2024年8月 6日 (火)

〇ョコザップに勝利?

Bibkesemina明日、8月7日19時より、バイブルセミナーを行います。本当は7月に行う予定でしたが、私のコロナ罹患のため延期していたものです。

ノンクリスチャンの方もお気軽にお越しください。

さて、今朝、短時間ですけど、谷町四丁目メトロ出口(谷町三丁目交差点口)で明日のバイブルセミナーのビラ配りしました。


「おはよーございまーす」

って大きな声でビラ配りしていると、◯ョコザップの黄色いチョッキきたお兄さんがやってきた。私と出口の左右に分かれる場所に陣取り、ビラの入った箱をおもむろに地面に置き、ビラ配りを始められた。
私は◯ョコザップには負けんぞ、とさらに大きな声で

「おはよーございまーす」

とビラ配り。まあ、受け取ってくれる人はあまりいないですが。それでもたまに受け取ってくださる方もいる。


で、5分位して〇ョコザップのお兄さん、撤収。

横目でしっかりチェックしていたが(笑)、お兄さんは1枚も配れてない。 

「ここはなんかうるさいおばさんがいて無理」と思われたみたい(笑)


〇ョコザップのお兄さん、交差点渡って、他のメトロ出口に向かわれた。見ると谷町三丁目交差点の4つのメトロ出口それぞれに何人か◯ョコザップの人が立っていた。
ただし4つの出口の一つは大阪東教会が占拠した形、ドヤァ(笑)


でも実は、◯ョコザップのチラシ、もらいたかったけどな。

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2024年7月31日 (水)

ゴッドハンドと呼ばれたわたし!?

20240323-073755  会社員だったころ、ソフトウェア関係の仕事をしていました。

 開発者としてはさほど優秀ではありませんでしたが、私にはちょっとした「特技」がありました。

 それは、人の作った「バグ」を探し出すことです。けっこう、嫌な奴ですよね(笑)

 別に頭を使って、このタイミングでこの操作をしつつこのデータとあのデータを流すのを同時にしたらどうだろうか?なんてことせずとも、割と普通に操作してたら(ま、多少は勘が働きますが)、バグが出てくるのです。(ゴッドハンドと言われてたなあ。ゴッドだなんて畏れ多いが)

 会社員生活の最後の時期は、開発部門から、いろんな事業部の製品の審査をする部門に移りました。

 そこで、各事業部が自信満々で持ってこられた出荷直前の製品を審査して、出荷して良いかどうか判定をするのですが、申し訳ないことに、何件か出荷停止になるような「バグ」を見つけてしまいました。

 たとえば、ある時、制御設備の巨大な機械の審査をしました。何をやる機械か正直、詳細はよく分かっていない私(笑)。

 私「今運転中ですが、このあたりのボタン押しても問題ないですか?」

 事業部の人「はい、ボタン操作は無効になるモードになってますから大丈夫ですよ」

 私、<ま、そのくらいのエラー処理は、当然やってるよねぇ>と思いつつ、おもむろに適当に目の前の一個のボタンを押しました。

 ドーーン!!!

 と音がして、巨大な機械が振動しつつ停止、パトライトがまわり、アラームがけたたましく鳴り、、、機械に駆けよる担当者たち、手元の資料を慌ててめくる人、技術者を呼び出す電話の声etc騒然とした雰囲気の中で、私一人、

「どしたん?」。

 後から聞いた説明では、私が「たまたま」、機械の内部ソフトの処理的に、ものすごくありえないタイミングで、そのタイミングでは押されてはいけない(処理が指示されていなかっためっちゃ特定の)ボタンを押したことによって機械がエラー停止したらしい。

「よくぞこんなレアなバグを見つけてくださいました!」と感謝されました。

 当時、けっこう、こういうことがありました。

 最近、Windowsがブルー画面になる障害が世界各地で起こりましたが、結局、人間が作りこんだものには「バグ」があります。

 しかしまた人間が作りこんだものゆえ、困難の度合いはさまざまであっても、対応はできるのです。私はソフト開発をしているとき、特にバグの原因を探り(これはものすごく時間がかかる場合もある)解決していくなかで、「出口のないトンネルはない」という思いを強く持ちました。もちろん原因によっては直接的な対応が難しく、代替的な対応になる場合もありますが。

 でも、これはバグだけの問題ではないと思います。人生にはトンネルの中のような暗いところを通る時もあります。たしかに忍耐して努力してトンネルを歩いていくうちに、やがて明るい出口が見えてくることもあるでしょう。

 でも、人生のトンネルは、ソフトウェアのバグの解決のトンネルより、複雑で困難です。

 そのトンネルを歩くときの先導者が必要だし、目の前を照らす灯りも必要です。そもそもトンネルを抜けたらどこに出ていくのかという行先もはっきりと知りたいところです。そういうことを感じていた私は、いつのまにか教会に導かれていました。そしていま思います。トンネルの中を共に歩いてくださるのはイエス・キリストで、出口は神が備えてくださる、と。だから人生においても「出口のないトンネルはない」し、よりよい出口に向かって私は歩んでいるのだと確信できます。

あなたの御言葉は、わたしの道の光

 わたしの歩みを照らす灯火

        詩編119:105

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2024年7月24日 (水)

コロナになりました

20240717-115446  今、あまり報道はされていませんがコロナが流行っているようです。

 なんと私も初コロナ感染となりました。(以下、とりとめもなく書きます、、、)

 前夜熱があり、朝には下がっていたのですが念のために、病院に行きました。

病院でも熱はなく看護師さんから

「コロナの検査どうされます?」

と聞かれ、「してください」とお願いしたら陽性でした。

 幸い、症状は軽く回復出来ました。翌日、少し熱はありましたが、結局、熱や咳は二日ほどで完全に引きました。

 一番、しんどかったのは、ゾコーバというコロナ薬が一万五千円もしたことです。

 そのゾコーバの副作用かコロナのせいか分かりませんが、胃腸の調子が悪く、あまり食事が摂れず、みかんゼリーとかレトルトのおかゆみたいなものばかり食べていたら明らかに栄養失調みたいになって、風邪症状はほぼ引いても、体がふらふらしていました。

 とはいえ、後遺症もなく、今、普通に生活で来ていて感謝です。

 私はこれまで何回か、その後(その日とか、翌日に)コロナを発症する人と半日から数日、同じ部屋のとても近い距離で仕事をしていたことがあります。でも、結局、私は感染しなかったので、なぜか「自分は絶対に感染しない」と、謎の自信を持っていました。その自信が砕かれた出来事でした。

 そう「絶対」なんてことはこの世にありません。私にとってコロナは、謙遜になれという神からの警告だったかもしれません。

 実はコロナになった時期の日曜日、私は休暇をいただいて「短歌人」の集会に行くことにしていました。

日曜日に休暇で教会を不在にするのは五年ぶり以上のことでした。でも結局、集会はキャンセル、残念な「コロナ休暇」となりました。(休暇といってもコロナになった最初の週の日曜は朝、牧師館で説教を録音したものを会堂で流していただき、翌週は普通に会堂で礼拝を捧げました)

 「短歌人」の集会自体、参加するのは十年ぶり以上になる予定でしたけれど、なんとなく今年は参加すべき時ではなかったのかもしれないなと感じました。

 そして病気を契機にいろいろ思いめぐらせました。自分の限界とか生活のあり方とかをさまざまに考えました。

 いずれにせよ、神を信じていても(牧師でも!)、病気になります。2020年の最初のパンデミックのころ、イタリアで聖職者が多数亡くなったニュースを胸を痛めて見た記憶があります。でも自分も神が示されるなら、感染の危機のなかでも為すべきことは為さねばならないと思っていました。あの頃の緊張感を忘れて、「私はコロナに感染しないのでは?」なんて、傲慢な思い上がりでした。

 コロナで命を失った人、深刻な後遺症で苦しむ人も多くある中、自分の傲慢さを反省しました。

 回復して教会の庭を見回すと、紫陽花や百合の季節は終わり、一面、緑です(雑草も凄い!)。

 その緑は、命にあふれています。この世界には神から与えられた命の息吹が満ちています。

 その命の息吹の中、生かされていることを、改めて感謝します。

 

そのあなたが御心に留めてくださるとは

人間は何ものなのでしょう。人の子は何ものなのでしょう

あなたが顧みてくださるとは。   詩編8:5

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2024年6月21日 (金)

バイブルセミナー実施しました

20240619-182306  ひさしぶりのブログ更新です。

 バイブルセミナーを6月19日に実施しました。

 もともと水曜日は「バイブルアワー」といって19時から夕礼拝を行っていました。

 会社帰り、近隣の方にも気軽にお越しいただけたら、と願って2016年に始めたものです。

 当初はだれも来られないことが続きましたが、数年たったころから、一桁ではありますが、一定数の人が来られるようになりました。

 ところがコロナの時期、休会していて、その後、再開してからは、ほとんど人が来られなくなりました。

 たまにふらっと入って来られるような方もコロナ以前はあったのですが、そういう方もおられなくなりました。

 それでも、ごくたま~に来られる新来会の方対応の長老(教会の役員さん)がお二人ほど出席してくださるだけの会が続いていました。

 で、当初お越しいただきたいと願っていた「会社帰りの方」にもっと盛大に来ていただけるようにビジネスパーソン向けを意識したテーマ設定をして礼拝形式ではなく、講義形式で聖書の話をしてみようと企画してみました。

 僭越ながら、私自身が、会社員出身であることも掲げさせていただき話をしました。

 会社員時代の友人やら、最近契約した保険会社の新入社員さんやら、同労の牧師さんやらお越しいただき、通常のバイブルアワーよりも多くの方に来ていただきました。

 私自身、ひさびさのパワーポイントを使った「プレゼンテーション」ということでめちゃくちゃ緊張しました。(会社員時代からプレゼンは下手だと定評があった(笑))

 ただこういう新しい企画というかイベントをしてみてつくづく思うのは、人が神様にふれるというのは、それだけで奇跡的なことだということです。

 人間の思いで、伝えたいとか、分かってほしいと思っても、「神のこと」は、特別なことだと思います。

 えっ?とこちらが驚くような感じで、あっという間に神を受け入れる人もいれば、聖書や教会に好感は持ちつつも、いつまでも核心的なところには距離を置く人もいます。

 そして、牧師として、切実に思うのは、日本にはそもそも「神を求めていない」人が多いということです。少なくとも私が会社員生活から今日1718876141127 に至るまで接した多くの人々は普通に働き生活をしながら、ちゃんと努力しつつ、誠実に生きておられて、それでほぼ充足されていて、せいぜい初詣や冠婚葬祭のときくらいしか宗教に接することはなく、人生上の悩みや苦しみはありつつも、宗教や神への求めはないということです。

 今回のバイブルセミナーを通しても、「神への求め」という核心には触れることはできなかったという悔いがあります。だからといって、聖書を用いた「生き方のノウハウ」とか「働き方の提言」セミナーにはしたくないとも思っています。

 そういうノウハウ的なものの方が、ニーズはあるのかもしれません。もっとポップに振り切って現実の課題に集中して話した方が「集客(こういう言葉は嫌いですが)」もできるのかもしれません。

 でも、願いとしては、「会社帰り」の人が自分の実生活のなかの課題から、神の核心に触れていただきたいと思っています。まだまだそのために良いやり方にはなってないんだろうなと反省しきりです。

 でも、このバイブルセミナーは継続予定で、「礼拝」というと教会に入りにくい人も教会に来ていただきたいという思いで行います。(いやでも結局、「礼拝」に来られなければ、それは伝道ではないなとおもいますが    )試行錯誤しつつ行っていきます。

 どうかご興味のある方は、お越しください。次回は7月17日(水)19時より。

 

 (なお、リアルタイム配信は予定していませんが、アーカイブを教会ホームページにアップする予定です)

 

 

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2022年8月20日 (土)

今日の祈り~2022年8月20日 沖に漕ぎ出す

今日の祈り
話し終わったとき、シモンに、「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」と言われた。ルカ5:4
Umi 導き主なる主よ、自分の限界を感じてうずくまる時も、疲れきってうちひしがれている時も、あなたは大いなることを示してくださいます。そのあなたの声を聞きとめることができますように。聞いて行うための勇気をもお与えください。主イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします。

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2022年8月19日 (金)

今日の祈り 8月19日~貧しい人を

今日の祈り
立ち上がってください、主よ。神よ、御手を上げてください。貧しい人を忘れないでください。詩編10:12

Mobiru 主よ、あなたは豊かであった御子を貧しい者としてこの世に遣わされました。御子の貧しさゆえに私は自らの貧しさを知らされました。豊かな者であるように思い上がっていた私を、あなたと共に生きるまことの豊かさへと導いてくださいました。今日もあなたの豊かさの内に生かしてください。そして貧しい隣人を愛する者としてください。主イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします。

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2022年8月18日 (木)

今日の祈り 2022年8月18日~あなたがたを友と呼ぶ

今日の祈り

もはや、わたしはあなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人が何をしているか知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼ぶ。父から聞いたことをすべてあなたがたに知らせたからである。ヨハネ15:15

20220811-085049  主よ、あなたは十字架において愛を示し、私たちの罪を砕き、新しい命のうちに友となってくださいました。今日も親しく語りかけ、導いてくださいますことを感謝いたします。私たちがあなたの御声を聞き取れない時も、私たちの心と耳を開き、聞く者としてください。主イエス・キリストのお名前によって祈ります。

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2022年8月17日 (水)

今日の祈り 2022年8月17日~熱を𠮟りつけられる

今日の祈り 2022.8.17
イエスが枕もとに立って熱を叱りつけられると、熱は去り、彼女はすぐに起き上がって一同をもてなした。ルカ4:39
20220817-061954 主なる神よ、あなたは、あなたと私たちの壁も、人間同士の壁も取り去ってくださいました。私たちを脅かし、孤独へと囲い込むものはありません。この日もあなたにより頼み、あなたの平和の内に歩むことができますように。あなたにあって、まことの健やかさに生かしてください。主イエス・キリストのお名前によって祈ります。

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2022年7月28日 (木)

人生、死で終わり?

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神はすべてを時宜にかなうように造り、また、永遠を思う心を人に与えられる。それでもなお、神のなさる業を始めから終りまで見極めることは許されていない。コヘレト3:11
 私がキリストを信じる信仰を持ったのは中年になってからだったが、それまでも何か「大いなるもの」を求めていたところがある。
 一般的にも、たとえば震災とか、身近な人の死とか、そういうときに、もともと特に信仰はなくても否応なく、命を思い、また霊的な何かを感じるということもあると聞く。
 しかしまた一方で、徹底した「この世主義」もある。神も霊もない。死んだらそれまで。私などは信仰を持つ前から、「死んだらそれまで」というのはそれはそれで恐ろしいなと思っていた。「死んだあとも何かあってほしい」そんな思いがあった。
 宗教って、ある意味、「死んだあとも何かあってほしい」という人間の思いを回収する側面がある。(だから宗教は死の問題を解決したい人間の思いが作り出したものという説もある。)
 最近「死んだらそれまで」そう考えている方のご家族が亡くなられ、葬儀は無宗教で、家族がパワーポイントで亡き人の思い出を語る形で行うと聞いた。それでそのご家族が納得されるのならよいだろう。
 ただ葬儀の形以前に、今生きている私たちの命って何なのか?たしかに物理的には「死んだらそれまで」が。しかし、死ですべて終わりと考えるとき、今生きている私たちの命は輝くのか?そういうことを思わされた。
 感覚的な言い方になるが、キリスト教ではなくても、死後のこと、霊的なことを思うとき、人間は今生きている命の尊さを思うのではないか。刹那開き、明日は枯れる花のような命へのいとおしさがわくのではないか。そうでなければまさに「食べたり飲んだりしようではないか。どうせ明日は死ぬ身ではないか」ではないか。もちろん「死んだらそれまで」と思う人も単純な意味での快楽主義、刹那主義には陥らないだろう。誠実に限りある人生を生きていくだろう。しかしまた、ほんとうの意味での命の豊かさを知ることはないのではないか。
 私たちには「永遠を思う心」が与えられている。そしてそれが人間の「良き生」への渇望の根幹にある。愛の根源と言ってもよい。「永遠の愛」なんて、ロマンチストの戯言だと思う人もあるかもしれない。しかし、永遠でない愛はないし、永遠の愛を求めることが「良き生」の姿だ。その「良き生」は死で終わりではない。愛なき人生はむなしい。
(facebookの記事を加筆修正)

 

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2021年9月21日 (火)

秋ですね!

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久しぶりの投稿です。facebookからの転載ですが。

友人にいただいた白い彼岸花の写真。ちょっと幻想的です。

朝夕涼しくなって、日中の日差しもまぎれなく秋のもの。(しかし、鉄筋コンクリート二階建ての二階の牧師館は相変わらず暑い😞💨)
季節の変わり目、少し心が落ち着いてきた。そして、ほんとに様々なことが心に吹き荒れていたここしばらくであったことに、改めて気づく。「忙」しいって、心を亡くすこととはよく言ったものです。何より神の前に立つ心を失うのですよね。←牧師のくせになんてこと😱
風がどこから来てどこへ行くのかは知らない。しかしまた、たしかに私に吹きかけられている息なる風がある。あの天空高くから、たしかに届く風が。その風に気づいたとき、立ち上がるのではない。祈るのだ。息なる風、聖霊によって祈りを新しくしていただくのだ。

わたしはあなたの背きを雲のように/罪を霧のように吹き払った。わたしに立ち帰れ、わたしはあなたを贖った。イザヤ44:22

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