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2005年8月12日 (金)

黄蝶ゐてつはぶきの黄に脣觸りつ それは記憶のかたち

 『薫樹』より

 「それは記憶のかたち」・・こういうフレーズにはついひかれてしまう。こういう抽象的なというか概念的なフレーズにふっと惹かれてしまうのは自分の「甘さ」かなあと思う。でもやはりキマッていると思う。
 これは蝶とつはぶきの「黄」が重なっている。その場面がかつて見た記憶の中の場面と重なっているんだろうか?あるはデジャブのようであるということであろうか。
 「黄」の重なりとか、「脣觸りつ」-唇が触れるというあたり 少しばかりエロチックな気がしないでもない。それはいわゆる性的なものを暗示しているというより、もう少し根源的な生につらなるエロスである。
 ただそういうエロス的なところにとどまらず、ある小さな世界を覗き込むような感覚。覗き込みながら、こちらの世界が照らし返されるような(少し前の「かなかな」の歌のような)感覚というのはおもしろいと思う。
 記憶は呼び起こされたり、眼前のイメージによって重ねあわされたのではなく、いま、あらたに造られてたちあがってきた記憶である。

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