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2020年4月

2020年4月30日 (木)

朝の言葉「しるし」

朝の言葉~聖書短想「しるし」

イエスはお答えになった。「あなたたちは、夕方には『夕焼けだから、晴れだ』と言い、朝には『朝焼けで雲が低いから、今日は嵐だ』と言う。このように空模様を見分けることは知っているのに、時代のしるしは見ることができないのか。 マタイによる福音書16章2-3節

20200424-095554  私たちはさまざまな事柄から、未来を予想します。自分の経験や、さまざまなデータ、 権威ある人の言葉や、メディアに書かれていること等々から、やがてこうなるだろう、半年後はこうかもしれないと推測されます。

 しかし、時代は、そのような予想を覆して進んでいきます。災害や事故や疾病という想定外のことによって、容易に予想は覆されるのです。

 では、私たちは、想定外の未来に怯え、なすすべもなく、明日を迎えるのでしょうか?

 主イエスがおっしゃっている「しるし」とは、救いの到来のしるしです。つまり、救いの時代が来たということをおっしゃっています。

 この混迷した、不公平で暗澹と閉塞した時代が救いの時代なのか?そう疑問に思われるかもしれません。

 救いとは、私たち一人一人に示される神の出来事です。世の中の事象や、さまざまなデータや言葉では見分けることができません。ただ私たちが、神へ目を向け、耳を傾ける時、示されます。嵐のような日々に示される一筋の平安の道です。それは明日になったら覆されるようなものではなく、たしかなしるしなのです。


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2020年4月29日 (水)

朝の言葉「子供のように」

朝の言葉~聖句短想「子供のように」

はっきり言っておく。心を入れ替えて子供のようにならなれけば、決して天の国に入ることはできない。マタイによる福音書18章3節

20200428-145408 この言葉は「いったいだれが、天の国でいちばん偉いのでしょうか」という弟子たちの問いに対しての主イエスの答えです。聖書を読むと、弟子たちの間でも、弟子の中で誰が一番か?というような争いはあったことがわかります。「人と比べるな」と言われても、つい人を気にしてしまうのが人間の<さが>といえます。

「心を入れ替えて子供のようにならなければ」とイエス様はおっしゃいましたが、小さな子供だって、他の子と自分を比べて嫉妬したり、悲しんだりします。子供も子供なりに生きていくために精一杯で、けっして純真無垢というわけではありません。

主イエスがあえて「子供のように」とおっしゃったことの理由の一つは、子供は自分一人では生きていけない存在だということがあります。小さな子供は、大人に養ってもらわなければ生きていけません。自立して生きていけないのです。

私たちは、社会において、自立して一人前の大人として生きていくことを望まれます。経済的にも精神的にも責任を負って生きていくことを望まれ、実際、そのように日々、精いっぱい生きています。

しかし、主イエスは、自立していない子供が偉いとおっしゃるのです。よく「弱い人が(神仏などに)すがるのが宗教」だと言われます。私も、昔、そう思っていました。そしてそれは、ある意味、真実だと思います。

自分の弱さのゆえに、神にすがるのです。逆に言いますと、弱さを知らない人は神と出会うことはありません。弱い人間として、「大人のプライド」を神の前で捨てます。そこから新しい日々が始まります。神と共に生きる天の国が開かれます。


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2020年4月28日 (火)

朝の言葉「傷」

朝の言葉~聖書短想「傷」

さあ、わたしがお前の傷を治し

打ち傷をいやそう、と主は言われる。 エレミヤ書30章17節

20200426-131438 もうずいぶん昔の曲ですが、宇多田ヒカルの「Wait and see」という曲に「So baby wait and see/癒せない傷なんてない/リスクがあるからこそ/愛する程に切ないのかな/そんなに悪くない」という歌詞があります。

この曲は好きな曲ですが(「変えられないものを受け入れる力/そして受け入れられないものを/変える力をちょうだいよ」という<ニーバーの祈り>を思わせる一節もあります)、「癒せない傷はない」とまで言い切れるかな、とは思います。

何年も何十年も痛む傷はあります。忘れよう、と思っても、心が痛み続けることはあります。誰かに痛みを受けたのであれば、その相手を赦そうと思っても、心の痛みゆえに赦せないこともあります。

一方で、古い傷にこだわりつづける自分を責めることもあります。

でも、傷は傷として残っていて、それはたしかに、繰り返し痛むのですから、自分にはどうしようもないことでもあります。

神に、痛みや、悲しみ、苦しみ、場合によっては憎しみを、素直にゆだねましょう。わたしがお前の傷を治し、いやそうとおっしゃってくださるのです。ただ神だけが、いやしてくださいます。自分で努力して、痛みや悲しみや苦しみ、憎しみから自由になることはできません。

神ご自身が、十字架において、誰よりも深い傷を受けてくださいました。わたしたちの痛み、悲しみ、苦しみ、憎しみをすべて十字架につけてくださいました。その神によって、わたしたちは、たしかに癒されます。


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2020年4月27日 (月)

朝の言葉「ひとり」

朝の言葉~聖書短想「ひとり」

(イエスは)群衆を解散させてから、祈るためにひとり山にお登りになった。夕方になっても、ただひとりそこにおられた。マタイによる福音書14章23節

20200424-094847多くの人は「ひとりの時間」の大切さを知りつつ、なかなかそれが取れない現実に悩んでいます。長時間労働、ワンオペ育児等々、さまざまな要因で、なかなか自分の時間が取れない現実があります。

一方で時間はあっても、漠然とスマホをいじっている、ゲームをしている、ぼーっとして過ごしている、そんな時もあります。(そんな時間も、大事ですが)

主イエスは弟子たちに囲まれ、また群衆に囲まれて活動をされました。寝食を惜しんで伝道をなさいました。しかし、しばしば「ひとり」になられたことも聖書には記されています。

しかし、主イエスは「ひとり」になられましたが、一人ではありませんでした。それは祈りの時で、神と共にある時間でした。

私は若いころ、クリスチャンになる前、瞑想の時間を持っていたことがあります。ストレスの多い日々に参っていたのです。なので10分でも15分でも、瞑想によって静かに心を静めました。瞑想は、脳をリラックスさせ、交感神経を整え、心身の健康に良い影響を与えます。しかし、聖書の神を知ってからは、ただ心を静めるだけでなく(瞑想にもいろいろなやり方がありますが)心を神に向ける時間、祈りの時間を持つようになりました。主イエスが山にひとり登られ、神と過ごされたように、日常の中の、ごく短い時間を神と過ごすようになりました。そこから日々が変わっていきました。

一日の内の、ごくごく短い時間でも、神と共にある時間を持つとき、私たちの力を与えられます。本当の平安を与えられます。気づきを与えられます。ひとりになりましょう。神と共にあるひとりの時間を持ちましょう。


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2020年4月25日 (土)

朝の言葉「正しい人を招くためではなく」

朝の言葉~聖書短想「正しい人を招くためではなく」

わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。 マタイによる福音書9章13節

20200424-095053  正しさは人を斬ることがあります。日本では清濁併せ呑むことが重んじられます。正しいことばかり言ったって、現実は進んでいかない、聖人君子みたいな人間は煙たいと思われます。

イエス・キリストは正しい人を招くためではなく罪人を招くために来られたとおっしゃっています。ほらね、やっぱり正しいばかりじゃダメなんだ、、、ということではありません。

聖書は神の前での正しさについて厳しく問います。「なあなあ」ではないのです。「そこそこ」正しければよいのではないのです。

「なあなあ」でもなく、「そこそこ」でもない神の前の正しさを持つ人は誰もいないのです。

すべての人間が正しくない=罪人なのです。

その罪人をイエス・キリストは招いてくださいます。断罪するためでも、罰を与えるためでもなく、喜びに満ちた日々を与えるためです。

招かれるために、正しくある必要はないのです。ただ、イエス・キリストの前で、正しくない自分を認め、正しくないままに自分を差し出す時、イエス・キリストは両腕で抱きとめてくださいます。

 


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2020年4月24日 (金)

朝の言葉「求めよ」

朝の言葉~聖書短想「求めよ」

 求めなさい。そうすれば、与えられる。 マタイによる福音書7章7節

20200420-151010  「求めよ、さらば与えられん」は良く知られた言葉です。新共同訳聖書では上記のように訳されています。クリスチャンになる前、自分はこの言葉をどう理解していたかと思い出すと、「一生懸命求めたら与えられる、与えらないのは自分の熱意や努力が足りないから」というように理解していたと思います。実際、さまざまなものを求めて生きてきました。そこそこ与えられたものもあり、まったく与えられなかったものもあります。

 クリスチャンになって、何でも求めたものが手に入るようになったかというと、そういうこともありません。

 ただ、神が与えようとされるものは与えられると考えるようになりました。神が与えられないものは、どんなに努力しても待っても泣いても怒っても与えられないのだと思えるようになりました。

 なんだそれは諦めではないか?と思われるかもしれません。でも、努力したら、あるいは才能があったり、運が良ければ、世界中の欲しいものがすべて手に入るとか、人の心もすべて自分の思いのままになると考えるのは不健全ではありませんか?もっともっといろんなものが手に入るはずだと、今の自分をふがいなく思ったり、世の中を恨んで生きるのは不幸だと思いませんか?(もちろん、社会の不公平や差別を許容してはなりませんが)

 自分の限界(神が定められた領域)をわきまえるとき、私たちは本当の意味で欲望から解き放たれ自由になります。

 不思議なことに、そのときから、むしろ、それまでは考えられなかったものが手に入ったり、新しい道が開けたりします。

 もちろん、それでも本当に欲しいものは願ったらいいのです。死に物狂いで神に願ったらいいのです。神は必ず新しい未来を与えてくださいます。

 


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2020年4月23日 (木)

朝の言葉「塩」

朝の言葉~聖書短想「塩」

 あなたがたは地の塩である。だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられよう。 マタイによる福音書5章13節

20200422-190833  塩気のない塩などというものはありえないものです。塩気がなくなればそれは塩とは言えないでしょう。

 しかし、また塩というものは自分から塩味になろうと思って存在しているわけでもありません。NaClを主成分とする塩は最初から塩味をもっているのです。

 私たちは、意識的にも無意識的にも「何者」かになろうとします。また「何者」かとしての役割を果たそうとします。課長であったり、運転手であったり、三児の母であったり、それぞれの存在として生きていきます。子供であっても「良い子」の役割を果たそうとします。

 何者かになろうとしたり、何者かでありつづけようとするのは、時としてしんどいものです。逆に別の何者かにならないために、今の自分のままであろうと踏ん張ったりすることもあります。

 しかし、私たちには、本来の役割があります。課長であったり、運転手であったり、三児の母であったり、良い子である以前に―塩がもともと塩味をつけられているように―本来の役割があるのです。それが神から与えられた役割、つまり使命です。私たちの本来の「味」ともいえます。その与えられた「味」は、あなたをあなたらしくする「味」であり、自分で手に入れるものではありません。神がつけてくださる「味」です。あなたの日々を平安にする「味」です。

 


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2020年4月22日 (水)

朝の言葉「闇のひと夜」

朝の言葉~風は思いのままに吹く

「闇のひと夜」

まっ黒な雲が立ちこめ、光が闇夜を貫いた。両軍は、一晩中、互いに近づくことはなかった。出エジプト記14章20節

20140909-200910 イスラエル軍は追い詰められていました。後ろには海、前には、精鋭のエジプト軍が迫っていました。

暗雲に光が貫く不気味な闇の中、両軍はまんじりともせず、向かい合い、動きませんでした。

その一晩、夜もすがら神は激しい東風をもって海を押し返しておられました。これは有名な海が割れる奇跡の前の場面です。

闇が満ち、人間が破滅への恐れにおののいているときでも、たしかに神は夜もすがら働いておられます。状況は硬直し、先が見えないように感じるときでも、神の出来事は進んでいます。

闇が深まった時、救いの朝がたしかに近づいています。

 

 


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2020年4月21日 (火)

朝の言葉「渇き」

朝の言葉~風は思いのままに吹く

「渇き」

この水を飲む者はだれでもまた渇く。しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。

ヨハネによる福音書4:14

20200420-1511481  豊かな時、渇きに気づきません。飲み物も、水道の水のみならず上等のミネラルウオーター、コーヒー、お茶、アルコール、とよりどりみどりです。

 不足や欠乏が生じた時、にわかに渇きを覚えるのです。そしてその不足や欠乏が、今に始まったことではないことにも、やがて、気づくのです。

 よりどりみどりで喉と心を潤していたつもりだったけれど、実はからからに渇いていた。ずっと前からそうだった。

 渇きに気づいたとき、それは新しい一歩です。けっして渇くことのない水の前にすでに立っているとも言えます。

 あなたは渇くことない日々へ歩み出したのです。

 


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