。

『K.バルト 教義学要綱』

曰く「バルト読む気なら、まず基礎を固めてから読め」

 当時、その本をどんなに胸を高鳴らせて読んだか。ほんとうに胸を高鳴らせるという言葉はそのときの私のためにあったのかというくらいワクワクして読んだ。

 教義学、神学、そんな畏れ多い学問に関する書物を私が読むことがあろうとは。

 もっとも私がその本の内容を当時しっかり理解したとは言い難い。それでも、読むときは必ず正座して、ポイントと思われる内容をノートに書き記しながら最後まで読んだ。

 そしてさらに私は思った、神学をもっと勉強をしたい!

 で、あるとき、牧師に聞いた。

「通信教育かなんかで神学を学べませんか?」

「通信教育は他教派にはあるけど、うちの教会の教義と少し異なるから、あまりお勧めしない」

 わたしががっかりしていると牧師が聞いた。

「なんのために学ぶのか?牧師になるつもりか?」

「ま、まさか~。牧師だなんてとんでもありませんっ」

「じゃあ、この間、貸した『教会教義学』とxxとxxをひとまず読めば神学の概要はわかる。」

と何冊かの本をまた教えていただき、それらを読んだ。

しかし、ずっとその時の会話は心の中にわだかまっていた。

「牧師になりたいのか?」「ま、まさか~」

ほんとうに「まさか~」である。まったく<なりたくなかった>。冗談ではない。私には子供がいて、住宅ローンもある。会社を辞めて牧師になるなんてありえない。いやそもそも、この短気で鼻っ柱の強い私が、教会の人にへりくだって仕える牧師になんて、適正があるわけない。それに私の思想信条として「先生」と呼ばれるなんてまっぴら御免である。

でもなにかその時の会話は心に引っ掛かったままであった。

それからさらに数年後、あんまり歳のことは書きたくないが、50歳になった。

その50歳の時、ご親切に会社で「節目研修」というのをやってくれた。まあこれは要するに昨今の公的年金受給開始年齢の引き上げやら、企業業績の悪化に伴い、定年後は、「公的年金+企業年金」で悠々自適なんてことは夢のまた夢ですよ、ということを警告するための研修だった。あなたたちは定年後も自活して生きていかないといけないですよという、セカンドライフ設計の啓発と、会社をあてにしないでね、できれば、満期定年と言わずもっと早い時期からリタイアしてくれてもいいですよ、というような内容だった。

いろんなフィナンシャル関係のレクチャーと、私自身がこれからの人生なにをしたいのか、何を喜びとして生きていくかということを考える「演習」があった。

「演習」では自分のやりたいことと、それをやるための準備などをこれから10年間のタイムスケジュールのなかに書き込んだ。

私はそのとき、自分のこれまでの仕事上のスキル(ソフト開発、ネット関係)とやりたいこと=短歌を軸にそれなりにタイムチャートを埋めた。

そのタイムチャートを研修の規定時間中に埋めて、家に持ち帰って、つくづく眺めてみた。

私のこれからの人生ってなんだろうね?あくまでも業務の一環としての研修だったし、義務として埋めたチャートだから致し方ないのだけど、何かが違う。そのタイムチャートには何か大事な視点が欠けているように思った。

クリスチャンとしてどのような使命をもって生きるんだろう?

私の命は神によって生かされている、その命の使い方が、このチャートだろうか??なにか違う、そう感じた。でもまあ、まだ定年は先のこと、まだ考える時間はある。違和感を感じつつもそのチャートはそれっきりしまってしまった。

その二か月くらいあとのこと、教会でN姉から声をかけられた。

N姉は活動的なクリスチャンで、信徒ながら多くの人を信仰へ導いていた。そして当時は大阪クリスチャンセンター(OCC)の監事もされていた。

姉曰く

「あのな、OCCで今度、信徒伝道者養成のための学校つくるねん。伝道者を出すことがOCCの長年の夢やったんや。いよいよその夢が実現するんや。」

「あ、そうですか~」

とわたしはのんびり受け答えした。

しかし急にN姉はキッと私の方を見て言った。

「でな、その学校できたら、あんたを入れようと思ってんねん。」

「え?」

私の中で何かが弾けた。

(つづく)

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