コロナになりました
今、あまり報道はされていませんがコロナが流行っているようです。
なんと私も初コロナ感染となりました。(以下、とりとめもなく書きます、、、)
前夜熱があり、朝には下がっていたのですが念のために、病院に行きました。
病院でも熱はなく看護師さんから
「コロナの検査どうされます?」
と聞かれ、「してください」とお願いしたら陽性でした。
幸い、症状は軽く回復出来ました。翌日、少し熱はありましたが、結局、熱や咳は二日ほどで完全に引きました。
一番、しんどかったのは、ゾコーバというコロナ薬が一万五千円もしたことです。
そのゾコーバの副作用かコロナのせいか分かりませんが、胃腸の調子が悪く、あまり食事が摂れず、みかんゼリーとかレトルトのおかゆみたいなものばかり食べていたら明らかに栄養失調みたいになって、風邪症状はほぼ引いても、体がふらふらしていました。
とはいえ、後遺症もなく、今、普通に生活で来ていて感謝です。
私はこれまで何回か、その後(その日とか、翌日に)コロナを発症する人と半日から数日、同じ部屋のとても近い距離で仕事をしていたことがあります。でも、結局、私は感染しなかったので、なぜか「自分は絶対に感染しない」と、謎の自信を持っていました。その自信が砕かれた出来事でした。
そう「絶対」なんてことはこの世にありません。私にとってコロナは、謙遜になれという神からの警告だったかもしれません。
実はコロナになった時期の日曜日、私は休暇をいただいて「短歌人」の集会に行くことにしていました。
日曜日に休暇で教会を不在にするのは五年ぶり以上のことでした。でも結局、集会はキャンセル、残念な「コロナ休暇」となりました。(休暇といってもコロナになった最初の週の日曜は朝、牧師館で説教を録音したものを会堂で流していただき、翌週は普通に会堂で礼拝を捧げました)
「短歌人」の集会自体、参加するのは十年ぶり以上になる予定でしたけれど、なんとなく今年は参加すべき時ではなかったのかもしれないなと感じました。
そして病気を契機にいろいろ思いめぐらせました。自分の限界とか生活のあり方とかをさまざまに考えました。
いずれにせよ、神を信じていても(牧師でも!)、病気になります。2020年の最初のパンデミックのころ、イタリアで聖職者が多数亡くなったニュースを胸を痛めて見た記憶があります。でも自分も神が示されるなら、感染の危機のなかでも為すべきことは為さねばならないと思っていました。あの頃の緊張感を忘れて、「私はコロナに感染しないのでは?」なんて、傲慢な思い上がりでした。
コロナで命を失った人、深刻な後遺症で苦しむ人も多くある中、自分の傲慢さを反省しました。
回復して教会の庭を見回すと、紫陽花や百合の季節は終わり、一面、緑です(雑草も凄い!)。
その緑は、命にあふれています。この世界には神から与えられた命の息吹が満ちています。
その命の息吹の中、生かされていることを、改めて感謝します。
そのあなたが御心に留めてくださるとは
人間は何ものなのでしょう。人の子は何ものなのでしょう
あなたが顧みてくださるとは。 詩編8:5
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