今日の黙想から ~弱き者と共におられる主
今日の黙想から ~弱き者と共におられる主~
ペトロの手紙Ⅰ 1:1
イエス・キリストの使徒ペトロから、ポントス、ガラテヤ、カパドキア、アジア、ビティニアの各地に離散して仮住まいをしている選ばれた人たちへ。
ペトロは主イエスのおもだった弟子たちの内の、さらに一番弟子ともいえるリーダー格であった人です。もともとはガリラヤという田舎の漁師でした。学問があったわけではありません。しかし、このペトロは、後輩の、大神学者であったパウロとはまた違った形で、初代教会に大きな影響を与えた人でした。もちろん、十字架の出来事の前から主イエスを知っていた、初めからの弟子であったということで重んじられた面もあります。なんといっても、主イエスの短い宣教期間(三年半ほどと言われます)を身近で共に過ごした人です。ですから、弟子の中でも特に重きのある「使徒」と言われるのです。
しかし、この「使徒」という敬称はペトロにとって、ある意味、ほろ苦いものであったろうとも感じられます。彼は、誰よりも自分が「使徒」などにはふさわしくないことを知っていたと思うのです。
ペトロは繰り返し失敗をしました。ことに、かつて、逮捕された主イエスを置いて逃げ、「イエスなんて知らない」と三回も否認をしたことは有名です。
そのペトロが復活のイエス・キリストと出会い、そしてまた聖霊をうけて、別人のように生まれ変わって大伝道者として活躍をしました。しかし、伝道者として活躍をしながらも、のちに後輩のパウロに批判を浴びるような情けないところもあるペトロでした。彼はおそらく生涯、弱さを抱えて生きた人だと思います。
しかし、ペトロにはパウロとはまた異なる魅力があります。キリストの証人としての確かさがあります。それは、<弱かったペトロが改心して強くなって立派に伝道したから>とか、あるいは<完全無欠ではないところが人間的に親しみやすい>といったことではなく、ペトロが生涯弱さの中にあって、なお確かにキリストに愛されている者として生きた人だからでしょう。
ただただ、彼はキリストに愛された。何度失敗をしても、つまずいても、なおキリストが共にいてくださった。ダメダメ人間であるにも関わらず、いやダメダメ人間だったからこそ、キリストの愛の深さを彼は指し示すことができたのです。ただただキリストの愛のゆえに、愛された証のように彼は「使徒」と呼ばれるようになった。
ペトロの、自分自身への苦い思いと、キリストへの切なる慕わしい思いが交錯する所に立ち上がる真実を、私たちは見ます。弱い人ペトロだからこそ、その姿に重なるように輝くキリストの姿を見るのです。そして、共感することができるのです。わたしもまたキリストに愛されている一人のペトロであることを知らされるのです。




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