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2014年1月29日 (水)

力を捨てよ!~湖蓮日日献身編

P1000148  Cコース受験二年目に入った。

 所属教会では牧師交代があった。3月から4月にかけて、慌ただしかったし、精神的にもしんどかった。大震災という大きな出来事も自分の中に影を落とした。そのなかで将来に向けて少し考えたことがあった。

 この期間、主日の礼拝説教を2回、また毎週の祈祷会の奨励と週報作成を担当した。当然、会社での勤務は続けながらである。

 献身の思いを与えられたときから私の中では、将来は小さな教会に奉仕をさせていただきたいという願いがあった。そしてこの時期まで、小さな、財政的にも豊かでない教会に仕える場合、もしかしたら、私自身、仕事を続けながら教会に仕えるということも選択肢としてありかな、と思っていた。実際、Cコースで牧師になった方で、教会に着任して最初の数年間は会社員を続けていたという方も存じ上げていたので、そのようなやり方もあるのかなと漠然と考えていた。

 でも、この牧師交代の時期、実際に、説教(ほんの2回だけだが)やら、毎週の祈祷会の奨励、週報作りをさせていただいてみて、これは片手間ではできない、と感じた。そもそも牧師の仕事はこれだけではない。これ以外にもさまざまな牧会の仕事がある。教会の状況や自分自身の体力や別に仕事を持つ場合の仕事の内容にもよるかもしれないが、少なくとも、自分の現在の体力や勤務の状態では「二股」なんて到底無理だと感じた。

 なのでこの時期に決心したことは、ある時点で、私は会社を辞めるということである。それは試験に合格してからなのかその前なのか、あるいは仕える教会が決まった時点なのかそのあたりはまだはっきりしていなかったが、いつかどこかで、定年を迎える前に会社を辞めるのだと考えるようになった。

 Cコース2年目で、もうひとつ自分の中で大きな変化があったことは、「力を捨てよ、知れ/わたしは神。(詩編46編)」のみことばを与えられたことである。

 それは秋となり、また願書提出の時期を迎えた頃のことである。新牧師は、教会として私を献身者として送り出すという思いを教会の皆が持つために、教会の皆さんの前で献身者としての証を私がする場を設けてくださった。

 私自身としては、1年目の受験の時と同様、N姉のことであるとか献身への導きの出来事として話すべきことは決まっていたので、取り立てて新たな準備ということはしなかったのだが、それでもその証のことを祈りつつ覚えているとき、上記のみことばと出会った。

 それまで自分の中に根強くあった意識は、「本当は自分は牧師や伝道者には向いていない」ということであった。まず人に何かを教えるような仕事は向いていないと確信していた。たとえば一応、大学では、高校や中学の教職の資格は取っていたが学校の先生にはならなかった。むしろ人と接することがメインではない技術職についた。そしてなによりそれ以前に、性格的に短気で押しが強く、悩みやしんどさを抱えて教会に来る人に思いやりをもって接することなどできない人間だと自分のことを感じていた。

 でも「力を捨てよ。」というみことばと接したとき、はっとした。もちろん詩編のこの箇所を読んだことはその時が初めてではなかった。でもその時、知らされた。「ああ、神様は私に牧師として伝道者としてふさわしいなにかの<力>があるから召されたのではないのだ。」と。私になにかふさわしい特性や能力があるから選ばれたのではない。神の選びはそのようなものではない。ふさわしかろうがふさわしくなかろうがそれは人間の考えることであって、神は神の考えで選ばれ用いられるのだと思った。<適性>のあるなしを勝手に考えていた自分を恥じた。

 そうこうしているうちに2年目の試験が近づいてきた。Cコースの2年目は筆記試験が一番たいへんと言われる。「旧約歴史」「宗教教育」「教会史・教理史」「ギリシャ語」が受験科目だった。もともと暗記が嫌いで理科系の大学に進んだくらいの私に「歴史」ものが複数あるのも苦痛だったが、なんといっても「ギリシャ語」は難関だった。DVDのギリシャ語講座で勉強したりもしたが、やたらと変化形が次々に出てきて、ちっとも頭に入らなかった。

 いよいよ年が明け、これではあかんと焦って、正月に10年分のギリシャ語の過去問題を見直し、そこに出てきている単語をすべて単語帳に書き写し、和訳問題のギリシャ語部分をコピーして持ち歩いた。通勤電車の中で、ひたすら単語帳を繰り、徹底的に単語を暗記し、ギリシャ語のコピーを読んだ。会社の人に見られたらちょっとまずいかも?と思ったがそんなことは構ってられなかった。

 そうこうして迎えた2年目の試験―結果は全科目合格だった。今回は「追試」もなかった。東京から結果をお世話になっている方々に連絡した中でおもしろかったのがOCCで喫茶店をしているNm姉。

 わたしが「全科目合格でした!」というと、「うわー、すごいね、、、神様って!」と喜んでくださった。他の方はだいたい「すごいね、良く頑張ったね」「良く勉強したんだね」というような言葉だったのに、Nm姉だけは「すごいね、神様って」だったので、おっと思った。

 いや確かに神様がすごいのである。自分としても別に私が優秀とはちっとも思っていなかった(本当に!)。でも改めて、「すごいね、神様って!」というNm姉の言葉を聞いたとき、あらっ!と、意表を突かれてガクッと来た自分がいた。やっぱりちょっとは褒めてほしかったのだ。そんな自分に気がついてなんだか笑えてきた。「そ、そうですね、、、か、神様はすごいですよね」と答えつつ声を出して笑ってしまった。いままで張っていた気持ちも緩んだ。そうだそうだ神様ってすごい!まさに「力を捨てよ」だ。そう改めて感じつつ二年目の試験を終えた。

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