日記・コラム・つぶやき

2019年2月14日 (木)

根無し草でよし

20190213_124027 クリスチャンになって、精神的にというか気分的に楽になったことが二つある。

 一つは自分の才能や能力のなさを嘆かなくても良いと気づいたこと。世の中には「天才」っているし、持って生まれた才能というのがある、逆立ちしたってかなわない、そんな人たちやその人たちの才能を羨んで自分を卑下する必要はない、そう思えるようになった。天才ということではなくても、優秀だなあと感じる傍らの人にいちいち嫉妬する必要もない。才能は神様が与えられるものだから。

 もう一つは、自分が根無し草であっても良いと感じられるようになったこと。なんせクリスチャンの本国は天であって、この地上ではどこまでいっても「よそ者」なので、どこかの土地にどっしり根を下して、なんて発想はなくなった。自分の中に故郷を出てから、どこか落ち着かない「よそ者」感がいつもあった。自分が根無し草であって、それが妙なうしろめたさにもなっていた。

 「この人たちは皆、信仰を抱いて死にました。約束されたものを手に入れませんでしたが、はるかにそれを見て喜びの声をあげ、自分たちが地上ではよそ者であり、仮住まいの者であることを公に言い表したのです。 ヘブライ人への手紙11:13」

 しかし聖書は、大々的に「みんなよそ者なんだ」と言ってくれている。根無し草でいいんだ!というのは大きな安心を私にもたらした。

 、、、と書いてきたこととを矛盾するようだけど、私は今住んでいる大阪をなかなか気に入っている。しかし、もう30年も住んでいるが、どこまでいっても生粋の大阪人とは違うという感覚はある、言葉も考え方も。それでも人から見たら十分に大阪に根付いて生きているように見えるかもしれない。

 最初からなじんでいたわけではない。ごくごく一般論的に言えば、たぶん九州人と大阪は相性が悪い。いまでこそ吉本が全国区になって、九州でも関西ノリというのは一定の理解を得ている。しかし私が若いころまではそうではなかった。福岡でのプロ野球の試合後、天神を練り歩く阪神ファンのノリを(別に阪神が嫌いというのではなくても)うざそうに冷ややかに見つめていた九州人の感覚というのがあった。大阪に本社のある会社に就職して、社内の九州出身者の集いに出たときも、「大阪なんか、、、、」という九州人のプライドぷんぷんだった(それはそれで九州ナショナリズムで良くないのですが)。

 そんな私が大阪、ひいては関西に心燃やされたのは、他でもときどき書いているように阪神淡路大震災のときだ。あの日、私はたまたま東京にいた。神田の蕎麦屋のテレビで神戸の映像を見て息を飲んだ。神戸は住んでいたわけでも、特に関係がある街ではなかった。しかし、大阪に住む者としては、ときどき訪れるお隣の親しい街。神戸だけでない、新大阪駅の映像もあった(大阪市でも北部は被害が大きかった)。心が固まったようになっている私の耳に「わあ、ビルが倒れてらあ~」といういかにも他人事の軽い声が聞こえた。その声を聞いた瞬間、「あそこは<私の街>ではないか!?私の故郷ではないか!」そう私はテレビに向かって叫びたい気持ちになった。

 幸い、当時住んでいた自宅や周辺には被害はなかった。しかし、職場は天井が落ち、窓ガラスが散乱していた。同僚で被災した人も多かった。また、それから数カ月の間、駅では登山姿っぽい重装備をして大荷物を抱えた人々を多く見た。ああ神戸に行くんだ、とすぐわかった。関西全体が痛みから立ち直ろうとしていた。(もちろん神戸や激震地域の人々からしたら、他の地域は「対岸の火事」みたいに思っていると感じられていた面もあるだろうけど)その頃から、大阪を自分の街だと感じるようになった。そう感じられるように神様がしてくださったのだと思う。

 とはいえ、人間はどこまでいっても「よそ者」で根無し草だ。でも、この地上を歩むとき、キリストが置いてくださる土地がある。そこに堂々と住んだらいいのだ。生まれてからずっと同じ土地に住む人もあるだろう(実際、生まれて70年、ずーーーっと同じ家に住み続けている大阪の女性の友人もいる)。あちこちを転々とする人もあるだろう。行きたくないところに行かないといけない時もある。でも、神が動かされない限り、私たちは神が置いてくださった土地に住む。別のところに行きたいと願ってそれが叶うのなら、それも神の御心だろう。神様が置いておられるのだから、と、目いっぱい神様に責任をとっていただくつもりで気軽にその土地にいたら良いのだ。(なので私は生粋の大阪人でないけれど、大きな態度で大阪に住んでいる)生まれ故郷に錦を飾りたいと思っても良いけれど、飾れなくてもそれはそれで良し。望郷の思い、ことに諸事情で帰れない故郷への思慕も、やがて行く御国への希望によって深く慰められる。

 究極のよそ者だから、徹底した根無し草だから、かえって気軽なのだ。今住んでいる土地と肌が合おうが合うまいが(もちろんそれが現実的に深刻な問題の時もあるけれど)、それはひとときのこと。私たちには安住の地がある。キリストが準備してくださった故郷がある。やがて故郷に帰るその日まで、今いる土地で生きていく。


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2019年1月27日 (日)

ふと、お酒のことなど

20181231_170447 禁酒の教派の方は眉をひそめられるかもしれないけど、お酒のことについて書いてみたい。といっても、ただの雑談です。何の深みも落ちもなし。。。

 私はお酒が強かった。今でも弱くないだろう。お酒飲むのが好きで、人ともよく飲んだし、自分一人でもよく晩酌をした。(過去形で書いているが、最近たまたま飲まないだけで、現時点で、禁酒しているわけではない。)会社員だったころの、職場の人との飲み会はまあまあ良い飲み方をしていたのではないかと勝手に思っているが、迷惑に思っていた人もいるかもしれない。いたらごめんなさい。ごく親しい人とのお酒の場はさまざま。どちらかというと飲み過ぎで、相手はつきあうのがたいへんだったかなと思う。基本強かったので、べろべろになって迷惑をかけることは、まずなかったが。

 そんな私がクリスチャンになった。勉強熱心だったので(?)、即、聖書はお酒を禁じていないことを理解した。パウロも弟子のテモテに「水ばかり飲まないで、少しぶどう酒を用いなさい」と言っているし、なんせヨハネによる福音書の最初のイエス様の奇跡は水をぶどう酒に変えることだったし。(この奇跡は酒飲みにとって慰めとなる奇跡、かな?)

 で、私はクリスチャンになってもお酒は飲んでいた。でも、なぜかすごく変な思い込みで、牧師と言う人はお酒は飲まないのだと思っていた。なぜそう思い込んだのかは不明。その時は知らなかったが、たしかに教派によって、信徒はお酒OK、牧師(教職)NGというとこもある。そういうことは当時は知らずに漠然と、牧師という存在はこの世からは離れた偉い人であり、この世から離れた偉い人は世俗的なお酒などは飲まないと思っていたみたいだ。そう思い込んでいたとて、自分には関係がないことだったので支障はなかった。将来自分が牧師になるなんて思ってもいなかったし。

 そんな私が信徒時代のある時、牧師がお酒を飲む現場を初めて見た。驚愕した。

 「ぼ、牧師先生がビール飲んでる~!!」

 自分の中の(勝手な)牧師像が、がらがらと崩れた瞬間だった。(自分が牧師になったとき、自分はお酒を飲んでいたので、無茶苦茶、身勝手なものだが。)

 しかし、今、思う。いろいろな議論があると思うけど、やはり牧師は牧師だ。会社員とは違う。「特別に」神からの召しを受けた者だ。もちろんそれは単にお酒を飲む飲まないというレベルの話ではない。でもどこかで、「線」を引く必要はあると思う。もちろん牧師だって、人間であり、罪人だ。心弱くなる時もある。くわーっと一杯ひっかけたくなるときもある。でもそれはどうなんだろう?

 みんなで楽しいお酒ならいいかもしれない。一人で祝杯も、まあたまには。でも酒でストレス発散というのはどうだろうか?微妙だと思う。なんとなくそこで信仰を試されている気がする。特に牧師は。

 そういったこととは関係なく(本当に関係なく)実は少し前、一人で家でお酒を飲むのを原則止めることにした。(止めることにしたあと、実は缶ハイボール一本飲んでしまったが)健康上の理由とか、お酒で職務上支障をきたしたとか、そういうことではない。

 みんなで楽しく飲むときには飲もうと思うし、めったにしない外食のときは少し(人から見たら少しではないかもしれないが)飲もうと思っている。

 で、家で飲まないと決めたとき、瓶に残っていたスーパーで買った安ワインを捨てた。教会の庭に実った梅で作ってたウィスキー梅酒も(まだ一口も飲んでないのに)捨てた。料理用の糖質ゼロ日本酒は残したが、家で日本酒を飲むことはないので問題なし。

 、、、、と思ったのだが、あとから考えたら教会の庭の梅で作ったウィスキー梅酒はもったいなかった。捨てずにどなたかに差し上げれば良かった。それは少し悔やんでいる。

 しかし、まあいい。天の御国での大宴会では、むちゃくちゃ良いお酒が出されるそうだから、それに期待しよう。(←え、結局、そこ?)いずれにしても、すべての希望は天にある。

(写真は教会の庭の梅で作った梅酒。これはリカーに梅を漬けたもの。元旦礼拝で皆さんに持ち帰っていただいた)


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2018年12月18日 (火)

新しい言葉へ

20181218_104853 怒涛のクリスマス・年末進行のなかで現実逃避。。。。。。

 今年は短歌の所属結社に三回しか作品を提出できなかった。

 R.ボーレンの「祈り」を読んで、祈りは詩の言葉となるし、霊的な響きは詩の言葉の響きの中にある、と感じた。それまでキリスト者であることと、「悲の器」としての短歌というものに齟齬があるように考えていたのだけど、そうではないと気づいた。なので、短歌を作ろう!と思ったが、、、、、三ヶ月しか続かなかった(涙)

 そもそも、短歌という詩型とキリスト者であることの折り合いはついたけど、まだ自分の中に別のわだかまりはある。本当に自分に短歌という詩型への愛があるのかなあという思いだ。

 率直に言って、牧師の中に詩を理解していない人がいる。理解していないだけならいい。でも理解していないのに、説教と詩について語るのだ。明らかに詩を誤解して語っているのだけど。。。。それがどうしても我慢ならない。繰り返すが、どーーーーーしても我慢ならないのだ。

 しかし、新米の牧師であり無名の歌人である私がそういう人に論理的にきちんと説明するなんてことはできない。いやそもそも詩を理解しない人に詩を説明することは不可能なのだ。

 でもなあ、少しくらいは言いたいよ。

 言うよすがとして、自分が無名であってもせめて短歌を書き続ける人でなければ、と思うのだ。だから短歌を作り続けよう、、、、もちろんこれって、短歌に対して失礼な動機だ。

 しかし、どーーーーーしても我慢ならないものは我慢ならない。

 詩を知らない人間が知ったかぶりして詩を語るなんて詩への冒涜だと思う。

 この情念の根源に<短歌愛>があると信じて、来年こそは、しっかり短歌を作ろう。

 詩は祈りであり叫びであり、言葉による世界の新しい創造だ。

 主が開かれる世界を言葉によって漕ぎ出すのだ。

 (にしても、2000円程度でKindleで斎藤茂吉全歌集が読めるようになろうとは、驚きの時代の進歩だ)


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2018年12月17日 (月)

同窓会のない人生

20140211_131418 大学時代や、最初に就職した会社の友達とは年賀状レベルでの付き合いはあるけれど、小中高時代の友達とはまったく疎遠に過ごしている。同窓会もない。いやあってるのかもしれないけど、案内は来ない。

 牧師になる前に退職した会社には26年勤めた。こちらは数人の方とは時々お会いするくらいのお付き合い。SNSでつながっている人もいる。つながっている方のSNSを見ると、その方のかつての職場の同窓会的なものが開催されていることがわかる。メンツを見ると、知っている人もいれば知らない人もいる、旧職場名を見ると、自分が直接所属していた職場ではない。だから当然、私は呼ばれない。

 職場によって、その職場が、組織変更で消滅したとしても、かつての仲間と同窓会的な集いをするような団結の固かったところもあるようだ。私自身は、比較的、異動の多い会社員生活で、どこかの職場でどっぷりと仲良く過ごしたという経験がほぼない。だから職場の同窓会もない。

 学校でも職場でも同窓会のない、なんだか人とのつながりの薄いさびしい人生のようにも思う。いや実際さびしい人生なのだ。

 では教会はどうか?

 洗礼を受けてから比較的早い時期に牧師として献身してしまったので、どこかの教会で長く信徒生活を送ったことがない。だからどこかの教会にたくさん懐かしい人がいるということもない。(懐かしい人はいますけどね)

 ずいぶん前、ある牧師から言われた。

 「あなたは短歌を作るような人だから、どこに行っても孤独だよ。」

 それは良く私のことを分かっているなあと感じる言葉だった。

 短歌というと新聞短歌とか中高年の趣味の投稿みたいな印象をもたれるかもしれないが、私は若い時期から中年に至るまで、かなり本気で短歌に心を砕いていた。詩の言葉を求めていた。表現者たろうとしていた。

 そう、そういう人間は孤独なんだ。

 いまも、言葉の中に生きている。いや、生きようとしているというのが正確かもしれない。

 こんなだから、天国に行っても同窓会はないな。

 まあそれも良いと思っている。イエス様相手に下手な詩を披露しよう。


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2018年12月13日 (木)

佐世保の海~死で終わりではない

20181213_083107 facebookで便利なのは、「過去の今日」の自分の投稿を教えてくれることだ。「ああ、去年の今日は、こんなことしていたんだ。」「ええっ?三年前こんなことがあったの?」と自分の記憶のあてにならなさを痛感して新鮮だ。

 写真は6年前の今日の写真。

 故郷の佐世保駅裏手の海。この翌日から博多に出張で、前日に佐世保に寄ったのだ。教会の伝道者として献身することを決意し、会社を退職する直前の在職中最後の出張だった。

 その日、グループハウスに住んでいた母を訪問した。母は重い認知症だった。息子(母の孫)の幼いころの写真を見たら思い出すかも、と大阪から持参したが、写真を見ても「かわいかねー。これはあなたのお子さんですか?」という反応。

 「晩御飯は、あんた、どこで食べるとね?」と母が聞くので「これから博多に行くけん、博多で食べるとよ」と答える。でもすぐ同じことを聞かれる。

「晩御飯はどこで食べるとね」

「博多で食べるとよ」

 何回も繰り返した。これが母と最後の会話になるとはそのときは思わなかった。

 その二か月後、母は急死した。

 母とは、確執があった。認知症になる前の数年は音信を絶っていたこともあった。

 それだけに母が認知症になったとき、そして亡くなったとき、私は動揺した。取り返しのつかないことをしたように思った。

 母の葬儀を控えたとき、ある牧師が私に言った。

「あなたはすでに神に召されて、佐世保にいる。だからそこでなすべきことをしなさい。

死で終わりではないのだから。」

 <死で終わりではない>、それはクリスチャンとして、よくよく知っていたことだ。まして伝道者として立とうとしている私がそれを信じていなかったわけではない。

 しかしその時、改めて思った。<死で終わりではない>それは単純に<天国でみんな幸せになる>ということではない。人間の肉体の死では終わらない神の恵みがあるということだ。この地上での時間を超えた神の祝福があるということだ。

 この地上で和解できなかった母の死は私にとって痛恨のことだった。しかし、<死で終わりではない>神の恵みはまだ続いている、そう信じる。

 そして<死では終わらない>ということが伝道者としての根本を今、支えてくれている。

(facebook投稿に加筆掲載)

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2018年11月28日 (水)

折り紙

20141130_090610_2 ある朝、目が覚めたら、枕もとに折り紙の袋が置かれていた。近所の文房具屋さんで買える、何の変哲もない折り紙。
 まだ小学校に上がる前の頃のこと。
母が
「今日はクリスマスだから」
と言った。
 わたしの記憶におある限り、初めてのクリスマスプレゼントだ。
 当時、我が家は貧しかった。世間は高度経済成長に湧いていた時代。父は私が4歳の時、急病で亡くなった。専業主婦だった母は、私と三つ下の妹を抱えて、生活に必死だった。その中で、折り紙を買ってくれた、それは今思うとほんとうにありがたいことだった。
 その頃は、ガラス屋さんの裏の部屋に住まわせてもらっていた。通りに面した表はガラス屋で、奥に土間の台所と小さな畳の部屋が一間あった。その部屋が家族三人の生活の場だった。おそらくは、もともとは職人さんの休憩所かなんかだったのではないだろうか。
 我が家はクリスチャンホームではなく、部屋には仏壇のある、普通の日本の家庭だった。当時、私は、クリスマスが何かを知らなかった。でも、いつもは怒ってばかりいる母から折り紙がもらえる、そんな普段とは違う良い日なんだ、と思った。ひょっとしたら、父が生きていたころは、もっと贅沢なプレゼントをもらっていたのかもしれない。でもそれは記憶がない。
 この世界には折り紙ももらえない子供たちがいる、逆に、豪華なプレゼントに囲まれて本当の喜びを知らない子供たちもいる。大人たちもそうだ。美しいイルミネーションの輝く街で、にぎやかに談笑しながら、底知れぬ孤独の中にいる人もいる。いや、誰とも語り合えない人もいる。
 しかしすべての人のためにクリスマスはある。
 すべての人ために、神は素晴らしいプレゼントを用意しておられる。その第一のプレゼントがイエス・キリストだ。そのプレゼントが与えられたのが2000年前のクリスマスだった。
 わたしがそのことを知ったのは、折り紙の日から、30年以上たってからだった。


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2018年11月22日 (木)

「何」を求めるか?

駆け出しの伝道者の転機は去年、受洗者や転入者が複数名与えられたときだった。そのころの入会者全員がガチ説教派、ガチ礼拝派だった。20代の若者も含めて。
これは大阪東教会が、古い中でも特に古いタイプ、お堅いタイプの教会であることとも関連する。

教会の敷居を低く、入りやすいようにしなければいけない、それは良く言われることだ。そのこと自体は悪いことではないと思う。そのために、コンサートやバザーや、英語教室、手芸教室、さらには地域福祉も兼ねての子育て相談や、高齢者向けの集いを行ったりする。その一つ一つはそれぞれの教会の祈りに支えられて貴い取り組みだと思う。

しかし、信徒時代にいた別の教派の教会での経験も重ねて思った。実際のところ、御言葉以外の「何か」で教会に繋がる可能性は低いということ。
繋がったとしても御言葉以外の何かが、教会に繋がる決め手だった人は、その「何か」の部分がうまくいかなくなると傷つき教会を去ってしまう。あるいは教会の中で「何か」をずっーと求め続ける人になる。

もちろん「入口は何でもいい」。私自身、「文学と聖書」という興味が入口だった。

でも、入口から「中」に入ってきてほしい。
キリストが幕を裂かれた至聖所まで。
まことの贖罪信仰にたどり着いてほしい。
中に入ってきていただくため、教会の入口はシンプルな方が良い(注:建物や設備の話ではありません)。もちろん入口を閉ざしていたり、入口が分からないということではいけない。でも、入口に敢えて目を引くようなモノは最低限にしたい。
そこで立ち止まらないように。御言葉のど真ん中にまっすぐ進んでくださるように。

教会にしかないもの、そこへたどり着いて欲しい。

福音へと、キリストの救いへと、たどり着いて欲しい。

20181122_111853

(大阪東教会の門。建物は古ぼけていますが、、、ここに福音があります。)

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2018年11月12日 (月)

自宅から牧師館に引っ越して三か月。

先日、「聖書を読む会」に出席されてる方がおっしゃった。
「先日、夜、教会の前を通ったら、牧師館の窓を見上げて『あ、灯りが点いてる、今日はいてはるんやねー』と話している人がいた」
それがOL風の女性たちだったと。
うーむ、「いてはるんやねー」と親しく気遣ってくださるようなOL風の方が思い当たらない。不思議。

でも、どなたかが、牧師館の窓の灯を気にしてくださっているというのは少しうれしい。
(セキュリティ上どうなん?というのもあるが)

もっとも夜、居ても、安物とはいえ遮光カーテンつけてるのでそれを引いたら外に灯は漏れないのですが。
気にしてくださる方がおられるなら、ある程度の時間まではレースのカーテンだけにしようかしら?(寒くなると暖房効率あげるためにも遮光カーテン引いてた方が良いけど)

そもそも窓って外へ開かれたもの。そこから光が漏れるのか闇なのか。
イエス様は「体のともし火は目」と仰った。
目もまた窓かもしれない。
私の目は明るいだろうか?

光なる主を見ているとき、明るい。

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