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2020年5月 1日 (金)

朝の言葉「喜びながら帰り」

朝の言葉~聖書短想「喜びながら帰り」

天の国は次のようにたとえられる。畑に宝が隠されている。見つけた人は、そのまま隠しておき、喜びながら帰り、持ち物をすっかり売り払って、その畑を買う。 マタイによる福音書13章44節

20200424-095022   この聖書箇所は天の国はすごく価値のあるものなのだ、全財産を売り払うほどの価値のあるものだいうたとえ話として、さらっと読んでも良いかもしれません。

 しかし、少しひっかかるところもあります。まず、宝が隠されているのに、それを申告をせずに買い取るというのは不正取引ではないかということ。元の持ち主は宝のことを知らず売ったのではないかと思われます。

 そしてまた、天の国はすごく価値がありますよ、と言われても、じゃあ自分のすべてを売り払えと言われると躊躇します。逆に言いますと、それほどに信仰が強く、すべてのものを捨てる覚悟でないと天の国には入れないのかという疑問もあります。

 畑の宝は、おそらく、他の人には「隠されていた」ものだと考えられます。そもそも宝の価値は見つけた人にしか分からなかったのです。それが黄金とか、埋蔵金とかであれば、誰にでも分かったでしょう。しかし、神が与えてくださる宝はキリストによる救いです。そこに宝があるといっても、その価値は多くの人には分からなかったと考えられます。買い取った人は、この世の商取引としては不正をしていなかったのではないかと考えられます。

 ではその宝は、自分のすべてを捨てなければ、得られないものでしょうか?

 ここで、一つ言えることは、イエス・キリストはすべてを捨ててくださったということです。命も名声もすべて捨ててくださった。私たちに宝を与えるために。私たちの全財産以上のもののために、イエス・キリストはすべてを捨ててくださった。

 私たちは、すべてを捨てることはできません。ただ、すべてを捨ててくださったイエス・キリストのゆえに、喜びながら帰るのです。そしてその感謝のゆえに、いただいた宝を生涯かけて神と隣人のために用いていくのです。

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